Violetta
- ナノ -
本当に不可思議で、少し奇妙で。
でもそれ以上に前に進もうとする眩しい人だと思った。
始めこそは勿論率直に「何を言ってるんだこの人は」と思った。
ぼくでなくてもそう思うだろう。
しかし泣きそうなのを堪えて話す姿や、大切なものを失ったと零した彼女に、“本当なんだろう“と直感的に思わざるを得なかった。

大事にしていたものが一瞬で崩れ去った時の感情を、ぼくは経験している。
誰よりも知っている。
その経験をしたからこその喪失感や絶望感に似たような色を感じたのだ。

テラスタルの空間に吸い込まれるだとか、そんな不可思議な現象もあるくらいだ。有り得なくはないのかもしれない。
連絡先を交換したものの、やはりどうしてもエヴァという女性が生き倒れてないか心配になって、3日後にメッセージを入れる。
今度チャンプルタウンに行くから、というメッセージに対して、夕方には会えるという返事が来た。

ナッペ山からチャンプルタウンはフリッジタウンの次に近い町だ。
様子を見に行きやすい位置でよかったと思いながら、そらとぶタクシーでチャンプルタウンへと足を運ぶ。
この町は、アオキさんが普段ジムリーダーをしている町で、雑然とした印象がある。
日も傾いてきた時間帯、エヴァは劇場跡と呼ばれる階段の近くに居た。
初めてあった時も身なりを整えて、お洒落にして居るような気がしたが、そもそも出会ったのが荷物ほとんど持ってないほぼ遭難と言っても過言では無い姿だ。

「ごめんねグルーシャ君!気遣ってくれたのに時間指定なんてしちゃって……面接結果のやり取りが午前中にあったから」
「えっ、早……。もう就活してる」
「このスマホに入ってた転職活動のメールの中に、元の世界でもやってたような仕事に近いものを見つけてて、その日のうちに応募してみたの。今日面談結果で採用されて、無職は免れました!」

心配していたどころか、彼女は行動が早かった。
チャンプルタウンにあったという借りている部屋やチャンプルタウン自体を確認して最低限の生活の基盤は確認した彼女は早々に動いた。

「たくましいね、エヴァは。……ごめん、イヤミじゃないんだ。この世界に慣れてないっていう人にぼくももう少し親切にすればよかったかなと思ってたんだけど、素直にすごいと思ってる」
「ううん、ありがとうグルーシャ君。助けて貰ったばかりか、こうして気にかけてくれて」
「流石に気になるよ、あんなこと言われたら」

どうやら住まいと最低限のお金はあったようだが、右も左も分からず、頼れる人も居ないような状態で砂漠のど真ん中に落とされたような子を助けたなら、乗りかかった船だ。
普段はこんな風に世話を焼くことなんてあまりないかもしれない。
面倒見がいいとは自分でも思わないが、そんなぼくでも流石に心配になるような状況だった彼女は強かった。

親しい人と二度と会えなくなって、自分が今築いているもの全部取り上げられて、放り出されたら。
人によっては塞ぎ込んで動けなくなったり、下手したら未来を歩く行為をやめる人だっているかもしれない。

「ポケモンに関わる仕事……ではないのかな。多分この世界ってポケモンに関わること、多いだろうし」
「全く関わらないって訳では無いから、ポケモンについては勉強中なの。恥ずかしながらイーブイとピカチュウしか分からなかったし、小さいポケモンは怖くないけど、大きいのはまだ怖くて……」

大きめな動物でも、馬や牛は動物園でも見ていたのもあって、それに似た形の動物の見た目は怖くない。
ただ、それは柵越しに見ていた動物達だ。
街中で歩いていると突然襲ってこないかだとか、ぶつかったら怪我では済まなさそうだとか。
ポケモンの実態が分からない以上、人と暮らしていたペットと同じ基準で想像することしか出来ず、一瞬怯んでしまう。

「大きいのでもチルタリスは怖がってなかったよね」
「すごく可愛い顔してたし、ふわふわしてたから……」
「それじゃあ、慣れてみる?他にも大きいポケモンだと、アルクジラの進化したハルクジラっていうポケモンが居る。ツンベアーとマニューラは……もう少し慣れてからの方がいいかな」

大きいポケモン筆頭にツンベアーが居るが、ツンベアーは流石に怖いと思われるかもしれない。
物は試しにハルクジラを出すと、エヴァの肩はびくっと跳ねていた。

「は、ハルクジラ?も大きいね……」
「怖がらなくても大丈夫。触っていいよ。ほら、ハルクジラもこの人に近寄ってあげて。君を見るのが初めてみたいなんだ」

アルクジラと全体的には似てるが、一回り大きく、少し顔付きも険しくなっている分、少し怖いのだろう。
ポケモンという生態をリアルに知らないせいで、噛み付かれたりタックルされたら骨が折れそうと過ぎってしまうのだろうが。
恐る恐る手を伸ばして撫でると、ハルクジラは目を細めて気持ちよさそうにしていた。

