Violetta
- ナノ -
オモダカさんやアオキさんは心当たりが無さそうだったが、新チャンピオンだけが微妙な反応をした。
曰く「別世界とかは分かりませんが、過去や未来に干渉するようなポケモンや装置は噂で聞いたことがあります」とのことだった。
なんだその噂は、と思ったけれど。

彼女が連れているモトトカゲによく似ているが、名前はミライドンという見たことがないポケモンのことを思うと、あながち嘘では無いのかもしれない。
遠い過去からやってきた。
或いは遠い未来からやってきた結果、ポケモンが伝承のようなものになっている世界からエヴァは来てしまったのだろうか。
しかし、スマホを知っていてすぐに使いこなせたのだから遠い昔ではなさそうだろう。
それに、未来がどれだけ発展と衰退を繰り返すのは未知数だが、エスカレーターやエレベータ、リフト等の装置に疑問を持たず、ポケモンセンターに感動したと言っていたくらいだから。

(やっぱり、本人が言っている通り、他の世界から来てしまったのかもね。オモダカさんの指示でアオキさんが普段はエヴァを一応確認してくれてるみたいだけど)

ポケモンが居ない、フィクションだとされている世界から来たというエヴァ。
どうやってあの雪山に辿り着いたのかという記憶もないらしいのだから、手立てがなかった。

「しかし、グルーシャさん」
「……微笑ましそうに笑ってるけどなに、オモダカさん」
「いえ、チャンピオンとのバトルもそうですが、最近のグルーシャさんは生き生きしていらっしゃると思いまして」
「……気のせいだよ。確かにバトルはもうちょっと頑張ろうって思い直したけど」
「ふふ、そうですか。チャンピオンに刺激されたのと……全く違う環境で懸命に生きようとしてるそのエヴァさんの影響ですかね?」

トップの立場であるオモダカさんの指摘に対して、はっきりと「違うから」なんて言えず。
エヴァをぼくが助けたのは本当にたまたまだ。
アルクジラが見付けなれけば、助けに行ってないだろう。

心配になって今も様子を見に行っているし、やり取りはマメでは無いぼくにしては頻繁にしている方だけど。
やはり歳上の彼女の方が、寧ろ気遣ってくれているような気がする。
「グルーシャ君、今日も試合だったんだ。お疲れさま!」だとか「ジムリーダーって本当に有名人なんだね。書店の雑誌で表紙になってたよ」だとか。
自分の弱音だとか、どうしようという相談はエヴァからは無かった。
本当に悩みの種がないというより、もうこれ以上気遣ってもらう訳にはいかないと思ってるんじゃないだろうか。
──ここまで来たら今更、って感じだし。

「お話を聞いた以上、トップとしての提案は『グルーシャさんには通常のジムリーダー業務に戻ってもらい、このままアオキさんに経過観察をしてもらう』『アカデミーに入って貰ってこの世界のことを教えつつ彼女が調べたいことを手伝う環境を与える』がありますが」

オモダカさんの提案はいたって正論だ。
一人のジムリーダーで分かる範囲のことでもなく。
こうして連絡役となるなら、いっそトップ達に任せてしまった方がぼくの負担にもならないという提案だ。
アカデミーには色んなポケモンが数多くいる。
ポケモンが居て当たり前の世界しか知らない生徒達しか周りにいない。
エヴァの話をすんなりと受け入れた方だと自負しているけれど、皆が皆そうではない。

「折角今の環境で慣れようとしてるのに、これ以上環境を乱すのは戸惑うと思うし……別に、ぼくは迷惑してない、です」
「……そうですね、アオキさんの報告では仕事熱心で周囲にも溶け込み、円滑にやっているそうですよ。アオキさんは自分よりも人に溶け込むのが上手いと感心しておりました。グルーシャさんが負担にならないのなら、このまま、ということで」

オモダカさんも、人が悪い。
絶対ぼくの回答を分かっていて言っている。
時々チャンプルタウンに足を運ぶことは増えたが、大した負担では無いし、仕事と言うよりもこれはプライベートに近いものだと認識している。
アカデミーに入れば、情報量は増えるのかもしれないが、チャンピオンとして様々な場所を回って縁を作ったあの子ですら、未来と過去の可能性くらいしか心当たりがなかったのだ。
無理に所属する必要は無い。
──エヴァ自身のことを、ぼくが決められる立場になんて本当はないのかもしれないけれど。

