日向雨
- ナノ -

ききょく

私はポケモンが頼れる存在でもあり、恐ろしい存在であることを、身をもって知ってしまっている。
幼少期から一緒に居るソロアークが家族のようで、ポケモンに襲われた時にも頼りになる存在だ。攻撃の指示も上手い訳ではない私をフォローするように何時も前に出て守ってくれる愛おしい子。
しかし、道中で襲ってくるポケモンの恐ろしさを。殺気の籠った鋭い視線や、音を少しでも出そうものなら死が隣り合わせの張り詰めた空気を。
私は知っている。父が助けたこのゾロアも、そうやって他のポケモンに追い詰められて川に落ちたのだから。


「怖いポケモンも居れば優しいポケモンも居て……人も、同じなのにね」

それなのに、ポケモンばかり一方的に怖がっているのはおかしいのかもしれないけれど。
周囲を警戒しながら黒曜の原野を歩く私を、怖がらないようにと気遣って視線を送ってくれるゾロアークには感謝してもしきれないほど救われている。

「ごめんねゾロアーク。ゾロアークのこと、怖いなんて思ってないからね。何時もこうやって道中を守ってくれてありがと……」
「うわああ!」
「!?な、なに!?」

橋を渡り、コトブキムラまであともう一息だと、坂を上る足に力を込めた時。
北の方向から川のせせらぎや風の揺れる音に交じって聞こえてきた人の悲鳴を、聞き逃さなかった。
通りから外れた北側の道なんて、道として整備はされていない草原で、多くの野生のポケモンが居るエリアだ。
比較的この辺りは小型なポケモンが多いけれど、もし万が一のことがあったら?
自分の知っている最悪の事態を想定して、道を外れて悲鳴の聞こえてきた方へと駆け出す。

──ポケモンが怖い筈なのに。逃げればいいのに。
自分の父と同じような死を迎えてしまうかもしれない人がそこに居ると思うと。足がすくむよりもまず動いてしまっていたのだ。

「た、助けて……!」
「あれは、ギンガ団の人……?どうしてこんな所に……!?」
「コン!」
「あの大きさのポケモンは……!」

調査隊の服を着ているギンガ団の青年に気付き、弾かれるようにゾロアークと共に駆け出していた。
襲われかけただけでも手足が震えるのに。
明らかに通常のサイズと異なるレントラーに追いかけられている青年に「こっちです!」と叫ぶ。

「はぁっ、はぁ、たすかった、けどだめだ、君まで巻き込まれる……!」
「っ、ゾロアークお願い!」

飛び出したゾロアークは逃げる時間を作るように、シャドーボールをレントラーにぶつけて、動きをひるませてくれる。
その間に男性を保護し、戦闘態勢になって逃げる時間を今も作ってくれているゾロアークにも合図をしようとした。

「……っ!ゾロアーク!逃げ……」

戦おうではなく、逃げようという言葉がすぐに浮かぶが、縄張りを荒らされたレントラーは簡単に許してはくれなかった。
ワイルドボルトを構えたレントラーに、ゾロアークは自らの判断でバークアウトをする。
避ければ、攻撃の余波が私達に行くと思ってるからだ。
怪我をしたゾロアークの姿に息を飲み、口元を抑える手が震えて声が出ない。
勝負が苦手な私のことを気遣い、いつもゾロアークが自分の判断で戦ってくれていて、上手く戦う指示も出来ないし、ゾロアークがこれ以上危険な目に合う姿も見たくなかったけれど、簡単に離脱だってさせてくれない。

「ど、どうしたら……」
「っ、危ない!」
「えっ」

振り返ったそこにもコリンクの視線があり、ひゅうっと息を飲む。
レントラーに比べたら小さいけれど、それでもこの小さなコリンクも、縄張りを荒らされた。守らなければ。そんな防衛本能を持っているのだ。
逃げなければ、と思った時には痛みと同時に脚に熱が生じる。
噛まれたのだと自覚する前に「ぁぁっ!」と反射的に鈍い声が口から出ていた。
血の匂いが鼻に抜けて、頭に浮かぶのは『死ぬかもしれない』という人間の本能だった。

「!グ、ワゥ……!」

怪我したことに血の匂いで気付いたのか、ゾロアークは鋭い爪を立ててレントラーに攻撃をする。
自分もあんなに怪我をしてるのに、無理をしてる。
怯んだ隙にゾロアークも血を流しながらも私達の近くにいたコリンクを蹴散らすようにシャドーボールを投げて離脱をした。

──あの子達だって、別に人間を無作為に襲ってる訳じゃなくて。無神経に人間が彼らの縄張りに立ち入り、荒らしたからだ。
それは分かっているのに、やはりどうしても怖いという意識が拭えない。いつだって彼らは人を殺せてしまうのかと思うと、怖かった。
ゾロアークのように、命を懸けて助けてくれるポケモンだって居ることはわかっているのに。
手の震えが、足の震えが止まらない。

青年に肩を抱えられながら比較的安全な道に戻るけれど、痛みはじくじくと増すばかりで、歯型になっている傷跡からは鮮血がどくどくと流れて布地に赤黒いシミを作っていく。

「っ、いたっ……!」
「僕のせいでごめん……!君が来てくれなかったら、僕は間違いなく死んでたよ、ありがとう」
「無事なら、よかったです。警備隊の人が警備している場所から外れると危険な所も多いので、気を付けてくださいね」
「あぁ……本当になんてお礼を言ったらいいか。とりあえず手ぬぐいで縛るから。コンゴウ団の人なのに、見捨てないどころかこんな風に助けてくれるなんて……」

