水月泡沫
- ナノ -

11

潮風が吹いて心地のいい甲板。周りは海に囲まれていて、もう街も遠く、小さな点のようになっていた。
リオンは揺れる水面から視線を外して空を仰ぐ。船は、やはりどうしても苦手だ。
気分が晴れないのはそのせいだと思い込み、襲ってくる気持ち悪さにリオンは耐える。耐えることには慣れている。自らの手で切り拓きたくとも、常にヒューゴに先回りされて、そして彼の息子だからという評価が付きまとう。そう、大切な人さえ居れば何でも耐えられるのだ。


「リオン」
「ユウナか……」


いかにも調子が悪そうに甲板に居たリオンはいつもと同じ、船酔いだろう。リオンの隣に立ち、気分が悪いなら早く言えばいいのにと思いつつ、薬を渡す。最初は嫌そうな顔をしたが、彼はそれを受け取って飲んだ。


「リオン……フィリアだって悩んで決意したんだよ?確かに非力かもしれない。でも言い方っていうものがあるんじゃない?」
「……」
「……ヒューゴに、何か言われたんでしょ?」
「ユウナ、それは……」


シャルティエが何かを言おうとしたがリオンの様子に気づき、喋るのを止めた。リオンはユウナと決して目を合わせずに強い口調で言う。


「お前には関係無い、別に大丈夫だ」
「……大丈夫じゃないくせに、無理して言って。リオンの実力は補佐の私がよく分かってる」


二年間リオンの補佐をしてきて、彼の後姿を見てきた。それはとても頼れる背中で、何度助けられてきたことか。皆はヒューゴの息子だから客員剣士になれたのだろうと、リオンの実力を認めようとはしなかった。
けれど、そんなことはない。それは自分がよく見てきたんだから。

「自身持ってよ。リオンは……エミリオは誰よりも頼れる人だよ?私は信頼してるから」

リオンはユウナの一言にこわばった顔から、小さく笑みを浮かべた表情に変えてユウナを見る。


「ユウナ……」
「なに?」
「すまないな」


何か吹っ切れたように笑みを浮かべてユウナにリオンなりの感謝の言葉を言うと、ユウナの中で何かが疼いた。何故か頬まで熱くなり、それを誤魔化すようにリオンに「大丈夫だから!」と声をかける。
一体どうしてリオンに謝られただけなのにこんなにも動揺しているのだろうかと頬を押さえる。そんな二人に、シャルティエとロイは何も言わずに微笑ましそうに見守るのだった

船の上で暫く。第四のソーディアンが眠っていると言われる場所の近くに着いた。
そのソーディアンの名はクレメンテ。海中にある輸送船の中でまだ眠りについているという。


「ところでユウナ、さっきから何でリオンと話そうとしないんだ?」
「え、べっ別にそんな事無いよ?」


スタンの純粋な質問に酷く動揺する。
確かにさっきから何かが変だ。リオンにありがとうと言われて、笑った彼を見て。普段だって本当に時折見せる表情なのに、今回が初めてだ。そんなことを意識すると、何故か顔を見れない。


「リオンに何かされたのか?ユウナ」
「僕は別に何もしていない!」


スタンを睨み付けてリオンは怒鳴る。甲板以来、話そうと思っても逃げられて目を合わそうともしてくれない。
そんな苛立ちに気づかずに、聞いてくるスタンに更に苛立つ。二人を横目で見ながら呆れた、と言わんばかりに溜息をついてルーティが話を進める。


「ユウナも大変ねー。ま、リオンもか。で、取りに行くと言ったって海の底にあるのをどうするわけ?」
「あれ?泳いで行くんじゃないのか?」
「海底まで潜れるわけないでしょう……」


ディムロスの指示により、ソーディアンを掲げて海に起こる変化を待った。
すると、水柱が勢い良く吹き上げて、大きな竜のようなものが海底から姿を現した。飛行竜に似たその竜は海竜で、呼びかけ応じて、クレメンテが送ってきたのだ。
スタンは目の前にある、巨大な乗り物に目を輝かせて子供のように歓喜の声を上げていた。

飛行竜も凄いが、海の中を自由に行き来出来る乗り物があったなんて。と、ユウナは心の隅で感嘆の声を漏らしていた。リオンは海竜に呆気に取られているフィリアに告げる。


「フィリア、一緒に来い」
「えっ、私もですか?」


港で余計な事は考えるな、と言われたのにまさか、自分に来るように指示があるとは予想外だったらしい。

「あら…?」

ふいにフィリアの頭に響いてきた、フィリアを呼ぶ一つの声。それはこの場にいる誰のものでもない声で辺りを見回すが、何も無い。気のせいだったのだろうか、皆は聞こえていない様子だ。


