Violetta
- ナノ -
あの大穴から戻ってきてから。
輝いているはずの空も、風に吹かれてなびく草原も。全ての景色が色褪せて見えた。
いつも当たり前にあったはずの大切なものが失われかけようとしていることの恐れと焦り。
そして自分の軽率な行為に後悔が募る。

ゆっくりと休んでいる相棒の入ったモンスターボールをじっと眺めて、キャンプ用のリュックサックを背負って寮の部屋を出る。
「行ってきます」という言葉を発しなくなったのは、一体何時からだろう。
──もうそれさえも覚えていない位、「オレは博士の息子だから!」と強がっていても寂しい人生を歩んで来た気がした。

アカデミーの校舎へと向かい、いつもの様に教室に向かっていた時。
目の前を周囲の生徒よりも遅く歩く一人の生徒を発見して、慌てて駆け寄る。

「おはよう、ペパー」
「!おいおい、今日も一人で来たのか!?一人で行動するなってあんなに言ってるのにせっかちちゃんかよ……!?」
「もう、心配し過ぎだよ。ほら、エルレイドも居るし」

松葉杖をついて相棒であるエルレイドに支えられながらよたよたと歩いて後者を歩くエヴァを見つけて、卒倒する。
同じアカデミーに通っている、幼少期から気心の知れている幼馴染のエヴァ。
自分にとって大切なものは何かと問われたら。
真っ先にマフィティフの名前と、エヴァの名前をあげるだろう。
──気恥ずかしいあまり、本人にそう伝えたことは実はないのだが。

エヴァは自分よりもポケモンバトルが強いトレーナーだった。
幼い頃は大人しいラルトスとよく家にまで来てくれて、一人で時間を潰さなければいけなかった中で遊んでくれていた。
気付けば相棒のエルレイドとジム巡りをし始めていたくらい、強いトレーナー。
今は昔のように無邪気に遊ぶ距離感というよりも、お互い思春期を迎えてオレが勝手に意識をする距離感を作ってしまって。
それでも、大事な時は来てくれる頼りになる存在。だが、自分とエヴァだけでエリアゼロへと向かうのは気が早すぎた。

「ペパーのこと、昨日見かけなかったけどサボり?ねえもしかして色んな所を探してるの?」
「それは……」
「マフィティフを治す為に、私も……」
「だめだ!!」
「……!」

咄嗟の拒絶に声を張り上げてしまったことにハッとするが、出てしまったものはもう取り消せない。

「ごめん……」

幼少期からエヴァは世界的権威のある博士である自分の親の研究に没頭する姿と、それを少し寂しそうに眺めて悶々とした感情を抱えているオレのことを知ってくれている。
だからこそ、これ以上自分の問題に巻き込む訳には行かない。
骨まで折る大怪我なんてしたんだ。
なのに、どうしてそんな泣きそうな顔をするんだよ。

「エヴァがエリアゼロに着いてきてくれたのは嬉しかったよ、本当に。でも、それで怪我させた。エヴァにも、マフィティフにも……」
「そ、それは私のせいだから、ペパーが気にしないでいいのに……!」
「それでもだめだ。……病院には経過はいいって言われてるかもしれないけど……マフィティフのことを思うと、もしかしたら……」

もしかしたら、エヴァの怪我も治らないかもしれない。
大事な幼馴染をこんな風に怪我させてしまった無力な自分が許せなくて、拳を握り締める。
何かを打開したくて動いても、結局解決出来なかったどころか大切な家族と幼馴染が未知のポケモンに深手を負わされて死ぬかもしれないという予感が頭を過った事態になった。
エヴァまで失ってしまったら本当に、オレはどうしていいのか分からなくなる。

「エヴァは安心しろ!マフィティフの怪我も全部、治してみせる」

大切だからこそ。
いや、大切過ぎて。
三年前に連絡が途絶えた素っ気ない親の安否を確かめることへの恐怖よりも、彼女を失うかもしれない恐怖の方が勝る。
子供に構っていられない程、詳細は不明だが凄い研究をしていたのは知っている。
そこへの理解はあるつもりだ。だが、納得出来ている自分とは別に、憤りのない感情があるのもまた事実だ。
自分の親への文句も一つや二つ言う為にもしも親身になって協力してくれたエヴァまで亡くしていたら。

──親を、何かの妥協点で許せる機会を、失いかねない。

何か言いたげなエヴァに「まだ治ってないんだから大人しくしろよー」と声をかけて、逃げるように立ち去る。

「くそ……」

エヴァが自分のことを心配してくれるのは心底嬉しい。
今となっては、相棒のマフィティフを除けば唯一の理解者だ。
親についての愚痴だとか、ミライドンに対する愚痴をあまりエヴァに曝け出したことはないけれど、恐らくエヴァはそこに触れられ過ぎて暴かれることを嫌がって避けているオレの距離感を昔から分かってくれている。

そんなエヴァとマフィティフが居るからこそ、捻じ曲がらずにここまで来られたのだろう。
大事にしたいからこそ、距離を間違えすぎるとこうして怪我させてしまうのだと肝に銘じる。
怖がっていると言われたらそうなのかもしれないが。

──喪ってからじゃ、遅いだろ。

ぐっと拳を握りしめて階段のあるホールで立ち止まりかけた時。「おはよう!えっ、どうしたの」と、突き抜けて明るい声が耳に届く。
生徒会長のネモだ。付き合いが全くないとは言わないが、それは彼女が生徒会長であり、チャンピオンという立場で目立つ存在だからだろう。

「あれってエヴァだよねペパー。怪我したから最近学校以外で逆に見かけなかったけど。寮から学校ならともかく、学校から外に行くには階段きついしねー」
「げっ、生徒会長……いいんだよ。というか別にオレと何時も行動してるって訳じゃないだろ?」
「そうかなー?まあいっか!じゃあ次の授業で!」
「アイツ、せっかちちゃんすぎるだろ……」

生徒会長、ネモの猪突猛進ぶりは正直三歩くらい引いてしまうのだが、彼女はチャンピオンだ。

彼女ほどの強さがあれば、エリアゼロに居たような恐ろしいポケモンにも対応出来たんだろうかとふと思う。
損得勘定もなく助けてくれる人っていうのは、貴重な財産──裏を返せばあまり手に入らないものだ。
親愛だとか、そういったもので寄り添い続けてくれる人は本当に特別で、利害が一致していないと人っていうのはなかなか協力してくれない。
そこに甘えてエヴァに声をかけてしまった自分を反省しているが。

この先も守りたい家族のような存在なら、今はエヴァを遠ざけるしかない。
中途半端にしか家族の縁を知らない自分が、家族だと思っている彼女にどうすればいいか分からないのは道理だ。

「待ってろマフィティフ。絶対元気にしてやるし、……そしたらまた、エヴァを安心させる為にもまた一緒に会いに行こうな」

──オレはもう、残された二つの大切なものを失いたくなかった。
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