Queen of bibi
- ナノ -

Queen of bibi


舞台の上の独善的な女王。人のことを考えられない鬼監督。
そう呼んだのは誰だったか。
あぁ、それは全て間違っていなかった。確かにそれは自分の過去であり、側面であった。どれだけ後悔しようとも、決して変えることのできない事実は糧にすることしか出来ない。時は不可逆的なのだから。
しかし、その過去があったからこそ――きっと、希望という光に惹かれたのだろう。立ち止りそうになった足を進めて、誰かの背中を押すようなことをしたくなったのだろう。

決してあの日々は無駄ではなかったのだ。今なら、自信を持って演劇科で出会った友人たちにもそう言える。


ジャッジメントを終えて、学院全体に変化の波紋は広がっていく。かつて強豪と謳われていたKnightsの作曲家であり、リーダーが帰って来たことは他のユニットにも影響が出るし、彼と比較的親しかった人達にもまた破天荒に振り回されるという意味で影響が出ている。
戻って来たと言っても神出鬼没なのはいまだに変わらず、集合時間になっても迷っていることも多いレオに対して、泉がまるで母親の如く説教をする様子も今では当たり前のような光景だ。あの日ばかりは嵐も限界を超えてステージに立っていたし、凛月は活動時間を早める努力をしてステージに立っていた。
しかし、今ではすっかり元通りだ。嵐は何時も通り程ほどに、を信条としているし、凛月も元の生活時間になっている。ただ、間違いなく彼らはこれまで以上に、Knightsとしての活動に楽しさを見出しているし、王様も揃って活動できる喜びを感じているようだった。


「おーい、名前ー」
「あれ真緒くん?どうしたの?」
「よっ、ちょっと頼みごとがあってさ」
「真緒くんに何かを頼まれるなんて珍しい……!」
「おいおい、俺だって誰かに何か頼む位するって。もうそろそろハロウィンも近いし、あんずと一緒に担当して欲しいと思ってさ。生徒会も人手不足なんだよな〜」


2-Bの教室で声をかけてきたのは、クラスメイトの真緒だった。まだ十月は始まったばかりだが、今月末に控える大規模なドリフェス、ハロウィンが迫って来ていることを思い出して、首を縦に振る。一般客も多く来るイベントだから責任は重大だ。ジャッジメントを通して、英智からも特に装飾や舞台の設置に関しては有難くも太鼓判を押してもらっている。
大きな仕事を任せてもらえるのはプロデューサーとしても非常に嬉しいことだ。ハロウィンに意気込む名前の姿に、真緒は「俺達のプロデュースも今度して欲しいけどなー」と本音をぽろっと零し、目を丸くした名前は笑顔を浮かべて勿論だと頷いた。
この後Knightsのレッスンがあることを知っていた真緒は、凛月にせがまれるだろうからと言って炭酸を渡してくる。


「あはは、真緒くんからって言っておくね」
「おう、アイツのお守りは任せるぜ」
「えぇ、私には凛月くんのお守りはしきれないし、真緒くんには敵わないよ」


彼の我侭を引き受け続けられるのも、彼が我儘を言えるのも真緒だけなのだから、と告げると、真緒は気まずそうにそうかもしれないなと苦笑いしながら頭を掻く。人のお世話を焼きたがる真緒の性質と、基本的にやる気が無くて甘えたい凛月の性質が合っているからこそだろうし、幼馴染としての仲があるからこそだろう。
真緒から受け取った炭酸を手に、名前はKnightsが集まっているというレッスンルームへと向かう。扉を開けると、早速泉の怒鳴り声が聞こえて来て、名前は固まった。


「だから!そこに書くなっつってんでしょぉ!?」
「えーっと……?あれ、レオ先輩がちゃんと来てる。珍しい」
「あら、遅かったわね、名前ちゃん。連絡入れても見てないからって泉ちゃんが今日は首根っこ掴んで連れてきたらしくて」
「そうなんだ?あぁ、壁に書こうとしてたんだね……」
「あっ、お疲れさまです、名前さん。お待ちしてましたよ」
「うん、お待たせ司くん」


