日向雨
- ナノ -

あおぞら

――歴史が生まれ、刻まれ。
そして世界が加速していくその瞬間。
それを、自らの目で見る日が来ようとは誰が思っただろうか。

何時かそれは自分達の手によってではなく。関わることさえなく。
突然世界の大きな流れによって起こるものだと漠然と思っていた転換期は、誰かが遭遇し、体感するのだと。
晴れ渡る穹を見て、人は知るのだった。


ショウは来るべき戦いに備えて自分を捕まえて見せえるように告げたディアルガと交戦し、あかいくさりさえも弾いたシンオウさまを、モンスターボールで捕えた。
彼女に力を貸すディアルガは、避けた時空より零れた力――もう一体のシンオウさまである暴走したパルキアと交戦する道を示した。

「凄いですねセキさん。シンオウさま……いえ、ディアルガ様の声を直接聞けるなんて」
「信じてはいたんだが、実際にこうして聞いちまうと、未だにさっきまでの夢みたいな出来事が信じられないな。カイ達が信じてたシンオウさま……パルキア様も存在してたってことにはなるが」

これまでは時間を司るシンオウさま、そして空間を司るシンオウさまの在り方を長年シンジュ団とコンゴウ団は口論だけに収まらない争いを行ってきたが、どちらも正しかったことが証明された。
しかし、恐らくは何百年という単位でシンオウさまの姿を目撃したものも、その真の名前を知る団員も誰一人としていなかったことだろう。
今しがた目撃したディアルガとパルキア。
その姿を描いた絵や像すら残ってはいないのだから。

「いえ……もしかしたら、どこかにあったかもしれない絵とかを、私たちがシンオウさまと認識できていなかったからかもしれないですけど……」
「しかし、伝承は残ってるんだ。もしかしたら、遥か昔に姿を現されるときがあったのかもな」
「それだけど、アニキがディアルガ様の声を聞いたってコンゴウの集落では大騒ぎだっていうのに」

シンオウ神殿の話を耳にして勝手にテンガン山近くのベースキャンプまで足を運びに来たツバキは、コンゴウの集落においてセキというリーダーがどのような信頼を寄せられているか耳にしてきていた。
――本人としては、ディアルガさまと会話をした中でも、結局ディアルガやパルキアと立ち向かう役割をショウに担ってもらっていることを自覚していた。
その為に力を最大限に貸しているだけであり、その事実に浮かれるようなことはなかった。

ここに来ているツバキ以外の他のリーダーは現在キングやクイーンと共に、人々を落ち着かせる役割を担い、それぞれが責任を果たそうとしている。
彼ら全員が自然と考え、行動しているのはリーダーであるセキやカイの背中を見ていることも大きな要因だった。

「セキさんってやっぱり……本当に凄いリーダーですよね」
「なーに今更言ってるんだよう、ルネ。そんなの今更に決まってるじゃないか」
「……ふふ、ゾロアークも何だかんだセキさんのこと、リーダーとして頼れると思ってるみたいだし」
「……ルネ、ツバキがいうのもなんだが、今ルネにそれを言われるのは複雑って顔をゾロアークがしているよ。認めたくないけどそうも言いきれないみたいな……うわっ!おまえ、ひっかこうとするんじゃない!」

ルネの横に居たゾロアークは唸りながらツバキにとびかかろうとする。
これまでショウと共に各地を周り、神殿でディアルガと対面しながらも逃げることなくその顛末を最前線で見ていたセキに対して、本人が認めざるを得ない位に評価をしていたのも事実だった。
"リーダー"としてではなく、"一人の人間"として、信用にたる人間だとゾロアークも理解しながらも長年の警戒心故に、素直に認めることは出来なかっただけだった。

――まるで、ゾロアだった時に他のポケモンに襲われて凍てつくような冷たさの川に落ちて、このままを死を迎えると過った時。
川に飛び込んで自分を岸にあげて命を救ってくれた、ルネの父親のように。目の前の危機を、当然のように救おうと動く気概がセキにはあったのだから。

「……まあ、ゾロアークに段々そう思われてるってんなら嬉しい限りっつうか、目論見通りではあるんだが……ルネ」
「セキさん?」
「……」

ツバキと言い争うゾロアークを少し離れてくすくすと微笑むルネの横顔を見ていたセキは、ルネの表情に違和感を覚えていた。
皆にとって頼れるリーダー。そう思ってもらえるのは確かに嬉しいが。
ルネは時々その言葉を、足枷にするように呟く癖がある。

――セキという人はコンゴウ団、そしてヒスイ全体も変えられるような輝きを持つ人なのだから、全員にとって特別に想われるような存在なのだと。
自分が隣に居るのは、幼い頃から親しくしていた縁に過ぎないのだという、過小評価だ。
無意識に繰り返し思い続けていたルネの呪いのような在り方。

セキがルネからの好意を敏感に、明確に理解しきっていた訳ではない。
信頼と親愛は感じていたし、それが彼女の中で恋や愛に結び付く可能性だって感じていた。
しかしそれ以上に、それ以前に、大きな枷である微妙な遠慮というものは昔から感じていた。
それはルネがコンゴウ団の外から来た存在であり、ゾロアと共に長くあったようだが、自分の家族を目の前で失っているという自己の疎外感からきているものなのだろうと認識していた。

