Queen of bibi
- ナノ -

午後七時のふたり


王は、帰還する。
置き去りにした心と意志と、そして夢を、問いかける。秋の黄昏を後に、駒は王に問いかける。
全て何もかもを悟ったように、諦めるのは早過ぎるのではないかと。古い遺産として王座を壊すのではなく、新たな王城を築きあげることで、Knightsは真の意味で歩み出すことが出来るのだろう、と。
寧ろこの日を迎える為に、それぞれが剣を磨き上げたのだろう。

遅過ぎた。もう取り返すことは出来ない。
それはただの勘違いだ。諦めだ。
ならば、未来を指し示す光を王に見せればいい。眩しさに目が眩んだとしても、瞑ったとしても、もう二度と彼の心を壊すほどに追い詰めて、手を引くことを止めはしない。

月永レオが一方的に他者を愛していたのではない。仲間は、友は、彼を愛しているのだから。


――Knights十八番のデュエル形式のドリフェスとはいえ、何時ものようなライブをさせてはもらえていなかった。デュエルでは負けなしのKnightsがここまで苦戦を強いられているのは、このドリフェスを見に来ているファンにとっても衝撃の光景だろう。

一つの大きな分岐点を今まさに見届けているのだ。彼らを知り尽くした王の采配によって、騎士たちは満身創痍で戦っている。
普段は余裕や自信を具現化したような青年の瀬名泉が額に汗を浮かべて必死に食らいつく。
何事も程ほどが信条である鳴上嵐が格上の相手だと理解していながらも、諦めるのではなく限界まで自身を追い詰める。
楽をして勝てるならば上々、幼馴染以外の他者の為に動くことは極力避けていた朔間凛月が後輩である希望の光の為に、覚悟の上で黄昏の空の下で全力を出す。


「君たちの手札はもう殆ど出たと思うのだけど、限界なんじゃないかい?」
「まったく、エッちゃんってそういう所厭らしいよねぇ……」


三人目の凛月が出てくる事で二人では限界だったパフォーマンスにも変化を付けたのだが、凛月の策を読んでいたナイトキラーズはほぼ同時に英智を送り出した。
Knightsの持ち曲は限られているし、向こうはレオが居る限り無限に曲は生み出される。
しかし、彼らも即席のチームで戦っており、短い練習時間でそれぞれが同じパフォーマンスを続けていると綻びが出てくる。個々の歌やダンスが凄くても、同じようなパフォーマンスを避けようとすると次第に統一感が崩れてくる。その限界まで、三人は剣を振るい続けるのだ。
英智の指摘は当たっている。もう限界だ。凛月を加えて同じ曲で違うダンスをしたとしても、それは目新しさのないものだ。ぶっ続けでダンスをしながら歌う体力も尽きて来て、足も震える。


「あぁ、悔しいけど否定はしないよ。けど、アンタたちだって限界だ」
「ははっ、違いない。俺たちもその位は自覚してる」
「Knightsが強豪って呼ばれてるのを体感してる気分だな」
「あら、よく言うわ……ここまで追い詰めておいてね?」


始まってからずっと動き続けているなずなが愛らしさを見せながらも跳ねる様子に、関心しながらも嵐は汗を煌めかせてステージを舞う。

王さまが作った曲は、歌えない。歌もダンスもあまり得意とは言えなかった青年は、彼の愛情を感じながらも必死に努力を積み重ねて来た。
視線の先に、王はいない。
本当は俺が連れ戻せたら――なんてことは、言わない。何せ月永レオを追い詰めたのは、優しい彼に狂気を混ぜてしまったのは自分だ。だから焦がれていたとしても、自ら彼に手を伸ばしたところで届くことは無かった。
多少、悔しい所もあるのかもしれない。けれど、寧ろ口煩くて生真面目で子供っぽい後輩――落ち目のKnightsに希望と夢を膨らませて目を輝かせて入って来た彼ではなければ、あの孤独に耳を塞いで壊れることで全てを守るしかなかった王さまには響かない。

