シトラスの庭
- ナノ -

風吹き抜ける聖域

新しい守護騎士――二年弱前は処分の判断を下すことのできる守護騎士の存在はケビン・グラハムを除けば驚異であったけれど。
セルナート総長とワジという監視者兼、理解者を得て、閉鎖的だった世界は一気に窓が開いて青空の下の大きく一歩を踏み出すことになった。
アリシアが知っている守護騎士は、ワジを通して知り合うことが出来た人々のみだ。

――そんな中で、教会に突然舞い込んで来たニュース。硝煙など似合わない雄大な大地、ノルド高原でのバルクホルン神父の訃報は、守護騎士の中でも事件だった。
模範的な神父であり、例のノーザンブリアの塩の杭の回収にも一役買い、守護騎士として偉大だった人。
アリシア自身は話に聞くのみで、会話をしたことは無かった。しかし、ワジもまた世話になってきた人が殉職したという話に、アリシアも思う所がない訳ではなかった。

「……守護騎士が亡くなる、か。……それだけ、教会の中でも特別危険な任務に赴いてるってことだけど」

アルテリア法国に向かうメルカバの甲板から空を仰ぎ、ゆっくりと目を瞑る。

ケビンの時も散々思っていたことではあるけれど、四六時中引っ付いてサポート出来る訳ではない。
そんな中でも、力を持っている責任を背負っている彼らは無茶をしてしまう。一体どれだけアリシアもケビンの自分をすり減らすような無茶に肝を冷やしてきたかは分からない位だ。
そして今では。恋人であり、パートナーになったワジが守護騎士という立場が故に危険な綱渡りのような状況にも飛び込んでいってしまうのを、心配していない訳ではなかった。
勿論、アッバスだけではなく、今ではヴァルドやスカーレットという頼もしい従騎士も居るのだけど。

「……守られたがらないだろうけど、私が居る限りは……絶対に守らないと」

――きっと、ワジは自分を大事にしろと言うんだろう。
だってそういう生き方をしてしまっていたことを、ワジは良く知っている。
自分の為に命を使えない、そんな、人から見たら憐れな生き方。それでも、アシリア・フルフォードという人間は物心つく前からこうして生きてしまっていた。
依存するその人の道をそうやって切り開く役目を担えるのなら。満足だと思ってしまっている自分がそこに居るのだ。

ワジと共に道を進むようになり、自分の思うままに進むということを知り始めたけれど、もしも自分の力が及ばずにたすけられなかったりなんてしたら。私は私を許せないのだ。
それは自己犠牲と言う訳ではなく。
大げさと言う訳ではなく、自分の生きる目的を失ってしまうから。

「それだけは……どうやったって、治らないんだね私は」

同じように空っぽだったけれど、未来を直観できるレクター・アランドールの見る世界を吸収して、彼の進む道をまず守ろうとして。
それが二度と叶わないと知って諦めて。兵器として生かされることを淡々と受け入れながらも、人として扱ってくれたケビン・グラハムの進む道を何を犠牲にしても切り開こうとして。
人の為に生きることを目的にしていた自分が自由になった時。

「こんな所に居たのかい、アリシア」
「ごめんワジ、操縦をスカーレットさん達に任せちゃって」
「いいや。……さっき、総長から入った連絡を気にしてるのかなと思ってね」

通信で入ったバルクホルン神父の訃報と共に新しい守護騎士が八位に就くという情報に、もう気にする必要は無いというのに反射的にびくりと肩を震わせて表情を強張らせたアリシアに、横で見ていたワジは気付いていたのだ。
もう、守護騎士によって命を管理されるような状況からは解放されたはずなのに。

「……どんな時代でも次の守護騎士が誕生するっていうのは、本当なのね」
「あぁ。僕みたいに潜在的に聖痕が刻まれていて、ある切っ掛けを機に目覚めるというパターンもあるけど……今回はバルクホルン神父に直々に託された感じのようだね」
「そんなことも、あるんだ」
「アハハ、彼が託すくらいの人だから僕よりもよほど人格者だろうよ」
「確かに。それ、否定しないからね」

――トールズ士官学院旧Z組の一員、ノルドの戦士であるガイウス・ウォーゼル。
新しく守護騎士としての業を背負ってしまった人。ワジにとっては後輩のような位置付けになる久々の新しい守護騎士が彼だった。


守護騎士も任務で各地に駆り出されているような現状のために法国に常時滞在出来る状態に無いことで、手が空いている守護騎士が新たな第八位に教えるという体制に決まった。
法術や教会にだけ伝わっている教え、それから聖痕を用いた戦闘を教えていくということで、報告ついでに法国に戻って来たワジが抜擢されたのだ。
ワジの元には従騎士も含めて、そしてアリシア自身も含めて実に個性的な面々が揃っている。
しかし、法王に直々に任命されたガイウスの言動や姿勢を見ていて、アリシアは「こんなにもまとまな人格者が守護騎士になることもあるんだ」と純粋に思ったのだ。

