Queen of bibi
- ナノ -

ゼロに至るまでの過程


先日学院祭で行われたバレエ公演は名前の想像を超える素晴らしい出来だったことに感激していた。
自分が作った脚本をこれ程までに完成度の高い物に昇華してくれたことに感謝をしていた。それは彼らの表現力や熱意、努力があったからこそ出来上がった物だろう。
唯一睡眠時間を削って集中して仕上げたことに関しては無理をし過ぎだと注意をされたが、それでも彼らの練習時間がそれだけ確保出来たならいいだろうと楽観的に考えていた。

公演が終わってから彼らにありがとうと感謝の言葉を伝えられたのも勿論嬉しかった。しかし名前の脳裏にふと過るのは『精一杯お姉さまが作って下さった舞台を踊ってみせます。勿論、私も楽しみながら』という司の声だった。
観客を楽しませることは出来たけれど、出演者を楽しませることの出来なかった演劇。それが一年前までの自分の作っていたものだった。作品を作り上げるという自己満足の為に作って来たけれど、今は彼らと共に楽しみ、そして彼らが輝く舞台を作り上げたいと心の底から思っている。そんな自分の想いを彼はまるで汲み取ってくれているようだった。

「不思議だなぁ……」

後輩からの気遣いに非常に単純にも上機嫌になるのも許して欲しい。名前はベッドに寝転んで、自分の作った台本をぱらぱらと捲る。

「誰かの為に舞台を作るって、楽しいんだね……」

ふふっと微笑んで台本を顔の上に乗せて目を瞑る。文字だけでは完成しない、出演者が演じてくれるからこそ仕上がる舞台。目を瞑ってその時のことを思い出せば、音が聞こえてきて目の前に広がる。
演劇科に居て専門的な勉強をもっとしたいと思っていたけれど、プロデュース科に来て良かったと噛み締めるのだった。


翌日、名前はまた別の企画を一度生徒会に見てもらう為に生徒会室へ向かったのだが、そこに何時も居る蓮巳副生徒会長の姿は無かった。教室に戻って真緒に確認をすると、彼は今日部活に参加しているとのことだった。


「まぁ、幾ら副会長って言っても、生徒会室に籠りきりになんかさせられないしな」
「蓮巳先輩って確か弓道部の部長だよね?凄く雰囲気に合うよね……」
「へぇ、お前よく知ってたな?」
「司くんが弓道部に入ってるからちょっとだけ話は聞いててね」
「あぁ、司って一年で確かKnightsの朱桜か。お前、年下の面倒見もいいよな。いや、凛月は年上だけど」
「なんか凛月くんに関してはずるずると面倒見させられてるって感じだけどね……でも書類どうしよう……真緒くんに渡してもいいけどやっぱり直接渡した方が良さそうな物だったし」
「部活前とか後なら受け取ってくれるんじゃないか?」
「ちょっと寄ってみようかな」


弓道部に立ち寄るのは初めてだし、蓮巳と何とか会話を出来るようにはなってきたがやはり彼の威圧感にはまだ慣れていないから、行っても怒られないだろうかと不安にもなる。

校舎を出て弓道場のある方向へと向かう。今日は比較的多くの人が部活に参加しているのかグラウンドでも運動部が活動している。ふと自分の部活を思い出して、どうしてあんなにも普通じゃないのだろうかと溜息を吐く。
まず部長が普通ではない。奇人と呼ばれる一人だし、部室内は無駄に仕掛けが多いし、部室内に入ると彼が時には壁の仕掛けから、時には天井から現れて驚かせてくるのだ。
何だかんだ演劇を出来るのは楽しいし、北斗や友也という真面目な二人もいるから成り立っている。自分が部長を流すのも上手くなったということも大きいが。

弓道場の近くに着いて、その雰囲気にごくりと生唾を呑む。この静かな道場の扉を開いてすみませんと声をかける勇気は流石になかった。蓮巳先輩に無駄に怒られたくないなぁ、と足を後ろに一歩引いたその時。「お姉さま!」と聞き覚えのある声がして振り返る。


「えっ、司くん!?」
「驚きました、まさかお姉さまが弓道場に来ているなんて。お姉さま?」
「……あ、ごめんね。道着って衣装とはまた違う意味で締まってやっぱり格好良いなぁと思って」
「えぇっ、あ、ありがとうございます」


