ヴァニラの純正
- ナノ -

踏みなおす足跡

遥か遠く、小さくなったネオンの街を上空から眺めて、夜空をリザードンの背に乗って羽ばたいて。
夢のような時間を過ごした時間は短いようで、長いようで。
涼しい風は火照った顔を程よく冷ましてくれた。夜闇だから見られても気付かれなかったかもしれないけれど、ダンデが振り返らないでくれて良かったと思わずにはいられなかった。
ベランダに戻ったオルハは、ほどけるような笑顔で「ありがとう、ダンデ君」と噛みしめるように礼を述べたのだ。

お伽話のような夢を見せてもらう贅沢を、優しさを、こんなごく普通の一般人に見せてくれてありがとうと。


ダンデはその日、オルハと別れる際に告白をしなかった。
言えるようなタイミングは幾らでもあっただろうけれど、気まぐれのように家を訪ねたタイミングで告白をするのはダンデとしては避けたかったのだ。
初めての好きになった人への告白だからこその、ダンデの拘りだった。
しかし、彼女に今他に好きな人が居るのかどうかという大切な前提を知らないまま行動に出てもいいのだろうかという迷いは少しあるが。
知ったとしても、伝えずに終わるのは本意ではないから告白することには変わりないのだが。

ダンデはダンベルを持ち上げるトレーニングを進めながら考えをまとめていたが。
やはり、彼女に何時、どんなタイミングで告白しようかという思考に落ち着くのだ。

(何というか、やはり好きなんだろうな)

好意に対して。目標に対して。
真っ直ぐで直向なまでのダンデの在り方は、潔く、そして誠意に満ちていた。
しかし、自覚と同時にすぐに動かなかったのは、初めての感情に対する動揺の他に、ダンデなりに相手のことを考えていたからだ。
自惚れではなく、ガラル一、二を争う有名人である立場を自覚しているからだ。告白して、そして彼女と生きていたいと思うのなら、彼女を多少なり自分の世界に巻き込むことになるのだ。

(その責任も勿論分かっている。分かっている上で、責任を取るつもりもある)

ダンデはスマホロトムを取り出して、気軽に連絡を取れる相手に連絡を取る。何せ、ダンデが気付く切っ掛けにもなったのは、この相手との会話もあったからだ。
その相手は、ナックルジムから既に帰宅済みで、数回のコールの後に出たのだ。


「キバナか?」
「おーもしもし、ダンデか?お前からかけてくるなんて珍しいじゃねぇか」


自宅で珍しく寛いでいたキバナは、夜にかかって来た電話に疑問を覚えた。
何せ、彼は私用で連絡を入れてくることは滅多になかった。リーグや試合に関する話だろうかと、キバナは水に溶かしたプロテインを飲みながら適当に聞いていたのだが。


「お前がこの間言っていた話なんだが、好きな人が出来た」
「っ!?げふっ、ごふっ」


思い切り蒸せて、噴き出したのだ。
突然投げられた爆弾に、キバナの「はぁ!?え!?お前が!?」と混乱した声が端末越しにダンデの耳に聞こえてくる。
この間は何を言っているか分からないという顔をしておきながら、好きだと分かると直球かと思わずにはいられない。
ダンデのような男が好きになるような女生徒は一体どういうタイプの人なのだろうかとかなり気になるが、キバナはいったん一呼吸を置いた。


「えーっと、あれか?この間言ってた、試合を見に来て欲しいって言ってた人か?」
「さ、察しが良いなキバナ……」
「今オレ様もよく当たったなって思ったとこだよ。それで、見に来てもらえたのか?」
「あぁ、大絶賛だったぜ」
「いやつーか、お前の試合を見に来たい人間なんて五万といるとは思うけどな」


