日向雨
- ナノ -

まぼろし

宝石を拾った。
夜空の星のような光を閉じ込めた輝き。
灰を被ってくすんでしまったそれを、見付けた。

其れは万人にとっての宝石ではなく、落ちていたその石を誰もが拾う訳ではなかった。
目の前にあった原石に手を伸ばした人がいて、初めて輝き始める。

若き青年にとって、その女性はそういう存在だった。


未開の地であるヒスイ地方の湿原近くの地域。
秋は紅葉が地面を彩り、湿地帯が山を降りた先には広がっていて、多くのポケモンが自然と共生する光景。
山を登った先のリッシ湖のすぐ近くのコンゴウ団の集落に、若い団長であるセキの姿はあった。
時を奉るシンオウさまを信じている派閥であり、その教えを大切にし続けているコンゴウ団をまとめあげているが、同じ信仰であるが、多種多様な人が集まっている。
或る人はポケモン鎮めるキングやクイーンを崇め、或る人はポケモンを畏れ。
だが、ポケモンに対してどんな感情を抱いているかを他人が決めることは出来ないのだ。

コンゴウ団の集落の一軒家。そこに向かって行くセキの足取りは軽かった。
扉を叩くと、中から「セキさん?」と、自分を呼ぶ鈴の音のような声で呼ばれて、目尻を下げた。
おかえり、と言われた訳では無い。それでも、当たり前のように出迎えてくれる空気感は居心地が良かった。

「いい匂いだ。ルネのそれは……イモモチか?」
「セキさん、お疲れさま。そうそう、コトブキムラのムベさんに美味しい作り方を教わってきたから」
「へぇ。商会に交渉に行ってくれた先週か?おっ、もしかして二人分用意してくれてるのか」
「だってセキさん何時も何だかんだ食べていくんだもん」

小さなテーブルに、揚げたてのイモモチが並べられていくのを見て、セキだけではなく彼の相棒であるリーフィアもくんくんと嗅ぎながら解けた顔で飛び上がった。

「リーフィア、今日は沢山勝負の練習したの?泥だらけだね」

セキのリーフィアをタオルで優しく拭きながら朗らかに笑う、少し年下の女性。
事情があってコンゴウ団で引き取るとこになった身寄りのない少女だった彼女が来たのは数年前。
こうして彼女の家に転がり込むのが、セキの日常だった。

ポケモンと共に居ることが当たり前ではない時代だったが、料理をする彼女の横には、きのみを砕く彼女のゾロアークが居る。
セキは「よっ」とゾロアークに挨拶をするが、ふいっと顔を逸らされてしまう。

「ゾロアークもお手伝いありがとう。一緒に食べよう」
「……!」

ルネに声をかけられると、険しい顔を見せていたゾロアークの表情は和らぎ、にこりと微笑む。
気難しくて人に懐かないゾロアークに、ほぼ毎日のように顔を合わせているのに──と思う所もあるが、元々絶滅したゾロアがゴーストとして生まれ変わっている時点で、人間や他のポケモンに対して恨みが強いのだから仕方がないのだろう。

「……でもリーフィアには優しいけどな」
「セキさん?」
「いいや、何でもない。ありがたくご馳走になっていくかね。……昨日ヨネに言われたんだよな。団長、またルネに食べさせてもらってるのかって」
「ふふ、合ってるね」

なんてことはない平凡な日常。
それはセキが団長に任命される前から変わらない。そして、セキが団長になったとしてもルネの接し方もそう変わらない。
ある一点を除いては。

イモモチを食べ終わったセキはルネを連れて、商会に運んでもらった積み荷の確認へと向かう。
イチョウ商会とのやり取りや、帳簿の管理を行っているのがルネだ。
自給自足では賄いきれない分を、こうして商品の流通をして貰えるようになったのは時代の変化だとユウガオも言っていたことだ。
買うばかりではなく、採集したものや工芸品も買い取ってもらえるのだから、商会とはいい関係性を築けている。それが活発になってきたのも、他の地方から来た人々を中心に作り上げたコトブキムラの存在があるだろう。

「今回運んできてもらったのは何だ?薬とか素材か?」
「ミツハニーの巣から取れる蜜とか、綿とか、そういうのを中心に。よせだまを作れば、身を守れることもあるし、これなら子供も作る作業出来ると思うから」
「なるほど、いい案だな!て全体の帳簿も付けられるんだから、家庭に入ってもそつなく管理出来そうだよな」
「!?せ、セキさん、褒め過ぎですって……!」

照れながらもやんわり否定するルネの表情に、胸の奥が擽ったくなる感覚と、なぜだか相反する氷を飲み込んだような心地になる。
──彼女には許嫁も居なければ、知る限りは交際している人間も居ない。人嫌いのゾロアークと共に居ることもあり、ルネが想いを寄せている人が居るという噂も聞いたことは無い。
だが、それは恐らくこのコンゴウ団において、彼女は団長になったセキと仲がいいという暗黙の了解があるのだろう。