司は更衣室で着替えてきたようで、鞄を手に持って制服ではなく道着を着ていた。女子の袴は何度か見たことがあるけれど、男子の袴は前で紐を縛るのか綺麗な結び目が見える。
男性の道着は礼儀正しさや勇ましさが強調されて格好良いと素直に思ったことを口にすると、動揺した司は照れた様子で礼を述べた。


「今日は蓮巳先輩に提出する書類があったんだけど……居ないみたいだし、もう始まるのかな?部活が終わるまで待った方がいいのかな」
「まだ神前礼拝は行いませんが……折角ですし、もしお姉さまの時間があるなら、私達の活動を見て行きませんか?有意義な時間になるとお約束したいのですが、何せみてもらうだけっていうのも退屈かも知れませんし……」


断ってもらっても構わないと言おうとしたのたが、名前は目を輝かせて首を縦に振った。自分はやれないけれど、弓道に漠然とした憧れはあるし、その練習風景を一度は見てみたいとも思う。
しかしハッと蓮巳にもし邪魔だ部外者が目障りだと言われてしまったらどうしようかと気付いて見る見るうちに青ざめる。ころころ変わる名前の表情に司はくすりと笑い、大丈夫ですよと声をかける。


「蓮巳先輩もお姉さまを認めていらっしゃいますよ」
「大丈夫かなぁ……」
「えぇ、何か言われても私が言いますので!」


不安に思いながらも司に押されて道場内に入り、ローファーを脱いで下駄箱に入れる。自分は靴下だけれど、司の足元は足袋だった。
扉を開けて道場内に入ると、外を臨める道場が目に映る。床は綺麗に磨かれていて、何故か俵が視線の高さで土台に設置されたものが二つほど並んでいる。
スライド式の鏡が奥に設置され、外に繋がっているその先には本当にこの距離で当てられるのかという位置に土が盛られた安土に的が既に並べられている。手前の方には休憩用のためか、畳が並べられている。

ふと道場内に既にいる人を見ると、そこには同じクラスの伏見弓弦が居た。


「すみません、伏見先輩!設置をさせてしまって……」
「いえ、微妙な位置を調整するのも好きなので気にしないでください。おや、名前様ですか?」
「こ、こんにちは、伏見くん」
「珍しいですね。見学しにいらしたのですか?」
「蓮巳先輩に書類提出出来たらなぁと思ってきたけど、その、成り行きで見学して行かないかってことになって……大丈夫かな?」
「まぁ、あまり喋らなければきっと蓮巳様も煩く注意することはないでしょう。流石に見学に関しては聞いてみなければ分かりませんが」


大丈夫ですよと声をかけられるが、やはり不安になってくるし、正座をして見続けるのだろうかと違う心配も出てくる。彼らは既に準備を始めて、立てかけられている弓を袋から取り出して弦を張り始めていた。ある人が壁に弓を張るために付けられた窪みに、先端を付けて弓をしならせて張っているのを見てあぁやってするんだと思いながら邪魔にならない位置に避けようとしたのだが、司に声をかけられる。


「お姉さま、我侭なんですが……腕を上に伸ばして、この弓の先を支えてもらえませんか?」
「えっ?いいけど、これでいいの?」


司に頼まれて腕を上に伸ばして先端を支えると、彼は上体を低くして太股で弓を支えてしならせると弦を張った。その時の反動で支えているこちらがバランスを崩しかけそうになってしまって恥ずかしい。周りを見ると、そうやって二人で弓を張って居る人が居た。


「ありがとうございます。一度、お姉さまに頂きたかったと言いますか……一緒にやれたらと思っていたので」
「え……寧ろ、こんなことでいいの?私、なんだか支えてただけだけど……」
「それでも部活を手伝ってもらえるというのはこういう競技上、滅多にないことですから。すみません、弓は重たかったですか?」
「大丈夫大丈夫!でも結構力入れてしならせるんだね。折れちゃうんじゃないかって心配しちゃった。これは学校の弓なの?」
「いえ、学校用の弓も揃えてありますが、私の弓は自分の物ですよ」
「そうなんだ……なんか重そう……」
「蓮巳先輩達から比べると重さ……キロ数は軽いものを使ってますけどね」


キロ数とは?と、首を傾げると、司はこの弓は13キロだと告げてきたからその弓を二度見する。13キロもの重さを毎回両腕で引っ張っているのだろうかと思うだけで腕が痛くなりそうだ。米俵を何個持てばいいんだろうか。

