日向雨
- ナノ -

らくらい

コンゴウ団を束ねるリーダーとして、変化を望んでいなかった訳ではない。
団の在り方も、そして自分自身のことも。
変えていく必要があるということは重々承知をしていた。
しかし、これまで何かを大きく変えられたかと問われれば、長という古い感じられる呼び名を変えさせたこと位だと言えた。

コンゴウ団とシンジュ団の諍いは、前の長に比べたら無くなったと表現してもいいのかもしれないが、和解などが達成できているかと問われたら、それぞれの信じるシンオウさまの違いで最近長となったコンゴウ団のカイとは口論が絶えない。
ここ二年で作られたコトブキムラのギンガ団と協力しているかと、あまり積極的ではない。
それぞれが個々の組織を作り、横の繋がりは薄く、排他的な在り方をしていると言えた。

「オレも結局まだ変わろうとしてない訳だしな……」

ルネに対して、交際や婚約を申し込むに至っていないのは、リーダーとしての自分がまだ未熟であると認識していることが根底にあった。
ルネに先日貰った新しいコンゴウ式の織物が飾られた壁を眺めて、焦っている自分自身に頭をかく。

──ルネに意識をしてもらうオレ自身がオレを認められるまでに成長しなければいけない。
中途半端な状態で彼女を娶るのは違うだろう。

瓶に入ってた飴玉を一つ手に取って、口の中に放り込み、舌で転がす。
熱で溶かされて、甘さがじんわりと広がっていく。
解けて消えていく前にかみ砕けてしまえば、どんなにいいか。

「甘いな……」


口内に残る甘味に舌を動かしながら家を出ると、コンゴウ団の集落に戻ってきていたヨネの姿が中央広場にあり、小さい子供達に囲まれていた。
昔から面倒見のいい姉貴分だったヨネに子供達が懐くのは何時になっても変わらない光景だ。
ヨネは手をひらひらと降ってゴンべと共に挨拶をしてくれたが、その表情が僅かながらに曇った。

「どうしたの。リーダー、なんか朝から元気ないね」
「……そうでもないっての。いつも通りだぜ」
「ふーん?」

──こんなことを言って誤魔化した所で、幼い頃から見てくれていたヨネにはお見通しなんだろう。
何せ、暫く前からルネへの好意を淡い子供の恋心から将来を見据えた形に認識しなおして、意識をしていることをヨネは知っている。あのツバキでも、何となく察している位だ。
思案して難しい顔をするような案件の半分くらいはルネの件だと、経験則から分かっている。

「リーダーさ、色々考えてるのは分かってるけど、言わなきゃ伝わらないよ」
「……分かってるっての」
「基本的に思い切りがいいのに、そこだけは慎重だよね。まぁ、ルネが"家族"っていうものに少し臆病になってるのは私も分かってる。何せあんな形で親父さんが亡くなるのを目の前で見ていたらしいんだから。コンゴウ団は家族みたいなもんだけど、血縁っていうのは特別だしね」
「ゾロアークが警戒しているのもそういう所なんだろうな。ルネを独りにしないと確信できる人間じゃないと、受け入れ難いんだろ。……正しいよ、ゾロアークはな」

家族を目の前で失って、身を寄せ合うように小さなゾロアと共にまずはイチョウ商会に拾われて、イチョウ商会が別の地方に行く際に、親交のあったコンゴウ団へ預けられることになった。
転々としたルネにとって、そこから家族ぐるみのような付き合いを集落全体でしていたとしても、傷が完全に癒えるわけでもない。
自分自身が家庭を持つ、ということを具体的に考えた時に、その時の記憶がフラッシュバックしたとしてもおかしくはない。

「ま、リーダーのそういう理解と配慮が、ルネにとって救いになってるんだろうけどね」

それは、ルネと親友だという立場として彼女への好意を知っているヨネだからこそ知りえるセキの存在だった。

――変化を望みながらも、劇的な、何かの変化が起きるきっかけを望んでいたわけではない。
だが、ツバキの元へ物資を届けに行ってからたった一週間目の今日。
何時も通りの日常というのは、ある日突然崩れ去っていくことがあると、ヒスイに住まう民の多くは認識していなかった。

