水月泡沫
- ナノ -

13

宿屋で待機して、夜が来るのを待った。リオンが帰ってきたので中々起きようとしないスタンを無理矢理起こして神殿へと向かう。夜だと言うのに大気は熱く、空気は息苦しいものだった。

「ぐずぐずするな、行くぞ」

ユウナの目にはリオンの様子が先程とは違って見えた。迷いを少し断ち切ったような、新たな決意をしたような目だ。しかし、何故か不安を覚えてしまう。
リオンが何かを為そうとする時、時に自分自身をも賭けてしまう所があるからだ。


「リオン……どうしたの?」
「何がだ?」
「いや、何でもない……」


どこかでリオンが無理をしそうな気がして不安になってくる。何か取り返しの付かないような。


「ユウナ……、この任務が終わったら言いたい事がある」
「言いたいことって、今じゃなくて?」
「今の僕では言えない……この任務が終わったら、お前に言いたい事がある」
「うん、その時まで待ってるよ。……でも一人で無理はしないで」


リオンが微笑んだのでユウナも微笑み返す。二人のソーディアン達はリオンが何を言おうとしているのか理解できて、口を挟まなかった。リオンが彼女に想いを告げられるようになる自分になりたいという願いは、決して笑うことの出来ない彼の切実なる純粋な願いだったのだ。

――裏口へ忍び込んでスタンが軽くノックをする、すると暫くして扉が小さな音を立てて開く。そこから見えたのは昼に別れたフィリアの姿があった。
フィリアに招き入れられて神殿内に入り、明かりを灯す。神聖な神殿とは違い、何か不気味な空気が流れている。


「中の様子はどうだ」
「はい、巡礼者に混じってあちこち見て回りましたが、グレバム達を見かけることはありませんでした」


ただ、とフィリアは続けた。
どうやらこの神殿にも大聖堂があり、地下へ通じているかもしれないとのことだった。その言葉にリオン達は大聖堂を調べるために敵に注意しながらそこへと向かう。

フィリアの予想通り、大聖堂には地下に続いている隠し通路があり、奥へと向かう。その途中にもグレバムへと寝返った信者達が襲い掛かってくる。嫌気が差してくる位だ。
扉を開ける、そこにはセインガルドのストレイライズ神殿同様台座があった。ただ、違っていたのはそこに光り輝く物があったということ。


「神の眼……!」
「まさか、ここでもう一度これを見ることになるとはな……」
「ロイ?」
「……、何でもねぇよ」
「綺麗だな」


マリーが多面体の核が回転しながら光り輝いて浮遊している巨大なレンズを見て思わず感嘆の声を漏らす。
とても巨大で見ているだけで引き込まれそうになる。
フィリアは何かに気がついたのか身を固くする。神の眼が発する光の逆行で見えなかった人物が姿を現した。


「グレバムですわ!」
「何だ貴様ら、何処から入った!?フィリアか!」
「グレバム!もうやめなさい!」


フィリアの心からの悲しい叫びにグレバムは表情を歪ませて笑う。
フィリアにとってグレバムは心良い大司祭だった。戻って欲しいという気持ちもあったけれど、もう無理であった。グレバムは歪んでいる。
声を張り上げてフィリアに一喝するグレバムにシャルティエの切っ先を向けて一睨みするのはリオンだ。


「もはやお前に逃げ場は無い。覚悟しろ!」
「ソーディアン!貴様、リオン・マグナスか。ということはお前はユウナ……!そういう事か……全ての見込めたぞ」
「何が言いたいわけ?」


ユウナもロイを抜いてグレバムへと剣の先を向ける。
ユウナの問いに答えず、歪んだ笑みをもう一度して神の眼に触れる。モンスターを召喚しようとしているらしく、その様子にスタン達も剣を構える。
ロイを構えて動かしている本人であるグレバムへと踏み込む。しかし、召喚されたバジリスクが立ちはだかり、止まる。フィリアを石にしていたのはこの魔物だ。大分厄介な敵である。
ユウナ達が魔物達を相手にしている間に台座においてあった神の眼は姿を消し、グレバムの姿もなくなっていた。


「か、神の眼が……消えてる!」
「逃げられた……!」


リオンはスタンの声に反応してそこを見る。そこには何も無く、姿を消した後で。眼を細めて探すがもう居ない。ルーティは悔しそうに唇を噛み締めた。リオンは大聖堂へと戻り、グレバムを追おうとする。


