Queen of bibi
- ナノ -

愛と敬意の曖昧な線引き


※時間軸は適当なバレンタインデー。


各アイドル校が同時に行うバレンタインイベント、ショコラフェスーー名前も前日、朝早くから学校に来て準備に励んでいた。自分がプロデュースする訳ではないが、学校全体での催しなのだから気合も入る。
午前中にステージがある各ユニットが今日チョコづくりの練習をすると言っているから、それまでに衣装作りを進めてしまおうと考えて教室に鞄を置いて、衣装用の布が入った鞄を持って、ミシンの使える部屋へ移動した時。


「おはよう、名前ちゃん。あらあら、なんだか朝から忙しそうねぇ」
「おはよう嵐ちゃん!あはは、衣装作りが残ってるからね。嵐ちゃんは明日チョコ作るの?」
「えぇ、Knightsは午後のステージ……その前に作ろうと思ってね。作れない子達の面倒を見ようと思ってるんだけど、名前ちゃんもどう?」
「北斗くんに前々から頼まれてたから一応参加するつもり。Knightsの皆は……司くんはともかく、皆料理美味いから教える側も出来るよね。あー、凛月くんは別」
「あの見た目の物を食べようと思うとなかなか勇気がいるわよねぇ。味は申し分ないんだけど」
「お客さんにグロテスクな物体を渡さないように監視お願いね……明日は多分物販に駆り出されるし」
「頑張り過ぎはダメよぉ〜?そういえば、名前ちゃんはチョコ作るつもりなのかしら?本命ってやつを」


少しからかうように、期待を込めて嵐は名前にそう問いかけたのだが、名前は特に動揺することも無く笑って違う違うと否定をする。
拍子抜けというより、今の返事を聞いてがっかりする人が一体何人いるのだろうかとぼんやりと考える。詳しく把握しきれている訳ではないが、取り敢えず自分のユニットの内一人は確実に反応するだろう。


「本命と言うか、皆にお世話になってるしその分は個人的に作ろうかなーって。でも個数凄いことになるよね。うーん、おばあちゃんに手伝ってもらうにしても、終わるかなぁ……」
「ウフフ、義理チョコってやつね。こう、名前ちゃんはハッキリしてて清々しいわねぇ」
「あはは、"お世話になりましたチョコ"だよ。でも嵐ちゃんには皆のよりとびきり可愛く仕上げようかな。入って来た時からお世話になってるし、可愛く仕上げても喜んでくれそうだし!」
「あら嬉しい!お姉ちゃんを乗せるのが上手ねぇ。アタシも名前ちゃんにあげるチョコは可愛く仕上げるわね」
「嵐ちゃんが作るチョコって絶対可愛い……よしっ、私も衣装を前もって作り始めてたのもあって今日の夕方からチョコづくりに励めるし頑張ろっかな」


後ほど調理室に集まることを約束し、名前はじゃあねと手を振って調理室へ向かった嵐を見送り、立ち止ったままぼんやりと「本命かぁ…」と呟く。
しかしふるふると首を横に振り、自分自身に呆れ返った。自分は未熟ながらも彼らを支援しサポートするプロデューサーという立場であり、この学科の人達は皆アイドルだ。その前提を忘れてはいけないのだから。


ーー翌日、家でチョコを用意してきた名前は大きな紙袋を複数手に持って学校へとやって来た。この中にはチョコ以外にも衣装も入っているのだから非常に重たい。
教室に一旦持って行こうかと考えていた時、携帯に連絡が入る。誰から来たのだろうかと思いメッセージを開くと、それは凛月からだった。朝からちゃんと料理を彼もしているのは珍しい限りだ。凛月に呼ばれた調理室近くに向かうと、エプロンを付けた凛月が出て来ていた。


「凛月くんが炭酸買って来て以外の連絡くれるなんて珍しい……って、なに?その手に、ある、もの……」
「名前、あげるよチョコ。ちゃーんと目を瞑らないで食べてよね?」
「えっ、ちょっと待ってそんなグロテスクなチョコ目を開いて食べるの無理無理!わー、口に持って来ないで!あとで食べるから戻して!」
「そう言って食べなかったりするじゃん。ほら、あーん」


