シトラスの庭
- ナノ -

極夜のあした

リーシャ・マオにとって友人と呼べる人は二人いる。

一人は同じ共和国出身で龍老飯店でホールを担当しているサンサン。
そしてもう一人は同じような境遇で、それでも異なる生き方をしてきたアリシアだった。
闇の中に居ながら迷うことなく行動し、時に闇をも照らすことの出来た人。太陽の輝きが無ければ輝けない月──迷ってばかりの私と違う強さを持った人。
リーシャはアリシアに対してそんな印象を持っていた。
しかし、アリシアはクロスベルの地を離れて、ワジと一緒に星杯騎士団として活動しているから、クロスベルで会えるタイミングも限られている。

今回のクロスベルの解放劇で、二人は久々に顔を合わせることになった。
クロスベルタイムズが改めてアルカンシェルの特集を組むことになり、新作の宣伝にもなるということでアルカンシェルも取材を快諾したこの日。
取材担当のグレイスがアルカンシェルに向かっていた時のこと。
街中で発見した珍しいネタに、彼女は目を輝かせて声をかける。星杯騎士団なんて、滅多に捕まえられないのだから。
それが顔見知りなら猶更、声をかけないわけにはいかなかった。


「アリシアさん、お久し振り〜!もうクロスベルに居ないかと思ってたんだけどこんな所で見かけるなんて本当に珍しいじゃない?ワジ君も?」
「どうも、グレイスさん。今日は私だけなんですよ。ちょっと野暮用で」
「ふーん?どんな野暮用なんだかすごーく気になるけど、答えられないって言いそうね〜」
「ふふ、ごめんなさい。グレイスさんは何か取材ですか?」
「えぇ!今からアルカンシェルにね」
「あっ、私も行こうと思ってたんですけど、もしかして取材で忙しい感じですか?うーん、また別の機会にした方がいいかしら」
「アリシアさんならぜひ一緒に来てくれるとお姉さんも嬉しいな〜何せ、シュリちゃんとかリーシャさんの自然体が見られるかもしれないし」


あわよくば自分も利用して、女優たちの自然体を写真に収めようとしているグレイスに、アリシアも肩を竦めて笑った。
英雄としての役割を担ったロイド達とは別に、彼女達もまたクロスベルにとって希望の星なのだ。
あまりにも沢山の希望や期待を背負っているからこそ、それはそれで心配にもなるのだが。
光の道をただひたすらに突き進む彼らの道を、本当の意味でアリシアは予測することは出来なかった。

公演のないアルカンシェルでは、エントランスホールは静まり返っているが、舞台上から演者同士の会話やステップを踏む音が聞こえてくる。
支配人は部隊ホールに向かい、グレイスの姿を見てシュリを。アリシアの姿を見てリーシャを呼んだ。


「アリシアさん!先日ぶりです。ワジさんと一緒ではないんですか?」
「えぇ、私だけ飛んで来させてもらったの。少し別行動しても大丈夫な位、ヴァルドが成長したのは感慨深いわね」
「ふふ、また自由過ぎるってヴァルドさん達に言われちゃいますよ?」
「ヴァルドにも言われるようになると思ってなかったのよねー……」


食えない所はあるが、規律や規則は実はかなり忠実に守っている方だというのはアリシアを知る者は認識している。
その上で、自由に振舞っているだけなのだと分かっているから、息を抜けているのだと安心出来る要素でもあった。

送れてホールに出て来た、グレイスと会話するシュリはアリシアの突然の訪問に目を瞬かせ、嬉しさを隠せない様子だった。


「あっ、アリシアじゃねーか!何時も急に来るんだから。もうちょっと事前に連絡とかしてくれよ」
「ごめんごめん、シュリ。別件の野暮用で顔を出しに来たんだけど、グレイスさんとばったり会って一緒に来たのよ」
「オレらの公演、今日無いけど、よかったら練習見てってくれよ!」
「うーん、やっぱりアリシアさんが一緒だと自然体が見られるからいいわねぇ〜」
「現金なんですから、グレイスさん……」


シャッターチャンスだと悪戯な丸い目を光らせて無邪気に笑うグレイスに、アリシアは苦笑いをしていたが。その会話を聞いていたリーシャの中で、アリシアの野暮用が引っ掛かる。
ただのオフだったら、そもそもワジと別行動をして街に単身来ているのは有り得ないだろう。彼女が動かなければいけない何かが起こっている、ということでもあるのだ。


「アリシアさんだけが単独で野暮用なんて、何かあったんですか?」
「何となく気になる霊脈の乱れを感知したのを、もう少し調べてみて欲しいって直々に言われてね」
「なるほど……上位三属性に関係する乱れ……だから、アリシアさんなんですね」
「でも、直感でクロスベルに一番ヒントがありそうだと思って来たけど、今の所正直私も何だかさっぱりよ」


何となくクロスベルが今は全体的にぼやけていて、総長と会話した霊脈の妙な乱れの原因も、発生源も突き止められないのだ。
不甲斐ないものだと溜息を吐くアリシアに、気分転換になるのなら、とリーシャはステージのあるホールへと彼女を案内したのだった。