その時、後方から「お疲れ様です」という声が聞こえてきて、ふと振り返ると、弓道部の部長である蓮巳が道場に入って来た。バッチリと視線が合い、名前は蛇に睨まれた蛙のような気分で身を固めて深く礼をする。


「は、蓮巳先輩!」
「ん?何故お前がここに居る?これから活動時間なのだが」
「あの、見学しても宜しいですか……?邪魔にならないよう無言で見てますので……あっ、駄目なら帰りますから!」
「……はぁ、お前は無駄に萎縮し過ぎだ。ふん、俺に対してそう思うのも当然だろうが。まぁいい、礼儀を弁えるなら見て行っても構わん」


蓮巳の許可に名前は安堵した表情を見せて、ほっと胸をなでおろし、指示をされた畳の上に緊張した面持ちで正座をすると、蓮巳は再び溜息を吐いて「足は崩しても構わない」と声をかけた。

全員が正座をして二礼二拍手一礼をして神前礼拝を行うその整然とした緊張感についこちらも礼をしてしまう。
それが終わったあとはそれぞれ矢を持つ為に右手にかけを付けて、既に出していた矢を二本持ってそれぞれ弓を手に的前へと立つ。司もその後に並んで待機していたが、ぱちりと視線があって彼はふと微笑んで口を動かす。

ーー見ていてください。なのかな。
名前は小さく頷いて、彼の姿を追う。矢が土に当たる音、土が的の紙を破る音。静かな道場に響く。
司の番になり、彼は的前に立って息を静かに掃くと、弦に矢をつがえて構えると、的に視線を移して弓を起こす。その真剣な眼差しと無心になっている研ぎ澄まされた集中力。そしてゆっくりと弓を引いていき、頬に付けて静止して的を狙いながらその弓の重さに僅かに震える腕の筋は男子特有の逞しさを感じられて、あぁ自分とは違う男子なのだと実感する。

そして彼がぱっと手を離すと、矢が的に吸い込まれるように飛んでいって、パンっという音がしたと同時に的を捉えたのだと気付いて思わず声が出そうになる。
Knightsで最年少である彼はどうしても可愛い後輩の印象が強いけれど、騎士で紳士らしい格好良い一面を再認識したような気がした。

「凄い……」

その雰囲気に呑まれて名前は結局私語を挟むことなく練習が終わるまで見学していたが、司はその日満足の行く出来だったからか上機嫌だった。
勿論原動力になった理由は勿論言うまでもない。ーーお姉さまが見ているから、だった。少しでも格好良い所を見せたいという見栄が働く。流石にまだまだ精神的な強さが足りないから皆中を狙って出来る程ではないが、それでもよく当たった方だ。

一日の部活が終わり、挨拶をした後に司は真っ先に畳の上で目を輝かせて呆然としている名前の元へと駆け寄る。


「お姉さま、ありがとうございました!退屈ではありませんでした……」
「司くん!」
「は、はい!」
「派手なスポーツ競技も楽しいけど、弓道って凄いね……矢を放つ前の動作もついつい見とれて魅入るし、司くん凄く当ててたね!あんなに遠い距離のあんなに小さな的を当てるなんてびっくりしちゃった!格好良かったね!」
「……あの、お姉さま……嬉しいのですが……」


彼女にそう言って貰いたいとは思っていたけれど、正面からこうも言われると気恥ずかしさに顔を染めて司は俯き口元を手で覆う。
彼女が自分だけを見てくれていたのだと思うと、幸せな気分になるのだ。名前が可愛がっている他の一年生は居ない。自分よりも凄いパフォーマンスを難なくこなすKInghtsの先輩も居ない。彼女は朱桜司を見てくれているのだ。

自分は後輩として我侭すぎるのだろうか。先輩を独占したいと思っているのだから。

しかし司のそんな心の声に気付く訳もなく、名前は道着から覗く腕をぼうっと眺めて首を横に振る。


「今日、お姉さまが来てくださって本当に嬉しかったです」
「ううん、私の方こそ今日はありがとう。あっ、私、蓮巳先輩に書類渡してくるね!」


司の元を離れて鞄に入っている書類を彼に渡しに行った名前の後姿をぼんやり見送っていた司は、伸ばしかけた腕を下した。

──親しく、尊敬する先輩とは、どの範囲までの事を言うのだろうか?