Queen of bibi
- ナノ -

雨の隙間に見る夢


デュエルを経て、Knightsは立ち込めていた暗雲を払い、汚名返上をすることが出来た。強豪ユニットとして再び返り咲き、人々に印象付けることが出来たのだ。
しかし完全復帰と呼ぶのにはまだ足りないだろう。行方不明になっているというKnightsの王、リーダーがまだ居ないのだから。

「……気付いて、良かったんでしょうか……」

Knightsとしてはこれで最大の障壁は無くなったのだが、朱桜司としては最大の障壁が新たに出来ていた。今までただ尊敬すべき先輩と慕っていた相手が恋愛対象に変わった瞬間に、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。

司はあの日から悶々と悩んでいた。特定の女性を好きになったことは初めての経験だった。『皆のプロデューサー』と言う存在を独り占めしたいと望んでもいいのだろうかーースタジオに置かれた名前が作ってくれたデュエルの衣装に触れながら司は熱くなる顔を俯かせた。


2-Bでの教室で、珍しく放課後前には目を覚ましていた凛月は、雑談から脱線してデュエルからの変化を名前に零していた。とはいえ、机に突っ伏していて、名前の腕を引っ張って枕にしている状況だ。


「凛月くーん、重いんだけど……」
「んー、いいでしょー?……なぁんか最近ス〜ちゃんが変なんだよねぇ」
「司くんが?デュエルで頑張り過ぎた反動とか?どんな感じにその、変なの?」
「驚かしても無反応だったり、天然なのかと思う位、らしくない変なケアレスミスしたりさぁ。俺が炭酸買って来てって言ったのに素で間違えてコーヒー買って来たんだよ?」
「というか司くんにそれを頼むのも先輩としてどうなの……?」
「それもなんだよねぇ。普段だったらご自分で行って来てくださいとか冷たく返すのに、なんか文句も言わずぼうっと行っちゃったし」
「それは……確かに変かも」


司はどちらかと言うと先輩の横暴さを咎める方だ。それが文句も言わずに買いに行った上に、反攻ではなく素で間違えて買って来たというなら何か様子がおかしいだろう。とはいえ、デュエルでの結果は上々で、司が悩んでいることに思い当たる節が凛月も、そして名前も無かった。
しかしそう言われると、デュエル直後に駆け寄って来た司の表情に何処か違和感を覚えたことを思い出す。ライブの時は確かに輝いていたのだけど、どこか割り切ったようなーーでも少し気恥ずかしそうに目を逸らして受け取ったタオルで流れる汗を拭いていた司の表情は大人びて見えた。
それが関係しているかどうか分からないが、何かを悩んでいるのなら放っては置けないだろう。お節介をし過ぎるのも問題はあるが、親しいからこそ気になるのだった。


本格的な梅雨の時期も過ぎようとしており、S2の準備が行われようとしている。その期間に入る前に部活が行われることになったのだが、何故か電話がかかってきて北斗の声で「放課後に大事な集まりがあるから部室に来て欲しい」と言われたのだ。電話をしなくとも北斗は隣のクラスだから声を掛けてくれたらよかったのにと不思議に思いながらも部室のある廊下を歩いていると、反対側から友也が来ていることに気付いて足を止める。


「友也くん!もしかして北斗くんから連絡貰った?」
「えぇ、北斗先輩から今日は部活で大事な集まりがあるって聞いて……」
「……もしかして、と思ったけどやっぱり怪しい……」
「え?」


友也にもわざわざ連絡を入れていることを考えると今までの傾向から妙だと名前は怪しむ。確か部長である日々樹の特技の一つとして声帯模写があったのではなかっただろうか。
電話越しには北斗本人の声にしか聞こえなかったけれど、今この場に自分と友也が揃っているとなると嫌な予感がする。彼は自分と友也の反応を見て楽しんでいる所があるから今回もそうなのではないかと警戒心を強める。

「友也くん、いい?ちょっと下がっててね」

何時も自分以上にからかわれる対象になっている友也を頼りないながら守るように背に隠して、名前はごくりと生唾を呑んで恐る恐る部室の扉を開く。

この部室は部で使う小道具や衣装が数多くあるからでもあるのだが、相変わらず無駄に豪華な装飾で、ただの部室というよりも日々樹渉の館と言った方が合っているような気がする。誰が得をするんだろうかと思う仕掛けも多く施されており、からくり屋敷のようで、よく言えば飽きないけれど、正直に言えば部長にすぐ遊ばれそうで気の抜けない場所だ。