突然の天に轟く落雷のような音。
振動と衝撃に、咄嗟に顔を空に向けて息をのんだ。

「な、なんだあれは!?」
「え……!?そ、空が裂けてる!?」

空が裂ける。
その表現が最も適しているだろう。
切り裂かれて人の皮膚が抉られて出来た傷のように、黒い傷が空に出来ていた。
雷などの自然現象を思い浮かべてもあり得ない光景であることだけは、このヒスイに居る人すべてが理解したことだろう。

「い、今の揺れと音は……!?みんな大丈夫!?」
「ルネ姉ちゃん!空!空をみて!」

轟音と揺れに反応して家から飛び出してきたルネとゾロアークは真っ先に子供の様子を確認し、子供が指をさす空を見上げて、他の人間と同じように目を白黒させた。

裂け目が生じているのは空とはいっても、正確にはテンガン山の方向だ。
──何故か、ふとルネの脳裏に過ったのが、一週間前にウォロが見ていた像だった。

「……どうして今あの時のことを……」
「ルネ?」
「……ううん、何でもない」
「何もなければいいけどな。どうもきな臭いな」
「リーダー、ルネ。私は黒曜の平原に戻るよ。今のでポケモン達に異変がないか、確認しないとね」

テンガン山の上──つまりは、神殿がある付近の空。
ツバキの元へ物資を届けに行く際に出会ったウォロからヒスイの地に残る過去の神話に纏わる遺跡の話を耳にしたから、その時の記憶が引っ張り出されたのだろうとそれ以上の思考を止めるのだった。
踏んではいけない影から、足を退けるように。
無意識に。


――空の裂け目という凶兆。
その亀裂は数日経っても消えることはなく、時々雷を鳴らし続ける。
このヒスイに暮らす人の記憶にもない、未曾有の天変地異。
それは着実に、そして急速にヒスイの地を揺るがし始めた。
確認しに黒曜の平原へ戻ったヨネはキャプテンとして自らの管理するアヤシシの様子を確認し、報告を行っていた。
それはコンゴウ団のリーダーとして、セキの頭を悩ませることになる。

「セキさん、あの、ヨネが言ってたことって……」
「あぁ……まだ詳しく確認しきれてないが、ヨネが管理してる黒曜の平原で、シンジュ団のキングの様子がおかしいらしい」
「それはシンジュ団が世話をしているキングをどうにか鎮めないともしかしたら被害が出るってことだよね。でも、そんなことを私たちコンゴウ団が言う訳には……」
「……お前たちのキングが力ずくで止めろって言ったって、まぁ聞かないだろうな。逆にコンゴウ団のキングがそうで、シンジュ団に指図されたら聞かないのと同じだろ。そうなると……オレ達は暫く様子見だな」

シンジュ団の問題であり、コンゴウ団に指図出来ないのは明らかだった。
勝手に異なる派閥のキングを鎮める為に動くのはシンジュ団の敷地に土足で踏み入ることになり、どうにかしろと命令するのも軋轢を生むような状況だ。
空に裂け目が出来てからの異変に、各団が神経を尖らせ始めている中で、各地の調査を行っているギンガ団がどう動くのかも気になる所だった。

(ヨネの所を確認しに行くついでに……コトブキムラも確認しようかな)

ヨネの元へ物資を運ぶ際にもセキと一緒に行くことになっていたけれど、この状況では一人で行くことは出来ない。
かといって、自分の都合に合わせてセキの行動を変えてしまうのはルネの中では無しだった。
他のコンゴウ団の民に、ポケモン達や自分達が世話をするキングの状態を説明しに行ったセキの姿を横目に、ルネはどう動こうかとゾロアークと顔を見合わせる。

「アヤシシ様の背に乗れたらいいけど……アヤシシ様は黒曜の平原に居るし。この間怪我をした手前、大丈夫って断言できないけど、それまでは一人でムラにまで行けてた位なのに……」

