Violetta
- ナノ -
ポケモン図鑑のマップに表示されるようになった黒い稲妻のような危険度を示すアイコン。
その表示を見ながら、エヴァはつい先日にあった出来事を思い返す。
お世辞にもポケモンバトルが特別強いという訳ではなく、ジムバッジも4つまででぎりぎりを感じてそれ以上は頑張れなかった実力だ。
そんな中でテーブルシティに近いテラスタルだからと油断してデンリュウに無茶をさせてしまったことを教訓にしつつ、ジニア先生が迎えに来てくれた出来事を思い出して大きく息を吐く。

「その後の経過はどうー?保健室で手当したとはいえ、ちゃんと病院でみてもらったりした?」
「ありがとうございます、ミモザ先生。軽い捻挫だったので数日湿布を貼ったらよくなりました」
「本当に気を付けてね。テラスタルってあまり解明されきってないみたいだから、偶に強いポケモンが出てきちゃって追い出されたっていう生徒の話は度々聞くし」
「そうなんですね……ジニア先生が来てくれて本当に良かった……」

立ち寄った保健室で、黒い結晶に触れた日に治療してくれたミモザに経過を聞かれたエヴァはすっかり腫れの引いた足首を指さす。

「ジニア先生、ポケモンの研究に熱心だけど生徒は大事にしてるしね。ウインディに生徒乗せて保健室に駆け込んできた時は驚いちゃった」

自分の手持ちであるウインディにエヴァを乗せ、ミモザに治療を頼んだジニアはすぐに保健室を出ていく訳でもなく、暫くその様子を見守っていた。
恐らく、怪我したこと自体よりも、恐ろしいポケモンによって震えていた身体を見たことで、気持ちが落ち着くまで隣に居てくれていたのだろう。
自分の生徒だから、という理由でここまで面倒を見てくれる先生はそう居ない。

「本当に、出来た先生ですよね。先輩にもあそこまでの方居なかったですし」

比較的年次が近い方の先輩で、ジニア先生のような人はエヴァの周りには居なかった。
怪我した場所を手で擦りながら「先生が来てくれた安心感、凄かったです」としみじみ語るエヴァの様子に、ミモザはぱちぱち瞬く。
それはまるで恋をしているようにも見えたからだ。

「ジニア先生のこと大好きなんだねー」
「だ……!?い、いえ、尊敬と憧れは、恋とは違くて……っ」
「ふーん……なんだか、自分にそう言い聞かせてるみたいだけど」
「っ」
「別にいいんじゃない?エヴァちゃんって確か社会人になってからスクールに通ってるから年齢も合法的だし、何か理由付けて最初から諦めなくたっていいと思うけどな」

ミモザの言葉がじんわりと胸に刺さっていた楔のようなものを溶かしていくようだった。

──先生として尊敬しているのだから、そこは節度を持って分別"しなければいけない"。
──社会人にもう既になっているとはいえ、生徒と先生という立場なのだから恋愛感情を抱くこと自体が"間違っている"。
そう決めつけてしまっているのは、他人の目ではなく、世間的にいい子で居ようとしている自分だった。

私、ジニア先生のことを尊敬しているのは勿論だけどもしかして。
いや、もしかしなくても好き、なのかもしれない。
頼れる先生としてではなく、頼れる男性として。
自分に無いものを持っている才覚に溢れた先生としてではなく、憧れる男性として。

「ミモザ先生」
「なあに?」
「私……ジニア先生のこと、好き、みたいです……」
「ふふ、自分の気持ちに素直になってもいいんじゃない?玉砕しても当たってみるのみ!あっ、玉砕前提で言ってる訳じゃないからね?」

先生に対する恋心なんて、玉砕覚悟前提でも当然だろう。
彼らには別のプライベートがあって、学校とは完全に切り離したいという人だって当然居る。
物分りが良過ぎる納得をしようとしているエヴァに、ミモザは「これは他の生徒も知ってたりするからいっか」と呟き、エヴァに問いかけた。

「今日は夜まで生徒会の仕事があったりする?」
「はい。今日はちょっとやっていこうと思って」
「そしたら、七時くらいに売店の方に行くといいかも。本当は私が注意したいんだけど……」
「?」

意味深に含むミモザはそれ以上詳細を語らなかったが、ミモザに言われた時間まで生徒会の仕事をして残っていたエヴァは売店へと向かっていた。
スクールと言っても、老若男女が集っているスクールということもあり、昼ほどではなくても夜も生徒は居るのだ。
そしてその生徒に混じってお会計を済ませる一人の男性が居た。
ぼさっと寝癖がついたままの髪と、少しシワが目立つ白衣にサンダルの後ろ姿。
そこに居たのはジニアだった。
ミモザ先生が言っていたのは夜ご飯を買いに来るジニア先生のことだったのかと思ったと同時に、店内から出てきたジニアと目が合って頭を下げた時に見えた袋の中身に言葉を失った。

「どうもこんばんは〜エヴァさん」
「じ、ジニア先生、その手に持っている物……」
「これはあ……ボクの夕飯です」
「先生……それ、カップ麺とゼリーでは……?」

時間のない男性らしい食べ物ではあるが、少々不健康にも映る。
ミモザが「私が注意したい」と言っていたのは、この栄養が明らかに偏っていそうな夜ご飯のことなのだろう。
あの口ぶりからすると、今日たまたまカップ麺にしているという訳ではなく、恐らく常習犯だ。

売店で敢えてラッキーなんて気持ちはすぐに飛んでいき、エヴァの思考は「本当に先生は夜ご飯を毎日こんな感じに済ませてしまっているのか」という純粋な心配に変わる。
何せ、社会人をやっていたからこそよく分かる。
疲れや忙しさを理由にしてご飯をテキトーに過ごすと、明確に体調に現れるようになるのだと。

「研究に没頭しながら一人で食べてると、無心でこういうのを食べてることも多くって……あはは、良くないとは分かってるんですけどお」

ご飯を楽しむのは大事だと理解しているのに、何時も作業に没頭し過ぎてご飯の時間がおざなりになることを自覚していたジニアは頬をかいた。

「……ご飯が美味しいと思えるように、その、一緒に食べませんか?」
「へっ」
「あ、いえ!変なこと言ってごめんなさい……先生、食事自体にあまり興味が無いのかなって……思って」
「……うん、いいですね。誰かと食べる方が"食べる"ってことにも、時間も大切にするような気がするので。よかったらエヴァさんが経験した校外学習とか、スクールに入る前の話とか、聞きたいですね」

ここで、勢いに任せて「ジニア先生のお弁当を私が作ります!」なんて学生の時の無鉄砲な勢いのままに、言えたらいいのかもしれないけれど。
それだけ私は大人になってしまったのだという感情も芽生える。
何かいい訳として都合のいい、正当性のある理由を付けた上でないと、提案が出来なくなっている。

それでも、一緒に食べたいなんて言っているだけ、私にしては少しだけ。
少しだけ、前進している。

「えへへ、楽しみが増えますねぇ」

一緒に食事をする時間を楽しみにしてくれているかのように、はにかんでくれるジニアを見て、心がとくとくと跳ねるようだった。
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