「リーダーとして引っ張ってく意味では、そう思ってもらえるリーダーを示せてるのは嬉しいもんだが……ルネには"一人の男"として頼り甲斐があると思って貰いてえんだけどな」
「……」

覗き込むと、セキを見つめる大空のような色の瞳は、丸くなって。そして逸らすように伏せられる。
リーダーとして団を守る存在であることとは別に、愛する人を。そして家族を守れるような頼もしい存在であると、ルネだけには常に思われたいのだ。

(まあなんつうか、……男の意地と見栄みたいなもんだな)

彼女という原石を見付け、磨いて来たからこそ、誰かに奪われたくは無い。
しかし、家族というものを畏れているというのなら、その不安や遠慮を抱く暇も与えない程に手を引ける男で在りたいという願望だ。
ルネが今の言葉を聞いて、どう思ってくれたか。
再び覗き込もうとしたセキは、石のように固まった。

「……そんなの、ずっと、思ってますよ」
「……」

頬を染めて、自分がかつてあげたイヤリングを触りながら気恥しそうに肯定するルネの小さな小さな声。
恋慕が滲む、その声音。
──なあ、ルネ。今すぐにでも手を引いちまいたい──本能的に発露した本音が出そうになって手を伸ばしかけた瞬間。

「アニキー!ショウ達がもう行くって!」
「っ、ああ、今行く」

ツバキの声に呼び戻されて、セキは伸ばしかけていた手を引っ込ませる。
まだ、まだだ。セキは拳をぐっと握りしめて「ありがとな、ルネ」と声をかける。
このヒスイの未曾有の危機が過ぎ去るまでは伝えられないのだからと、頬を叩いて気合を入れ直すのだった。


ディアルガの助言通り、うちゅうのちからを秘めているとされたシンジュ団の鉱石採集に同行し、コトブキムラへと再集結していた。
シンオウさまの力を宿しているとされている、オリジンこうせきとギンガ団の技術の粋を集めたモンスターボール、そして砕けたあかいくさりを紡ぎ合わせてテルの手によって作られたモンスターボール。
それを手に、時空間が大きく乱れていた原因となっていたもう一体のシンオウさまであるパルキアに立ち向かったのは、ヒスイでは大人扱いで──元のシンオウ地方では子供として扱われていた次元の裂け目から来た一人の少女。
彼女が訪れるのを出迎える為に両長とデンボクはシンオウ神殿へと先に向かう中で、場違いであることを感じながらセキの隣を歩いていたルネは二人に頭を下げる。

「私だけ動向を許可してもらってありがとうございますデンボクさん、カイさん。……一般の団員で、ポケモンと戦う術だって持ってる訳では無いのに」
「いや、そういった勝負は私たちが得意としてるから気にしなくていいし、それに……ルネはショウが一人だった時にずっと一緒に居てくれただろう」
「……うむ、そればかりは私も謝罪すると同時に感謝している。他の団員やギンガ団の者が手を貸すのを躊躇う中で、君は迷わず集落を離れてまで彼女に手を差し伸べたと彼に聞いている」
「気にし過ぎだルネ。ゾロアークも居るし、オレらも居るんだ。……それに、ショウも居てくれたら心強いって言ってただろう?」
「……はい」

──セキの隣に、世間の目や仲間の目も気にせずに信じた相手を自分の正義感の基準で動く人が居てくれることを少し羨ましく思うなんて本音を、カイは口にしなかったが。

しかし、そういう人がそう出来るものでもないことも分かっているカイは「羨ましいやつめ」という言葉を飲み込んで、セキの背中をぱんと叩く。
仲良くしがたい思想の違うヒスイに住まうもう一つの団の団長は反りが合わないのはともかく、良い奴である。
これまでの意固地になって狭かった視野が広がったカイは、笑みをこぼすのだった。

未だに雪が降り積もるテンガン山の山道を進み、神殿へと抜ける洞窟の出口に、見知った顔を見つけて足を止める。
暫く情報収集と伝達のために離脱していたウォロがそこに居たのだ。その神出鬼没な自由な行動は、コギト以上だろう。

「ウォロじゃねえか」
「どうもどうも!皆さんも来たんですね」
「ウォロさん。ショウさんがアイテムで困らないようここまで来てくれたんですか」
「えぇ、直前にこれが足りなかった!となるのと困るでしょう?それにシンオウさまを巡る神話をこの目で見られるんです。見逃すわけがありませんよ!」
「相変わらずだな。まあそうやって各地で神殿とか遺跡巡りをしてくれてたおかげでかなり助けられたんだけどな」

ウォロの趣味と言える知識のおかげで、あかいくさりやシンオウさまに纏わる神話を追えることが出来たのは事実だ。
自分の身は自分で守るからここでショウを迎えるという彼を残して神殿の方へと向かっていく中、最後尾を歩いていたルネとゾロアークに「ルネさん」と声をかけられる。