名前が来たことに気が付いた司は、嬉しそうに駆け寄ってくる。以前はこういったレッスンがある日以外は、他のユニットとの打ち合わせや部活もあって違う学年ということもあって、なかなか毎日会うことは無かったが、今ではちょっとした時間でも顔を合わせることが増えている。
けれど、一応周囲に関係の変化を話していないこともあって、あまり人前では解りやすくしないように努めているつもりだ。
ペンを取り出して壁に音符を書き連ねようとするレオの姿に、何時かしたように、名前はメモ帳を取り出して彼に手渡す。


「レオ先輩、これ使ってください」
「あぁ、名前来てたの?もっと早く止めてよねぇ」
「そんな無茶な!」
「おお、ありがとう!何時も名前はメモ帳とかペンくれるよな!大好きだ!」
「……Leader……」


レオの口癖のような大好き、という言葉にぴくりと反応した司は、名前からメモ帳を受け取るレオを不満げに見詰める。後輩らしい嫉妬深さに、凛月はにやにやと笑いながら「ス〜ちゃん、妬いてるんだぁ?」とからかう。
彼女が実に多くのユニット、生徒から慕われているのは分かっているし、以前の自分はその一人だったからこそいちいち妬くべきではないとは分かっているのだが、それでも悶々としてしまう。


「そうだそうだ、凛月くん。これ、真緒くんから凛月くんに渡してくれって言われたんだけど」
「え?ま〜くんが?名前に今日頼もうと思ってたけど、俺が好きな炭酸をくれるなんて、俺とま〜くんはやっぱり以心伝心……」
「危うく私が凛月くんにパシリにされる所だった……あっ、司くんも作って来たお菓子もあるから、頑張ってね」
「!はい、楽しみにしています!」
「ス〜ちゃん、食べ過ぎると太るよ」
「その分はlessonで消費するつもりなので大丈夫です!それに、名前さんの作った物なので太るなんてことはありません」


別に司の体形は名前からすると気にするほどでもないし、自分の食べる物に関してはストイックな泉が居るから余計に間食をし過ぎると太ると言われるのだろう。
本人も多少気にしているようではあるが、家では決して食べられないようなスナックや駄菓子を食べるのにハマっていて、一度懲りだすととことん追い求めてしまう性格だから簡単には止められないということだった。
気にしているのにお菓子を作って来てしまう自分も悪いのだけど、気にしているなら今後はなるべくヘルシーな物を用意してあげようと考えていると、浮ついた様子のメンバーに溜息を吐いた泉が名前に声をかける。


「はいはい、そろそろ始めるよ。頼むよ、プロデューサー?」
「っ、はい!」


そう声をかけて来た泉の表情は優しく、プロデューサーと認めてくれるまで最も時間のかかった人が、プロデューサーとして信頼してくれている。
その事実に喜びを噛みしめながら名前は今日のメニューを皆に告げるのだった。


――この日、鞄に二つのお弁当箱を入れて来た名前は嵐に断りを入れて、ガーデンテラスへと足を運んでいた。「司くんと待ち合わせしてるんだ」という言葉は偽りではないが、その意味合いがこれまでの先輩と慕って来る後輩とのただのお昼ではなくて、カップルのデートに変わっていることを知っている者は居ない。けれど、微妙な関係の変化を、二人の様子を見て嵐は多少察しているのだろうか――微笑ましそうに笑って「司ちゃん、喜んでそうねぇ」と声をかけて送り出すのだ。
そして彼の予想は的中するもので、先にガーデンテラスで待っていた司は名前の姿に満面の笑顔を浮かべる。


「お待たせ、司くん」
「いえ、私も先程到着したばかりですので。どうぞ、こちらへ」


席を立ち上がり、名前が座る椅子をわざわざ引いて座らせてくれる辺りがやはり紳士的で、妙なくすぐったさを感じながらも椅子に座る。彼女だからしてくれる、という訳ではない。彼は元々相手を敬い、紳士的に接する人なのだ。時々子供っぽかったり、正直になって口が悪くなる時もあるようだけど、そこもまた司らしさで、彼の魅力の一つだ。