申し訳なさそうに謝る彼に「気にしなくていいですから」と念を押すように声をかけて、自分以上に怪我を負って頑張ってくれたゾロアークの首元を撫でる。
ポーチに入れていたまんたんのくすりを取り出して、血を流しながらふらふらと歩くゾロアークの身体をまず手拭いでそっと拭いてから、傷口を塞ぐように塗っていく。

「まんたんのくすり、オススメですよって言われてウォロさんから買っててよかった……ゾロアーク、大丈夫?……薬を塗ってるとはいえこんなに怪我して大丈夫じゃないよね」

自分達を助ける為に大怪我を負った姿は痛々しくて、罪悪感が影を落としかけるが。
その感情を察したのかゾロアークはじっと私を見据えて、静かに首を横に振った。気にしなくていいと言わんばかりに。

「一番近いのはコトブキムラですし、案内します!掴まってください」
「あ……ありがとうございます。歩くの、少し大変なので……助かります」

この辺りなら少し奥に行けばヨネにも助けて貰えるとは思ったけれど、このヒスイ地方で最新の技術を持っているギンガ団に治療してもらえるのなら、それが一番だろう。
肩を貸してもらいながらコトブキムラに辿り着いた瞬間に、それまでどくどくと煩く跳ねていた鼓動が落ち着いてきて、思わず大きな溜息を吐く。
緊張の糸がやっと切れたような感覚だった。

「生きて戻ってこれた……」

コトブキムラに行く用事が、人を助けたからとはいえまさかこんなにも危険な道のりになるなんて。
手当をしてくれるという厚意に甘えて青年に誘導されるままに怪我をしていない方の足を動かして懸命に歩いていたのだけど。
青年に案内されたのは、ギンガ団の本部の屋敷で、ここまで大事になるとは思っていなかったから、冷や汗が流れてくる。

「ほ、本部ですか……?」
「えぇ、救急用のベッド等も設置してありますし、治療に慣れている者が駐在してますから」

案内された救護室は薬の匂いがふわりと鼻をかすめる。
他の怪我をした人もベットで寝ていて、女性が迎えてくれたと同時に、手ぬぐいで縛った足を見て慌てて椅子を持ってきてくれる。
慣れた手つきで包帯を巻き、手当をしてくれる様子をぼんやりと眺めながら「包帯巻いてるなんてセキさんと、お揃いだ」なんて浮かんで、ふと自覚する。
──死ぬかもしれないと思った時、最期の時。浮かぶのはきっとセキさんなんだろう、と。

「ここにコンゴウ団の者が来ていると聞いたが……」
「わっ、お、お世話になっています、シマボシさん。施設や薬品を使わせてもらって申し訳ありません……」
「調査隊のメンバーを助けて怪我を負ってしまったという話は聞いている。……すまない、うちの団の者が迷惑をかけたな」
「いえ、ポケモンを持っていない方が襲われていた方が危なかったですから。無事で何よりです。寧ろ、こうして施設を使わせて頂いてありがとうございます、シマボシさん」
「暫く歩くと辛いかもしれないが、安静にするように。警備班が黒曜の原野に居るコンゴウ団の者に連絡しに向かった」
「……!ヨネですね。あぁよかった……」

ヨネに連絡がいっているなら、すぐにコンゴウ団の集落に戻れないことも伝わっているかもしれないと安堵して、薬が染みる足に力を込める。
幾らギンガ団の人を助けたからといってコトブキムラに泊まらせて貰う訳にもいかないだろうし、この足でどうやってコンゴウ団の集落かヨネの居る家に帰ろう。


──ギンガ団からルネの負傷を聞いたヨネはアヤシシの背に乗り、コトブキムラではなくコンゴウ団の集落に到着していた。
本人の症状を自分の目で確認した訳では無いが、ギンガ団から概要は聞いている。
そうなると、まずすべきことはリーダーへの素早い伝達だった。特に、ルネのことならセキの耳に早急に入れなければいけないと反射的に決断していた。

「リーダー!」

ヨネは声を張り上げ、セキの姿を探す。
緊張感漂う剣幕に異常事態を察したのか、セキは彼女の元へ駆け寄る。

「どうしたヨネ、血相変えてここまで……キングに何かあったか?」
「違うよ!ルネが人をかばってポケモンに襲われて大怪我をしたらしいんだ!」
「!それは本当か!?」
「今はギンガ団に手当てをしてもらってる所だが、足を怪我してる。コトブキムラより先に急いで報告しなくちゃと思ってこっちに来たから症状は見てないけど」

ヨネの説明を聞いたセキの判断は早かった。
ヨネを下ろしていたアヤシシの背を撫ぜて「オレをコトブキムラまで連れてってくれ」と語りかける。

「アヤシシを連れて行かせてもらうぜ」

リーダーとしての決断の速さと言うよりも、焦っているように感じられた。
それも当然だろう。
コンゴウ団の誰かが怪我をしたとなっても一大事なのに、それがルネだなんて。
そのつもりでアヤシシを連れてコンゴウ団の集落まで戻って来たけれど、きっと返事を聞かなくてもセキはアヤシシに乗って走り出していただろう。
遠くなっていくセキの背中を見送りながら、ヨネは話を聞き付けてきたヒナツと顔を見合わせる。

「ルネさん、怪我したの?……心配だね。ゾロアークも居たと思うけど」
「キャプテンも女でも一人でやってたから、あちこち回らなきゃいけないルネの危ない仕事もなんだかんだ一人でやってもらってたけど……どうするつもりだろう、リーダー」

今回は怪我で済んでいたけれど、一人で行かせたそのタイミングで今回のようにポケモンに襲われて命を落としていたら。
背筋が凍るような想像にヨネも首を横に振り、セキの判断に委ねようと思うのだった。