日向雨
- ナノ -

せんげん

空から降ってきたという少女、ショウというまだ子供と呼べる年齢の彼女の姿をルネが見たのは日が傾いてきた時間帯だった。

ポケモンを畏れず、捕まえることも戦うことも臆せずできる子であることは、テルに聞いていたが、ワサビよりも少し年上位の年齢でギンガ団に所属しながらもムラの人からはまだ警戒をされているという話は、ルネの記憶を揺さぶる。

(今ではそんなことないけど……コンゴウ団に来た本当に初めの頃は、そんな視線もあったな。……懐かしい)

イチョウ商会に所属していた父に連れられて色々な土地を訪れてきたし、何度かコンゴウ団とシンジュ団の集落を訪れていたけれど、彼らにとっても自分達にとっても商売相手であり、まさか将来的にそこに所属することになるなんて想像さえもしていなかった。

父が息を引き取ったヒスイの地から。
父が助けたゾロアの故郷のヒスイの地から。
離れたくないという我侭で、イチョウ商会を離れてコンゴウ団に身を置かせてもらうことになったけれど、所属したばかりの頃はコンゴウ団の人にとっては『よそ者だった人』だ。

『あの子は余所者だろう?それもヒスイに来たばかりの』
『それも、ポケモンと一緒だなんて……』

――大人の顔色を窺って。
びくびくしながら、人やポケモンに警戒心の強いゾロアと共に居る子供なんて、ポケモンを畏れている人からしたら不気味にも映るだろう。
子供だからと言って、無条件に助けてもらえるような世界ではない。
父がポケモンに襲われて、ポケモンを助ける為に命を落としたように。

この世界は残酷なのだと、目の前の女の子の歳にも満たない頃に悟って諦めていた。
それでも。

「ねぇ、ショウちゃん」
「は、はい……!」

目の前の大人に何を言われてしまうんだろうと、怯えて揺れている紺碧の瞳。
ショウという少女にはせめて自分のようになって欲しくはないと願ってしまう。
コトブキムラの人が彼女の噂を囁き、怖がっているという空気はこの数時間でも肌で感じられる。
腕にヒノアラシを抱えて、信頼を得るために危険なヒスイの未開の地も調査を行うショウを見ていると、胸が痛むのだ。
空から落ちてきた、なんて夢物語のような噂が取り巻いている彼女の状況を考えれば、全く同じとは言えないけれども。

まるで昔の私の後姿を見ているような気になってしまう。

「辛い時期もあるかもしれないけど……世界は、思ったよりも……残酷じゃないから」

コトブキムラの人にとっては素性の分からない子であり、人間は分からない物に対して好奇心を抱く場合もあれば、恐怖心を抱く。
彼女に対しては、痛い程に恐怖という視線が刺さっているのだ。
その偏見や迫害を、全て取り除いてあげられるだけの力はないけれども。

「何かあったらショウちゃんを助けてくれる人は居るはずだし、私もその一人になりたいから。……とは言っても私、コトブキムラに偶にしか来ない身なんだけどね」
「ルネさんは、私が……その、怖くないんですね」
「昔から色んな土地で色んな人を見て来たせいなのかな。私だって元は外から来た人だし」

今は彼女を助けてくれる人は限られているかもしれないけれど。
彼女を気にかけるテルや、その辺の偏見が少ない筈のリーダーならばきっと。

「だから、何かあったら遠慮なく声をかけてね」

ぽんぽんとショウの頭を撫でて、彼女の腕に抱かれてるヒノアラシの首元を撫でると、ヒノアラシは安心したように目尻を下げて笑った。
泣きそうな顔で大人達と同じように背伸びをせざるを得なくて、懸命に使命をこなしているショウのことをちゃんと見始めてくれる人は居るはずだから。

久々に年下の子を面倒見るお姉ちゃんのような気分に浸りながらも、そろそろコンゴウ団の郷に戻らないと帰った後が少し怖いような気がして、コトブキムラの外へとゾロアークと共に足を運ぶ。
ワサビとの約束の時間が過ぎてしまったけれど、ワサビはウォーグルと共に待ってくれているだろうかなんて気楽なことを考えていたのだが。