ヨネやヒナツの報告では野生のポケモンが何時にも増して暴れていて通行するのにも危険があるとまではいかないが、キングの様子がおかしいように、野生のポケモンがもしも暴れているとしたら、確かに単独行動は危険だ。
居てもたってもいられないけれど、何も出来ない現状がもどかしくあった。

各地域の情報を確認しにコンゴウ団の集落に久々に戻ってきていたワサビがウォーグルを連れてコンゴウ団の集落の入り口へときたことに気付いたルネは目を輝かせて「ワサビちゃん!」と声をかける。
普段は集落の方にあまり戻ってこないワサビの姿はタイミングがいいと言えた。

「丁度良かったワサビちゃん……!久しぶりだね」
「あれれ、ルネ、ムラに勝手に行こうとしてるの?心配性のセキさんに怒られちゃうよ?」
「あ、相変わらず私が何をしようとしてるのか分かっちゃうんだね……えっと、一緒に怒られてくれる?」
「旅は道連れ世は情けだもんね。あたしはムラに入らずヨネさんの所にそのあと行っちゃうけど」
「うん、帰りに拾ってくれるだけで十分。ウォーグルには二人も運ばせるのは申し訳ないけど……」

ワサビとルネの体重なら大丈夫だろうとワサビはウォーグルの背中を撫でる。
基本的にポケモンを畏れているルネだが、各キャプテンが世話をしていることで人と共存できているキングには恐怖心はあまりなかった。セキと家族であるリーフィアやイーブイと同様に。
心の中で「セキさん少し外出してきます」と謝り、ウォーグルに乗ってコトブキムラへと羽ばたく。
鳥ポケモンを連れていないのもあり、風と一体になって大空を羽ばたく感覚というのは非常に慣れないが、肌を撫でる風は心地よかった。

「きっとヨネさんにも『セキさんに心配される』って言われるね」
「怪我をしたのは私だけど、ゾロアークも居るし、一人で雪原に居ることもあるワサビちゃんには何も言わないのにね……ワサビちゃんは勿論強いけど」
「……それはね、ルネだもん」
「え?」

詳しくは語らず笑顔を浮かべるワサビに「どういうこと?」と尋ねても、彼女はそれ以上何も言うことはなかった。
――ルネだから、セキさんはリーダーとしてではなく、セキさんとして心配してるんだよ。
その答えを口にしないのは、何もワサビに限った話ではなく、他のコンゴウ団の事情を知る者もそうなのだから。

ヨネの元へと再び羽ばたいていったワサビを見送ってから、ルネはコトブキムラへと足を運ぶ。コトブキムラの雰囲気はあまりよそ者を歓迎するものではない。
どちらかと言えば排他的な空気も感じられるのは前々から理解していることだが、それでもルネがこうして出入りすることが多いのはイチョウ商会を介した縁があるからだと言えた。
外からやって来た人間に門番は一瞬顔を確認するために身構えたが、頭を下げたルネの顔を確認した門番は静かに門の中へとルネを通す。
イチョウ商会は、コンゴウ団の暮らす凍土の方へと丁度動いていたらしく、彼らの姿は見えなかった。

「あれ、ルネさん!」
「こんにちは、テル君!」

コトブキムラの中に入って来たルネの姿に気付いたラベン博士の助手を務めている少年、テルが笑顔で駆け寄ってきてくれて、ルネの表情も綻ぶ。
人懐っこい少年で、外の人を畏れる所があるムラの人を思うと、彼は面倒見がいい少年と言えた。

「……なんだかコトブキムラもざわついてるみたいだね。あの空の裂け目を見たら誰でもそう思うよね」
「それもそうですし、今だと……その」
「?どうかしたの?」
「この村を歩いてたら耳に入るか……空の裂け目から落ちてきたって子が居て……今調査隊としての仕事を任されてる所なんです」
「空の裂け目から、落ちてきた……?」

──そうして、ヒスイの時間は加速して、動き始めるのだ。