シトラスの庭
- ナノ -

366日目のリスタート

兵器として登録された少女は、碧の大樹を巡るクロスベルでの動乱を機に、新しい未来を歩み始めた。
生き方を無意識に真似た慕っていた二人と別れを告げて、自分の意志を優先して生き始めたのだ。
ただし、現守護騎士第一位と第九位の管理下に置かれ続けるという制約付きではあるのだが――守護騎士第九位、《蒼の聖典》ワジ・ヘミスフィア。

彼はアリシア・フルフォードの人生も生き方も全てを変えて、手を引いた恋人だった。

「……凄く今更なんだけど、ワジの立場で恋人って居ていいものなの?」
「藪から棒にどうしたんだい急に」
「いや……その、今日新しい従騎士の人が第九師団に合流するじゃない。今までアッバスとかヴァルドとか、他の人も事情を知ってくれてたから気にしてなかったんだけど……」

総長であるセルナートに呼び出されていた第九位という立場であるワジは、メルカバで教会の総本山であるアルテリア法国へと戻って来ていた。
滞在中、元クロスベルのサーベルバイパーのリーダーである従騎士見習いのヴァルド・ヴァレスを引き続き訓練するのは最も長くワジを従騎士として支えているアッバスであり、後進の育成を任せ始められている。

アリシアはというと、基本的にヴァルドの面倒は戦闘面やメルカバ等の操縦等についてしか協力していない。
何せ、アリシアという女性は従騎士ではないのだ。あくまでも教会が管理している協力者であり、元々は封聖省が管理していた人の身に余る奇跡を身に付けてしまった兵器だ。
文学や知識として教会に関する知識はあるけれど、アリシアの立場上、禁書や一部の聖典の閲覧は許可が下りなかったし、法術の心得も無かったからだ。

「まぁ、普通の神父だったらアウトだろうけど、うちはほら特殊な立場だし。フフ、アリシアと生涯を共にするって法王陛下にも誓っちゃったし、今更じゃないかい?」
「誤解されるような言い方よね!?監視の権限を一任するって意味だっただろうけど……」
「僕的には大差ない違いさ。新しい人も、僕らの惚気けっぷりに諦めて慣れると思うけどな」
「……だ、誰がいつどこで惚気けたっていうのよ……まったく、ワジがそういう調子だから周りも諦めるというか」

元々確信犯的に勘違いさせるような言動が多いワジに、普段人を振り回す方のアリシアもよくこうして振り回される。
教会の中でも実行部隊である星杯騎士団はやや特殊な立場にある。聖痕によって使命を定められている守護騎士は特に、聖痕が発現してしまったから教会に所属することになったという人も多い。だからこそ、総長を始めとして型破りな人間が多いのもまた事実だ。

新しくワジの元に来る──別の言い方をすれば、要監視対象として更生する場所を与えられたのは、帝国の元テロリストであるスカーレットという名前の女性だった。

「話に聞いたわ。元々従騎士だったけど鉄血宰相による鉄道路線の拡大に伴って教会を抜けて、帝国解放戦線というテロ集団の幹部をやっていたそうね」
「流石、僕がまだ詳細を言ってないのに詳しいね。察するに、ロジーヌ辺りから聞いたのかな?」
「そうそう。あの内戦を引き起こす布石になって、帝国軍の死者も多数……まぁ、彼らの仲間である人達がクロスベル入りして、赤い星座によって掃討されたのを私たちは目の前で目撃した訳だけど」
「そう繋がって来るなんてね。まぁうちも前科を問うと言うより、その分も献身を立てろって方針だからね。それを言ったらヴァルドも魔人になってクロスベルを……旧市街を壊したし、彼女についてもそういうものだって僕は認識してるよ」

社会的に許されないことをしたというのは事実だろう。だが、ワジとしても、そしてアリシアとしてもその事について深く追求するつもりはなかった。
これから他でもない自分自身が自分の道をどうするか決めて、従騎士としてどう過ごしていくか。それを判断基準にしていたし、人のことを言えるような明るい過去を歩んできて訳でもない。

