Queen of bibi
- ナノ -

指先から伝わる涙


「どうしたの、名前ちゃん。何かぼうっとしちゃって」
「……え?あ、ううん。なんか、改めて名前呼ばれるのって新鮮だよね」
「?あぁ、司ちゃんのことね。何だか急に"お姉さま"じゃなくて名前ちゃんの名前を呼びだしたからどうしちゃったのかしらとは思ってたのよ」


あの日以来、司は名前の名前を呼ぶようになっていった。司と初めて会った時も名前さんと呼ばれていたことを考えると別に変なことでもないのだが、どうしてか胸の奥を撫でられるようなむず痒い感覚になるのだ。
Knightsで居る時も名前さんと呼ぶようになった彼の変化を、嵐も気にはなっていったのだ。


「でもあんずちゃんのことはお姉さまって呼んでるのよねぇ。今更呼び方を変えないと分かり辛いって気付いたのかしら」
「……それでかな。私がうっかりあんずと私のことを言おうとしてる司くんが呼び辛そうだなと思って分かりにくいよねって言ったんだよね」
「うーん、それが理由かしら。……」


何だかもっと別の理由がある気がするけれど、と嵐は意味深に微笑んで名前をまじまじと見つめる。もしかして自分だけを見てもらいたいのではないかという悪戯半分に聞いた問いが本当にそうだと自覚したのではないだろうか。


「なに?嵐ちゃん……」
「一応、皆好きだけどその一線は越えてる子は今の時点では居ないと思ってたんだけどねぇ」
「?」


嵐が遠回しに言った言葉の真意が分からず、卵焼きを頬張りながら不思議そうに首を傾げる名前に「気にしなくていいわ」と笑いながら声を掛ける。
あんずのことも名前のことも、皆はプロデューサーとして慕っているに留めている。それはプロデューサーを独占をしてはいけないという暗黙の了解と、男子の中に女子が二人だけ混ざっていることへの配慮だった。プロデューサーはアイドルを輝かせ、守る存在だ。
まだ学生とはいえ、アイドルはスキャンダルなどご法度ーー二人ともそれを理解しているから恋愛など多分考えてすらいないだろう。片や中毒とでも言うレベルに仕事熱心で、片や演出も担当して自身をセルフプロデュースしていたとはいえ見せる側の元々プロ意識の高い子だ。きっと酷な位、無意識に一線を引いているに違いない。


「でも名前ちゃんって隙があると言うか、押しに弱くて甘やかしちゃうものねぇ」
「えっ、何で突然貶されてるの……」


何の脈絡もなく嵐が溜息を吐きながら言った言葉に何か嵐に悪いことでもしただろうかと慌てる名前だったが、嵐は笑いながらごめんなさいと謝った。
別に彼女が悪い訳でも、好意を抱いてしまった人間も悪い訳ではないのだから。

しかし、もし本当に『司が名前に好意を抱いた』のだとしたら、何故だろうかと嵐は改めてまじまじと名前を見詰める。彼はあんずも名前も、プロデューサーとして、頼れる先輩として慕っていた筈なのだが、あんずとは何が違ったのだろうか。

(あんずちゃんは本当に肝の据わった"お姉さん"って感じだけど、名前ちゃんはなんか女の子って感じだものねぇ)

嵐にとってはどちらも妹分のような存在だが、如何せん名前はやはり隙が多いし、厳しい所は厳しく、というのがあんずに比べて苦手で甘やかし過ぎてしまう所がある。それだけで終われば後輩と先輩で終われたかもしれないが、名前は人の相談も打ち明けない悩み事も個人的に親身になって聞いてしまう。


「お姉ちゃんは何時でも名前ちゃんの相談に乗るからね?」
「う、うん?嵐ちゃんのそういう所は凄く助かってるよ」
「……こういう素直に言っちゃう所もあれなのかしらねぇ」