「ルネさんこそ、危険を承知で来たんですね。今度こそ他の団員と同じくお留守番かと思ったのですが」
「……、自分で自分の身は守るとウォロさんのように強く言えません。ゾロアークが自分で戦ってくれるのに任せてしまって……足手まといであることも分かってるんです」

──自身の欲が人に依存しているからこそのエゴイズム。
ゾロアークでさえルネが危険な目にあうのを避けて同行するのを反対する訳ではなく、セキが不慮の事故で自分の見ていない場所で居なくなった時の方が恐ろしい選択をすることを理解して最前線まで着いてきている程だ。
理不尽で雄大な世界に対する疎外感を、彼女はセキによって十分すぎるほどに埋められた。

「でもショウさんの無事を見届けたいですし、セキさんと青空を見たいですから」

孤独ではなくなって生きてきた彼女は、自分とはやはり違う。
天を仰いで、青をその青空のような澄んだ瞳に写して生きていこうとする。
ウォロはそれを実感しながら、祝福と、彼女に絡み付いた恋慕を表す呪いの意味を含ませて授ける。

「ルネさんは、セキさんに出会えてよかったですね」

セキの見る世界を当然のように信じて、恐怖さえも度外視して危険な歴史の転換点の最前線に居る、本質はともかく普通の人。
手を引いて貰った人に疑いもなく染まり、そのように磨かれる性質のあるルネという女性。
それが、ウォロが見送るシンオウ神殿へと向かう彼女の在り方だった。
歪かもしれない。
しかし、その宝石は彼の手に磨かれて色を写して、輝いていたのだ。

──ディアルガと共にパルキアへ挑んだ彼女はその小さな背中で一歩も引かず、立ち向かい、捕えることに成功した。
崩壊間近だった世界の均衡は保たれ。
空は元の通り、澄み渡った晴れた空へと戻っていた。空に裂け目があることに変わりは無いが、キングたちを稲妻が襲っていた時のような荒々しく禍々しい空気は収まっていた。

「ともに明日を迎えよう。コンゴウに伝わるこのことわざもいいこと言うもんだ。今が、明日が来るって思えるのは、こんなにも気持ちがいいな」
「ふふ、ショウちゃんのおかげですね。皆にとっての明日を守るなんて……こんなに小さい手なのに……本当にありがとう。貴方が居てくれて、貴方と会えてよかった」
「ルネさん……っ、はい……!」

ディアルガという名前だった時間を司る神であるコンゴウ団の信ずるシンオウさまも、シンジュ団の信ずるシンオウさまも、今はショウのボールに入り、共に行動をしている。

──彼女が来たことが原因かどうかは不明であるが、ショウの存在によって、ヒスイの時間は格段と加速した。
そして、そんな今という時間を歩くことが出来る。普通のことのように吹き抜ける少し冷たい風を感じながら、手に息を吐いて温かさを感じられる。
激動の時代を、確かに今まさに生きることが出来ているのだと。
青空を仰いで実感していたルネは、真隣にいたゾロアークが自分の隣からセキの前にゆっくりと移動していたことに気付いて「ゾロアーク?」と声をかける。

「……」
「……ゾロアーク」

何時もはふいと顔を逸らしてセキとの会話を積極的にしないゾロアークだが、ルネの呼び掛けに戻るわけでもなくじっとセキの目を見つめていた。

「ルネを守ってくれてありがとうな。だが、それを言いたいのはオレからだけって訳でもなさそうだな」
「……」
「……認めてもらったって思っちまうぞ?」

それはセキの、ルネの家族への確認だった。
ルネを娶るためにはそもそも彼女と一番長く共にいるゾロアークに筋を通して認めてもらわなければ男として廃ると考えていたセキは今回の件で自分の背中を示せただろうかとゾロアークに問いかけ。
応えるようにゾロアークは、セキの前でゆっくりと行儀よく座った。
まるで、ルネのことをよろしくお願いします、とでも言うように。

「えっ……」
「う、ウソだろ!?あのゾロアークがか!?いや認められるようになるって宣言したのは確かにオレの方だったがあまりにも予想外過ぎて……まてまて悪かったから爪見せないでくれ」
「私も驚きました……ゾロアークがヨネ以外にこんな態度見せるなんて。ふふ、嬉しいなあ」

ルネにとっては今回のヒスイの動乱を収めるために奮闘したセキのリーダー性を漸く、警戒心を持ち続けたゾロアークが認めてくれたのだと胸の奥から込み上げる感動に涙が溢れそうだった。
もっと重く、大きな意味合いがこの一連のやり取りにあったことは、セキとゾロアークだけが知る。

「セキさん、帰ったらコンゴウ団の皆に伝えて、コトブキムラのお祭りを楽しみましょうね!」
「あぁ、そうだな!帰ろう、オレ達のコンゴウ集落に」

晴れわたる青空。
恨み狐と呼ばれた彼は、セキと並んで歩くルネの穏やかな表情を見て、誰にも見られないように。
ふと、幸福を願うように穏やかな笑み浮かべるのだった。