(けど、コトブキムラに立場上行くことが多い分、そこでの縁はどうだ?イチョウ商会とのやり取りも中心になってやってくれてるのはルネだ)

イモモチの美味しい作り方を教えてくれたというムベとルネのやり取りを知らないように、外との繋がりをセキには把握しきれない。
気立てが良くて、帳簿が付けられる学があって、料理も上手くて。
──そう放っておいてくれる男がずっと居ないというのもむしろ変な話だ。

「えっと……難しい顔してどうしたのセキさん」
「あぁいや、何でも……ルネ!」
「え?……っ!」

ルネの横を風が吹き抜ける。低空飛行をしたズバットとクロバットがコンゴウ団の集落を通り過ぎて山の上へと羽ばたいて行く。
攻撃してきたわけではなくただ通過しただけのようだが、反射的に彼女のゾロアークは守るように立ち位置を変え、
ルネは頭を守るように抱えていた。

「な、なんだ……たまたま通過しただけだったんだ。驚いた……」
「……無理しなくていい。ポケモンが怖いっていう感覚はそう取れるものでもないだろうからな」
「……いつも、本当にありがとう」
「いいってことよ!」

少しだけ震えていた手をサッと隠してしまったルネに、セキはそれ以上何も言わなかった。
人の集落に寄り付かないゾロアークが彼女の相棒として共に居る姿を見ると、ルネはポケモンを怖がらない人だと思われがちだか、全くそんなことは無かった。

ポケモンも比較的人の集落には寄り付かず、人間とポケモンの生活の場が規約はなくとも分断されていたこの時代。
寧ろ、ポケモンが怖くない人の方が珍しいのだ。

「キングが居るとはいえ、集落にポケモンが来ないって保証はないからな。友好的ならいいが、そうじゃないポケモンだって多い」
「……そう、だね。ゾロアークとセキさんいつも頼ってばかりでなんだか申し訳なくって」
「団長のオレに頼ってくれたっていいだろ?」
「……!わ、悪いよ。セキさんばっかり皆の負担が凄くて……」

──ある一点。
セキが感じるルネの変化。
それは『セキさんは皆の団長だから』と口にするようになったことだ。勿論、団長になったセキに対する基本的な態度は変わらない。
しかし、決定的な一線を引いて少しだけ距離を置かれているようだった。
まるで、ルネへの特別扱いは個人としても無しだと言われているかのように。

「ゾロアークも大丈夫だから安心して」
「……」

心配そうにルネの顔を覗き込み、警戒心を解く。
ルネのゾロアークは、少々特殊な存在だ。普通のゾロアークの赤い毛並みが紫色であることも特殊ではあるが、人間やポケモンに激しい敵意を持ちやすいゾロアークが、ルネを常に守るように護衛している。
それは彼が頼れる友であり、遺された形見という見方もあった。

「あっ、あの台車はイチョウ商会の方!」

ルネが駆け出して、その背中を追いかけながら挨拶をしているルネを見て、そしてセキと同じスピードで歩くゾロアークに彼は視線を移す。

イチョウ商会に属していた彼女の父親は雪山で川で溺れたゾロアを助け、結果的にゾロアは一命を取り留めたが、彼女の父は冷水に流され息を引き取った。
身寄りのなくなった彼女を引き取ったのが当時親交のあったコンゴウ団になるのだが、幼かったセキも引き取られた当時のルネの姿は脳裏に焼き付いている。
親が亡くなるきっかけになったというトラウマがその時に植え付けられたと同時に、自分の父が助けたというゾロアにだけは心を開き。
またゾロアも自分を救った男の一人娘である彼女を代わりに守っていかなければいけないという使命感が強い。

「今日もルネをありがとうな、ゾロアーク」

このゾロアークは、やはりルネ以外には団長であるセキにも何時までも素っ気なくふいっと顔を背ける。

「おいおい、素っ気ないな」

──いや、ルネを本当に守れる人間なのかって計られてるんだろうな。
ルネを家族だと思っているゾロアークにとっては、何より大事なことだ。

「安心しろよ、ゾロアーク。絶対に守るし、お前に認められるようになるまで時間は惜しまないつもりだ」

時間を大切にしているから、急く。
それもまた一つの側面だが、時間をかけなければいけない物があるのならその時も大切にする在り方がコンゴウ団だ。
ルネが安心して暮らせるように各キングを任されたキャプテン達も取りまとめる長としての努力も。
彼女が自由に、生き生きと自分の生き方を出来るように整える努力も。
原石を磨く時間を惜しみはしない。

──しかし、ただ、磨いて磨いて。
どうしたいんだろうな。

セキはイチョウ商会の使いとして初めてコンゴウ団の里まで来たという金髪の青年と会話をするルネを少し離れた位置から眺めて、目を細める。

「何だかそれは……酷く、面白くはないもんだ」

ルネがルネである為に磨くだけではなく、セキ自身のためであることに。
そっと気付かぬふりをして。しかし、拳を固く握り締めるのだった。