オモダカさんの話が終わったあと、テーブルシティからタクシーを使ってチャンプルタウンへと向かう。
テーブルシティからは多少距離があるけれど、彼女の仕事が終わるのも夕方で、丁度いい時間帯だ。
ご飯を食べて帰りつつ、エヴァと彼女に託したアルクジラを確認出来るのだから一石二鳥だ。

(何だかんだ言って……エヴァと夜ご飯食べるの何回目だっけ)

パルデアのご飯だが、違う世界のご飯となると多少慣れた味と違ってストレスになるかもしれないと思っていたが、エヴァとしては『似たような国のご飯があるし、宝食堂は自分の故郷と同じご飯』のようだ。
それもあって、今日の待ち合わせ場所はアオキさんの行きつけでもある宝食堂だ。
先に仕事を終えていたエヴァは食堂の前で待っていて、アルクジラが伸び伸び過ごせる座敷の席に座る。

「アルクジラ、どう?」
「この子のおかげで最近苦手意識が少しずつ薄れてる気がして!この間はアオキさんにネッコアラっていう子を触らせてもらったの」
「それは良かった。少しでもこのパルデアに慣れてくれてるなら何よりだよ」
「思ってたより早く慣れてきてるような気がするのは、グルーシャ君のお陰だけどね」

アオキさんも人付き合いが悪そうに見えて、案外仕事時間内では面倒見が良い人だ。
自分の持っているポケモンの中でもネッコアラをチョイスするなんて、どういう表情をしながらモンスターボールから出したのか、すごく気になる。
エヴァは注文した魚料理を食べながら「ああそうだ!」と声を上げる。箸を使うのが上手いから、そういう文化圏で暮らしていたのだろう。

「チャンプルタウンってグルーシャ君がいるナッペ山に向かう町だから、昨日『グルーシャ様に会いに行く!』って言ってる制服の方を見たの。グルーシャ君、やっぱり凄いんだね」
「……え、なにそれ。すぐ忘れて」

グルーシャ様、なんて凄く気恥ずかしい。
確かにプロスノーボーダーだった時にそんな呼び方をしているファンは居たような気がするが、それを自分の素性を知らないまま色んな縁があってこうして親しくなってきたエヴァに認識されるのはもっと恥ずかしかった。

「次エヴァに会う時に渡そうと思ってたんだけどさ」
「なに?グルーシャ君が普段持ってない大きなバスケット持ってるなーとは思ってたんだけど」
「そう、これ」

そして、もう一つ持ち歩いていたタマゴをバスケットから取り出して、彼女へと渡す。
ポケモンを知らない彼女にとって、卵は食用の卵くらいしか知らないだろう。こんなに大きな卵を渡されて困惑するのも分かる。

「えっ?こ、これは?何かの……タマゴ?」
「これはチルタリスの……だから、チルットが多分産まれてくると思うタマゴ。アルクジラのトレーナーはぼくになるけど、産まれた瞬間に一番に見えた人をトレーナーだと思う筈だから、エヴァに託そうかなと思って」
「そんな……いいの?」
「……ダメだと思ってたら持ってきてないよ」

少し素っ気ない言い方だったかもしれない。
エヴァがポケモンをパートナーにしない、という選択もある。
そして、博士に初めてのポケモンを貰うだとか、ぼくが代わりに戦闘をして捕まえてもらうだとか、他にも方法はある。
けれど、彼女にはこれがいい気がした。
初めて見たエヴァを親だと認識して懐くポケモンが、一番怖くないだろうと。
エヴァは子供のように目を輝かせて「あのふわふわな子に似てる子が生まれるんだ……!」と感動して、恐る恐る、大事そうに卵を抱える。

「チルットって、飛べるんだよね」
「まあそうだね。チルットってひこうタイプだし」
「高ーく飛んだら元に戻る、とかあったらいいんだけど。そんな都合よく、いかないよね」
「……」

心が寒さで張り詰めたシラカバの木のように。びしり、と音を立てたような気がした。
反射的に「そうであればいいね」って声が出てこなかった。
それどころか「そうでなければいい」という言葉がふと頭に浮かんでいたことに気が付く。
エヴァが普段あまり口にしない本音がそこにあったけれど、気管がきゅっと締まるような息苦しさを感じだ。