勿論、ワジやケビンはともかく、総長や副総長には聞かせられないとは自覚しているのだが。何せ自分の周りに居た人たちはあまりにも個性が強過ぎる。
帝国に隣接する広大なノルド高原という広い土地を自然と風の赴くままに身を委ねて生きる遊牧民。
帝国出身者のアリシアとしては、ドライケルス大帝が戦力を整えた場所という認識があった。

「ワジ、今日の午後から新しい守護騎士になったっていう彼の指導があるんでしょ?どう?」
「ガイウスは優秀だね。流石は……バルクホルン神父が選んだ人だ。教会の教えとか法術の覚えるスピードもそうだし、元々の武術の腕前が凄いね」
「そっか。去年辺りからよく名前を聞くトールズ士官学院Z組の一人なのよね。灰の騎士の学友とか」
「同じ槍使いなら君と手合わせすると、ガイウスも刺激を受けるんじゃないかい?」
「ううん……私のは色々と変則的な型破りな槍の扱いだけど、それでもいいのかな……何せ、槍の大きさも本数も一応自在に変えられるし」

アリシアが回収するのに吸収したがために管理と使用を認められている古代遺物、幻の聖槍。一つの形にとどまらない為、大振りの巨大な槍にも出来れば、小さな槍を幾つも出現させられることが出来る。
純粋な槍使いとは使い方が少々異なると言っても過言ではないだろう。

「アルテリア法国にいる間、ガイウスのトレーニングに付き合うつもりだよ。総長も扱くのにノリノリだから、僕で慣れさせておかないとね」
「……総長のトレーニング、本当にオススメしないけど……なんかそれ聞いたら手合わせして瞬間移動みたいな奇襲にも慣れさせた方がいいような気がしてきた……」
「アリシアの空間移動にも付いていくどころか総長は先読みするもんねぇ。あの強さは正直化け物級だよ」
「怒られるわよ……でも、なんかワジにしては本当に面倒見が良い気がするけど?」
「こんな状況下で新しく誕生した守護騎士ともなると……弟みたいな気持ちになるというか」

ワジが零した、きっと彼が初めて抱いた感情に、アリシアはぱちぱちと瞬いた。
元々テスタメンツのヘッドをしてまとめ上げていた位だから面倒見が悪いと言う訳ではないけれど、ワジの生い立ち的には弟のように感じられる人が出来たというのは貴重なことなのだろう。
ワジがそういう位なら、自分も誠心誠意、教えられる立場にあるかどうかは置いておいて、出来るだけのことをしようとアリシアは決断する。

何せ、副総長の話的には、帝国の根本的な問題は何も解決していないということなのだから。それまでにどれだけ早く教え込み、間に合わせることが出来るか。

ガイウスとの集合場所になっている本部の荘厳な造りになっている清廉さを感じられる広間へと足を伸ばすと、真面目な性格は流石なもので、先にそこでガイウスは待っていた。
沢山家族の居る家で長男だったらしいガイウスが、Z組でも頼れる仲間として落ち着きを払っているガイウスが、この守護騎士では弟のように扱われているのは本人からしたら少し新鮮な感覚だった。
褐色の肌と、体格の良さ、それから赤を基調とした守護騎士としての服。年齢以上に落ち着いて見える冷静さと穏やかで頼りがいのある面倒見の良さは、やはり"兄"と表現するのがしっくりとくる。

「ヘミスフィア卿、それにアリシア。ご無沙汰しています」
「やあ、ガイウス。指導量の多さにふらふらになってないかい?確か僕の前はケビンが見てくれてたんだっけ」
「どうも、ウォーゼル卿。ケビンとワジがお世話になってるわ。……正直二人とも型破りな方だから」
「アハハ、そうかい?総長からして星杯騎士団ってこういう感じだけど」
「想像していたのと少し雰囲気が違うなとは思いましたが、いい雰囲気だと思います」
「今度は私も手合わせをさせてもらうから、よろしくね」

体格のいいガイウスに手を差し伸ばされて、アリシアは目を開いた後に、その大きな手を握り返す。
丁寧な言葉で話しかけた初対面の時も「俺の方が新人なのだから、敬語はやめてほしい」と提案して来てくれたけれど、何気ないその優しさや気遣いは、アリシアの胸にすっと染み渡っていく。

教会の人とこうやって打ち解けて行くのを見て、まるで自分のことのように嬉しそうに微笑んでくれるワジに、アリシアは目尻を下げる。

――ワジは人に恵まれていると時々零すけれど、私にとっても恵まれた出会いのお陰で今ここに居ることが出来ているのだから。