無邪気な笑みを浮かべてチョコを差し出してくる凛月に目を逸らそうとするものの、口元にチョコらしきものを持ってくるのだから避けられず、恐る恐る口に含む。
口を開けた瞬間は息を止めていたが、見た目さえ見えなくなってしまえば食べられるのだから不思議だ。凛月は自覚していないようではあるが、自分が凛月の作ったものに対してこういう反応をすると分かっているからか、楽しまれているような気がする。


「うっ……あの、味は、味は美味しいんだけど……」
「もっと欲しい?」
「大丈夫だから!いやでもこの凛月くんのよく分からないグロテスクな形のチョコを真似して日々樹部長に渡せば……」


それこそ日頃の"お返し"が出来ると拳を握るのだが、水を差すように凛月は仕返しされそうだねぇと呟く。日々樹に日頃振り回されているお返しをしようとして上手くいったことがこれまで一度も無いことを名前も自覚しているからひくりと口元を引き攣らせる。


「それで?俺にチョコのお返しは?」
「……今日の凛月くんすごく当たり屋っぽい。ふふん、ちゃーんと用意してあるんだから!」
「ん、ありがと。ふふ、いい子だね。はい」
「いい子って……しかもラッピングだけ返されるし……」


ラッピングを開けてチョコだけ取り出し、要らなくなったラッピングを返されて非常に微妙な気分になる。いや、彼もラッピングなどせずに冷え固まって作り立てらしいチョコを直で持って来たのだが。
凛月らしい猫の顔の形の型で作った丸いチョコを見て、凛月は満足げに笑ってそのチョコを一口で食べる。美味しいと微笑み口の端を舐める凛月の褒め言葉についつい嬉しくなってしまう。
そういえば、今調理室でKnightsのメンバーがチョコを作っている筈だ。ステージ後でもいいと考えていたが、今渡してしまうのもいいかもしれないと調理室に誰が居るか尋ねると、凛月はうーんと唸る。


「今は入っちゃダメ」
「え、なんで?」
「くまくん、まったく作業中にどこ行って……あぁ、アンタと一緒だったか」
「あれ、セッちゃん。俺にあんまり作らなくていいって言ってたの撤回?」
「それは撤回しないし面倒増やさないでよねぇ。あぁ言っておくけど、今準備中だから調理室に入って来ないでよね」
「凛月くんにも言われたのでそれは大丈夫ですけど……」


エプロンを着用した泉が凛月を探しに来たようで、凛月の姿を確認して彼が何をしていたのか察したのか溜息を吐く。そして凛月は名前の手首を掴んで泉に向かって手を伸ばした。
それはまるで泉に何かを要求するような手で、名前も目を丸くして凛月を見上げる。そして予想通り泉は怪訝そうに顔を顰めていたから顔を逸らしたくなった。この凍るような視線に睨まれると何時も生きた心地がしなくなる。


「セッちゃん、チョコないの?」
「はぁ?名前に渡す分は無いよ。ゆうくんに渡すんだから」
「でしょうね……でも瀬名先輩のは美味しそうですよねきっと。……見た目も」
「あぁ、くまくんの食べたんだ。よくあんな見た目のもの食べたよねぇ。ま、口直し程度の欠片ならあげるよ。恩を売っておくのも大事だよねぇ」
「瀬名先輩相変わらず……でもありがとうございます」
「……お礼とかチョ〜意味分かんないんだけど」


最近では彼のこういう文句だとか小言は本気半分、照れ隠し半分だと気付き、言われても左程真に受けなくなったのは自分でも成長したように思える。
しかし理由が恩を売る為と言われて受け取るチョコも怖いもので、泉が一度調理室に引き返した際に逃げたいと凛月に訴えたのだが「面倒見られる役の俺に面倒見させないでよね」と文句を言われる。きっかけを作ったのは凛月なのに、とても理不尽だ。