「これは元々かさくんと王さまの喧嘩だからね。俺達はその舞台を整える。それが俺達に出来る最善の策だよ」

それは全員の総意だった。
手の内を晒されて、ライブを引き延ばされている。普段のKnightsの持ち曲ならば気にすることでもないのだが、用意している曲は学院から支給されたものばかりで今回は限られている。
常に勝利をしてきた実力があるからこそ自信満々な彼らだが、この最後の一曲で本当に限界だと自覚していた。
出来る事なら王さまとの対決を任せるだけではなく、助けたい思いもあるが、この強力な助っ人を相手にしてそれは叶わないし、王さまは自分達のことを知り尽くしてしまっている。

そんな先輩達の騎士としての勇姿に、名前は息を呑む。司は拳を握り締める。優雅にステージを舞うだけではなく、時にはその剣を血に染めながらも戦場で誇り高く命を賭して戦い続ける姿はまさに騎士の矜恃を体現していると言えよう。
司の耳に木霊するのは、俺達の屍を超えて未来を掴み取って欲しい――そう満足げに告げて、ジャッジメントのステージへと向かった凛月の言葉だ。
あぁ、この日の為に、朱桜司という少年を俺達は大事に育ててきたのだ。この希望の光を、あの王さまに見せる為に。
凛月はそれを確信したから、劣勢である状況を悲観することなく、まだ陽の射す戦場に降り立った。


「……本当に、凄いね。どっちにも圧倒されるくらい……」
「はい。こんなにも危機的な状況だというのに……何故か、私もあの舞台に立ちたいという逸る気持ちがあるのです。先輩達の騎士としての姿は私にとって、やはり目指すべき目標です」


自分が舞台に立つ時は、恐らく今舞台に立っている全員が立ち去った後の剣突き刺さる荒野だろう。だが、その地に眠る意志は全て受け継いでいる。
レオとの一対一の対決が怖くないと言えば嘘になる。最も経験が浅く、若輩者である自分の敗北によってKnightsの命運が決まるのだから。
だが、可能性がもしも零ではないのならば。例え無様な姿を見せようとも、勝機に縋り付いて戦い続けることを司は誓っていた。


「……司くん。私、このジャッジメントをただの内部粛清だとは思ってないの。だから、レオ先輩に言われた通りにこのステージを準備もした」
「名前さんは、そういう方ですよね。えぇ、私たちKnightsのことを応援し、共に歩み、愛して下さっている。そして、貴方に導かれているのですよ」
「ううん……私じゃないよ。司くんが居たから、私はこのステージを間近で見てるんだよ。私はその場所を準備したんじゃなくて、飾っただけ。だって、私も時を動かしてもらった人だから」


嵐と出会ってから交流関係は広がり、TrickstarやKnightsのメンバーと出会ったことで、演劇科の時代から足を止めてしまった自分の手を引いてもらえた。
劇場におけるエゴイストは、レオと違って壊れる直前でその舞台から強制的に離脱させられた。だからと言って、全てが元通りになった訳ではない。壊れる直前の危ういバランスのまま、時間が止まってしまった。

しかし、ここでの仲間との出会いでゆっくりとセピアな世界は色を取り戻し始めた。今までに見たことのない程に鮮やかに、煌びやかに。
その世界を再現しただけだ。そんな色を与えてくれた彼らの為の舞台を自分なりに返していただけだ。

ジャッジメントのステージを考案したのも、Knightsの存続をかけた舞台だから力を入れたという訳ではない。
王さまであるレオを含めたKnightsの可能性を感じ取った名前がそのイメージをそのままステージとして表現しただけなのだ。醜い争いなのではなく、王の帰還と、騎士たちの奮戦を華やかに彩る王城を作り上げたかった。


「やはり……Trickstarの方々の革命が切っ掛けですか?」
「え?……あはは、司くんってそういう所がちょっとずれてるよね?Knightsの皆が思ってることでもあるけど、私も司くんと会ってから、自分を好きになれた気がするし」
「……」


目尻を下げて微笑む名前の素直なその言葉に、司は思わず息を呑んだ。

過去の自分を恥じた。過去の行いを恥じた。
結局は自分の為に人を動かしていた独善的な女王であった自分は不要な物だったのだと考えたこともあったけれど、そんな名前という人間までを否定する必要はなく、認めてあげていいと言ってくれた。
舞台で焦がすその情熱も美しいものだと称えてくれた。苦しい時は声を上げていいと言ってくれた。