「え、っと……せ、セキさん……」
「まったく、案外お転婆というか……ヒナツに聞いてよかったぜ。……帰りはどうするつもりだったよ?」

そこに待っていたのは、ワサビではなく、なるべくなら見付からずに居たいと思っていたセキだった。
もしかしたらワサビならば、結局セキに見つかる未来が見通せていたのかもしれないけれど、こんなにも遅くなってしまった時点で、集落にルネの姿が見当たらないと思われるのも自然だと反省する。

「ご、ごめんなさい、セキさん」
「ワサビと一緒なら安全と言えば安全だから、いいんだけどな。まったく、オレに言わないのは水臭いだろ?何処にもいなかったから、あの空の亀裂といい、神隠しにあったかって一瞬焦ったぜ」

天変地異が起きている中、心配していたセキの手がルネの頬に伸びて、安堵したように大きな掌が熱を伝えてくる。
とくとくと、鼓動が早くなると同時に耳もとで聞こえるその音に、彼の指先から伝わらないだろうか。
彼の優しさに甘えて心配をかけたことを謝る。
そして、ルネは手から伝わる体温に、十年以上前の記憶を思い出して、止まっていた自分の時間が再び動き出した瞬間を脳裏に浮かべるのだった。


セキが乗ってきたリングマの背に乗って、彼に促されるままに彼の身体に腕を回す。
やはり、この時間はどうしたって慣れなかった。
ヨネ達と一緒にアヤシシの背に乗ることもあれば、ヒナツと共にリングマの背に乗ることもある。同じ女性じゃなくとも、他の団員の男性と行動を共にすることだってあるけれど。
セキの背に密着するような距離感に、或る時から平常心ではいられなくなってしまった。

「ルネ以外がコトブキムラに行ったら、あまり歓迎されない雰囲気だからな。単独で行動してるのを見ると心配にもなる訳だ」
「ごめんなさい……私たちコンゴウ団の人がシンジュ団の人を快く歓迎できないけど、個人個人が悪くないように……コトブキムラの人も悪い訳ではないから」
「まぁ、それはそうだな。とはいえ、シンジュ団の長と合わないってのは個人的にもそうなんだけどな」
「あはは……まぁセキさんもそう言わずに」

シンジュ団の長であるカイと顔を合わせれば口喧嘩が絶えない様子を思い出して、ルネは苦笑いを浮かべる。
団の在り方を除いても、子供のような張り合いをする二人の相性の悪さは一目瞭然だ。
直接会話をしたわけではないけれど、カイが悪い子ではないということはルネも理解している。

「人は違う人やよそ者を怖がる……コトブキムラでとある子に会って……コンゴウ団に引き取って貰った時のこと、思い出して」
「ルネがうちの団に来た時期……もう十年以上前になるのか。あの時はゾロアークもゾロアだったな」
「セキさんがまだまだリーダーじゃなかった頃なんて、懐かしいな。私、あの時ギンナンさんに紹介してもらってたのはコンゴウ団だけじゃなくてシンジュ団もだったの」
「……そうだったのか」

今更初めて聞いたルネがコンゴウ団に来ることになった際の経緯に、セキは目を丸くして後ろを振り返る。同意するように、ゾロアークは気まずそうに視線を逸らしていた。
もしもルネがコンゴウ団を選ばなければ。
今こうして、腕を回してくれる人はいなかったのかもしれない。
背中に感じる体温が当たり前ではなかった可能性を考えて、夜明けだった筈の空に再び夜の暗闇に包まれるような感覚になる。

(ルネのことを、誰かが見つけていたら……?誰か別の奴の隣で、ルネが笑ってたかもしれないなんて)

ルネがイチョウ商会、あるいはシンジュ団を選んでいたら。
一人の男として綺麗だけとは言えない恋心を強く抱くこともなかったのではないかと、あったかもしれない未来を思い浮かべて。
何て悪夢だと脳裏に過ったと同時に、セキは無意識に拳に力を入れる。