泉から貰ったチョコの欠片を恐る恐る頂いたが、料理上手と聞いていただけあって欠片と言えども美味しかった。ただ今後このチョコの恩でどんな要求をしてくるのか分からないので、お手柔らかにお願いしますと言う意味も込めてチョコを渡すと「普通だね」と返された。
結局調理室に行けなかったから他のメンバーには渡すことは出来ず、物販を手伝いに向かった。Ra*bitsとTrickstarのステージがやっているから見に行きたくもあったが、来場者を対象にした物販もこのイベントにおいて大事だ。

前半のイベントが終わり、名前も休憩が漸くもらえたのでステージを終えたばかりのRa*bitsの元に駆け付けた。しかし既にそこに残っていたのはなずなだけで、首を傾げる。


「に〜ちゃん、他の皆は?」
「創ちんはアルバイトに向かって、光ちんはチョコ渡しに行って、友ちんはTrickstarの方に行ったぞ。名前も今物販の手伝い終わった所なのか?」
「そうそう、やっと休憩貰えたの。前半のステージ見たかったなぁ……あっ、はい、に〜ちゃんにプレゼント!」
「へっ、くれんのか!ありがとな〜」


なずなにチョコを渡すと、待ちきれないという様子でなずなは袋からチョコを取り出して目を輝かせる。正直言って買った型のお陰だが、綺麗に出来たと胸を張る。ウサギの形をしたチョコにはホワイトチョコで顔が描いてあるのだ。


「Ra*bitsの皆をイメージしてみて兎の形にしてみたの。自信作!」
「へー可愛く出来てんじゃん!あっ、この四つ、皆の雰囲気を顔にしたのか?これが俺っぽいな〜このキリッと格好良い感じ!」
「頼りになるに〜ちゃんっぽいでしょ!イチゴ味に出来たらよかったんだけど流石にそんな技術は無かったんだよね……」
「へへ、その気持ちだけでも嬉しいし、ほんとにありがとなっ!」


喜んでくれた様子に名前も上機嫌になる。ステージを終えたばかりのTrickstarの面々にお疲れさまでしたという意味を込めてチョコを渡しに行く。
後半のステージを見て回り、バレンタインステージで歌を披露しているKnightsの演目に間に合ってほっと一息を付く。プロデュースをしている立場だとなかなかこのペンライトを振る機会が無いからこそこうして参加できるのが楽しかったのだ。しかし全てのユニットのスタンプは物販をしていた為に集められていないので、直接貰うことは出来ない。
Knightsメンバーがチョコを渡し終えて戻ろうとしている所を見付けて、手を振ると名前の姿に気付いた嵐が司の肩を叩く。だが彼の表情はどこか優れず、考え込んでいるようにも見えた。


「あら、来た来た!お姉ちゃんの特別なチョコ、あげるわ。はいっ」
「本当!?ラッピングも可愛い〜!」
「とびっきり可愛く仕上げたから楽しんで食べてちょうだい」
「じゃあ私もお返しお返し!嵐ちゃんに渡せてなかったから渡したかったんだよね。スタンプ集めてないのになんだかズルしてる気分……」
「ウフフ、何時もお世話になってるもの。これ位は当然でしょう?アタシの為に可愛く仕上げてくれたなんてやっぱり可愛いアタシの妹分ね」
「ふあぁ……俺のも、もう一個いる?特別なやつ」
「凛月くんの特別って見た目に難があるってことだからいいです……」


嵐とチョコを交換して喜んでいると、泉は俺の時と反応があからさまに違うのがウザイと文句を言って来るのだから凛月の後ろに隠れようとすると、こちらからも「めんどくさいから俺を盾にしないでよ」と文句が飛ぶ。
そんな中、何時ものように会話に混ざってくる事も無く黙っている様子の司を不思議に思って声を掛けようとしたのだが、顔を上げた彼は名前の目を真っ直ぐ見詰めて切り出した。


「お姉さま、私は後でお渡ししても宜しいですか?すぐに持ってきますので、調理室に来て下さると嬉しいです。お手を煩わせてしまいますが……」
「え?うん、いいけど……」
「ありがとうございます」