──西ゼムリア大陸を代表とする、劇団アルカンシェル。その看板女優のリーシャと、期待のホープのシュリの舞は、練習においても圧巻だった。
一つ一つの動作に惹き付けられて、目が留まる。

(イリアさんも、あの怪我を経てこの演技は凄いわよね。不死鳥、ってグレイスさんが言うのも分かるわ)

一時は歩行困難だった、復帰も絶望的と言われたイリアがこうして舞い戻ってきた、クロスベルにとっての奇跡。彼女の血の滲む様な努力と執念は、こうして観客を圧倒する。
イリアの演技を見終わり、そしてリーシャの動きを見ていたアリシアは微笑む。流石、リーシャの運動神経のなせる技という所だろう。

(っ、殺気?)

目の前の光景を堪能していた瞬間に走った殺気。
それを感じ取ったアリシアは、角度的に見えない二階席の方を見上げる。

今確かに、リーシャが踊った後に殺気が感じられたのだ。リーシャを狙った刺客か、それとも。
ちらりとリーシャに視線を送ると、彼女は険しい表情でアリシアに分かる程度に小さく頷いた。

──西クロスベル街道へ出ると、殺気を発していたらしい人物と同じ気配の少女がそこに居た。
少女だけではなく、少年も居て、一目で刺客としてペアを組んでいる二人組なのだと分かった。
リーシャの合図で頷き、アリシアは空間転移をし、リーシャは大剣を二人の前に突き刺し、ひらりと蝶のように舞い下りる。
二人──スウィンとナーディアはリーシャを目にして、血の気の引いた顔で武器を構えた。


「先程、貴賓室に隠れていた方々ですね?」
「やっぱあれで気付かれたか……ごめん、すーちゃん」
「それはいい。今は目の前の敵に集中しろ!」
「後ろにも注意しなくていいのかしら」
「!?何時の間に……!リーシャ・マオだけじゃなくもう一人仲間が来るなんて……」
「手を貸すわよ、リーシャ。ワジの許可が無いからあんまり派手に暴れられないけど」
「アリシアさん……」
「ふふっ、折角新公演が控えてるのに、水を差されたくないじゃない?」


後ろを取られる程、気を緩めていた訳ではなかったのに、突然後ろを取られたことに動揺してスウィンは剣を構え、ナーディアも仕込み針に手を伸ばす。
彼女達が手練れの資格であろうと、恐らく正面から力比べをするよりも、隠密や暗殺技術に長けているのだろうということは体格や力の使い方を見ても分かる。
恐らく、自分が手を出さなくともリーシャならば一人でこの二人を交わせるに違いないだろうけれど。
リーシャや彼女の大事にしているアルカンシェルを狙って来たのなら話は別だと、アリシアは双剣を構える。槍を使えない状況だから、致し方がない。

しかし、リーシャと交戦しながら「ナーディア、オレが彼女を引きつける。その隙に、お前だけでも逃げろ!」とスウィンが叫んだことにアリシアの手は止まる。
刺客として命を狙ってきた者にしては殺気や淡々としていないことに、違和感を覚えたからだ。

「死にたくなければ、退いてください」

一度距離を置いた二人のその声は、被っていた。
リーシャとスウィンが、相手を気遣うように退却を求めたのだ。
つまりリーシャか劇団の誰かを狙った刺客でもなく。
勘違いの末にスウィンとナーディアに武器を向けていたことに気付いて、アリシアも「あらら」と肩を竦めて剣を仕舞ったのだった。


「本当にごめんなさい!私が飛んだ早とちりを……」
「いや、勝手に潜り込んで余計な誤解を招いたオレ達が悪いから……」
「……ふむ、刺客を警戒する暗殺者の少女と少年。貴方達……どこかの本で見たような二人ね?」
「何のことかなぁ?って誤魔化してもこれだけ戦った後だから無理かぁ。手配書のつもりなんだってー暇だよね〜」
「手配書作るためにあんなに凝った本を作るなんて……本当にマメというか、執念深いというか……」


お詫びも兼ねてご馳走をしようと、龍老飯店の休憩室でお互いの身の上話をしながら。
伝説の暗殺者である《銀》の正体が目の前のリーシャ・マオであることに、二人は未だに信じられない様子だった。
イメージでもっと冷酷な人だろうと思っていたのだが、話している温厚で穏やかな雰囲気が彼女に会ったからだ。

ナーディア達が殺し屋を廃業し、自分の意志で生きていくと決めた話を聞きながら、アリシアは視線をリーシャに移す。
――彼女は、"もう殺しはしない"とスウィンのように断言できないだろう。
淡々と。淡々と。当たり前のようにこなしていたことだから、嫌々やらされていた道でもないのだ。
黒月との契約を最後に、クロスベルが大変になったこともあって銀としては活動をしていなかった。
だからといって、《銀》を辞めた、という訳ではないのだ。
その考えはきっと、スウィン達よりも、私の方が感覚が近いのかもしれない。
《銀》としての自分に戻りたいのか――その問いに、リーシャは劇団という新しい大切なものを無くせないと断言する。

