ヴァニラの純正
- ナノ -

滲む世界の光

開けた空に、草原の匂い。
高い建物の多いシュートシティやエンジンシティ、ナックルシティにはない光景だが、ダンデにとってはこちらの方が見慣れた景色だった。
生まれ故郷であるハロンタウンに、幼少期からよく行き来していたブラッシータウンは素朴な街並みで、ダンデには馴染み深い。
そして、ダンデはその街から排出された英雄でもあった。九年もの長い間、彼はチャンピオンの座を守り抜いているだけではなく、その人格も含めてチャンピオンとして相応しいと誰もが認める人間性だった。

ダンデが故郷に帰ってくる際は常にちょっとした大騒ぎになる。何時もは派手に帰省するが、今日は事前に知らせることなく突然に。
弟であるホップはきっと驚くことだろうと思いながら、行き慣れた筈の道も迷ってしまうダンデはリザードンに先導されてハロンタウンへの道を進む。


放し飼いされているウール―が沢山みられる景色。のどかな時間が流れる町。
忙しいのもあってなかなか帰って来られないのだが、帰って来る度に心が休まる感覚を覚える。毎回、ダンデの滞在時間は非常に短いが。
ダンデの実家はハロンタウンの中でも一際大きな家で、広い庭にはバトルフィールドやバーベキューを行う為のグリルにベンチ等が設置されている。
昼食前の時間帯に訪れてたのだが、弟はバトルフィールドで相棒のウール―を傍らにボールの投げ方を練習していた。

リザードンが吼えると、ホップはその手を止めてダンデを見て、目を丸くする。誰よりもホップが尊敬して止まない兄、それがダンデだった。


「アニキ!?えっ、帰って来るって言ったなかったのに!」
「少し驚かせようと思ってな。久しぶりだな、ホップ。少し背が伸びたんじゃないか?」


駆け寄って来たホップの頭をダンデは大きな手でわしわしと撫でる。
兄ではあるが、父の代わりのように面倒を見て来た所があった。チャンピオンになってから一緒に居る時間は格段と減ってしまったが、それでも可愛い弟には変わりないのだ。
ホップの喜ぶ声が聞こえたのか、ダンデとホップの母は玄関の扉を開けて、ダンデの姿を確認すると目を瞬かせる。

「えっ、ダンデ帰って来たの?やだ、準備するわ」

昼食の準備をダンデの分もしなければとぱたぱたリビングのキッチンの方へと戻っていた母親に続いて、ダンデはホップに手を引っ張られるまま家に入る。
久々に二階の自室へと足を踏み入れると、実家に送ったトロフィーは部屋の中に綺麗に飾られていた。
このトロフィーの数々は、ダンデが無敗の、最強のポケモントレーナーであることを物語っていた。

――この金色のトロフィーを自分が所持しているということは、勝利に出来ずにいるトレーナーがそれだけ居るということだ。
同じジムチャレンジをしていたソニアだって。何が切っ掛けかは分からないとはいえ、ポケモントレーナーの道を諦めた。

勝負の世界で生きている以上、敗者に対して下手な謙遜や気遣いは相手に失礼だと心得ている。
自分の勝利に対してあくまで貪欲に。その意識は変わらないが、時々足元を見ると、最強ゆえに孤高となったその足場を自覚する。
自覚しているからこそ、チャンピオンとしての務めにより一層励もうと思うのだが。

「誰よりも人に夢や憧れを与えて、ガラル中に誰よりも人に楽しい夢を与えている、か」

オルハの言葉が耳の奥に響くのだ。
理想的なチャンピオンとして、幾度となく言われた言葉ではあるのだが。
不思議とその言葉の意味を強く改めて考えさせられたのだ。

インタビューを受けた際に献本としてもらった雑誌は山積みになってしまっているが、それでも何時帰って来てもいいように綺麗に掃除されていることに感謝を覚える。
チャンピオンという肩書は持っているが、大前提としては一人の青年だ。彼は神ではなく、帰る場所があると安堵できる皆と変わらない所もある青年だ。
下から声を掛けられ、ダンデはリビングに顔を出す。美味しそうな料理が並べられており、ホップは既に椅子に座っていた。
食事に拘りは無く、料理をかき込む所さえもあるけれど、幼い頃からこの味で育てられたのもあって、実家の料理は好きだった。


「普段料理はどうしてるの?ちゃんと食べてるといいけど」
「普段か……かき込むように食べてるから何でもいい所はあるんだけどな」
「なにせアニキはガラルいちのポケモントレーナーだからな!忙しいのも当たり前だって」
「ホップはダンデのことが大好きね。……ダンデ?」
「いや、久々の家族での団らんはいいなと思ってな」