嵐の言うことが分かっていないものの、お礼を言いながら嵐のお弁当に自分の唐揚げを一つ渡す名前に、こういう所も確かに可愛いと思っちゃうのよねぇと嵐は溜息を吐いた。


ーーあんずと共に企画して奔走した七夕祭りも成功して、もう間もなく夏休みが入ろうとしており、各ユニットは合宿を行ったり、夏休み中もライブの予定を入れたりとただの休みではない。
Trickstarは特に夏休み中もレッスンを行うようで忙しく、名前も彼らの協力をする旨を伝えているのだが、あんずもその為に夏休みと言えども学校に通うと言っているから、彼女が倒れないか時々心配になる。

名前は珍しくAV室で色んなDVDを持ち込んで舞台演出の勉強を行っていた。有名な舞台の演出の魅せ方やライブDVDでの演出を見ては思いついた物をクロッキー帳に書いてメモをしていく。真似るのは良くないが、他人の演技を見て勉強をしなければ成長は出来ない。

「こういう演出、Knightsの雰囲気でも出来そう……」

自然と口に出た言葉に、はっと我に返って名前は手を止めてDVDを止め忘れたままぼうっとする。七夕祭のように、多くのユニットが参加するドリフェスを企画する為のイメージを膨らませる為に鑑賞していたのに、どうしてそんなことを自然と考えているのだろうかと名前は首を傾げる。
そもそもKnightsのプロデュースをそれ程している訳ではないし、むしろTrickstarの面々との方がライブという場所では付き合いも長いだろう。学園祭のバレエは特殊な状況だったし、前回のデュエルで初めてライブ演出に関わった位だ。

それ程までに自分の中でも大切なユニットになっているのだろうか。それはプロデューサーとしてどうなのかと頭を押さえるが、親しい友人を助けたくなるのはやはり自然な感情なのだろうか。
アイドルとプロデューサーという距離感は持たなければいけないだろうが、その辺り、自分はあまり器用ではない。距離を開けすぎて独壇場で物事を進めてしまった結果を知っているからだ。

悶々と考えて机に額を付けて浅く息を吐いていると、机に置いていた携帯が通知で光ったのに気付いて、携帯を開く。すると、一件のメッセージが入っていた。

『名前さん、今お時間宜しいですか?』

携帯を使うのが苦手な司が珍しく連絡を入れてきたことに驚いて、名前はSNSを開く。そのメッセージを送るだけでも二十分ほど悶々と考え込んで漸く送信ボタンを押した司が居るとは知らず、名前『大丈夫だよ!どうしたの?』と送り返す。

直ぐに返信が帰って来たことに驚いて、逸る鼓動を押さえながら教室で慌てたように携帯を握り締めて司は迷った末に『少しお話したいのですが、どこにいらっしゃいますか?』と送ったのだ。
一人でDVD見てるだけだから大丈夫だよと言う言葉と共にAV室という答えが帰って来て、司は鞄を持ってAV室へと向かった。

「名前さん、突然すみません」

AV室に入ると、大きなモニターには有名なアーティストのライブDVDの映像が映っていた。もしかして名前はこのアーティストが好きなのだろうかと関心を向けたが、そういえば名前はあまり音楽を聞いていないことに気付いて首をひねる。


「ううん、七夕祭終わってから私も暇だったし。丁度このDVDも見たい所は見終わったし」
「?なにを見ていたしたんですか?この歌手がお好きなのですか?」
「これ友達から借りたものでね。ステージだけじゃなくてライブの演出も勉強しようと思って借りて見てたの」
「あぁ、成程!流石は名前さんですね。その向上心や勉強熱心な所は私も見習わなければと思わされます。しかし、余計に私が邪魔をして大丈夫でしたか?」
「あはは、気にしないで。一人で悶々と鑑賞してるより人と話してる方がイメージも沸きやすいから」


司はよかったと安堵をして隣の席に座り、名前が持って来たらしいDVDの束を手に取って見ていた。本当に様々な種類のアーティストのDVDがあってジャンルがばらばらだ。
名前は今ではプロデューサーとして板についているが、そういえば彼女は元々アイドル自体に興味があった訳ではないことを思い出す。
演劇科のホープとして期待をされていたが、学園にプロデュース科への適性を見出されなければ出会えていなかったし、何か一つ掛け違えていたらこの想いを抱くことも出来なかったのだと思うと恐ろしくもなる。