「今、誰かの声が聞こえたような……」
「フィリアは船で待ってもらうほうがいいんじゃないか?」
「僕達が海底にいる間に、船で逃げられては困る」
「フィリアがそんなことするわけないだろ!」


どう言っても食い下がらないスタンにリオンは呆れて、フィリアに早く来るように急かす。


「スタン、ここにフィリア一人残すのもフィリアにとっては心細いでしょ?」
「……ユウナ……そうだよな、俺達が早く帰ってくればいいだけだよな!」
「ユウナってスタンの扱いが本当に上手いわね……」
「見事に言いくるめられてるな」


リオンはスタンとユウナが話している姿に少なくとも苛立ちを感じる。ストレイライズ神殿の時だってそうだ、ユウナと仲がいいスタンが羨ましいのかもしれない。


「ユウナ、行くぞ!」
「あ、うん」
「坊ちゃんも素直じゃないですね……」


スタンと話すことが気に喰わないのなら本人にそういえばいいのに、と内心シャルティエは思った。

ラディスロウの中は暗く湿った空気が流れており、中は複雑な造りになっていた。現在居る場所は奥の部屋、すなわち今自分達が求めているクレメンテというソーディアンが眠る場所。その部屋の中には一つの剣が安置されていた。


「ここまでおいで……フィリアや」
「フィリアだって?」


クレメンテは自分のマスターはもう既に決まっているとは言っていたが、まさかそのにフィリアの名が上がるとは思ってもみなかった。
心の中でロイにこのままでいいのかと尋ねるが、ロイは苦い顔をして黙ったままだ。しかし、そんなロイの存在に、クレメンテは気付いていたのだ。

「もう話してもいいんじゃないかの?ロイドマルクよ」

クレメンテのコアクリスタルがふいに輝きだして、ユウナの腰にある剣に向かって尋ねる。
クレメンテの突然、上がるはずの無い名前に驚きの声を上げるアトワイトとディムロス。シャルティエは、あーと気まずそうに呟いている。


「しかし、ロイはソーディアンには……!」
「全く……本当にクレメンテ老は鋭いよな……、ちょっとくらいは鈍ってくれよ」


今まで黙っていたロイがコアクリスタルを光らせて部屋にその低い声を響かせる。


「ロイ!?」
「な、どういう事!?アンタ……」
「ユウナってソーディアンマスターだったのか!」


ルーティとスタンもユウナの顔と、剣を見て目を開かせては驚いている。
確かに彼女は強かったが、晶術は使わないようだったからてっきり普通の剣士だと思っていたのに、リオンや自分達と同じソーディアンマスターだとは。


「今まで黙ってて悪かったよ……だってなぁ、言ったら言ったで……」
「貴方、どうして今まで黙っていたの?ソーディアンになっていることも聞いていなかったわ!」


ロイが話している途中にもかかわらず、アトワイトの怒鳴り声に近いものが飛んでくる。
そんなアトワイトにロイは肩をすくめて、はぁ、と溜息をついた。


「……って感じにややこしくなると思ってな」
「大馬鹿者!大事なことだぞ!一体何時だ!?報告を受けていないぞ!」
「な、一番ディムロスが厄介なんだよ……」
「そんな口を叩けるのか、お前は!」
「全く、お前という奴は……シャルティエは知っていたようだの」
「シャルティエ!」
「だって僕も口止めさせられていたんですよ!ですけど、僕もロイがソーディアンになったことは聞いてないですからね!?」


怒りの矛先が自分に向けられたことに焦りながら答えるシャルティエ。確かにロイからも、私からも言わないように言っていたが、あまりにも可哀想だ。ロイが見つかると面倒だから隠すと言っていた理由が今のやり取りだけでも十分分かった。

「シャルは悪くねーよ。ただ、俺にはどうしてもやらなきゃいけない事があって、ハロルドに頼んだんだ……今はそれしか言えない」

ロイの真剣な声音にソーディアン一同は黙った。彼はソーディアンチームに入っていなかった。寧ろ、彼らを見守る立場にあった筈だ。それが内密にソーディアンを作り上げ、そして千年の時を超えてから出会うことになるとは。ソーディアンになることを嫌がっていたロイが自らソーディアンになっているということは、恐らく天地戦争の時とはまた別の、彼にとって重要な目的があるのだろう。
そんな沈黙を破ったのは、興味津々な顔をしているスタンだった。