「待って、リオン!」
「待てよ!みんなで一緒に行こう。ひとりじゃ無理だ」


ユウナの制止の声にリオンは振り向くが、続いて言ったスタンの言葉に眉を潜める。


「まだ僕を仲間扱いする気か?虫唾が走るといっただろう」
「でもみんなで力を合わせないと……っ!」
「リオン!」


ユウナが咄嗟に叫ぶ。リオンの後ろに居たのはフィリアを石にしたあのバジリスクだ。スタンもそれに気づき、リオンの元へ走り、リオンを突き飛ばす。
石化弾を放たれ、スタンの体はゆっくり石化していく。ルーティの悲鳴にリオンは上体を起こし、スタンを見る。


「おまえ……」
「お……俺のことはいい、早く……グレバ、ムを…」


それきり声は途切れ、スタンは完全に石化状態となり、動かなくなった。
フィリアはスタンに駆け寄る。今は生憎パナシーアボトルを持っていなくて、どうする事も出来ない。
リオンは立ち上がるとスタンを見ずに階段を上ろうとする。

「リオン」

ユウナはリオンに声を掛けた。リオンはグレバムを追うつもりで居る。ルーティやディムロスはその姿に怒りを覚え、怒鳴っているようだった。


「……グレバムを追って。私はここでモンスターを倒しているから」
「ちょっと、ユウナ!?」
「リオンがこれが正しいと思うなら、グレバムを追って!」


リオンはきっと理解してくれるだろう。そして戻ってきてくれる、そう信じてロイをまた構える。
本来ならばルーティ達を放って置いて彼女にも来るように告げるべきなのだろう。だが、ユウナの剣幕に、彼女はスタン達を見捨てないことに気付き、リオンは唇を噛み締めて、その場を早足で立ち去った。
彼女なら、直ぐに魔物を一掃して追いついて来るだろうと信じて。


「また新手よ!それにしてもアンタ何でリオンを行かせたのよ!」
「リオンは戻ってくる、絶対に。ロイ……行くよ」
「無理すんなよ……」


強い口調で確信したかのように戻ってくると、言うとルーティも黙り、目の前に居る敵に向かう。
マリーは大きな斧を振り回し、息を切れさせてスタンを見ては悔しそうな顔をする。今がどんなに不利な立場であろうが知った事は無い。大体こんな状況、今までだって乗り越えてきたのだから。

――リオンが帰ってくるまで、足止めをする。

ユウナは足を肩幅に開き、ロイを構える。光がユウナを包み込み、周りに居たモンスター達が弾かれ飛ばされる。手にしているソーディアンも同じ淡い蒼色の光を放っている。

「ビックバン!」

部屋全体を包み込む蒼い光は弾けて広がり、波紋を生んだ。
その場に居た魔物達の体は光によって潰され、貫かれる。バジリスクの体は切り刻まれ、一掃された。
ルーティ達はユウナと部屋を見ては呆然としている。


「あ……アンタ、そんなに強かったっけ……?」
「支援がメインだと普段は使えないけど、今は皆が居るから。ほら、ルーティそっちも新手!」
「キリが無いですね……!」


再び剣を構えてバジリスクへと向かう。
ユウナの眼には迷いが無く、確実に目にも止まらぬ速さでバジリスクを八つ裂きにしていく。動きには無駄が無い上に、一撃で一掃していく。

「リオン、早く帰ってきてよ……!」

――その頃、ストレイライズ神殿の入り口付近でリオンは逃げたグレバムの姿を追っていた。しかしその姿は無く、シャルティエの戻ろうという声にも耳を貸さない。
任務を終わらせようと決意していたのにまた逃げられてしまった。リオンは悔しそうに舌打ちをする。


「悔しいですけど、完全に見失ってしまいました。坊ちゃん、戻りましょう。ユウナが付いていますが……スタン達が心配です」
「いや、駄目だ。足手まといを気にしているようでは、この任務に成功はない」
「足手まといって……ユウナの事も言ってるんですか!?」
「ユウナじゃない、あいつらのことだ。今後もきっと同じことの繰り返しになる。……あいつらは切り捨てだ、シャル」
「え、でも……本当にいいんですか!?ユウナは確かに坊ちゃんに行けと言いましたが……」