「そうそう、大したものじゃないけど……良かったら食べて」
「あぁ、また名前さんのお弁当が食べられるだなんて!また食べたいと我儘を言った甲斐がありました!贅沢なことですが、これも彼氏の特権というものでしょうか……!」
「つ、司くん!」


名前が司の目の前に取り出した彼に作って来たお弁当に興奮した様子で目を輝かせる司だが、流石に羞恥心も募る。彼氏の特権。
あの日以来、後輩と先輩。アイドルとプロデューサーだった二人の関係は大きく変化した。とても自分では釣り合わないと思ってしまうようなこの少年が、彼氏だなんて、正直言って信じられなかった。ジャッジメントの日、家に帰って何度頬を抓ったか分からない。けれど、抱き締められたその感覚も、そして唇に残る触覚も――全て、確かに本物だった。

時々食堂を利用しているようではあるが、彼が普段食べている昼食の豪華さを知っていると、自分のお弁当の質素さに頭を抱えたくもなるが、本を読んでなるべく鮮やかになるように努力はしたつもりだ。彼の家のシェフとは違って、祖母に教えてもらいながら覚えた家庭料理だが、以前それを彼は美味しいと言ってくれた。


「以前、名前さんのお弁当を頂いた時は、慕っているお姉さまの手料理が食べられた、と興奮していましたが……えぇ、今ではその感情も違うものになっていますね。愛すべき貴方の手料理を頂けるのですから、嬉しくないわけがありません」
「……ま、待って……司くんは、その、狡い……」
「もしかして、照れているのですか?」


それなら嬉しいです、と何処か大人びた慈愛に満ちた表情ですらすらと愛を囁く司に、名前はキャパシティをオーバーして顔を押さえて羞恥心に頬を染める。元々、後輩として好きな先輩に対しても口説き文句のようなことを言う少年であることは分かっていたのだが、それを彼女という立場になった今されるのは心臓に悪いのだ。
しかし、朱桜司という少年は、案外計算高くもある。純粋なお願いを装って、名前に「一回でいいので名前さんに食べさせてもらいたいのですが」と問いかけると、当然先程以上に慌てた様子で名前は無理だと首を横に振る。
だが「一回でいいので……」と懇願してくる彼には勝てず、控えめに「あーん……」と呟いて、司のお弁当に入っていたおかずを挟み、名前は箸を司の口元に持って行く。ぱくっとミートボールを頬張った司は、幸せそうに表情を綻ばせた。


「美味しいです、何にも代えがたい程に美味しいです」
「そっか、……うん、それなら私も嬉しいな」
「私がして貰ったのですから、今度は私にもさせて下さい」
「えぇ!?」


いいよ、と断ろうとするのだが、既に卵焼きを箸で掴んで差し出されており、これで拒絶するのは寧ろ申し訳ない気がして、羞恥心を堪えて口を開ける。味に集中出来ないまま、気を紛らわせるように咀嚼する。何だか彼のペースに振り回されているような気もするが、それもまた新鮮だと感じるのだ。
年下らしく甘えてくるのも可愛いものだなんて思っていると男性であることを意識させられることも多いから、ただ可愛いばかりの少年では無いのは今では十分理解している。


「レオ先輩が帰って来たことでKnightsの勢いも強まり、連日のliveも大変ながら非常に有意義で充実した時間になっていると感じます。けれど、それも先輩達だけの力ではなく、名前さんのお陰ですね」
「私は何もしてないよ。王様が戻って来たこともあるけど、皆の個々の力が合わさって、ユニットとして強くなってると思うから」
「いえ、それも名前さんが私たちの衣装やstageを整えてくれているからですし、今では時間がある時は全員の練習も見て下さってますから。今度、名前さんが用意してくれるstageは、私だけではなく、Knightsの皆さんが楽しみにしていますよ」
「そう思ってくれると嬉しいな……そんなこと、このアイドル科に来て初めて言われたことだから」