「いやー……本当にユウナってマスターだったんだなぁ。通りで強いわけだ!」
「黙ってるつもりは無かったんだけど……ね?今までごめん」
「そうよ!ユウナがもう一つ持っていたなんて、寝てる間に……」
「ルーティ……」


何かよからぬことを考えているだろう自分のマスターに、本当にいい子に育ったものね、と皮肉を込めて言いかけた言葉を止める。


「ロイ坊も良いマスターを付けたの……」
「何だよ、またピチピチの娘は良いとかだろ?老」
「む……若い主には分からぬよ、まだ十代なのだから」


さも当たり前のように言ったクレメンテの言葉にえ、とユウナとリオンは驚いた。彼の態度的に、そしてシャルティエと友人という辺りから大人だと思っていたのに。


「ロイ……十代だったの!?」
「何だよ、言ってなかったか?」
「そんなこと言ってないよ!?」
「貴様……あれ程僕を子ども扱いした割には……!」


リオンはユウナの腰にある銀色の刀身を持ち合わせた剣を睨みつける。彼に散々ユウナのことでからかわれてきたけど、まさか彼自身も自分達とは変わらないとは。


「……来たようだの」
「フィリア!?」
「皆さん……!」
「すみません、大人しく待っていなくて……、頭の中に私を呼ぶ声が聞こえてそれに従ってここまで来たんです」
「声って、まさかクレメンテの?」
「その、まさかじゃ」


フィリアは目の前にある、淡い色をした刀身に、幅の広い何処か威厳のある剣に目を向けた。フィリアにはクレメンテを純粋に欲する意思があったのだ。
権力が欲しい、他を圧倒する為の力が欲しいという願いではなく――守る為に、これ以上知人が何かを傷付ける前に止める為に、強くなりたいと願う、ひたむきな意思が。
クレメンテは目の前に居る少女にもう一度問いかける。


「わしは主に力を授ける事が出来る。どうする?フィリア・フィリスよ」
「私は……」


フィリアは決意を宿した目で、クレメンテを見つめて大司祭を取り逃してしまった自分の責任を果たすため、と呟くとクレメンテの柄を掴んだ。

「あなたと共に戦います。私に力を……クレメンテ!」

すると、部屋に光が溢れ出していき、また収まっていった。それはクレメンテが新たなるソーディアンマスターを定めた瞬間だった。
スタンは自分のように嬉しがってフィリアを祝福する。ユウナも微笑んでいたが、隣に居るリオンは表情を崩さなかった。

「リオンさん、もう一度お願いします。どうか私も一緒に戦わせてください」

フィリアが頭を垂れて、リオンにもう一度、しかし港の時よりも強い決意を胸に願いいれる。


「リオン」
「……足手まといにはなるなよ」


一見吐き捨てているように聞こえるが、リオンなりに認めたということだ。相変わらず分かりにくいな、とユウナは苦笑いをした。


「はい!リオンさん、ありがとうございます!」


フィリアはリオンに感謝を述べた後、皆にも礼をする。そして、よろしくお願いしますとまた新たな旅立ちに向けて挨拶を交わした。
しかし、戦ったことが無い筈のフィリアがこの海竜の中をどうやって一人で来たのか気になり、ユウナが先程から疑問に思っていたことをフィリアに尋ねるとフィリアは楽しそうに笑って、一つの瓶を懐から取り出す。
その瓶には入っている液体は怪しく揺らめいていて、色もとても不気味だった。
毒々しく、触ったら炎症を起こしそうなほど君の悪い液体で、司祭である彼女がいつこんなものを持ち運んだのか、それも不思議だった。


「それ……は……なに?」
「これはー……」


すると、スタンの後ろに迫ってきていた敵に瓶を投げつけた。モンスターは液を被った瞬間、倒れて息絶えた。彼女はそれをフィリアボムと名付けていた。
正直今の威力を見ると恐ろしいったら無い。こんなものをいつ開発していたのか。
フィリアがこの液体を開発している姿が嫌に頭に浮かんできて、背筋が寒くなる。笑顔で言う彼女に、あくまで純粋にこんな恐ろしい代物を作り上げているなんて。

「クレメンテが居なくても大丈夫だったんじゃないのか……?」

クレメンテは自分も思っていたことを言われてしまい、黙りこんだ。
新しい仲間は頼もしいようで、恐ろしいようで。リオンもその液体には驚いている様子で、言葉を失っていた。
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