日向雨
- ナノ -

おかえり

コンゴウ団において自分が何を出来るか──それを、幼いながらに必死で考えた。

工芸品作り。それは自分よりも小さな子にも及ばない。一から教える手間を誰かにかけさせてしまう。
料理や洗濯。それは特別なことでもなく最低限身に付けなければいけないこと。
帳簿付け。──それは、行商人だった父に小さい頃から習っていたから分かる。全員が出来る訳ではなくて、私が出来ること。

それに気付いた時、自分のやることは決まった。
身寄りのない子供だからといって、何もせずに保護し続けて貰える訳では無いのだから、何かをしないと。そんな焦りが、ルネの背中を押した。
当時の長も、傷心の彼女に今すぐ何か役職を持たせて働かせようとは考えていなかったとしてもだ。

父の関係でイチョウ商会と縁があるルネは、余程のことがなければコンゴウ団、シンジュ団共にあまり気軽に立ち寄ろうとはしないコトブキムラに、ゾロアークと共に顔を見せていた。

「また建物が増えてる……どんどんこのコトブキムラは大きくなっていくね。何時も付き合ってくれてありがとう、ゾロアーク」

人が嫌いなゾロアークにとって、コンゴウ団よりも見慣れていない顔ばかりの人間に会うのは相当なストレスである筈だからこそ、ルネは申し訳なさそうに謝った。
ルネが謝る姿に、ゾロアークはしゃがんで腰を落とし、心配そうに見上げて首元に頭を擦り付ける。

「ありがとうね、ゾロアーク。今日はコトブキムラを拠点に置いてるっていう商品を見たら帰るつもりだから」
「おや?ルネさんではないですか」
「え?あ……ウォロさんですよね。この間ぶりです」
「いやー、ルネさんにコンゴウ団の里の近く以外で会えるのはなかなかレアですね。ジブンもコトブキムラに頻繁に居るわけではありませんが」

ルネに声をかけた青年は、前回コンゴウ団の集落に荷物を届けに来てくれたイチョウ商会所属のウォロだった。
父はよくコンゴウ団やシンジュ団に商品を届ける担当になっていた記憶はあるが、今のイチョウ商会から来る行商人は常に違う人だ。
それでも度々顔を見せてくれる人は覚える。その一人が目の前の青年だ。

「確かにコトブキムラに来るタイミングでウォロさんが居ないことも多いですよね。コンゴウ団とかシンジュ団とかの集落みたいな所に行くことも多いんですか?」
「いやー寧ろこの間はたまたまでして!各地に残されている遺跡を見に行くついでに行商をしていると言った所でしょうか」
「ふふ、そっちがついでなんですか?ウォロさん、遺跡がお好きなんですね」
「えぇ、残されてる神話を辿っていくのは楽しいですよ。ルネさんもどうです?」
「……」
「おっと、睨まれてしまいましたね」
「ごめんなさい、ゾロアークも悪気はないんですけど……」

人間に対して警戒心が強く、襲いかかることはせずとも威圧するような態度を取ることが多いが。
その中でもこのイチョウ商会の青年、ウォロに対してはゾロアークの視線がいつも鋭いことをルネは感じ取っていた。
毛が逆だっているのを撫でて落ち着かせながら、ルネはウォロに頭を下げる。

「遺跡から感じられる歴史や伝説……そういった物に心惹かれるのですよ。誰かが作った物語かもしれないし、逆に本当にあったからこそ残ってる物に惹かれるんですよね」
「シンオウさまを大切に思ってるから、その信じたい気持ちは分かります。シンオウさまは確かにいらっしゃるって」
「やはり分かってくださりますか!」

ウォロのにこやかな笑顔は、男性の中でも愛嬌に満ちていた。
好奇心旺盛で自分の好きな物に一直線な姿には共感出来る所もありながら。
ルネは差し伸べられた手を握って握手をすることは出来なかった。

(イチョウ商会の人の中でも彼は話をする方なんだけど……ゾロアークの影響、なのかな)

先入観で人を判断するのは良くないと雑念を振り払い、ウォロとの握手を交わす。
イチョウ商会の人は個性的な人も数人知っているけれど、彼はその中でも特に印象に残る人だった。

「ジブンとしても、ルネさんがイチョウ商会に所属していたら面白いと思うんですけどね。確か、両親がイチョウ商会に所属していたんですよね」
「えぇ、父が。……不慮の事故で、亡くなってしまいましたが……」

現在ゾロアークとなっているゾロアを助けて冷水になっている川に飛び込んでしまった。
しかし、そもそも何故ゾロアが川に落ちたかと言うと、親であるゾロアークも居なかったゾロアは他のポケモンに襲われ、追い詰められた結果川に飛び込むしか無かったのだ。
落ち込むゾロアークの首元を撫でながら、ルネは思う。

「もっと優しい世界になればいいのに」

ポケモン同士が縄張り争いで命を落とすこともなく。ポケモンと人間が共に歩める優しい世界に。
そんな優しい世界になればいいのに。
そう願わずには居られない。

ルネの口から出たその言葉に、ウォロは目を開いた。
幼い少女では抗うことも出来ない理不尽な世の摂理に。居場所を奪い合い、悲しみや傷を産む世界に辟易して。

「……貴方と同じ意見ですよ、ジブンも」
「そうなんですか?ウォロさんも、ロマンチストなんですね」

──自分に、優しい世界に。
そう思うようになるのは、非常に良く理解が出来る。
似たような理念の人に出会うと、高揚してしまうものだとウォロは目を輝かせる。
意識に決定的なずれが生じていることは気にもとめず。