それは朱桜司という少年だからこそ、彼女に与えられたものだ。
――彼女の中でそれ程までに自分という存在が大きくあるのなら、自惚れても――遠慮しなくても宜しいでしょうか。


「……名前さん、我侭を言ってもいいでしょうか?」
「なあに?」


不思議そうに首を傾げる名前に、この人は口説き文句を言っているのでもなく、本当に思ったことをただ口にしているだけなのだろうとは分かったが、だからこそ胸の奥に響いた。
名前の手を取って、司は騎士が忠誠を誓うようにその甲に口付けた。ただ、その口付けの意味合いは大きく異なる。
敬愛する仕える女王ではなく、彼女は愛すべき女性への誓いだ。始めこそは、Knightsを導いて騎士を鼓舞する女王だと思っていたというのに、時の流れと感情の変化というのは時に大きな変革をもたらすものだ。


「つ、司くん!?」
「我々の勝利を信じていてください。例え勝機が見えない戦いだとしても、私はLeaderを連れて戻ってきます。そして、戦地から戻って来た後には……私の、最大級の我侭を聞いて貰いたいのです」
「……うん、勿論。何も出来ないけど、せめてお帰りなさいって言えるよう、ここで祈ってるよ」


その我侭が一体何なのか、それを現時点で名前が知る由もない。けれど、舞台袖で行ってらっしゃいと彼の背中を押して、帰ってきた時にはお帰りなさいと迎えること位は出来る。
彼女の支えを感じながら、司は視線を舞台に移し、丁度曲と全員の動きが止まった所で、そのステージに向かってゆっくりと歩き始める。

もうこれ以上は戦えない――泉たちは汗を拭いながら、舞台袖へと戻って来る。気を抜いたら倒れてしまいそうな位にはぼろぼろだが、こちらに向かって歩いてくる司に、満足げに笑みを浮かべる。


「頑張ってよ、ス〜ちゃん」
「アタシ達の想いも全部託すわ」
「あのバカに思い知らせてやりな。騎士の一員としてね」
「はい……!」


すれ違い間際に掛けられた先輩の声を胸に、司は黄昏に色付くジャッジメントステージへと王として降り立つ。その背中は幼く未熟な子供ではなく、一人の騎士として華を咲かせた頼もしいKnightsの希望だった。

――初めからこのジャッジメントは司とレオの喧嘩から始まった。
レオのやり方を気に入らないと不満を抱いた新入りの不服を、王は正面から受け止めた。レオは強力な助っ人を呼び寄せた者の、確かにこの戦局を読んではいたが、全知全能の神ではない。
だから、レオは最後の心残りであるかつての愛すべき仲間達の居るKnightsに一度戻って来た。過去の自分と同じ道をたどる様な在り方を続けているのなら、愛を持って壊そうと。

けれど、司という新しい希望を得て、Knightsの在り方は大きく変化していた。だから、レオとしてはもう心残りは無かったのだ。
Knightsはもはや自分の物ではなく彼ら自身の物であり、自分という王を排除する為に内部粛清を行う。

「私は、未だに未熟者。貴方と一騎打ちをしても、勝てる気がしません」

けれど勝利の可能性があるのなら全力を尽くす。
例え無様に地面に膝を付けることになろうとも、最後まで騎士として剣を手から離すような事はしない。そして、自分に負けたら何でも言うことを一つ聞くという約束を守ってもらう為に。
マントを翻して、司は改めて漸く帰還した王に、丁寧に挨拶をして自分の名前を名乗ったのだった。


そんな様子を舞台袖で見守っていた名前は、音楽がかかり、それぞれがステージでパフォーマンスを始めた姿を祈るように見つめる。
レオに負けて欲しいと思っているのではない。真の意味で帰って来て欲しいと思っているから、司の勝利を願うのだ。先陣を突っ切った先輩達の戦いを無駄にしないよう、全てを先に繋げていく為に。
これは玉座を壊す戦いではないのだ。王の帰還を、騎士達は迎え入れて再び忠誠を誓う。だが、以前とは異なり、その忠誠には仲間意識という温かい縁があった。
生温い――確かにそうかもしれない。けれど、Knightsが躍進した源はそんな家族の絆と言えるようなものだ。