貴方の作る舞台が楽しみ――そんな当たり前のことを言われる喜びを知るのは、皮肉にも演劇科を出た後のことではあったのだが、アイドル科で彼らと出会えたことが如何に幸福な事だったかを噛みしめる。
演劇部の繋がりで北斗と友也のユニットと親しくなり、初めてクラスで声をかけてくれた嵐と親しくなったことでKnightsのメンバーに出会えた。皆に舞台が楽しかった、と言って貰えるだなんて、これ以上に無い褒め言葉だ。
彼らのお陰で、自分も相手も楽しむステージを作り出す魅力を知った。そして、この先もそんな舞台を作り上げていきたいと願うのだ。


「そういえば今度演劇部の舞台があるとお聞きしましたが、鳴上先輩と一緒に見に行っても構いませんか?駄目元で瀬名先輩達にも声をかけてみますが」
「いいけど、私、今度の舞台は脚本担当メインだから脇役だよ?」
「例え役が脇役であろうとも、その舞台全体は名前さんが手がけた作品でもあり、演者全員が楽しむことのできる舞台です。真の意味で『舞台の女王』だと思いますし、私にとっては誰にも勝る主演ですよ」
「……ありがとう。何時も、そうやって演劇科だった頃の私も認めてくれて……私はそのお陰で、過去を振り返りながらも前に進めるから」
「私こそ、名前さんに何かしたという自覚はあまりないのですが……私が真の騎士になることが出来たのも、あのデュエルも、ジャッジメントも、名前さんが居たからこそですし」
「あはは、お互い様なのかな?」


お互い、相手を支えているという自覚も無かったけれど、前に進むための支えになっていたことは確かなのだ。だからこそ、お互いを必要として、今のような関係に変わっているのだろう。
あの花火大会の夜、自覚してしまった恋心は散らせてしまうべきだと思い込んでいたが、今では、自分を想ってくれている彼の感情をも踏みにじってしまう独り善がりな考えだと分かるのだ。

お弁当を食べ終わり、ガーデンテラスで販売している紅茶を飲んだ司は、丁寧に「ご馳走さまでした、非常に美味しかったです」と感想を述べる。
しかしレッスンの時に持って来てくれるお菓子と言い、このお弁当と言い、何時も彼女に作らせるのは申し訳ないと感じた司は提案する。自分はお菓子を作れないが、彼女が喜んでくれるお菓子を用意することは出来る。紅茶を淹れることは出来る。それが精一杯のもてなしだろう。


「今度は私に紅茶とお茶菓子をご馳走させてください、名前さん」
「本当!?司くんの淹れてくれる紅茶凄く美味しいから楽しみにしてるね!」
「今後は何時でも、名前さんの好きな時に淹れますから」


愛おしそうに名前の手を取って指先に口付ける司に、名前は今後も騎士然としたこのスキンシップには毎回緊張してしまいそうだと頬を紅潮させて「疲れた時は、何時でも頼んじゃおうかな?」と悪戯に答える。司としては名前に頼られるのは願ったり叶ったりだと頷いた。


崩壊していく玉座を追われた女王と、希望と輝きを持ちながらも雛鳥だった騎士は、その存在に出会ったことで愛を学んだ。未来へと歩んでいく支えを知った。

桜舞う季節に出会い、夏の陽射しが照り付ける青空と夜空の下でそれぞれが恋心を自覚し、秋の黄昏落ちる空で道は交わった。
この先何かが起ころうとも、騎士は女王の傍に仕え――そして、一人の女性を愛する男性として愛を囁くだろう。

女王と呼ばれてしまった少女は、漸く自覚したのだ。
自ら失った立場を、自らの過ちを責める人に嘆くのではなく、その過ちを胸に刻みながらも他者を幸せにすることも、鼓舞して共に剣を取ることも自分には出来るのだと。


彼女の周りにあったのは、一年前には無かった、自分を含めた笑顔だったのだ。