Violetta
- ナノ -
──近所に住んでいたペパーと、博士。
ペパーとよく遊んでいたけれど、それは純粋な子供同士の遊びと言うには少し根深い問題があったことを幼少期から直感的に分かっていた。
だって、博士は有名な人だったみたいだけれど、ペパーに対してあまりにも無関心に見えた。
環境を比べることはいけないと今なら分かるけれど、自分の両親とのやり取りや関係性を基準に考えると、あまりにもペパーに博士が構っていないように見えてしまったから。
恨むとまでは言わないけれど、幼心に『どうして』という感情が大きかった。

灯台下の研究室でミライドンにかかりきりだったらしい話を聞いていた時だってもやもやとした感情を抱いていたけれど、博士がエリアゼロに入ってしまったという話を聞いてからはより一層だ。
普段はなんてことは無い顔をしているけれど、ペパーがどんな気持ちで三年間やり取りが途絶えた博士の元へ行こうとしたのか、勝手に心中を考えて、エリアゼロに連れて行ってあげたかったのに。

「私、肝心な所で力になれない……」

こんなに不甲斐ないことはない。
拳を握りしめながら、怪我の治ったエルレイドとテーブルシティから見える青空を仰ぐ。
鬱屈した感情も、やりきれない葛藤もありながら、下を向かずに前を向ける清々しい空のような人。

「悔しいなぁ……ペパーのこと、助けるばかりか余計負担になって、違う人に解決してもらうことになって」

別に、ハルト君に対しても妬んでいる訳ではない。
たたただ、自分が不甲斐ないだけ。
『マフィティフが目を開けられるようになったんだ!』という写真が送られてきて、本当に良かったと純粋に喜ぶ感情と、幼い時から見てきたはずのマフィティフが回復する力になれなかった自己嫌悪。
幼馴染だから助けたいのではなく、ペパーだから、マフィティフだから助けたかったのに。

──そういえば、別に幼い頃。幼稚園児と呼べる年に遊んでいた子達はペパーの他にもいた。
その子達もある意味今も付き合いがあれば幼馴染と言えるのだけれど、こうしてずっと縁が途切れることなく続いてるのはペパーくらいだった。

「ペパーにはダメって言われたけど……やっぱり、何にもしないより何か力になりたいよね」
「エル!」
「エルレイドもそう言ってくれて嬉しいよ。もしかしたら……私にだけじゃなくて、ペパーはエルレイドにも怪我させたって思ってるかもしれないから。エリアゼロに対処しきれなかった私の問題なのに」

『もちろんエルレイドは頑張ってくれたから、指示できなかった私のせい』と口にすると、エルレイドは首を振って手を合わせてジェスチャーをし、また首を振る。
ペパーと言っていることが一緒、と言いたいのだろうか。
エルレイドの件も、自分が怪我させたことも、そしてマフィティフが深手の重傷を追ったことも、自分の責任だと今本当に思っていた。
──ああそっか。ペパーは同じように自分のせいだと思っているんだ。
エリアゼロにそもそも行く理由が、自分の親の安否を確認しに行きつつ言いたかったことを直接顔を見て言うという理由で。

そうなれば、学食のある食堂室で待ち伏せだ。一旦アカデミーに帰ってくると言っていたペパーなら、必ずここに寄っていく筈だから。
そう思って学食の扉を開いたら、彼の姿は既に食堂にあった。

「ペパー!」
「うお!?びっくりした、エヴァもう大丈夫なのか?松葉杖なくて……」
「大丈夫、本当に大丈夫だから」
「それなら良かったが……あんまり無茶するなよ?お転婆ちゃん過ぎてまたヒビ入るとかなったら卒倒するからな?」

気遣うように声をかけてくれるペパーの優しさは、何時だって身に染みるけれど。
今回は優しさの裏にある『自分のせいだ』とか『もう巻き込めない』という感情を否定しなくてはいけない。
下睫毛の長いアーモンド・グリーンの色の優しい色をした目が揺らいでいて、ちくりと胸が痛む。

「もう大丈夫だから、私もマフィティフが元気になる為に連れてって欲しい。"手伝う"とかじゃないよ、私にとってもマフィティフは大事な子なんだし、他人事みたいに手伝うとかじゃないからね」

ペパーは一瞬解けたような顔をしたけれど、苦い顔に変わって首を横に振る。

「ダメだ」
「どうして……」
「本当にお医者さんに完治!って診断されたか?経過観察必要とか言われてないか?」
「うっ。でももう松葉杖なしで歩けるから……」
「誤魔化してもオレにはだめだからな。……だって、もうエヴァに怪我してもらいたくない」