「お疲れさまでした、瀬名先輩、凛月くん、嵐ちゃん」
「結果は上々とは言えないけどね。でも、そんなアタシ達を迎えてくれてありがと」
「あーあ、楽に勝てないとは思ってたけどさ。相打ちで終わらされるなんて面白くないよねぇ」
「ここまでは向こうの予想通りって感じ。ここからだよ、本当に誰にも予測できないのは」
「あぁ、あとはかさくんと王さま、キング同士の一騎打ちだ」
「……きっと、大丈夫」


司ならば、きっと。彼が掴んでくれるだろう勝利を信じて、固唾を呑んで見守るのだ。


ジャッジメントステージに流れている司が歌い上げる曲は確かに既に一度聞いた曲である。
しかし、王同士の一騎打ちの緊張感と、一年生ながら覚悟を持って優雅に堂々とパフォーマンスをするその気迫に圧倒され、それは見飽きたものではなくなる。寧ろ他の騎士達が見せていた物とはまた違う可能性に惹きこまれる。
レオが生み出す音楽は、人の心を揺さぶる。次の曲は一体どんな曲だろうか――そんな好奇心を駆り立て、Knightsの王として過去、君臨し続けた、刺すような威圧感や自分の世界観に惹きこむ戦場慣れしている彼の魅せるものは鮮烈だ。

けれど、今のレオにはまだ観客の声は分からない。どんなに良い音楽を紡ごうとも、どんなに努力を重ねて歌と踊りを披露しても、最終的には誰も見てくれなかった。疎まれた。恨まれた。
彼が作り上げた物が観客にどのような波紋を生み出すのか――そんなのはもうすっかり遠いものになってしまった。
獅子の瞳に何時も映るのは客席のライトではない。
剣を構える自慢の騎士達と、目の前で剣の錆になる屍となる実力不足なユニットだけ。
もうそんな記憶しか残っていなかった。本当は、友と思っていた人達が自分の曲を喜んで使ってくれることが、瀬名泉が満足するものを与えられるのなら、それで楽しかった筈なのに。

「はは、お前面白い、面白いな!予想外な事ばっかりだ!訳が分からない!だからこそ面白い!」

食い下がってくる司の予測不能なパフォーマンスに、レオは純粋な子供のように笑みを浮かべる。
自分が唯一知らない新入りの、ライブ中に進化する少年の可能性があまりに眩しく映った。予測不能、なんて自分の代名詞だが、寧ろこの少年のような可能性を秘めた人間のようなことを言うのだろう。

「流石は我らが王ですね……Leader!」

王として蹂躙する為にレオも血を流しながらも全力でこのステージに挑んでいる。今のknightsを叩き潰すという目標も失われた訳ではない。
だというのに――頭に浮かんでくるのは自分達ナイトキラーズの曲ではなかった。今日この場で、今まで目にしてきた騎士達の為のメロディばかりだ。

あぁ、あいつらの曲を書きたいと思ってる自分が居る。この新入りが見せ付ける新たなKnightsに、いつの間にか魅了されて呑まれているのだ。
過去の遺物である俺は必要ない。そんな感情と矛盾するような、俺ならもっとこいつらの為の曲が生み出せるという思いが胸を占める。

幾ら即興なダンスが得意と言っても、歌も踊りもブランクがあるレオには、自分の曲を歌い上げるのも、もう限界だった。声が、震える。正しい音階が、紡げなくなる。
曲を作るのが好きで、自分が歌うのはあまり好きではない。そして、誰かに歌ってもらうのが好きだった。
意志とは別に身体は動き続けるが、脳の奥が酸欠状態のように痺れて白く染まっていく。
踊りと歌が乖離していく。声が割れて、上手くもない歌になっていくのが分かる。それでも目の前の少年は、自分との生死を賭けた死闘以上に、ライブを楽しんでくれているのだ。
――あぁ、こんな輝きに負けるなら、本望だ。

がくんと折れた膝は、そんな戦いの終止符を打つ瞬間だった。ゆっくりと、孤独な王の玉座は崩れ去っていく。静止した世界は、音を立てて変化していく。
再び立ち上がろうとするけれど、全く力が入らない。司が目を開いて驚いている様子が見える。