「コンゴウ団は時を司るシンオウさまを崇めているんですよね」
「えぇ、シンジュ団の崇めるシンオウさまを偽物とまで言うつもりはありませんが……私も、コンゴウ団が信じるシンオウさまを信じてます」
「もしも、もしもですよ?長がシンオウさまと出会えて……その結果、この世界の時間がめちゃくちゃになってしまったら?ちょっとした好奇心で聞いているだけですが」

ウォロの不思議な問答に、ルネは深く考え込む。
時を司るシンオウさまがその力で世界を作り、調停しているのだとしたら。
時を安定させる力もあれば、逆に荒ぶると時が滅茶苦茶に乱れる可能性もあるかもしれない。
シンオウさまをこの目で見られることが出来れば──そう願いながらも叶うわけもないとどこかで諦めているが。人と接触することで時間が、世界が乱れるのだとしても、長が会いたいと言ったその時は。

「……そうですね……私は、弱いから……その選択が間違ってるって分かってても、リーダーについて行っちゃうんです、きっと」
「!意外ですね。ルネさん、そういうタイプの方ではないと思ってましたが」

穏やかな性格と言えるルネだが、ただ人に付き従う性質ではなく、芯があるというイメージをウォロはルネに抱いていた。
常識から外れることには抵抗感がある理性的な人だろうと、ウォロでなくてもコトブキムラで彼女と会話をした人間なら口を揃えて言うだろう。

「団として従うというより……リーダーに、おかえりって言う人でありたいから」

汲み上げられた感情は、ただ温かいばかりの物とは言えなかったかもしれないが、ルネの澄み切った物だった。

リーダーと言葉を濁したが、セキでなければそうは思わなかっただろう。
コンゴウ団のリーダーがそうだったら自分はどうしたか、ではなく。
セキがもし万が一にもそういう選択をしたらどうするか。

そう考えた時に、不思議と断言出来た。セキの行動を尊重して、清濁も飲み合わせてただ「おかえり」と迎えてしまうのだろうと。
それはルネの中で、セキはコンゴウ団にとって正しいと思える道を選べる人だという確信があるからこそ出てきた言葉だった。

──それだけ、私にとってセキさんは大きな存在で。皆にとっての頼れる長。
その想いは、決して揺らがなかった。

「……、……いいですね、気に入りましたよルネさん。流石はジブンのお得意さん!」
「ふふ、ウォロさんのお得意さんでしたか?」

例え相手が誤った道へ進もうと、それが正しくないと理解をしながら帰る場所になろうとする芯を、ルネに感じられた。
満足気に笑顔を見せたウォロが「また商品を持って行きますよ」と声をかけ、ひらひらと手を振ってギンガ団本部へと入って行く後ろ姿を見送る。

「……セキさんにおかえりって言える人で居たいなんて……わがまま、なんだけど」

団の一員として長の帰還を出迎えるものと、少し異なる意味で言いたいと無意識に思っていたことに気付かされたルネは恥じらうようにぱたぱたと手で顔を仰いでいたのだが。

「よう、ここに居たかルネ!」
「!?」

今このタイミングに聞こえる訳がなかった声が突然後ろから聞こえてきた瞬間、ルネの肩は跳ねて、身体は少し浮き上がった。
セキの話をしている時に、コンゴウ団の集落にいると思っていたはずのセキがこの場に来ているなんて。
どくどくと煩く跳ねる鼓動を抑えながら、ルネはセキを振り返った。

「セキさん……!コトブキムラに来るなんて珍しい」
「ヨネの所に寄る用事があったからな。ルネを回収して帰ろうと思ってな」
「嬉しいですけど……ヨネさんにアヤシシさまを呼ばせたんですか?」
「俺は笛を吹くのが下手だからな。しかし……ルネは、ここでも不思議と馴染むよな」

イチョウ商会の青年、ウォロとやり取りをしている時のルネが生き生きした様子であることはコトブキムラに近付きながら遠目から見て何となく察したのか、セキは頭をかきながら伏し目でルネに視線を移した。

「……ルネは、イチョウ商会に所属したいと思ったこと、あるか?」
「え?イチョウ商会……?……セキさん、それは」
「親父さんの跡を継ぐってことにもなるし、多分纏めてるギンナンも快諾してくれそうだが……何せ、小さかったルネを拾ったのは当時荷物のやり取りをしてたうちの団だからな」

幼い彼女自身にどこに所属するかという選択が出来たのではなく、子供が安全に暮らせる場所が何処かを大人が考えて決めただけだ。
しかし、大人になっているルネなら、自由に自分の生き方を選択出来る。
──正直、セキにとってはイチョウ商会に所属したいと言われてしまうことは非常に都合が良くなかったが、談笑をしている姿を目にしたら意向を確かめずには居られなかった。

「……セキさんの導くコンゴウ団に居たいんです。……だめ、かな」

長ではなく、セキさんだからこそ。
そんな本音を溶かして、ルネは精一杯の想いを相手に押し付けない程度に薄めて伝える。

「……駄目なわけないだろ?着いてきたいと思ってもらえる頼れるリーダーとして頑張るからよ」

ふっと解けるように笑ったセキの手のひらが頭に乗せられる感触に、ぶわっと水が熱せられて沸き立つようだった。
──着いて行きたいなんて、今更だよ。