Violetta
- ナノ -
元々一人暮らしをしているけれど、アカデミーに通っている間のエヴァの拠点はアカデミーの寮になっていた。
テーブルタウンから普段は距離がある位置を考えると、住居を用意してもらえるのは非常に便利だった。

「今日は委員会だけやって、午後は自由時間あるし何しようかな」

制服に着替えながら窓から零れる日差しを浴びて考えることは今日のスケジュール。
計画通りに何かしなければ気が済まないという訳ではないけれど、ざっくりと1日のタイムスケジュールを考えてみるのはもう癖のようなものだ。

宝探しで各地を回る以外に、ネモが生徒会長をやっているように、エヴァは半年前から生徒会の書記係を任されていた。
しかし、一年半前に生徒会が全く機能していなかったこともあり、他のスクールと比べて生徒会の裁量は大きくはない。
仕事よりも気を楽にして取り組めている要因だ。
生徒会室として宛がわれている部屋にはネモは居ないけれど、書記であるエヴァのほかに、会計の二人の生徒が居た。
そして、早速トラブルが起きていたのか、先に部屋に入っていた二人は探し物をしているようだった。

「あぁどうしよう、会計で使う用の書類どこにやったかな」
「えっ、大丈夫……?一応受け取った日にコピーは全部別に取ってファイリングしてあるからよかったらそれを使って」
「本当ですか!?エヴァさんいると本当に助かるというか命拾いする……!自分以外の受け持ちの部分もフォローしてくれるの凄すぎですって」
「そんな、大したことしてないって」
「謙遜しなくても!どうやったらそんな風に卒なく何でもやれるんですかね」

じくりと。何かが蝕まれるような感覚。
純粋にそう思って言ってくれる人に対してどうして勝手にプレッシャーのようなものを感じているんだろうと、笑いながら書類をクリアファイルに入れて思考する。

そうあろうと小さい時から努力を重ねてきたのは自分だ。
別にその生き方に長く疑問を持たなかったし、厳格な父さんに極たまに褒められることが嬉しかったのも自分だ。
それなのに。

──ああ、息が詰まりそうだ。

私は、チャンピオンになったネモさんやエンジニアとして突出したジニア先生のように、何か特別な輝きは無い人。
そうなりたいと願って背伸びをしている訳では無いのに、適当に息を抜くということが極端に下手くそだった。
いっそのこと、バトル学を教えてくれているキハダ先生のように全力で取り組むことを楽しむようになれたらいいのに、と思うけれども。

憧れとなれるは、全くの別物なのだ。

生徒会室を出たエヴァは深く息を吸って、大きく吐いた。
周りのせいではなく、自分の考え方次第なのだから。どう折り合いを付ければいいかは未だに見つけられていないのだけれど。

「宝物探しかあ……意味が広くて難しいよね」
「ぱるる!ぱる」
「うん、ありがとう。焦らずに見つけていきたいね。ジニア先生にも、そう言われた訳だし……」

パートナーであるデンリュウと共にテーブルシティを出て、雄大に広がる草原を眺めて浅く息を吐く。
焦らないでいいとあんなにも優しく、奥底まで染み込むように伝えてくれたことで、錆びついていた扉が音を立てて開きそうな直感がした。

最近楽しさを覚えている図鑑を出来る限り埋める為に、フィールドを巡ってポケモンとの一期一会を観察しようとテラスタルの結晶を回っていたのだが。

「えっ、わ、何これ?」

黒い稲妻のような光を迸らせるテラスタルの結晶がテーブルシティの近くに立っていた。
何となく禍々しく見えるけれども。
幾つものテラスタルを回ってきた経験で"苦戦を多少したとしてもいけるだろう"と過信してしまったのだ。
普通のテラスタルとあまり差異はないと思って触れて、景色が変わった瞬間。

「ぇ……?」

何時ものように結晶が煌く空間に引きずり込まれる。

相棒であるデンリュウを出そうとして、手が固まった。
明らかに何時もと異なる気配のするコノヨザルに、足が竦む。
本能的にこれは一人で戦ってはいけないという危険信号を感じながらも、逃げ道が無かったのだ。

──何これ、怖い。
そんな漠然とした死を予感するような恐怖をポケモンに抱いたのは初めてだった。
デンリュウをモンスターボールから出しながらも逃げようとするけれど、逃げ道は見当たらない。
数回攻撃を耐えながらも、振り上げられた拳に目を回して倒れるデンリュウを「ごめんね」と口にしながら戻すけれど、背筋に冷たいものが走る。