「あーあ、お前の勝ちだよ」

そこに悔しさは滲んでいるが、それよりも清々しさが勝っているような気がした。限界まで競い合い、食らいついて来た新入りの騎士を素直に称賛していた。
やはり古い自分は新しい可能性に敗れるべきものであるのだ。声は枯れている。足は震えている。
これでもう本当に、心残りは無い。敗者は立ち去り、Knightsを見送るだけだと、目を閉じて冷めやらぬ興奮を噛みしめていたのだが。
汗を拭って乱れた息を整えた司は、ステージに座り込むレオに近付き、その手を伸ばす。


「そうやって、自分を要らないものだと決めつけるのは身勝手というものです、Leader。……私は、始まる前に二言はありませんと確認しました。私が勝利を収めたら、何でも言うことを聞いて貰うと」
「あぁ、言ったな。言った。名前を覚えてもらいたいんだっけな……朱桜司、立派な騎士の一人だよ」
「漸く名前を言ってくれたことは嬉しいですが、それではなく。……帰って来てもらいますよ、我らが王」


あぁ、まさに完敗だった。
伸ばされた手を取ることの出来なかった、過去の壊れた自分に戻るのではなく、再びKnightsの王として羽化する為に。司に伸ばされたその手を取り、レオは立ち上がった。
その顔に浮かぶ笑顔は、愛されたことを自覚した一人の少年のものだった。

――こうして、身内の恥を晒すのではなく、王の帰還の晴れ舞台となったジャッジメントは幕を閉じたのだ。


興奮冷めやらぬ一時が過ぎた後、観客も、出演者も立ち去ったステージは静まり返り、星が煌めく夜に映える古城のようだった。
けれど、もう王の居ない寂れた城ではないのだ。その王権は復活したのだ。

ステージの片付けが行われるのは明日であり、この風景が見られるのは恐らく最後だろう。
未だ心臓が煩く跳ねて、目を瞑れば騎士たちの戦いが鮮明に浮かんで来る。その余韻に浸るように、名前は帰る時刻を忘れて一人、無人になったステージを眺めていた。
今頃、Knightsのメンバーはレオを迎えていることだろう。司以上に綻んだ顔を見せた泉たちの表情が目に焼き付いて離れなかった。泉が彼を家まで送り届けるのだろうか――なんて事を考えていた時、後方で足音がして振り返る。


「ここにいらしたんですね、名前さん」
「司くん、着替えてなかったの?何かね、ここから離れたくないなぁって思って」
「ふふ、私も同じ気持ちです。まだ少し、余韻に浸っていたかったのですよ」


今日という喜ばしい日の、余韻に。
名前は司を見上げて、先程まで舞台に立っていた時の表情とは違って気を緩めていることに気が付く。あの舞台に実際に立っていた司の方が感じるものがあるだろう。


「司くん、本当に凄かったよ。うん、思わず見惚れる位に。自分がイメージしたステージで、こんなにいいライブを見られるなんて幸せだよね」
「……私は未だ未熟者ですが、騎士の一人として漸く認めて頂き、羽ばたくことが出来ました。私におかえり、と声をかけて下さってありがとうございました」
「自然に出た言葉でもあったけど……約束したからね」


晴れやかながらも全てを出し切って放心していた司にかけられた言葉は「お帰りさない、お疲れ様」ただそれだけだった。
本当に凄かった、やったね、なんて、ジャッジメントでのパフォーマンスに対するありきたりな感想を述べることは出来なかったのだ。そんな言葉では片付けられないようなものを見せてもらったし、Knightsの仲間の方が話したいことが沢山あるだろうと判断して、ジャッジメントが終わった後も彼らと移動するのではなくて、見に来てくれたお客さんの誘導を行っていたのだ。

しかし、司としても名前がお帰り、と迎えてくれて、お疲れ様と労ってくれただけで、それまで緊張していた糸が切れたみたいに笑顔を見せた。戦場に出た騎士の無事を祈ってくれた女王で、愛するべき人。どれだけ心配をかけて、信じてくれていたかが分かっているからこそ、その重みを司は知っていた。