正しいと思うのなら、そう彼女は言った。
きっとユウナはリオンは戻ってくる事を信じて、魔物の大群と一戦を交えているというのに。


「ユウナなら……大丈夫だ。ユウナは直ぐに合流するだろう。だから僕を送り出したんだろうからな」
「でも、ユウナは……」


剣の技量にも優れ、晶術も強力。確かに判断力、分析力は敵無しと言ってもいいほど優れているが、前にも言ったように何処か脆さがある。ユウナは確かに信頼できるけれども、今は自分のマスターの考えが間違っていると思う。
彼女はリオンに先に行かせる為に自分だけ残ったのではなく、リオンが戻って来ることを信じて残ったのだ。けれどもシャルティエにはマスターの間違いを言う事が出来ない。
リオンとシャルティエが話し込んでいるところに、一人の男が数人を連れて暗闇の中をこちらに向かって歩いてくる。


「バルック!?」
「リオンじゃないか!?やはりカルビオラに来ていたのか。それで、例のものは見つかったのか?」
「……いや。神殿内部で発見したが、隙を突かれて犯人に持ち去られてしまった」
「そうか……そういえば、お前と一緒にいた連中はどうした?ユウナも居ないな……」
「まだ神殿の中だ。今頃モンスターと戦っている」
「お前はこのまま犯人を追いかけるのか?」


淡々と言うリオンに眉を潜める。ということはユウナも神殿内でモンスターを相手にしているという事。
大方、ユウナがリオンを行かせたのだろう。迷い無く言うそうだと言うリオンに、バルックは何も言わず頷いた。


「よし、そういうことなら、俺も協力しよう。君はリオンと一緒に犯人を追え。それと街に外に待機させている傭兵たちに連絡して神殿へ突入させろ」
「わかりました。バルック様は?」
「私は傭兵たちと共に、リオンの仲間を救出する。向こうにユウナ君が居るが、危険だ」
「やめておけ、あいつらはこの任務に必要なくなった。お前がわざわざ動くことじゃない。それにユウナは……そんなに弱い奴じゃない。戻って来れる筈だ」


リオンは分かっているようで、分かっていない。見えているようで見えていない。バルックは、首を横に振って彼を見据えた。


「例えそうだとしても、見捨てるわけにはいかないだろう」
「何故だ。お前もこの砂漠で生きているなら分かるだろう。足手まといを救うために、自分が犠牲になるつもりか!」
「確かにお前の言っていることは正しい……だが、俺の考えは違う。あの子は……ユウナ君は本当に心からお前がグレバムを捕まえる事を信じて行かせたと思うか?」
「どういう意味だ……」


バルックの言葉にリオンは眉を潜め、シャルティエは黙ってその話を聞いていた。


「彼女は仲間を犠牲にして何かを得ようとするような子ではないんじゃないか?」
「……っ」
「……リオンにユウナ君は何かを言った筈だ。グレバムを追わせる為に今戦っているわけではないだろう」
「……それは……」
「誰かの犠牲があるようでは、俺が基金を建てた意味がない。俺は人を助けるのに、理由なんていらないと考えたい」
「理由なんて、いらない……?」
「あぁ」


あの時、スタンは魔物の攻撃を食らうと分かっていて身を挺してまで自分を助けた。それが、理由のいらない人助け、だというのか。
今まで自分が知らなかった、理解しようとしていなかったものだ。
ユウナはそれを僕に教えるために行かせた?


「では、俺は行く。お前も気をつけろよ」
「……、待ってくれ……」


きっと、ユウナが今戦っているのは僕が戻ってくる事を信じてくれているからなのではないか。自分も彼女のことを心から信頼しているが、今に限っては間違った信頼を彼女に押し付けていたのではないかと気付いてしまったのだ。
だから、ユウナは今もあの場に残って必死で戦っている。


「僕も一緒に行こう」
「逃げた犯人はいいのか?」
「僕がどうしようと僕の勝手だ。それより急がないと……」
「仲間ってものを助けてやれ。ユウナ君はお前が守るんだろう?」
「なっ…調子に乗るなよ、バルック」


――リオンの眼にはもう、グレバムは映っていなかった。何か吹っ切れたような顔だった。


慌しい夜が過ぎて神殿に穏やかな朝がやってくる。昨日までの騒ぎが嘘かの様だった。
ベッドに横になって深い眠りに付いていたユウナは眼を開けるが、体の重たさについついうめき声をあげる



「痛い……」
「あたり前だ!どれだけの魔物を一人で相手したんだと思ってんだ!」


起きた途端ロイから罵声が飛んでくる。そういえば、と昨日の事を思い出してみる。
あの後、無数の魔物を倒していた。力を使いすぎて体がぼろぼろで動くのも辛かった。そんな時、リオンが戻ってきてくれて、意識が沈んでいった。