大絶賛も何も、よほどダンデと戦っている相手選手の熱狂的ファンだとかでなければそうそう彼の試合を批判する者などいないだろう。
キバナは興味本位で「その子はポケモンバトルとか自分でやったりするのか?それか詳しい子なのか?」という問いに対して、ダンデは否定する。
ダンデの凄さを、専門的な目線で分かる訳ではないのだ。寧ろ素人中の素人。

――いや、だからこそいいんだろう。
キバナは心の中で納得をしていた。同じステージに中途半端に立ってしまって、ダンデの高みを理解しようとすると。
太陽は遠くから見る分には温かいかもしれないが、近付こうとすればするほど、身を焦がされる。
自分は屈することもなく、ダンデへの挑戦をやめることはしないが。トレーナーとしての彼の顔を知り過ぎている同業者には辛いものがあるかもしれない。


「正直、どう伝えるべきか悩んでいてな。謙虚な性格を考えると、困惑させるような気がするが」
「まぁ〜お前に突然言われて驚かない奴なんて居ないよなぁ……いや、つーかオレとしてはお前がそもそも好きなやつが出来たって時点で驚いてるんだけどな」
「……やっぱり驚かれるか。あんまり身構えられずに伝えたいんだけどな」
「お前が一番リラックスして言える場所でいいんじゃねぇの?」
「……そうか、なるほど!参考になったぜキバナ!」
「あっ、おいダンデ!」


ぷつんと通話が切れたスマホを見ながら、キバナは呆然とする。
相変わらず弾丸のように思い立った瞬間突き進む男だ。今回は相談のような電話をしてきている時点で、突き進む前にダンデなりに考えたのだろうが。
それだけ彼にとっては大切にしたいと思っている相手なのだという事実に、キバナはジュラルドンと顔を合わせて肩を竦めながら笑うのだった。


――そして、キバナとの通話を終えたダンデは息を吐いて頬を叩き、意思を固める。
次にかけていた連絡先は、話題に上がっていた女性だ。

一方、部屋で寛いでいたダンデから連絡が来たことに気付いたオルハはわたわたと慌てながら会社のロッカーで端末を手にして、「もしもし?」と上擦りそうになる声で電話に出た。
突然ダンデから日中ではなく、夜に電話がかかって来ると、仕事の内容ではないのだろうかと驚いてしまう。
どくどくと煩い鼓動に動揺し過ぎだと自分を戒めながら胸を押さえて、耳に届くダンデの言葉に耳を傾ける。
オルハの動揺を感じ取ってか、足元でふさふさとした体をオルハに当てて頭を擦り付けるガーディに、感謝が尽きなかった。


「ダンデ君は暫く試合はないんだよね?リーグの運営から連絡はまだ来てないから……」
「あぁ、次の試合まではトレーニング期間だな」
「そうなんだ。試合がある時は過密日程になるし、リフレッシュしてね。でもトレーニングするならゆっくり休める訳でもないんだよね。ダンデ君らしいよね」


凄いなぁと感心している様子のオルハの穏やかな声に、心が落ち着いていく感覚を覚えた。
これが安心感という物なのだろう。一緒に居て、心が休まるような感覚はやはり目を閉じると実家に居る時のダンデという青年としての在り方を思い出すのだ。
だからこそ、愛情を伝えられずにはいられない。
そして、彼女に一人の男性として意識されたいのだから。


「オルハ、今度の金曜日……仕事終わりになると思うが、シュートスタジアムに来てくれないか?」
「シュートスタジアムに?うん、大丈夫」
「ありがとな。オルハも関係者だから入れるだろうが、もし言われたらオレの名前を出してくれ」


仕事終わりの金曜日の夜に飲みに行く、なんてことはあるけれども、どうしてシュートスタジアムなのだろうかと疑問を覚えつつも、何か十周年に向けての相談だろうかと察したオルハは頷いた。
それでも少し普段よりもお洒落を頑張ってみようかな、なんて思ってしまっている自分に、オルハは自覚せずにはいられなかった。

あぁ、尊敬していたこの人のことが、好きなのだと。