Queen of bibi
- ナノ -

自らの価値観を壊せ


演劇部に入ってから度肝を抜かれたという言葉では説明しきれない。時に神経がすり減りそうになるーーこう表現してもあながち間違いではないだろう。
何せ演劇部の部長をしている日々樹渉と言う三年生は奇想天外な行動に加えて、何でも三奇人と呼ばれる人のうち一人なのだ。驚かしてくる彼の行動に頭を抱えながらもついつい反応してしまうからからかわれてしまうもので、同じ演劇部の一年生、真白友也と共に早速振り回されている。


「はぁ……これ苛めというかパワハラだよ……」
「ごめんなさい、名前さんを巻き込んじゃって」
「大丈夫大丈夫。……まさか衣装合わせをさせるって強制的に閉じ込められるとは思わなかったよね……しかもヒロインって……」
「でも、入ってすぐにヒロイン役抜擢って凄いです!」


微妙そう顔をする名前に友也は首を傾げるが、何故そんな反応をしているのかまでは知る由もなかった。何せ、彼女は演劇科から来たという生徒だ。日々樹もその実力を分かった上で指名したのではないかと思っていたからだ。
しかし、ヒロインをやることも、そして演出や台本を担当しない舞台も初めてだったから名前は戸惑っていた。そして、まるでその戸惑いを知った上で日々樹が敢えて指示したように思えたからだ。


「でも、変なこと言ってたよなぁ……『貴方はヒロインというポジションで"本当に"お客さんの顔を見たことがありますか』とか、『これで成功したら次作はあなたに脚本を任せてもいい』とかなんとか……訳が分かんないって」
「……」
「名前さん?」
「へっ?あぁ、ごめんね。私も演技に関しては平凡だからちょっと緊張して」
「名前さんで平凡って……本当に特に取り得のない俺には苦しい話というか……」
「ううん、一生懸命にあの部長に振り回されながらも付いて行って頑張って、周りを支えてる姿って凄いなぁって思うよ。多分、ユニットでも友也君はそんな感じなんだろうなって思っちゃう位に」


名前の言葉に友也は素直に嬉しそうな顔をして自分のユニット、ra*bitsの話をする。一年生メンバーで基本は構成されていて"可愛い"がコンセプトのユニットらしく、リーダーは何でも小さいけれど頼りになる三年生だと聞いて、ra*bitsのメンバーとも何時か会ってみたいし、何より彼らのステージを見てみたかった。

嵐と話すようになり、そして演劇部に入ったことで漸く名前の交友関係もゆっくりゆっくりと広がっていた。
未だに同じクラスの子で半分以上はあまり会話を交わしたことは無いけれど、同じ部活の北斗をきっかけに同じクラスの衣更真緒という少年やA組の彼と同じユニットの子、そして同じく編入してきたもう一人の女性プロデューサー、あんずと少しずつ話すことも出来ている。同じ女子が居るのは心強いし、彼女はあまり感情が表情に出ない方で真面目な子だが、その懐の広さと肝の据わった意志に頼ってしまう。

アイドルのプロデュースをするという立場なのだから、必死に勉強してサポートをしていかなければ。生徒会を中心に票を入れる形骸化したドリフェスの成績評価を壊す為にも。

アイドル科の授業が一番大切で、部活は同好会程度の位置付けとは分かっているが手を抜くことは出来ない。台本をぱらぱらと捲りながら一年生の教室の廊下を過ぎて二年生の教室へ戻ろうとした時、北斗とすれ違い足を止める。


「あっ、北斗くん」
「苗字か。台本を読んでたのか?」
「家より学校の方が覚えられるような気がして。今回は配役が面白いよね。……」


台本を見て笑っていた名前だったが、ふと一瞬顔に影が落ちたことに気が付いた北斗は顔を顰める。名前が何らかの本音を隠しているように感じたからだ。


「何か言いたい事があるなら、言うべきだと思うが。あの変態仮面に対しても」
「あはは……郷に入っては郷に従えって言うし、アイドル科の演劇部を知る為にも一度あんな滅茶苦茶な人だけど、多少イラっとするけど、付いて行ってみようと思って。……あとは多分、私の為にも」
「……その心がけは良いと思うが、お前は少々真面目だな」
「北斗くんに言われたくないよ……私は良い演劇をしたいし、良い演劇を魅せたい。ちょっと型破りだって引かれるかもしれないけど、学校が求める物だけやるのはつまらないから。アイドル科だって一緒……ううん、もっとそうなんだよね」
「あぁ、だから俺達は変える為に革命を起こそうとしている。やはり、こうも意見が合うと嬉しいものだな。心強い」


彼はアイドルというものに真摯に向き合っていて、表面こそはクールそうに見えながらも内に情熱を秘めている、そんな人だった。向上心もあり、多少生真面目過ぎるかもしれないけれど、演劇に対する自分の姿勢と似ているものを感じるのもあって非常に話し易かった。

昼食時間になり、朝にお弁当を用意してこれなかったのもあって、今日は嵐と共に食堂で昼食を取っていた。
デザートも付いて来るこの日は少しお得だと、スプーンを手に取って美味しいと舌鼓を打ち笑みを零すが、直ぐにその表情からは笑顔が消えて溜息を吐くものだから、嵐は首を傾げる。