ぴしゃりと怒られたような気分で、肩を落とす。
当然、ペパーは同じように心配してこう言ってくれているのは分かってるけれど。
でも、今すぐにでもペパーが宝探しの時間を使ってマフィティフを治す為の旅に同行したかった。

何とかペパーを言いくるめたいけれど彼は意外と少し強情な所がある。
一人で背負い込む必要は無いはずなのに、なにか相手が得することがないと手伝ってくれないだろうから一人でどうにかしなくては、と考えがちだから。
思い立ったら一直線だけれど、それが少し心配になる。

どうやってペパーに説得しようかと悩んでいると、ペパーは「そうだ!」と声を上げた。

「今日これはエヴァに食べてもらいたいと思って厨房借りて作ってたんだ」
「これ、ペパーのサンドイッチ?ペパーの料理だ……!」
「美味そうだろ?これな、マフィティフには効いたんだ。オレたちも食べたけど、オレらは健康だったからどこまで効くかは分からないんだが、しおスパイスを使ってるんだ」
「しおスパイス?」
「ああ、父ちゃんが持ってたバイオレットブックに乗ってたスパイスなんだけどな。手足の痛み、痺れをやわらげてくれるって話らしいんだ!薬はあるかもしれないけど、少しでもエヴァとエルレイドの怪我がもっと良くなるようにってな!」

眩しい笑顔で良くなりますようにと気遣ってくれるペパーの優しさが身に染みて、笑顔なペパーに対して思わず泣きそうになる。
マフィティフの為に治療効果があるとされるスパイスを探していただけではなく、頭の片隅に自分たちの存在があることが嬉しかった。

スパイス探しに同行する件ははぐらかされて、食堂室を出ていってしまったペパーを追いかけるまではしなかった。
エルレイドと席に着き、ペパーが作ってくれたサンドイッチをほお張る。
口内に広がった香りや味わいは、誕生日のケーキだとか、そういうのと比べても今まで食べてきた色んな食事の中でも一番染み渡った。

「ペパーのサンドイッチ、本当に美味しい……美味しいね、エルレイド……」

──もしかしたら、ペパーは助けられている側だと思っているのかもしれないけれど。
昔から今も。何度も何度もペパーに助けて貰っているのは、私の方なのだ。


食堂を後にしたペパーは、同じくアカデミーに授業を受けに戻ってきていたハルトをエントランスホールで見付け、声をかける。
彼と例のミライドンが居たから、スパイス集めは順調にいっている。
スパイスを食べて巨大化しているヌシは、生息しているポケモン全てが強いエリアゼロ程ではないとはいえ、油断出来ない相手だ。

「ハルトに相談なんだが、その、ヌシポケモンが居るだろ?それと戦う時もう一人いると危ないと思うか?ちなみに、オレより全然バトルマスターちゃんだぜ」
「バトルを専門にしてないペパーも力にすごくなってくれてるから大丈夫だと思うよ。むしろ心強いかな」
「……そっかー……でもなあ……もう怪我して欲しくないんだよなぁ。助けてくれるのは嬉しいけど、悩んでるんだ」

ハルトが手伝ってくれることにはそこまでの不安を覚える訳ではないというのに、エヴァをもう一度巻き込むことにこんなにも怖がっている。
それは恐らく、ハルトに対してはスタートが利害関係の一致から始まっているという明確さがあったからだ。
今となっては彼のこともダチだと思い始めてはいるが、ペパーにとって友達というのもそう縁があった存在では無い。
無償の愛情だとか友情で人ってこんなに助けてくれるものなのか、と半信半疑な所がある。
これはもう、きっと昔からだ。

「ペパーがそんなに言って心配する人って、クラスメイトとか?」
「いや、実はクラス自体は違うんだが、幼馴染なんだ」
「そっか。じゃあマフィティフと同じで、ペパーにとってその人も宝みたいな人なんだね」
「宝物か……いや、なんかちょっと違うんだよ。説明しづらいけど、この宝探しみたいに新しく見つけたって言うか、オレのルーツの軸に元々常にあってくれたっていうか……」

ペパーを構成する生き方、軸に、エヴァの存在は寄り添うようにあった。
家族と言っても過言では無いのだろう。
しかし、妹や姉みたいな意味でエヴァを見ている訳でもない。
自分の中でのエヴァの位置付けを考える度に行き着くのがやはり、一人の女性としてこれから先も隣にいて欲しい人、なのだ。
その距離感を変えることはやはり躊躇われるし、変化して得られるものよりも、喪ったらどうしようの方が頭に過ぎるのは、そういう方が身近な環境に居たからだろう。

ただただ"普通に当たり前に"隣に居てくれるというのはそれだけ、ペパーにとっては当たり前なことではなかったのだ。
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