笑顔を見せる司に漸く何時もらしい彼を感じてほっと一安心をする。
一足先に教室の方へと戻った司の背中を見送りながら、嵐は何故か頬を染めて「恋する男の子っていいわねぇ」と呟く。紳士的が故に女性心には鈍い彼だが、少しでも自覚をしているのなら楽しいものだ。なにせ名前をその為に調理室に来ないように伝えたのだから。

司の妙な様子に疑問を覚えながらも、名前もチョコを持って調理室で待っていた。もう少し早く渡す予定だったのに、気付けばもう夜も近い夕暮れだし、Knightsの他のメンバーには、居なかったリーダーの月永レオを除けば渡し済だったのだが未だ司には渡せていなかった。
こういっては何だが、彼の性格を考えるとこういう一般的なイベントをあまり知らないのもあってはしゃぎそうだと思っていたのだが。
ぼんやりと考えながら待っていたのだが、扉が開く音が聞こえてきて振り返る。

「お待たせ致しました、お姉さま」

チョコを取りに行っただけのようで、司の格好はショコラフェスのステージ衣装のままで、着替えていないようだった。
そして彼はラッピングのされた綺麗な箱を取り出して、司は丁寧に腰を折って微笑んだ。


「私からのValentine presentです。僭越ながらこのchocolateは私の手作りです」
「あ、ありがとう……料理したこと殆どないのに、作ったの?」
「少し鳴上先輩や瀬名先輩に手伝って頂きましたが。本当は一人で作ろうとしたのですが、私一人で作らせると危なっかしいと言われてしまったもので」
「あはは……司くん料理ちょっと苦手だから心配してくれたんだね。でもファンに渡す用のチョコも上手く出来てたみたいだし、手伝えなかったから心配してたけど」
「そちらに関しては手伝って頂いて有難かったのですが、これだけは自分で作りたかったので、お姉さまが調理室に来ないよう凛月先輩に頼んだのも私です。すみません……少々形が歪なのもお許しください」
「え……?」


初めて聞く事実にぽかんと口を開けてしまう。凛月と泉に調理室に来ないようにと念を押されていたが、それはあくまでもKnightsがファンに対してのチョコを作る為の雰囲気づくりの一環だと思っていたから特に気にはしなかったが、違和感は覚えていたのだ。
それが司が頼んだのは何故か。それを考えるよりも前に、司は答えを出した。

「ふふ、名前さんに渡すものは私の本命ですから」

どうしてこんなに、狡いんだろうか。

紳士的が故に喜んでしまうような言葉をくれる彼に結局は一番振り回されているのではないかーー顔を真っ赤に染めて手で顔を押さえて項垂れる。例え形が歪だとしても、こんなに心の籠ったチョコレートはないだろう。
こういう時ばかり名前を呼ばれるのも、羞恥心で顔が熱くてどうにかなりそうだとショートする思考の中、整理して落ち着く時間が欲しいと後ろを向こうとしたのだが、目線を追わせるように膝を折って目を合わせて来た司は紳士的に、しかしどこか好奇心を抑えきれない少年の様に瞳を揺らして問いかけて来た。

「私にもchocolateを頂けますか?」

この声音に、ふわふわとしていた体が落されたような気分だった。

真面目だけれど子供らしい所もある甘え上手な彼をつい甘やかしたくなってしまう。ただ司はそれを自覚していないのだからやはり振り回されている気がする。
名前は言葉をぐっと呑み込んで、用意してあったチョコを司に渡す。それを満面の笑顔を浮かべてリボンを外す手つきも丁寧で、見ているこちらが緊張してしまうのだ。
チョコを一つ手に取って口に含んだ司は余裕のない名前に気付いていないのか、チョコを味わっていた。その時間が名前には非常に長いもののように思えた。


「Marvelous!とても美味しいです。何時も頂いているお菓子も美味しいですが、より一層に。心が籠っているからでしょうかね」
「よ、喜んでもらえたならよかったけど……」
「これが本命のchocolateかどうかは今はお聞きしませんが、名前さんの本命となれるよう未熟者ながら精進致しますね」


ーーあぁもう、完敗だ。

携帯に連絡が入ってブレザーのポケットの中で振動していたが、それに気付かない程に鼓動が耳の奥で煩く跳ねて響いていた。