「セキさんは覚えてないかもしれないけど、私が父さんと集落に行った時、声をかけてくれた同世代の子が居た子を凄く覚えてたの」
「え……」
「セキさんと、ヨネ。父さんが長と商談中、暇そうにしてる私に声をかけてくれたことを覚えてたから。……だから、コンゴウ団にしようと思ったの」

セキにとっては、きっと些細な思い出。
しかし、父も失って孤独になった子供にとって『話しかけてくれた同世代の子が居た』という記憶は、もしかすればこの場所でならば、生きていけるかもしれないとルネの背中を押した。

――きっと、幼い頃の自分は同じ位の年齢の子供に興味を持って、ヨネを引き連れて声をかけていたのだろう。
その行動の一つが、今を紡いでいるのだと気付いたセキは思わず手で頭を押さえそうになる。

「そうだったのかよ。あー……駄目だ、昔のこと過ぎて覚えてないな……」
「ふふ、いいんです。セキさんにとって何気ないことが、私にとって凄く大事に思えたから」

セキが無意識に、自然に、人へ手を伸ばせる人だったからこそ。
道端に捨てられた石を拾って磨いてくれたのだ。


「世界が残酷じゃないって思えたのは……私にとっては、ゾロアとセキさんだったの」


その出会いがなければ、今の自分がこうして自然に笑えていなかったかもしれない。
心に落とした陰に寄り添ってくれるゾロア。
それから眩しい光となって道標となってくれたセキ。
出会っていなければ、色を失っていただろうルネという人間の世界。

だから、もしも道に迷った目をしたあの女の子がコンゴウ団に助けを求めるようなことがあれば、自分が彼らに救われたように、救いたいと願うのだ。
そして、きっとセキもまた彼女のような人を、見捨てはしないだろうという確信があった。

「あぁそうか……どんな意味にせよ、ルネにとってオレが導になってたんだな」

ルネという原石を見付けて、磨いたのは自分であるという認識はあったけれど。
彼女の中で自分という人間がどれだけの大きさなのかという尺度を正確に知ることは出来ない。
声を掛けた、たった一つのその行動が、ルネをコンゴウ団に導く分岐点となったのだ。

コンゴウ団の集落が見えてきた辺りで、ガチグマから降りたセキは礼をしてリングマを普段待機している沼地へと戻すと、ルネを振り返った。
その眼差しがいつもと違うことに気付いたのか、ゾロアークはルネの前に体を入れてセキを見上げる。

「ゾロアーク?どうしたの?」
「……お前が誰に対しても……オレに対しても警戒するのも分かってる」
「……」
「だが、その上でオレが相応しいかどうか、本気で見定めてほしい」

天変地異と同時にヒスイに何かが起ころうとしている今、リーダーとして何かの務めを果たさなければいけない予感がある。
彼女に婚姻を申し込めるような状況でもないことも理解している。

しかし、リーダーとしてどうコンゴウ団を導くのか。どう、ルネを守るのか。
その行動や選択を見て、改めてルネをセキという男に任せてもいいか判断して欲しいという、セキの真摯な言葉は警戒していたゾロアークにも響いた。
ゾロアークはセキを見上げ、静かに頷く。

まさか自分の話とは思ってもいないルネは、セキがコンゴウ団のリーダーとして相応しいかゾロアークに見極めて欲しいということだろうかと文脈からそう読み取り、ゾロアークの背を撫でながら「セキさんほどリーダーに相応しい人は居ないと思うよ?」と呟く。

「はは!ルネにそう言ってもらうに相応しい位にコンゴウ団をまとめて、何かまた異変があったら対処しないとな。しっかし……」
「えっ、セキさんどうして笑ってるんです?」
「いや?ルネに頼りになる男だと思われてんのは気分はいいが……これは、幼馴染だからこそか」

ルネを娶るための宣言。
言い方を変えれば最終審査の申し立てだったなんてことに気付いていないルネにセキは笑い飛ばして、星の瞬く空を見上げるのだった。