「浮かない顔してるわねぇ、どうしたの」
「嵐ちゃん……今度の演劇で何でもヒロインに抜擢されて」
「あら、凄いじゃない!……って嬉しそうでもないけど?」
「あはは……色々、思う所もあってね。ヒロインって初めてだし」
「そうねぇ、そこまでの華があるって感じでもないけど」
「うっ、ご尤も過ぎて反論できない……」


肩を落として溜息を吐く名前に、嵐は苦笑いをしてごめんなさいと謝る。別に彼の評価は間違っていないからそこを咎める気はない。むしろ名前自身も役者としての圧倒的な華があると思っていなかったから自ら進んで脇役を引き受けていた。
ーー名前が思い悩み杞憂しているのはもっと根本的な彼女の問題にあったのだ。

肝心な所を閉口してしまう名前に嵐はしょうがないわねぇと言わんばかりの表情を浮かべながらも、デザートを頬張る名前を見詰めていた。
するとその時、嵐の姿を捉えた彼の知り合いが、彼に声を掛けた。


「鳴上先輩?」
「司ちゃん!食堂に居るなんて珍しいじゃない」
「食堂という文化を知ることも大切だと思いまして。そちらの方は……」


"司ちゃん"と呼んだ嵐に釣られて顔を上げると、そこに居たのはこの学園の男子にしては少し小柄めで幼さも少し残した顔立ちの一年生だった。緋色の髪に紫苑の瞳の少年からは気品さえ漂っている。
そんな彼は名前を見て驚いて目を開いているようで、どうしてだろうかと一瞬疑問を覚えてしまったが直ぐに本来アイドル科には居ない筈の女子だからだと気付いてアッと声を上げる。その前には嵐がプロデュース科について説明していて、理解したのか彼は頷いていた。


「成程、噂には聞いていましたが本当に女性が編入してきたのですね。私はknightsに所属している一年生、朱桜司です」
「初めまして。私は二年生で演劇科から来た嵐ちゃんと同じクラスの苗字名前です。knightsに所属してるなんて凄いね。でも、騎士道ユニットっぽい雰囲気だから凄く合ってそう」


正直な感想に司は僅かに照れたが、まだ自分はKnightsに入ったばかりの新人だし、リーダーの顔も知らない未熟者だ。しかし、そう言ってもらえて嬉しかったのは事実だ。

女性的な部分があるから嵐は彼女と親しくなれたのだろうが、それにしても彼は見ず知らずの人に積極的にお節介を焼くような人でもない。
優しくはあるし思いやりはあるが。気に入って一緒に行動しているということは、この新入生がいい人であるという評価なのだろうと司は納得していた。


「いえ、私はまだまだ未熟ですから。それにしても、演劇科からですか。でしたら演劇部に入っているのですか?」
「そうそう。この子、今度演劇部でヒロインやるんですって」
「それは興味深いですね」
「本当?あはは、嬉しいな。初めて会った子にもそう言って貰えるのって」


初めて2-Bの教室に入った時からすると驚くような変化だった。こんな風に初めて会う人と積極的に話すことなんてできなかったし、後悔や未練ばかりだった。
けれど今は少し、知らない人にも自分の活動を見ていってほしいと前向きに考えられる。しかし、彼の口から出た提案に、名前は目を丸くすることになった。


「その演劇の公演、見に行ってもよろしいですか?」
「いいわね。だったら、アタシの分のチケットも用意してちょうだい!」
「えぇっ!?むりだって!それに、大規模なものじゃないよ?ちょっとした舞台だよ?」
「えぇ、それでも是非。私も一度拝見させて頂きたいです。学ぶという意味でも」


彼の純粋な好奇心に無理だと突き放すことも憚られて、嵐に押し切られる形で名前は遂に頷いた。初めて会ったばかりだというのにどうして返事をしてしまっているのだろうと思いながらも流されてしまったのだ。


「ここで会ったのも何かの縁ですし、今後ともよろしくお願いします」
「丁寧にありがとう。もうちょっと砕けた口調で喋ってもいいのに」
「これは私の癖のようなものですし、先輩ですから」
「そっか……あっ、嵐ちゃんと同じユニットだから大丈夫だよね?席余ってるからどうぞ。デザート美味しいよ」
「よろしいのですか?」
「名前ちゃんが良いって言ってるんだからお言葉に甘えなさい」


どうぞと間の空いていた席の椅子を引こうとすると、司は女性にそんなことをさせるわけにはいきませんと焦ったような顔して名前を止め、丁寧に頭を下げて席に着いた。


そして公演当日ーー煌びやかな衣装を纏った名前は舞台袖でじとりと日々樹を見詰めていた。小さな公演だが、幸い無人客という訳でもなく程ほどに生徒が集まっている。先日優先席のチケットを渡した彼らもきっと来てくれているのだろう。
knightsは個人主義であまり慣れあいの無いチームだと聞いていたけれど嵐、そして少し会話をしただけだけれど朱桜司という少年を見ているとあまりそういう感じはしない。