「……名前さん。私が勝利をしたら、我侭を聞いて欲しいと言いましたよね?」
「うん、それ位は勿論!また違う衣装作って欲しい、でも、レッスン減らして欲しいでも何でも聞くよ」
「名前さんとのレッスンを減らすのは私としてはマイナスなのですが……では、遠慮なく。今なら、私も後悔せずに言えますから」


一体どんな我儘を彼は要求してくるつもりなのだろうか。それは分からないけれど、Knightsの新しい未来を紡いだ彼が望むものは無理がない程度ならば叶えてあげたいというのが、先輩としてではない名前個人としての想いだった。
司の瞳は細められ、あどけなさの残る少年ではなく、一人の男性として表情そのものだった。一瞬で変わった雰囲気に気付く。名前の目に映る彼の姿は、ステージに立っていた時の輝きとは違う魅力を放っていた。
アイドルとしての彼はKnightsという仲間に愛され、そして観客に愛され、愛を返す存在だ。しかし、今の彼は朱桜司という個人であり、自分だけしか見ていないのだ。
その状況がむず痒くはあったが、一線を保ったまま、親しくいるだけで十分幸せだったというのに。

この少年は、いとも簡単にその距離を壊すのだ。


「名前さん、私は貴方を先輩としてではなく。女王としてではなく。一人の女性として好意を持っています」
「――」
「貴方のことが好きですよ、名前さん」


音を立てて、全てが変わる。
彼は、今、何と言っただろうか。

言われるとは思いもしていなかったから、頭の中の回路がショートして沸騰していくような感覚を覚える。ただの先輩と後輩でもいいと、何処かで諦めていた。彼はアイドルであり、自分はプロデューサーなのだから、弁えなければいけない一線だと思っていた。
恋心を胸に抱いたまま、伝えられなくてもいいから、彼をアイドルとして輝かせることしか出来るのならそれで幸せだった。

「応えて欲しいとまでは望みません。ですが、どうしても伝えたかったのです」

あぁ、同じことを思っていたのだ。
知らなかった。彼の想いを知らなかった。応えて欲しいとは望まないけれど、それでも感情を偽ることは出来なかった。甘く優しくも凛とした誠実なその声音に、思考は蕩かされていく。静寂な古城で、捧げられた紳士的な告白は、愛情の誓いのようだった。
繋がれた手を、司は名残惜しそうに離そうとしたが、名前はその指を絡めて司の瞳を見詰める。出そうとする声は情けなくも震えそうになる。けれど、彼が伝えてくれたように自分も伝えなければいけないのだ。
思いを声にして、指先の熱を通して、彼に応えなければいけない。きっと彼は、拙い言葉で紡いだ言葉でも受け止めてくれるだろう。

「私も、……私も、ね」

泉に指摘されたように、根本は欲張りな人間なのだろう。この日の奇跡だけで終わらせたくはないのだ。
演劇科に居た時には得られなかったものを、あの日々で失ったものを、彼は与えてくれた。本人に自覚が無くても、名前は時に優雅に紳士的に、時に無邪気に前を歩く彼に手を引かれて、止めていた時間を動かし始めた。
皆が喜んでくれるような、自分も含めて幸せを感じることのできる舞台を作り上げていきたい、そんな沢山の夢を与えてくれたのだ。

「司くんのことが、好き」

きっと、彼に言われなければ伝えることも出来なかっただろう臆病な恋心。伝えてはいけないだろうと何処かで歯止めを聞かせていた感情が溢れ出す。
司は表情を綻ばせて、独り占めしたくても、独り占めすることが許されない皆のプロデューサーである彼女が自分だけを見るのは幸福な夢だった。けれど、それは現実へと変わる。
目の前で恥じらいながらも、手を握り締めてくる愛おしい女性をもっと、独占したくなる。もっと、誰も知らない彼女の顔を見たくなる。

「あぁ、こんなにも幸せなのですね。名前さん、我侭とは言わず……お願いを聞いて貰ってもいいですか?」

こくんと頷いた名前の反応を見て、叶うことはないだろう夢を叶えるために、司は腰を曲げて顔を近づける。「見られてはいけませんから」と悪戯に笑った司はマントの裾を持ち上げて二人の顔を隠す。
誰も居ない夜の城で彼らを照らすのは月の光しかない。マントの影に隠れるように顔を傾け、柔らかな唇を重ね合わせたのだった。