そこでふと、司がプロデューサーとしての名前に興味を抱いたきっかけを思い出して罪悪感を覚える。アイドル科では右も左も分からない状態だったけれど、演劇科でのプロ意識を持って妥協しないその姿勢を知ったのはこの部屋で見たDVDだったのだから。


「……私、名前さんに謝らなければいけないことがあるんです」
「突然どうしたの?謝られるようなことあった?」
「四月、ここで鳴上先輩とお姉さまの演劇科での様子が入ったDVDを見ていたんです。確か、演劇科の紹介用DVDだったと思います。その完成度や意識の高さには圧倒されました」
「……そっか」


演劇科に居たことは言っていながらも名前は一年前の自分の活動を詳しくは誰にも話していなかったし、映像を見せることも無かった。
あくまで今の自分はアイドルである彼らをプロデュースする立場であり、主役は彼らだと思っている所もあったし、誰も楽しそうに演劇をしていないそれをあまり見てもらいたくは無かったのもあったからだ。

けれど、自分が一年の情熱をかけてきたものには変わりなくて、誰かに見てもらえるのは正直言って嬉しかった。自らの過ちも自覚しているからあの頃の活動が正しいものだったとは言わない。けれど、少しでもあの努力に価値を見出してくれる人が居るのならーーそう望んでしまう自分も居るのだ。


「あはは……不甲斐ないもので申し訳なかった位だけど」
「確かに、名前さんも含めて楽しそうでなかったことが気にはなりました。しかし、私はあの映像での名前さんの情熱や技術に純粋に感動しました」
「……本当?」
「えぇ、瀬名先輩も名前さんに言っていましたが、その情熱や完成度の追及を惜しまない姿勢に合わせて、今では私達と共に歩んでくれる姿勢が私達の大きな助けになっています。だから、過去の貴方も含めて認めてあげてください」


ーー私はどちらの名前さんも尊敬していますから。

司の言葉に、名前は胸の奥が熱くなるのを覚えて唇を噛みしめる。過去のことを考える暇が無い位に周囲の事に一生懸命になろうとがむしゃらになっていたけれど、誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
自らの愚かさで独りぼっちになっていた過去の自分は今のアイドル科には必要ない物だと置き去りにしてしまおうとしていたけれど、そんな過去の自分も含めて認めてくれたのだ。

司としては自分の知らない名前の過去も含めてもっと知りたいという貪欲さや欲深さからくる下心のようなものさえあると自覚していたが、それでも時折演劇科の事に関係すると苦しそうな顔を隠して無理をする名前に、純粋にそう伝えたいと思ったのだ。
ただ、尊敬しているーーその言葉だけは司の本音とは違った。過去の名前も、今の名前も含めて"好きだ"とは今の時点で伝えられなかった。


「つ、司くんそっち向いて」
「えぇ!?わ、私は今何か変なこと言いましたかっ?」


素っ気なく顔を逸らされて、名前にしては珍しい突き放すような言葉に司はやはり粗相をしてしまったのではないかと焦るのだが、名前は今の顔をどうしても司に見られたくなくて、震えそうになる声を抑えて小声で絞り出すように不安そうにする司に答えた。

「……情けない顔見せたくないの」

後輩の前で泣いてしまいそうになるなんて情けなさ過ぎて、必死に堪えて司に背を向ける。

ーーあぁ、この人は今まで辛いとも、悲しいとも声に出して言えなかったのだ。
傲慢なことをしながらも、やはり人を気遣ってしまう程に優しかったから。


「……でしたら、落ち着くまで傍に居させてください」


これくらいなら、例え可愛い後輩としてしか見られていないとしても、許されるでしょう?

それ以上何か余計な事を言うことは無かったけれど、名前の手を取って司は優しく微笑む。皆はプロデューサーとして迷わずアイドルを導いてくれる名前を求めているが、彼女にだって葛藤があるのだ。それを打ち明けてもらえるような存在になっていきたいと望みながら、司は名前の指が僅かに自分の手を握り返したことに僅かに顔を赤らめるのだった。