それは、ともかく。演劇を幾つもやって来た筈の名前にとって今回の事は初めてだったのだ。


「フフ、そんな顔をしていたら主人公に愛想をつかれてしまいますよ?」
「怒りますよ!まったく、直ぐ茶化してくるんだから……」
「名前さん、堪えて堪えて」


友也に宥められ、ううっと唸り気合を入れなおすように頬を叩く。その横顔には緊張感が漂い、北斗はぽんと肩を叩いた。


「……随分と緊張した顔をしているな、苗字」
「北斗くんは平気そうな顔してるよね。……私、この景色を、初めて見るんだ」
「?どういうことだ……?」


その真意が一体何だったのかーー全て気持ちに整理してから伝えたいと困ったように微笑むが、日々樹は意味深に微笑むと「楽しみましょう、楽しませましょう!」と出演者に声を掛ける。何気なかったかもしれないその一言が、どれだけ名前の背中を後押しをしたのかーー日々樹は知らないふりをしているのかもしれない。

開演を知らせる音と共に幕が上がり、名前は舞台へと飛び出した。


四十分程の演劇が終わり、会場は拍手に包まれる。前の方の席に座っていた嵐、そして司も手を叩き、感心していた。
日々樹の性格はともかく、彼の演技力は素晴らしいのは勿論だし、北斗もそうだ。短い演劇とは言っていたけれど、クオリティは高く、そしてヒロインを務めた名前の演技も本人が過小評価をしていた程ではなかった。


「演劇科とは知ってたけど、何だか別人みたいだったわねぇ」
「……Marvelous、その一言に尽きます。失礼な評価かもしれませんがご本人以上に何というか、周囲がheroinである彼女によって引き立てられている、そんな印象でした。けれど、素晴らしいstageでした」
「華が無いっていうのは言い過ぎたかしら?でも、やっぱり不思議ね。どうして演劇科を止めて来たのかしら。希望してたって訳でもなさそうだから訳ありなんでしょうけど……」
「……最後の笑顔、素敵でしたね」
「あらあら、上出来すぎる口説き文句ねぇ」


司にとっては深い意味も無く呟かれただろう言葉だったが、名前にとって舞台挨拶で見せた笑顔は大きな意味を持っていたのだ。


ーーあぁ、初めて笑えた。

舞台挨拶を終えて袖に戻った名前は高揚を抑えきれず頬を押さえて、笑みを浮かべる。今までの価値観からすると完璧な演劇だとは言えないだろう。でも、こんなに楽しかった演劇は初めてだったのだ。人々の顔が良く見えた。
そんな彼女を出迎えたのは日々樹だった。そして彼は手を叩き、amazing!と声を張り上げる。


「よく出来ました、名前さん」
「ぁ……」
「今日の貴方は昨日までの貴方より輝いていたことでしょう!人々を見て、共演者を見て……楽しむことが出来た。次の公演の脚本と演出は貴方に任せましょうか。勿論!私のチェックは入りますけどね!」
「……っ、ありがとうございます、日々樹部長」
「おやおや、デレ期が早くも到来しましたか?」
「……前言撤回します」


『名前は鬼監督だよね』
そんな言葉を言われた意味があの頃は分からず、舞台では怖いーー凄いけどもっと楽しみたいと言われても完成度を高めようとしていた。けれど今なら彼らの言いたかったこと、そして自分の過ちが分かるような気がするのだ。
人の顔が、舞台に惹きつけられている顔が見えた。楽しんでいる同じ役者の顔が見えた。

服に着替え、片付けをする前に来てくれていた嵐と司に挨拶をする為に飛び出てきょろきょろと辺りを見渡すと、立ち話をしている二人を見付けてほっと胸を撫で下ろす。


「ありがとう嵐ちゃん。あと、司くんも!来てくれてうれしかったよ」
「いーえ、私たちこそいいもの見させて貰ったわ。いい笑顔だったわね」
「うん、ちょっとだけ吹っ切れたかな。……私、舞台にも立ってたけど専門でやってたのは脚本と演出でね。今回は違うんだけど」
「そうだったんですか。でも、素晴らしい公演でしたよ」
「あはは、ありがとう、司くん。アイドルを輝かせる舞台を整える……それは私が演劇でやってきたことと違わない。プロデュースにも役立てられるように全力を尽くそうと思って」


一つ皮が剥けたような晴れ晴れとした気分だった。出演者ーーアイドル達も楽しめるような素晴らしい演出をすることで初めて完成できるし、むしろ完全な物なんて存在しないのだ。限界が、ないのだから。
改めて来てくれてありがとうと丁寧に礼をする名前に、司はふっと微笑んで名前に手を差しのばした。


「親しみの意も込めて、お姉さまと呼んでもよろしいですか?」
「……えっ?お姉さま?」
「えぇ!」
「ええっと……」


どうしようと助けを求めるように嵐に視線を送るが、彼は末っ子ちゃんだから甘えたいのよと耳打ちをしてきたから、戸惑いながらも頷いてしまう。少し変わった呼び名だとは思ったけれど、後輩にそう親しまれるのは少し嬉しくもあった。