総長の待つ本部へと足を進める二人だが、道歩くワジに会釈する従騎士は数多い。
ワジは隣を歩くアリシアに視線をちらりと移して、以前よりも居心地が悪そうではない事に安堵した。

(本部を自由に出歩く権限さえ前は与えられてなかったからね)

教会に所属しているという事実と存在自体が機密事項にされていたアリシアが法国内はともかく、本部を自由に歩く権限はなかった。
呼び出されている時は直接転移を行って、関係者以外の目に触れられることもなく本部に足を運んでいた。
普通に教会本部を歩き回れるという当たり前のことが、アリシアにとっては特別なことだったのだ。
今では法国内の店で、リース・アルジェントと同じく買い歩きを自由に楽しんでいるが。

どうやら、自由に連れ回せるようになったということもあって、このアルテリアに滞在している間の時間がある時は総長自らアリシアを飲み屋に連れて行くこともあった。
歴代最強と呼び声の高い総長だが、ケビンと同じく自らをすり減らして突き進んできたアリシアを心配していたのだ。
そんな総長の部屋の扉をノックして開くと、彼女と今回呼び出された理由である新しい従騎士の姿がそこにあった。

「お待たせしたよ、総長」
「あぁ、ワジか。それとアリシアも呼び立てて悪かった」
「いえ、この呼び出しが総長の訓練だったら震えてましたけど」
「はは、私としては鋼と交えて成長した君の腕前を確かめたい気持ちは何時だってあるが。……さて、本題だ」

守護騎士第一位である星杯騎士団の総長を務めるカーネリアの主人公にもなったアイン・セルナート。
彼女の横に居るのは眼帯をつけた長い赤毛の映える妖美な女性だ。話には聞いていたが、場数を踏んでいるという印象を受ける。

「私はスカーレットです。……事情はお聞きしていると思いますが、よろしくお願いします。ヘミスフィア卿」
「あぁ、今日からよろしく頼むよ。僕も改めて、守護騎士第九位、《蒼の聖典》ワジ・ヘミスフィアだ」

挨拶をする二人に自分の立場上どう名乗ったものかと悩むアリシアに、セルナートは「少しアリシアと話してもいいか」とワジとスカーレットに声をかける。
セルナートの話の話題があまり良くないものだと察したワジは「スカーレットに軽く僕から先に説明をしておくよ」と声をかけて、先に執務室を後にする。

セルナートが自分を指名して呼び出すなんて珍しいこともあるものだとアリシア本人も思いつつも、それが確実に世界的な情勢や裏での状況があまり思わしくないことがあるのだと察してしまう。

「各地で色々起きていますが……私に問おうとしてるのはどういう件でしょうか、総長」
「アリシア、教会とは違う目線で、近年の霊脈の異常は君にとってどう感じる?」
「……クロスベルの碧の大樹からの影響は止まっていると思います。ただ、帝国に最近足を運んだ訳では無いのでなんとも言えませんが……単純な乱れと言うよりも、なんと例えるのがいいんでしょうかね……」

アリシアの観点。それは彼女が教会において兵器として登録されていた所以だ。
上位三属性の中でも、空間を操る古代遺物を聖痕のように深層意識に埋め込むという実験の被害者であり、適合したが故に神機アイオーンのようにその力を使えるようになった。
一属性だけとなると因果までは見えないが、属性の乱れーー所謂、霊脈の乱れには人一倍敏感になり、能力にも影響を受けやすくなっている。

「"それ以外"の物を感じると?」
「はい。……意志のようなものが。直感的にはあまり良くない物のような気がします。本来、帝国内の状況を広範囲で視ることが負担はともかく霊脈の活性化の力を借りて可能になる条件が揃っているのに、……」
「寧ろアリシアの上位三属性を利用した透視による介入を拒むような性質を感じるということか。ふむ……その言葉、心に留めておこう」

帝国の歴史が古く、表に出ていない様々な勢力が根ざしているのは事実だ。
帝国にも、かつてクロスベルに存在したデミウルゴスのような七の至宝の存在にまつわるものや黒の史書といったものが存在する。
しかし、帝国に幼少期居た自分がその辺について詳しいかと問われると、今では帝国で過ごした日々と同じ位の月日を帝国外で過ごしているのもあって、そこまででは無かった。