──もしかしてこのまま大怪我、あるいは死ぬのではないかと過ぎった時。コノヨザルの拳が振られた爆風で転んで。
刹那、目の前が弾けた。

「え……?は、あ……はあ……死ぬかと思っ、た」

勝てた訳では無かったけれど、空間から弾き出されて眩い光に包まれたかと思えば、目の前の景色は結晶の前の草原に戻っていた。

「ぱるる……」
「ごめんねデンリュウ、怖かったよね。ごめんね」

ぐったりとその場に座り込んで頭を垂れるデンリュウを撫でて抱きしめる。
ああ良かった、攻撃を何度も受けてボロボロだとはいえ、この子が無事で。

無理をさせてしまったことへの罪悪感に体を撫でていると「エヴァさんーー!」という声がどこからか聞こえてきて周囲を見渡す。
まさかアカデミーの外でその声を聞くことがあるとは思っていなかったから瞬時にその声の主が分からず、同級生かと考えていたエヴァは近づいてきたその人に目を開く。
ウインディの背中に乗って慌てた様子で駆けてきたのは、アカデミーに居るはずのジニアだった。
彼をアカデミーの外で見かけたことにも驚くが、自分を探しに来たらしい事実に、エヴァは目を瞬かせる。

「ど、どうしてジニア先生がここに!?」
「揺らぎが出たんで何かと思いましたよお!大丈夫ですか、エヴァさん!?危ないから、これは触れてはいけませんからね!?」

珍しく焦った様子で注意をするジニアに、咄嗟にエヴァは反応することが出来なかった。
図鑑を発明したのは彼であり、図鑑に表示されるテラスタルの位置やタイプの表示を設定しているのも彼である。
今しがた触れた黒い稲妻を迸らせる結晶が"安易に触れてはいけないもの"であることに、体感したばかりではなく、注意をされたことで気付かされる。
いけないことをして安否確認を現地にまでしに来てくれた上で、注意をされる。
それもまた、エヴァには深く浸透する。

「ジニア先生……その、ごめんなさい」
「叱ったつもりじゃなかったんですけど、これから気を付けてくれたら僕も安心ですから、顔をあげてください」

心配してただけで怒ってないですよお、と穏やかな声で諭してくれるジニア先生の声に、泣きたい気持ちになってくる。
彼の前で格好悪い所を見せていることが、恥ずかしいのではなくて、何故か張り詰めていた緊張が解けるような感覚を覚えるのだ。

「怪我してますか?ミモザ先生の所まで運びますよお。うーん、好奇心で行く人が居るとどうだろうと思ってこの強い気配がするテラスタルの場所を表示してませんでしたが、それはそれで偶然見付けることもあるのかあ」
「強い気配がするテラスタルなんてあったんですね……確かに手も足も出なかったです」
「エヴァさんがポケモンバトルも強いことは知ってますが、またこういう光が強いテラスタルがあったら僕に連絡してくださいねえ」
「えっ、私ジニア先生の連絡先知らない、んですけど……」
「ああそうでしたあ!じゃあ登録しておきますねえ。エヴァさんのも登録しておくので」

スマホロトムを取り出して、登録してもらった『ジニア』の名前にエヴァが瞬く。
あまりにも自然な流れで登録された先生の番号に、どきりと心臓が跳ねる。
──生徒だから連絡網みたいな感じで先生が把握してくれたというだけなのかもしれないのに、担任ではない先生がしてくれることに特別感を覚えるなんて。

怪我している足を支えるようにエヴァへウインディが体を寄せて、背中に乗りやすいように地面へと座る。
ジニアのポケモンも、彼の性格に似て温厚なポケモンが多かった。

「もう大丈夫ですからねえ。エヴァさんが無事でよかったです」

怪我をしたエヴァを自分のウインディの背に乗せて、あやすように言ってくれるこの人はきっと。
多くの人にとっての初恋泥棒であるのだろうと直感しながらも。
逸る鼓動が何の導火線に火をつけているかには無意識に気付かないふりをして、ウインディの温かな毛にぽずっと頭を埋めるのだった。
憧れと尊敬に安易に色付けをするものではないのだから、と。
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