一人のダンデという青年が帰って来られる場所。それがこの故郷であり、実家だ。

芽生えた恋を実らせるのなら――この先の人生を彼女と共に過ごしていきたいと思うのなら。
こういった団らんの絵があるということだ。
常に帰って来られる訳ではないが、それでも帰って来ると「あぁ、落ち着く」と思うのだ。
ダンデは少し思い描いてみて、それは幸せな光景だと実感した。


「さて!オレはそろそろ行くぜ」
「えぇっ、もう行っちゃうのか!けど、試合が近いんだったよな、アニキ」
「あぁ、今その調整をしている所でな。また戻って来るさ」
「オレ、楽しみにしてるからさ!」


ダンデは何時もと変わらず、残っていた食事をかき込むとホップと母親に挨拶をして「試合を見てくれ」と笑い、ダンデは家を飛び出して行った。
来た道ではあるが、ブラッシータウンまで真っ直ぐたどり着けないダンデは再びリザードンに案内を頼みながら、スマホロトムを取り出す。

『オルハ、今度の試合を見に来て欲しい』

キバナに相談する程に悩んだものの、そんなシンプルなメッセージを入れて、ダンデはブラッシータウンの列車に乗り込んだ。

変に捻ったことをせずに、自分の想いを率直に伝えることこそが一番伝わる筈だと考えて。



ハロンタウンから遠く離れたシュートシティ。
朝から勤務しているオルハは記念すべきダンデの10周年を飾るプロモーションを考えながら、各所にメールのやり取りを行いながらパソコンに向かい合っていた。
同僚たちの相談にも乗りながら、自分の業務を進めているオルハは、
頭を悩ませて浅い溜息を吐いた所で、足元でじっと寝そべっていたガーディはオルハの膝の上に飛び乗った。
ずしりとした重みが太ももにかかるが、温かい体温と自分を見上げて笑ってくれるガーディに癒される気分だった。

「ありがとね、ガーディ。リーグ的にはエキシビションマッチを行ったり、街全体でPRして、この街自体を他の地方に宣伝すれば観光的にも……ううん、やることが多い……」

チーム全体でリーグをメインに紹介しつつもショッピングモールや観覧車等の観光スポットも含めて観光用のPRや進めてはいるのだが、
煮詰まってる様子のオルハが見えたのか「オルハ君、大丈夫かい?」と上司は声をかけた。


「はい……いけませんね。折角ダンデ君の節目の大仕事だっていうのに」
「オルハ君は十分にやってると思うけどね。あぁ、そうだ。……来年のプロモーションを考えるにあたって、担当を変えるつもりは無いかとチャンピオンに聞いてみたんだよ」
「!そう、だったんですか。……10周年ですし、もしかして別の方が?」
「いや、他でもないダンデ君に断られた」
「え……」


寝耳に水ではあったが、もうそろそろ担当から外れてもらうという話が出てもおかしくはないとオルハは思っていたのだ。10周年となるまでもう三か月ほど。
プロモーションを準備する期間を考えても、異動や担当の変更の話が来るとしたら今の時期が限界な筈だ。


「記念すべき10年という節目を飾るのなら、君のプロモーションでなければと太鼓判を押してくれたよ」
「そうだったんですか……」


なんて嬉しい信頼なのだろう。オルハは耳に髪をかけながら照れ隠しをするが、笑みが零れた。
仕事に誇りを持って働いている身としても、クライアントにそう思ってもらえることは非常に幸福なことであるし、彼の友人としても信頼してくれていることは喜ばしかった。

メッセージが来た通知が来ていることに気付いて、「すみません」と断りを入れてからオルハは仕事用のスマホロトムをつける。
それはダンデから連絡だった。今度の試合を見に来て欲しいというメッセージ。
担当として、と言うよりも、友人としてのお誘いなのだろうという理解には至ったが、少しの動揺がオルハの中でじわりと広がったのが分かった。

――言ってくれたら席を用意した。
ダンデは常に見に来られないのなら仕方がないと言ってくれていたことをふと思い出す。
彼が来て欲しいと伝えてくれたのは初めてなのだ。

「凄く嬉しい……」

尊敬する貴方に、こうして呼んでもらえることが。嬉しくて堪らない。
スマホを握り、胸元に寄せたオルハはむず痒い感覚に違和感を覚えながらも、今度のダンデの試合を見に行かせてほしいと上司に伝えるのだった。