Violetta
- ナノ -
彼女が、リーグから出る前の一服で煙草室に寄らないのは、かなり珍しいことだった。

「……珍しいですね、喫煙室にこの時間に行かないチリは」
「今日、愛しのハニーに会いに行くんですよ、アオキさん」
「……ああ、なるほど」

直帰しようとするチリと同じ時間になるのは、同じく直帰をしたがるアオキにとっても珍しいことだ。
まるでデートの為に会いに行くという名の、テーブルシティのポケモンセンターで夜勤に入っているエヴァの元へ向かうだけだというのは、詳細を聞かなくても分かっていた。
別にチリのプライベートに、他の四天王が特に興味があるという訳ではなく『単純にリーグのポケモンセンターでよく見かける光景だから』だ。
アオキも、エヴァのことはポケモンセンターに来ていて、バトルの後にお世話になることから認識していた。

やけに身嗜みを気にして、煙草まで吸わないように徹底しているチリの細やかな気遣いが誰に向けられているかはアオキには興味のないことだ。

「明日、遅刻だけはして来ませんように」
「そんなん、社会人のチリちゃんもよーう分かってるって!ほなお疲れさんです、アオキさん」

ただ、熱心に四天王としての仕事を一番担っているのもチリだった。
明日眠そうにしつつもコーヒーを飲んで仕事に切り替えられるのだろうとぼんやり思いながら、アオキは明日のチャンプルタウンでのスケジュールを思い浮かべて溜息を吐くのだった。


真夜中のテーブルシティは、人通りが極端に少なくなる。普通なら寝静まっている時間なのだから、街を照らす建物のライトも消えて静寂を保つ場所が多いが。
夜中も運営している店はあるし、何よりポケモントレーナーが必ず足を運ぶポケモンセンターは年中無休だ。
何時もポケモンセンターに向かう時は走らないけれど、スタスタと早足になる。

「エヴァ、夜もお疲れさん」
「チリちゃん……!忙しいのにこんな時間まで起きてるなんて」
「明日は仕事午後からやしな。ジョーイさんに私物プレゼントなんて世の中的にはご法度かもしれんけど、コーヒー差し入れさせたってや」
「チリちゃん、すぐ私のこと甘やかすんだから……」

チリが差し出したペットボトルのコーヒーに、エヴァは破顔する。
彼女もよくコーヒーを飲むが、喫茶店以外では缶コーヒーを飲んでいる所しか見たことがない。
中の飲み物自体は変わらないけれど自分にあげるために、缶コーヒーじゃなくてペットボトルを選んでくれたのだろうとエヴァも察したからだ。
「ジョーイさんが缶コーヒー飲んでるとハードボイルドやん?」という声が返ってきそうな気がした。

「ただここに居座っとると営業妨害になりそうやし、チリちゃんのポケモンのチェックしたってー」

にこやかに笑ったチリはモンスターボールの一つを開き、ドオーを出した。
どんなポケモンでもエヴァとしては可愛いそうだが、ドオーに対して特に高揚することをチリもよく理解していたからだ。
テーブルにのっぺりと横になるドオーが落ちないようにエヴァはしっぽを優しく持ち上げ、チェックをしていく。

「チリちゃんのドオーちゃん本当に可愛い〜今日も健康だね、うんうん。おててあげてーうん、色合いもばっちりだし何より可愛い!」
「……エヴァがドオーにばっか構ってんの寂しいんやけどなあ」

ドオーの可愛がり方に、チリはそんなエヴァも可愛いと思う反面、少しドオーが羨ましくなる。
エヴァにそんな風に自分も褒められて甘えられるのなら願ったり叶ったりだ。
ただし、可愛いと褒められたい訳ではなく、あくまでも格好いいと言ってもらいたいのだが。

「逆にチリちゃんにこうして来てもらっちゃって、私そろそろファンに『なにあの女、ジョーイさんの権限ふりかざして』って言われないかなあ」
「モテる美人さんはつらいわーって言いたいとこやけど。そんなん言われてもチリちゃん、エヴァ一筋やし」
「またまた、そんなこと言うんだから」

冗談でも嬉しいよと笑いながらチリの他のポケモンをチェック、回復していくエヴァに見られないように。
チリは口をへの字に曲げて少し拗ねた顔をする。冗談どころか、言っている言葉の通りの意味なのだが──いまいち、彼女には伝わりきらない。
しかし、ちらりと不満そうに視線を動かし、ポケモンのチェックをしてハイタッチをしながら笑うエヴァの姿を見たチリの表情もまた和らぐ。
ほんまに可愛い子やな、エヴァは。と。

彼女が可愛いなんてことはもう随分前から知っているし会う度に再認識するからこそ、こんな夜中に街中とはいえ夜勤をしているのは心配になる。
たまに口説かれている姿を見ているからこそ。

「エヴァのマリルはどうやの?勤務中はあんま見られんしなあ」
「最近、私のマリルがマリルリに進化してね。お部屋どうしようかなあって悩んでるの。……テーブルシティの近く……家賃が高いから……っ」
「!エヴァ」

──今目の前に空からぼた餅が降ってきた、とチリは目を開く。
これは千載一遇のチャンスだ。
エヴァはマリルリに進化して部屋の大きさを悩みながらも、中心都市にあたるテーブルシティの家賃に悩んでいる。
そして、自分はテーブルシティの広い部屋を借りている。
何せ年齢が若いとは言っても一応四天王だ。
自慢する訳では無いが、オモダカさんからそれなりの給料を貰っているつもりだ。
それならば、好きな子に提案することはただ一つ。

「なに?」
「チリちゃんに養われへん?」
「……、……え?」

彼女からしたら突拍子もない提案に、エヴァはモニターを触る手を止めてぱちぱちと瞬く。
友人同士でよく「私このまま一人だと干からびそうだから気の合う子とルームシェアして暮らしたいー」なんて会話をすることは珍しくはないだろう。
ただ、それを実現しようとする人は限られているだけで。
冗談で語らうその話題を、冗談ではなく本気にしてしまえばいいのだ。

「うち、まあまあ広いんやけど」
「えっ?」
「忙しくてあんま家事出来てるのは言えへんし、気の合う同居人おったら楽しいなあって思ったんやけど。勿論押し付けるだけやなくて、夜遅く働くエヴァの手が届かん所も家事はするで!?」
「……え、ええ?」
「所謂ルームシェアっちゅう提案なんやけど、どう?」

──ルームシェア。
この響きならエヴァは落ちてくれないかとチリは期待する。
しかし彼女の頭の中で変換をするなら、同棲だ。
エヴァとプライベートの時間も過ごせるチャンス。スキンシップがどこまで許されるかはこの際は考えないことにして、それが叶わなくとも、彼女と毎日話せるだけでも幸福感で満たされる。
寒い日には同じ鍋をつついて食事を出来る団欒を想像したら、最高だと感じるのだ。

「……持ち帰って、か、考えてもいい……?」
「勿論やって。チリちゃんはエヴァのことだけは気長にいい子に待てるからな〜」

仲良い気の合う友達という条件はクリアしている。
口説き文句にも時々照れてもらっている。
そうしたらあとは、あともう少しだけ「チリちゃんと居ると幸せなんだよね」と思って欲しいだけなのだ。
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