「あのソファだけは気に入ってるんだけどなぁ……」

ストライプの布が張られたふかふかのソファは名前にとってはお気に入りの場所だった。座り心地がいいというのも理由の一つだし、不思議とあそこでは脚本づくりの作業が捗るのだ。
きょろきょろと辺りを見回すけれど部長の姿はなく、名前はほっと一安心して友也を振り返ろうとしたのだが。


「Amazing!お待ちしておりましたよ!」
「きゃあああ!」
「名前さん!?うわぁ、でっ、出たな!?」


急にふっと目の前に何かが落ちて来た。

どんな仕掛けを使ったかは全く分からないが、まさに警戒していた相手ーー日々樹渉が天井から降りて来て着地したのだ。突然降って来た物体に動揺して悲鳴を上げながら後ろに飛び下がる名前に、友也も彼の姿を見付けて後退りをする。


「ふっふっふ。いやぁ、二人の反応は実に愉快ですよ!何時もこんなに警戒しているのに引っ掛かるだなんて可愛いですねぇ!」
「やだもうこの変態仮面……やっぱり北斗くんの真似して呼び出したんだ……」
「え、北斗先輩の真似……?あっ、あの電話はアンタの仕業だったんだな!?」
「完璧だったでしょう!こんなにも簡単に引っ掛かるのも、誰かにはめられないかと心配になりますねぇ。特に名前さんは女性ですから」
「警戒したって予想の斜め上を行くことをしてくる部長に言われたくないです……」


一気に疲れがどっと襲って来て、名前は溜息を吐く。勿論演劇の本当の楽しみ方を教えてくれた彼には感謝をしているけれど、素直に感謝してしまうのも危険だ。


「それで、結局北斗先輩は居ないのかっ?」
「えぇ、今日は名前さんにこの題材で脚本をして貰いたいという伝達だけですし。部活動をこのまましたいんですが、今日は私も英智の所に行かなくてはいけないので」
「本当に驚かせる為だけに呼んだのか……!あぁもう名前さんっ、俺限界です!」
「友也くんの目に殺気が走ってる……!落ち着いて落ち着いて!北斗くん本人にちゃんと聞いておけば良かった……」
「彼も近頃少々悩んでいるようですし、名前さんの声帯模写でもして私が元気づけようかとも思いましたけどね!まぁ彼はあまりいい反応をしてくれないんですが」


日々樹の言葉に名前は首を傾げる。北斗が最近何か悩んでいるような様子にはとても見えなかったからだ。デュエルの勝敗はともかく、Trickstarの結束力も高まって士気も高まっている筈だ。最近仲間割れを起こすような事も無かったし、順調の様に見えたけれど何か彼にも悩んでいることが実はあったのだろうかと名前は顔を曇らせる。
しかし、日々樹は北斗が一体何について考えているのかを名前達に教えることは無かった。とはいえ、北斗が日々樹に相談した訳ではない。けれど、感情があまり表に出ないように見えて案外感情が出るから分かるのだ。

TrickstarはDDDの一件以降、あんずだけではなく名前もTrickstarの仲間のように思っていた。独占すべきではないとは分かっていながらもtrickstar以上に大事なものが出来ているのが見えてしまうとやはり複雑な気分なのだろう。
しかし名前はあくまで全ユニットに対して平等であろうとしているからどこが大切なユニットかを順位付けない。だから「TrickstarよりKnightsを大事にしている」というのはTrickstarにとっての印象でしかないのだが、彼らもプロデューサーは皆から愛されるべきだと分かっているからそのことを口に出して文句を言うことはないし受け入れるべきだと理解している。

けれどデュエルでのライブパフォーマンスが終わって名前に真っ先に声をかけて談笑していたKnightsと名前の姿にはそれぞれが寂しさを覚えたのは仕方がないだろう。


「まったく、貴方も罪な人ですねぇ」
「?……話が分からないんですけど……?」


特別な人を作らないというのもそれはそれで酷な線引きであるが、あんずとは違って名前は隙がある分、仕事として割り切って全員と同じ距離を保つことなんて出来ない性格だろうが。