「あぁ、そうだアリシア。ケビンが君に会ったら『無理だけはするな』って伝えるように私に言っていたよ。ふふ、随分とケビンも変わったものだ」
「……感謝が尽きませんね。私としてはケビンの方こそリースさんに心配をかけてまで無茶しすぎるなって言いたいですけど」
「君らはやっぱり似ているよ」

正しくはアリシアがケビンの立ち振る舞いや思考をトレースして無意識に寄せた結果ではあるが、そのことについて触れるのは野暮だとセルナートは笑った。

彼女に頭を下げて部屋を出たアリシアに「話は終わったかい?」と、廊下で待っていたワジが声をかける。

「彼女との話は一段落したの?」
「あぁ、軽い説明はね。細かな所はアッバスにでも任せるつもりだよ。うちはなかなか癖の強い人間が多いから、よろしく頼むよ」
「……私を見て言わないでくれる、ヘミスフィア卿?」
「貴方は、第九師団の従騎士、かしら」
「第九位の直属の部下という意味では正しいのですが、私は従騎士ではないので改まらずとも大丈夫です。私はアリシア・フルフォードよ。宜しくお願いしますね」


直属の部下ではあるが、従騎士ではないという言葉の矛盾に、スカーレットは疑問を覚える。

──ヘミスフィア卿と同じ年くらいの少女で、教会を掲げる金色のメダルも確かに見られない。
だけど、手練だというのは分かる。この年齢にして、ワジと同じく場数を踏んでいるのだろう。

「アリシアは何と言うか……僕と総長の直轄の部下って感じでね。法術は使えないけど、有能なパートナーだよ」
「少し立場が特殊ですけど、同じ第九位のヘミスフィア卿に仕える同僚だと思って頂ければ」
「……君がヘミスフィア卿って言うのかなり違和感があるんだけど」
「……、一応正式な挨拶だから。まったく、初めが肝心なのに水をささないで、ワジ」
「随分と信頼が厚いのね、貴方たちは。長年パートナーを組んでるの?」
「いえ、ちょっと色々あって一年前から。私はそれまで第五位のケビン……っと。グラハム卿の元にいましたから。何せ、私はワジのことを守護騎士って知らずに特務支援課で同僚になったわけだし」
「いやぁ、知られてたらアリシアは僕に近付こうとしなかっただろうから今となっては好都合だったよね」

ワジの軽口に対してジト目を向けるアリシアの会話を聞きながら、スカーレットは察する。守護騎士の面々は個性的な人が多いとは聞くけれど、教会の神父やシスターらしい雰囲気からはこのワジ・ヘミスフィアという青年は特に離れているタイプなのだと。
そしてスカーレットの見解は、上司と部下という立場であるけれど、二人はかなり砕けた仲であるというものだった。
クロスベルでの動乱で二人が関わっていたとなれば、結社と共に進めていたという幻炎計画のクロスベル側の碧の大樹の件だろう。
元星杯騎士団に所属していたシスターといえども、鉄血宰相を討ったと思った後のことに関心が芽生えなかったから、クロウがヴィータ・クロチルダの協力をしていた件の詳細はスカーレットも知らないのだが。

「また配属された場所がこの第九師団っていうのも正直、今後のスカーレットさんの胃が痛くなりそうな気がしないでもないけど」
「アハハ、アルテリアとか潜入先のグルメ巡りに僕を引っ張るアリシアが言うことじゃないよね」
「そう?仕事はちゃんとしてるもの。それにホストとか不良チームのヘッドしてたワジに比べたら私はまだまともな潜入先のような気がするけど」

──胃が痛くなるかは、ともかく。
過去についてあまりつついてくる訳ではなさそうな人達ではあるけれど、本人達が自覚している通り、かなり個性的な人員が揃った師団に配属されたことをスカーレットは会話の端々から実感する。
シスターを一度やめてテロリストとなり、国を内線へと導く一端を担った自分には、丁度いい場所なのかも知れないが。