その様子に緊張が解れたのか、ふと安堵の笑みを零して撫でている様子にこちらも安堵する。
単なるポケモン嫌いとかではなく、そもそもポケモンがどういう生態か分からないから怖いのだろう。
人と居るポケモンが本当に他の人を襲わないのか。雪山に居たような野生のポケモンが人を襲うのではないのか。
それさえも情報が体感として全くない中で街中でも大きなポケモンを見るのは怖いのかもしれない。

「そういえば……グルーシャ君って普段あの雪山の方に居るの?そうしたらこのチャンプルタウンにまで来てくれたのは申し訳なくって」
「ぼくは……元プロスケートボーダー。今はあのナッペ山でジムリーダーをしてるけど。別にタクシー乗ればすぐだから」
「そうだったんだ!雪の上でトリックしたり早く滑ったりする選手だよね。すごいなぁ」
「すごい、か。別に大したことはないよ。あくまでも元、だし」
「でも、グルーシャ君が雪山を滑って私の所まで救助しに来てくれたのはそうやって雪山に慣れてるのもあったからだと思うし……ありがとう。ところでジムリーダーって、ジムのインストラクターのこと?」

不思議そうにぼくを眺めて小首を傾げる彼女だが、ジムのニュアンスが違うような気がして、思考する。
そして自分の身体を鍛えるトレーニングジムのインストラクターのリーダーだと勘違いされてることに気づいたと同時に、ぼくの見た目がそういう風には見えないと思われていることに苦笑する。
確かに筋肉が目に見えるほどついてる訳では無いけどさ。
ポケモンもあまり知らなかった彼女だ。トレーナー達が挑戦する為のジムもよく知らないのは納得だった。

「ジムって、ポケモンでバトルするトレーナー達が最強……チャンピオンになる為の試験というか、審査する8人の強いトレーナー達のこと。……説明するためとはいえ、自分のことそう言うのはサムいな」
「……、ポケモンでバトルするトレーナー、昨日も今日も街でも見たけど……グルーシャ君、全国8人の1人なの!?」
「まあ……パルデア地方の、だけど。上に四天王って呼ばれる4人とチャンピオンとかトップが居るけど、そのジムリーダーでは最後の砦なのかな。立ち位置的に」
「す、すごい……私、そんな有名な人に助けられてたんだ……私より歳下なのに」

そうだ、身分証明書を確認した時に分かったけれど、彼女の方が少しだけ歳上だった。
ぼくがあと1,2年後に、この人のように全部失った時にそこで頑張らなくちゃいけないと強く前に踏み出せるだろうか。
──少し、立ち尽くすような気がした。
スノーボーダーとしての未来がなくなっても、ポケモンバトルも強かったから選択肢にジムリーダーがあったけれど、それさえも無かったら何をすればいいんだろう。
イメージが湧かなかった。
ハルクジラを撫でて「意外と可愛い……」と呟く彼女の横に、彼女を初めて見付けて救助するきっかけとなったアルクジラをモンスターボールから出す。

「あっ、この子!私の命の恩人!」
「君を心配しててさ。暫くの間、アルクジラと一緒に行動してみない?」
「えっ……」
「ぼくのアルクジラだから、トレーナーはぼくになるけど。間違ってもエヴァを襲うことはしないし、慣れるためには一番だと思う」
「えっと……いいの?グルーシャ君の子、なんだよね。離れ離れになるとこの子も、グルーシャ君も……」
「……」

離れ離れになることへの畏れ。
彼女自身が日々痛感しているのもあって、そこに敏感なんだろう。
大切な物を彼女は手から零してきてしまった。積み重ねても、その“元の世界“から居なくなってしまってこの世界にきたことで一気に崩れて奈落の底。
それをぼくもよく知っている。昔は楽しく、熱く滑っていたスノーボードも、絶望を思い出す。
怪我をしていなければ今も第一線で誰よりも自由に滑れていたのではないかって。
この間、新チャンピオンの子が来たことで漸く少しだけ当時の熱さを思い出しつつある自分とは違って、前へ進もうと懸命に頑張る彼女に抱いてるのはきっと。
そう、尊敬、だ。

「ぼくらのことは大丈夫。このアルクジラも君のことが気になってそわそわしてたし。少しの間、エヴァがポケモン慣れするのを手伝ってくれるかい」

元気よく、嬉しそうに返事をしたアルクジラはエヴァの隣に駆け寄る。ぼくのポケモンとは思えないくらい人懐っこい性格だ。

「一応、そういう現象に覚えがないか、グレープアカデミーだとかトップにも聞いてみるよ」
「グルーシャ君に頭が上がらない……ネット検索はしてみてるんだけど、帰れる方法とか、見付かればいいんだけど」
「……」

アルクジラを預ければ、ぼくが彼女の様子を見に来る口実も出来る。
そこまで思った所で、自分自身に疑問を覚えて首を傾げる。

(まあ……心配なのは、そうだし)

彼女が自分が生きてきた世界に戻れるのが一番いいに決まってる。トップ達への情報収集もしてみようとは思う。
でも、そういえば彼女が戻るということは、逆にこのパルデアの人間にとって彼女は二度と会えない人になるということなのだ。
ぼくにとって彼女との縁はまだ浅いし、元に戻れても「あぁ帰れたんだ。ばいばい」と思うかもしれないし。
でももう少し、この世界で頑張ろうとするエヴァを見守りたいという気持ちも、嘘ではなかった。
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