「スタンは!?」
「無事だ」
「リオン!」
「ユウナ……すまない」


リオンは視線を下ろしてユウナに謝る。そんなリオンの姿にユウナは慌てた。


「僕の判断が間違っていた。それで、ユウナに……」
「……何で謝るの?別に、リオンの判断は間違っていたわけじゃない。でも、仲間と助け合うってことも……認めていいんじゃないかな。って、解ってくれたから戻ってきてくれたんだよね、ありがとう」


リオンは予想外のユウナの言葉に驚く。責められるか怒られると思っていたから、礼を言われるなんて予想外だった。


「しかし、倒れるまで無理を……」
「いいって、帰ってきてくれたんだから」


ユウナが腕を左手で押さえていることに気づき、リオンはそこに視線を移す。無意識にやっていたようでどうしたのか尋ねるとぱっと手を離した。

「え?えっと…ちょっと切り傷。大丈夫、ふさがってきて……」

ユウナが続きを言う事は叶わなかった。突然の事で言葉が喉の奥で霧散したのだ。目の前が暗くなり、背中に腕が回されている。


「リ、オン……?」
「解っているつもりでいた…そうじゃなくて、理解しようとしていなかったんだな……」


ユウナの考え方を理解しようとしていなかったから、彼女の事を自分が知る事が出来なかった。
リオンがこれが正しいと思うなら。ユウナは遠まわしにその判断は決して正しいものでは無いと言っていた。


「ユウナ…僕はお前を守りたい。だから……」
「……っ」


リオンと視線が合う。真っ直ぐな瞳で、真剣な彼の表情に恥ずかしくなって思わず顔を逸らしてしまう。
どうしてしまったのか。最近、リオンに動揺している自分が居る。
そしてリオンの言葉が反響するのだ。相手を解っているつもりでいたけれど、理解しようとしていないことを。それは、もしかして自分も同じなのではないか?


――その時、スタンを診ていたフィリアが嬉しそうな声を上げる。
スタンは石化が解け、眼が覚めた。スタンは起きるなり、リオンの姿を見つけて嬉しそうに声を掛ける。
リオンはスタンの名前を呼ぶフィリアの声にユウナの体を名残惜しそうに解放した。ユウナの顔は赤く、硬直していた。


「フィリアに聞いたよ。皆を助けてくれたんだってな、ありがとうリオン。ユウナも倒れるまで魔物を一掃してたんだろ?ありがとう」
「ふん、だから言ったろう。お前達は足手まといだと。本当ならバルックに協力させて、グレバムを捕らえられたはずなんだ。お陰で一からやり直しだ、くだらんな」
「あぁ……」


リオンはスタンに背を向ける。
その顔は何処かすっきりとした顔で、朝日に照らされた彼は綺麗だった。


「次にグレバムに会った時はこうは行かない。その時こそ僕達の実力を見せ付けてやる。いいな?」
「リオン……!」


スタンの顔は嬉しそうに輝きを増した。だが、リオンは顔を逸らし、バルックに次の行き先を尋ねる。グレバムが次に向かったのはノイシュタット。ノイシュタットは二年前、イレーヌに会ったきりだ。
そんな事をぼんやり考えていると、不意に声を掛けられる。


「ユウナ」
「リオン……」
「今度は一人にさせない」


リオンはユウナにやわらかく微笑んで、小さくユウナにだけ聞こえるように言うと、階段を下りていった。
まただ。また顔が赤い。
自分は一体どうしてしまったのだろうか。


「……ユウナも一回リオンのことを考えてやれよ」
「どういう……」
「ユウナはリオンのことをある程度理解してると思うけど、お前は……まだ皆に、リオンに一線を引いたままだ」
「……」
「近々、話しておけよ……?」
「そう……だよね」


話してもいいんじゃないか、とユウナは揺れだしていた。彼らが家のことを知ったとしても、別に幻滅されることもないし「ユウナはユウナだ」と言ってくれるだろう。
しかし、ユウナもまたオベロン社から離れ、自分の道を示してからでなければ、名乗ることが出来なかったのだ。


「坊ちゃん……」
「僕はユウナに……近づけただろうか?」
「はい!だってありがとうって言われたじゃないですか!もう少し……ですよ」


リオンは年相応の嬉しそうな表情をパートナーであるシャルティエに見せた。コアクリスタルを光らせて、シャルティエは自分のことのように喜んでいたのだった。
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