「……エヴァ、今度、ぼくのバトル見に来てよ」
「えっ、グルーシャ君のその……ポケモンバトル?」
「そう。挑戦者を迎えてバトルする。まあ、挑戦者に合わせたレベルに少し落としてるけど」
「!アルクジラと見に行ってもいい?」
「席確保しておくよ。あんな高い所にあるジムだけど、案外人来るし」

バトルの観覧に誘ったのは、一体誰のためだったんだろう。


ジム戦が行われるバトル当日。
挑戦者が来る時は事前に連絡が入るから、バトルを見たい観客がわざわざこのナッペ山にまで登ってくる。
試合前は音楽を聞いてリラックスする。
力を入れすぎないように、でも視野は狭くなりすぎないようにように。
雪山のような現実の恐ろしさ、トレーナーとしての道が険しいものだという事実を突き付ける番人として冷徹に、冷静に負かしてきたけれど。
最近は、自分も楽しみながら挑戦者の未来への伸びしろを試すことに重きを置いている。

「今日の外のコンディションは……雪降ってないから、ぼくにはあまりよくないけど。あ……」

コートに出ると、中央で待っている挑戦者。
それから温かいコートを着てきたらしいエヴァの姿が目に入り、ふとマフラーの下で口元が緩む。
彼女にとってここは遭難──この世界に来たばかりで一番に見た世界だ。その辺の抵抗があったらどうしようかとと思っていたが、隣でぼくの姿を見つけてはしゃぐアルクジラを撫でていた。
時折体を手でさすり、「さ、さむー……アルクジラは元気そうだけど」と呟くように口が動いているように見えた。
ぼくはぼくで、今からのバトルに集中だ。

「君の滑りはクールだったけど、ポケモンバトルの厳しさを教えるよ」
「絶対に勝ちます……!」

別にジムを回る順番は決まっていない。
ただ、このナッペ山に生息するポケモンの強さ。
それから、アカデミーを出てからこのナッペ山にたどり着く前にほぼ必ずチャンプルタウンかフリッジタウンに立ち寄ることから、そこのジムで負けた時点で諦めるという点。
その二つがあって、このジムには全てのジムを回ったあとの最後のジムになりやすい。

──最後の一体に相手が追い込まれたタイミングで、テラスタルを発動する。
普段こおりが弱点のチルタリスは蒼く輝く氷の結晶の冠を被り、こおりタイプへとテラスタルする。

「チルタリス、れいとうビーム」

試合は、難なく。危なげなく勝利を収めた。

この間チャンピオンになった子は特別強かったことを痛感する。
負けた挑戦者がポケモンセンターへ駆け込んでいくのを見送って、歓声が聞こえるコートを出る。
「ポケモンバトルってこんな激しいんだ……凄い……」とエヴァが感動していたとは知らず。
観客達も解散になった後、アルクジラと笑顔で話しているらしいエヴァに声をかけに行く。

──ポケモン自体馴染みがなかったエヴァにとって、バトルって面白かったんだろうか。違う意味で緊張してきて、彼女にどうだったかの感触を確認する。

「こんな感じでバトルしてる。ぼくはこおり専門のジムリーダーで、他のジムリーダーはもっと派手なパフォーマンスだったり、アオキさんみたくコート自体が面白い所とかあるけど……」
「雑誌とかでも載ってるって思ってはいたけど、グルーシャ君って本当に凄いんだね……!戦術とかよく分からないんだけど、あのチルタリスも見た目と違って強くてびっくりしちゃった」

試合のルールだとか、細かなことは分からなくてもどうやら伝わったらしい。
ジムリーダーの試合は他にもあるけれど、“ぼく“の試合に感動してくれているらしい彼女の言葉は、不思議と温かい静かな火が胸に灯るような感覚だった。

「グルーシャ君の試合を見たい人が沢山居る中で、特等席で見られたからラッキー過ぎて」

悪戯に笑ってアルクジラと「ここが一番よく見えたもんね!」と話す姿に、少し前の思考を自分で否定する。
──ごめん、エヴァ。
エヴァは元の世界に帰りたいんだろうけど。
ぼくは帰って欲しくないよ、と。
prev next