Queen of bibi
- ナノ -

迷子のプロローグ


彼女の作りあげる舞台は人々を惹きつけるーーただし、出演者以外は。

そう謳われた少女は自身にとっては輝いていた檀上を降りて、憂鬱そうな不安げな顔で彼女にとっての非日常の舞台に上がっていた。

夢ノ咲学園という場所のアイドル科は他の科と比べても特異な学科だった。関係者以外は立ち入り禁止で、他の学科との交流も無い。公式のライブ映像は何度か見たことがあったが"元演劇科"である名前には同じ学園と言えども遠い世界だと思っていた。数日前までは。
碌に思考も働かず、流されるままに自己紹介をして新しい教室へと足を踏み入れた名前は自身が置かれている状況に軽く現実逃避さえしていた。


(……どうして、こうなったんだろう……)

周囲を見渡しても男子しかいない。それも、アイドルやモデルとして世間で活躍している、或いはまだ原石である青年達だ。アイドル科には男子しか居ない事は知っているし、女子がそこに混ざるなんてことは有り得ないのだ。
二年生である苗字名前がここに居る理由はただ一つ。学園側から演劇科から新たに新設されるという学科の試験運行の為にプロデュース科に変更を要請されたのだ。ほぼ、強制的に。

何故自分に白羽の矢が立ったのか。全く理解できなかった。
演劇科で一年生のチームではあったがコンクールで審査員賞を貰った所まで、演劇の道は順調だったはずだ。
アイドル科に入り、芸能界で活躍する彼らは本当に輝いているとは思うが、彼らに近付きたいという子なら他にも沢山居た筈だ。名前は演劇科でもっと多くのことを学びたいと思っていたのに、突然その道が断たれてしまったのだ。これに虚無感を覚えずにいられるだろうか。

教師が自分がこの2-Bというクラスに編入してきた訳を説明をしてくれていたが、突き刺さる視線は興味以上に、白に黒い染みがぽつりと出来た"異物"を見るようなものだった。それは名前自身も自覚していたし、余りに肩身が狭かった。
ーーだって、アイドルユニットを組んでいる彼らをプロデュースなんて、一体何をすればいいの。脚本を書いて出演者にそれを伝えて練習していくのとはまた違う。それしかしてこなかった私に、なにが。

同じクラスの人を見ると寝ている子や、やけに姿勢のいい子達、モデルのような子ーー如何にも声を掛けたら邪険にされそうな子。月並みの言葉ではあるが、全員アイドルとしてのオーラと言うものがある。

「これで、今日の授業は終わりです。それぞれ復習しておくように」

午前中の授業が終わり、休み時間になって人の目に耐え切れなくなって飛び出すように教室を出る。一人ぽつんと廊下に立ち竦み、天井を仰いで溜息を吐く。

「馴染んでいかなきゃいけないのは、分かってるけど……」

同じ学園な筈なのに、環境があまりに違い過ぎる。先ずどうやって彼らと会話をすればいいのかーープロデュース科の学生として何をすればいいのか。頭がぐちゃぐちゃになっている状態だった。

そんな名前に「転校生ちゃん」という声が掛かり、この非現実的なような日常がことんと音を立てて動き始めたのだ。目を丸くして名前は顔を上げ、その声を掛けてきた人を見上げる。


「え……」
「あらあら、何だか本当に迷子の子みたい。アタシ、同じクラスだけど分かるかしら?」
「……は、はい……綺麗な人だなって、思ったので、顔は覚えてました……」


誰かが声を掛けてきた、格好良い人だけれどアタシという一人称に女性的な喋り方ーー色々と急激な情報に混乱していたが、咄嗟に出て来た言葉は素直な感想だった。
綺麗な人、という言葉にその人は上機嫌に笑って頬を押さえる。女性的な仕草だけれど、それも凄く様になっているのだから驚く。ついついもう一度「綺麗……」と呟くと、彼は更にご機嫌になって名前を改めてまじまじと見つめる。


「ふふっ、そんなに緊張しなくてもいいわ。新設されたプロデュース科に来た女の子……何でも、演劇科から来たそうね?何だか戸惑って困ってるみたいだから流石に見てるこっちも心配で声を掛けちゃったわけ」
「……ぁ」
「アタシは鳴上嵐。お姉ちゃん嵐ちゃんでも何でもいいわ、宜しくね」
「わ、私、苗字名前って、言います!あの、宜しくお願いします……!」
「なぁんだ、ちゃんと可愛く笑えるじゃない。んー、それにしても敬語はクセかしら?」
「あまり使わないけど、緊張して……」