「無理矢理させられていた二人とは違って、私は父から受け継いだこの仕事を何の感慨もなくこなしてきたから……ただ淡々と……標的の命を奪う時すらも」

命を奪う時に、その重みも背負わなければいけない。
そう考えを改めたと同時に、《銀》が長きにわたって引き継がれてきた意味を考える。
光の道を進む人々の隣に立ちながら、半端に闇の道を進むことになることへの葛藤と、銀を捨てることが出来ないリーシャ。しかし、その在り方に、スウィンとナーディアはあまり疑問に思わなかったのだ。


「悪いやつが、法の抜け道を作って逆に法に守られているとか、そういう時正義だけでは無力なんだ。だからこそ、《銀》のような闇の住人が必要なんじゃないかな?光の傍に居ながら闇の生き方を貫く……とか」
「もし本当に、ひたすら光の道を走る英雄が存在するとしても、きっとこれは彼らには出来ないことだ。彼らの代わりに、誰かがやらなければいけないんだと思う。なんて、そもそもそんな奴らをオレは知らないけどな」
「……ふふ、決定打ね」


リーシャの脳裏に過ぎるのは、スウィンの言う通り、光の道を突き進む英雄だ。
ロイド・バニングス。
彼の往く道を照らせる訳ではないけれど、切り開くことが出来るのなら。
リーシャの迷いが少し晴れたことに、自分のことのように安堵するアリシアを眺めていたナーディアは頬を膨らませる。


「むー、#name3#聞いてるだけで自分のことちょっとしか話してくれてないじゃん〜」
「えっと、アンタは教会の人なんだよな。星杯騎士団だったか……けど少し、雰囲気が……オレ達に近い物がするが」
「私は……そうね、何せ星杯騎士団の正式なメンバーじゃなくて、今は監視の上での協力者っていう位置付けだけど、元々兵器っていう扱いだったから。良くて処刑人ね」
「#name3#が、兵器?」
「えぇ、古代遺物を取り込んだ検体として兵器として登録されて……"そういう処理"をするのも主の為になるしそういうものだと思ってしてきたから二人とは少し違うわね」
「教会の闇だねぇ〜通りでリーちゃんと同じくらい手練な訳だよ」
「しかも、殺気を感じなかったしな」
「……暗殺者と、処刑人。少し違うのかもしれないわね。やってることは結局一緒なんだけど」


処刑人とは、一応法の元に断罪を下す者である。星杯騎士団という独自の法──決まり事を大義名分に、死という審判を下す。だから、殺意というものが希薄なのかもしれないとアリシアは自己分析をする。
ケビンが下法狩りとして、特に道を外れた者達を抹殺していた頃を見て来たから、処理を行うこと自体にはあまり疑問を持っていなかったと言うのが本音だ。

ただ、ワジの元へ行って、人としての生き方を考えてみて。
その道を否定はしないけれど、新しく進むべきだと漸く腑に落ちたのだ。ケビンが千の護り手と名を変えたように。

ナーディアとスウィンに今後会うことがあるかは分からなかったけれど、手を振って別れを告げる。
過酷な環境で育ってきた二人が、彼らの望む穏やかでのんびりとした日々を送れるように祈りながら。


「あーあ、結局霊脈の乱れの原因も分からなかったし、収穫ゼロね」
「あっ、巻き込んでごめんなさい。大事な用があったのに」
「いいのいいの、いい出会いもあったし。それに……やっぱり根本的な原因は私の探知程度じゃ分からないみたいだし。……それだけ妙なことが起きてる可能性も否定できなくなったけど」
「それは……」
「不安にさせるようなこと言ったわね。あくまでまだ直観の段階だから気にしないで頂戴」


二人が、ラピス・ローゼンベルクの入ったトランクを回収しに月の僧院に向かったことは露知らず。
リーシャにも「また会いに来るわ」と手を振って、メルカバ玖号機への帰路に着く。
暗殺者であった彼らが新しい道を歩んでいる姿は、他人事のように思えなかった。

東通りの石畳を踏み鳴らしながら歩いている途中でオーブメントを開く。
ワジに今から帰る報告を入れつつ、お土産でも買って行こうと思い立ち、話題を振ってみる。


「お酒を買って帰ろうかと思うんだけど、どんなのがいいとかある?」
『そうだね。フフ、店員に「夫へのプレゼントなんですが、オススメはありますか?」って聞いて買ってみるのもいいんじゃないかい』
「っ、からかってるわよね!?」
『あれ、僕は何時だって真剣なつもりなんだけどね』


真面目に答えてくれないんだから、と零しながら通話を切ったアリシアの表情は怒っているわけでもなく、嬉しそうに綻んでいたのは本人だけが知らないことだ。
アリシアはワジの好きそうなお酒を買って行こうと軽い足取りで中央広場へと向かっていく。
自分を導く光は、光の道ではないけれど。彼との出会いがあったからこそ、今の自分があるのだ。