結局、部活があると思っていたのにそれは軽い伝達だけで終わってしまって予定が無くなってしまった。特に用事があるわけでもないけれど、この際学校に残ってステージの演出の案を幾つか考えようと決めて、名前は愛用しているクロッキー帳とシャーペンを鞄から出して手にしたままガーデンテラスへと向かった。
確か今日はあんずが緊急でガーデンテラスでの手伝いをすることになったと言っていた。部活があるから彼女に任せてしまったけれど、結局部活は無かったのだから申し訳ない。


「さて、何にしようかな……やっぱりデザート付きがいいかなぁ」
「お、お姉さま……!?」
「え」


食券機の前で悩んでいると、聞き覚えのある声と呼び方で声を掛けられたものだから名前が振り返るとそこにはエプロンと赤いリボンを首元に付けた司がそこに居た。ここに司が居たことにも驚いたが、まるでウェイターのような格好をしていることにも驚いて目を瞬かせる名前と対照的に、司は非常に焦っていた。

想い人だと漸く自覚したのはいいが、彼女にとって自分はまだまだ未熟者の後輩である。どうやって想いを伝えるべきか全く分からないし、これから彼女をどう見ればいいのか思い悩んでいた時にまさかこんな予期せぬタイミングに顔を合わせることになるとは。
恋心を自覚したと言うだけでついこの間まで自然に話せていたのに無性に照れてしまうのだ。


「えっと……もしかしてそれってウェイターの手伝い?あんずが今日は手伝うって聞いてたけど、司くんも?」
「えぇ、あんずさんが困っていましたので鉄虎くんと一緒に分担して手伝っております。お姉さま……えっと、あんずさんは今厨房で料理を作っております」
「……そっか」
「お姉さま……?」


お姉さまーーその呼び方が彼にとっては敬意と親しみを込めた特別な呼び方だとは分かっている。それでも何故か距離の近さではなく遠さを最近感じるようになっているのは何故だろうか。
あんずは司にとっての仕えるべき尊敬するプロデューサーなのだろう。しかし自分は?あんずのようにお姉さまと呼ばれる程の存在なのか、あんずが仕えるべき女王なのだとしたら自分は一体。
そう考えると"お姉さま"というのは別に特別な呼び方でもないのだ。そう考えるとちくりと胸が痛む。

自分は一体彼に何を望もうとしているんだか。


「あ、あの、お姉さま。私は何か変なことを言いましたか……!?」
「ううん、違う違う。あんずと私が居た時、二人とも"お姉さま"だと何だか混乱しちゃいそうだなぁと思って」
「……」


名前の表情が曇り、一瞬の沈黙が訪れて自分がいま何か余計な事を言ってしまったのではないかと焦った司は無礼があったのなら詫びようと慌てて声を掛けるのだが、名前は表情を崩して冗談を言うような口調で話すのだが。
その表情が誤魔化しているとはいえ未だ曇ったままなことが司は気がかりだった。

しかし、まさにその通りだろう。
名前だけではなく、あんずもお姉さまと読んでいた。しかしその呼び名は親しみを込めて先輩として、そしてプロデューサーとしての敬意からそう呼んでいたのだが。
お姉さまという呼び方は可愛がられる弟のような後輩になる為にはいいかもしれないが、もう名前に対してはそれだけの存在で居たくなかった。


「……名前さんと、呼んでもいいのですか?」
「?それは勿論。というか一番初めに会った時、そう呼ばれてたような……?」
「お姉さまも呼び慣れた呼称ですが、敢えて呼ばせてください」


突然手を取られたことに驚いた名前は目を開いて咄嗟に後ろに下がりそうになる。紳士的だけれど何処かずれていて鈍感な彼の何時もの無自覚な行動なのだろうかと納得しようとしたのだが。
自分を見下ろすその眼差し可愛い後輩というよりもそれこそ"騎士"と謳っても違わぬほど芯が強くも鋭く、吸い込まれそうで、何故か目が離せなくなる。

「名前さん」

ただ名前を呼ばれただけなのに、こんなにも動揺して緊張してしまうのは何故なのだろうかーー自分でもよく分からなかったけれど、頬が熱くなっていることだけは分かった。
そして僅かに顔が赤らんでいる名前の姿に司は嬉しさを滲ませて手を離す。
触れ合っていた時の温もりが残っていて、これがたった一瞬でなければいいのにとやはり望んでしまう。

「ふふ、後で席に注文した物をお持ちしますから」

彼女が自分だけを見て多少なりとも意識をしてくれるーーそれだけでも、どうしようもなく幸せだった。