だったら敬語は必要ないと微笑む嵐に、名前は泣きそうな気持ちになりながらも必死に頷き、漸く笑顔を見せた。
「お昼ご飯中に色々と教えて話してあげる」と提案してくれた彼の厚意に甘えて教室へと戻り、お弁当を持って彼の席に移動して食堂へと向かって今は居ない生徒の椅子を借りる。


「あら、唐揚げ!大好きよそれ」
「本当?ちょっと冷めてるけど、よかったら、どうぞ……!」
「うーん、人のお弁当を貰うのは流石に気が引けちゃうけど」
「これから仲良くなれたらな、ってお近づきの意も込めて」


控えめに笑いながら唐揚げを嵐に渡すと、彼は人見知りしてるみたいだけどやっぱりいい子ねぇと呟き、お礼を言って唐揚げを頬張った。幸せそうに微笑む彼はやはり絵になるとぼんやりと考える。


「アイドル科については分かってるかしら?」
「一応、要項は読んできたから分かってるつもりだけど、やっぱり実際に見て見ないと分からないよね……ドリフェスにもランクがあって、それが成績に直結するって聞いて」
「そう、その通り。生徒会の出来レースみたいになってるけどね」


生徒会の出来レース。その圧倒的な違和感に名前は瞬いた。しかし、この夢ノ咲ではそんなことは当たり前だったことを思い出して視線を落とす。

型にはまった物を求められ、それが評価に繋がり今後の芸能人製さえ左右してしまうから学園が良いと設定したものにならなくてはいけないーーそんな風潮があったのは確かだ。アイドル科は、演劇科に比べてより強いようだが。
名前もそんな流れを身をもって体験してきた訳だったが、名前は演出に関しては自分の感性に従って舞台と言うものを作り上げて来た。学園で求められているものではないとしても、頑として譲らなかったのだ。

それがこの学科に編入した原因の一つだとは、どこかで分かっているけれど。


「そういえば、演劇科から急に来たのは何か訳があったの?」
「えっと……」
「……あら、ごめんなさい。話し辛かったことなら今は言わなくていいわ。今日は部活見学するのかしら?」
「あっ、そういえば部活!新しく入らないといけないこと忘れてた……演劇部ってあるの?」
「あるけど、……。まぁ、実際に見て見ればわかるわ!」
「あれ、今の間って……」


微妙な反応をした嵐に一抹の不安を覚えながらも、やはり演劇に関わっていたいという思いが強かったのもあって、演劇部に入るという気持ちは既に固まっていたのだ。ただ、その演劇部に居る人間がどんな人かと言うことまでは考えられていなかった。


「そういえば……嵐、ちゃんはどのユニットに所属してるの?」
「アタシは『Kinghts』に所属してるわ。一応強豪ユニットよ」
「あっ、聞いたことある……!知り合いが好きだって言ってた気がする」
「ふふっ、嬉しいわね。どうせなら名前ちゃんが好きだって言ってくれた方が嬉しかったけど」
「あぁっ、ごめんね……!あの、私、演劇とか舞台ばっかりでアイドル詳しくなかったから……!」


慌てるように弁解をする名前に、嵐はふふっと笑って同い年なのに後輩みたいと感じていた。
「今度見たいな」と呟いたが、名前はアイドルを見たいという好奇心ではなく、単純にアイドルであり学生である彼らのことを知りたいという感情から自然と零れた言葉だった。それを嵐も感じ取ったのか、目尻を下げて「今度案内してあげるわ」と答えた。

しかし同時に疑問も沸き上がる。どうして彼女は演劇科からプロデュース科に来たのだろうかと。
言葉を濁して言い辛そうだったから追求はしなかったが、クラスに入って来てからの浮かない顔といい戸惑っていた様子といい希望した訳でもなさそうだから、妙な話だ。


「いい刺激を与える為にも本当に一度『S2』辺りのドリフェスを見てもらった方がいいかもしれないわね。もしかしたらアタシ達のユニットだっていずれ名前ちゃんにプロデュースしてもらうかもしれないし?」
「うーん……私にプロデュースなんて出来るのかなぁ……ここに来た以上は自分に出来る事を精一杯やってみようと思うけど。そのためにはやっぱり皆のこと知らないとね」
「うんうん、その意気よ」
「この学科に来て不安だったけど、嵐ちゃんと知り合えて本当に良かった……!」
「なぁに、可愛いこと言うんだからこの子は!」


漸く気持ちを楽にして話すことが出来たとはにかむ名前に、嵐も嬉しそうに笑顔を見せる。他人の目からしたらさながら女子友達、或いは姉妹の様に映るのだから少しの違和感はともかく微笑ましい光景だった。
彼との出会いがきっかけで後に自分を慕ってくる後輩に出会うことになるとはこの時の名前はまだ、知らない。