スチール・ブルー
- ナノ -

5月28日

ルリナからその連絡を貰った時、意外だとは思わなかった。
驚きはしたけど、ルリナが誰かを好きになるとしたら。そんな想像をした時に、彼は"あり得る人"だった。


「いやーまさかルリナからそんな話を聞くことになるとはねー」
「……私だって予想はしてなかったんだから」


エンジンシティのカフェに集まって、先日ルリナから連絡を受けた件を直接確認する。
頼んだコーヒーにフレッシュミルクを入れて、くるくるとマドラーでかき混ぜながら、帽子を被って変装をしているルリナの顔を覗き込む。
長年の付き合いもあって、ルリナの表情が特別なものであることを、知っている。恋してるんだなぁ、可愛いなぁって。
その相手がイチイさんだっていうことには心底納得してしまった。


「でもイチイさん、ポケモンバトルも強くて建築デザイナーとしても有名で、華がある人だしね。ルリナの特訓にこんなに付き合ってくれてるなんて脈ありじゃないの〜?」
「脈ありかどうかは置いておいて、私以外のトレーナーに頼まれたら二回くらいまでは付き合うって言ってたんだよね」
「……ルリナ、もっと手合わせしてもらってない?」
「そうなの!しかも私の努力は、夢を持てるような眩しさがあるって、言われて」
「わあー、何その口説き文句!?」


彼を気になっている人がそんな風に言われたら、意識してしまうだろう。
イッシュ地方の元四天王で、ルリナと同じく二つの道を極めた人。ルリナだってトップモデルでジムリーダーをしているから、人にとって憧れられる人だけど。
きっとルリナは彼に憧れたんだろう。だから、ポケモントレーナーとして成長するためにブラッシータウンまで来て頼んだくらいだから。

「ルリナのことを初対面の時も助けてくれたんでしょ?本当に良い人だよね」

ルリナという女性が誰かに恋をした。それは親友の私にとっては嬉しいことだったし、相手が知っている人なら尚更応援したかった。
ナンパから助けてくれながらも名乗ることなく、そして助けた相手がルリナだと気付かずに別れたような人。
その後はルリナのポケモンバトルの特訓に付き合って欲しいという申し出を快く受け入れて、暫くバウタウンに滞在してくれているほどだ。
ルリナが言うように、彼が本来何回もバトルのトレーニングに付き合わないタイプなのだとしたら、「どうしてルリナには付き合ってくれるのか」という疑問が浮かんで当然だ。


「でもさぁールリナ。少し気になったんだけど、それって、何時バウタウンから居なくなってもおかしくないんじゃない?」
「はぁ……そう、そこなんだよね……何時まで居てくるかって分からないし。ただでさえもう3週間くらい居てもらってるし」
「ねね、やっぱさ」
「……なに、その笑顔は」
「ルリナからアタックしてみるしかなくない!?」


提案をした瞬間に、ルリナは飲んでいたコーヒーを吹き出しかけていた。
そんな姿に、やっぱり親友ながら可愛いなぁと思うもので、この姿を是非ともイチイさんに見せたくてたまらなかった。
積極的ではない訳ではないけど、ルリナは肝心な所で少し奥手だ。言ってみたものの、猛アタックするイメージは湧かなかった。
アプローチをしてみて気恥ずかしそうに誤魔化そうとする姿は想像がつくけれど。

どうすればいいか思い悩んでいるらしいルリナは窓の外を眺めて、物憂げに溜息を吐く。
遠くをぼんやりと見ていた彼女が店の外の光景に目を留めて、瞬いていることに気付いて、視線を同じ方向に向ける。


「なに?あの人だかり」
「あ、本当だ。カブさんがファンサービス中とかじゃなくて?」


カフェテラスから見える、大通りの人だかり。どちらかというと女性の方が多く見えるが、男女問わず、子供まで集まっているようだった。
エンジンシティでこうも人だかりが出来るとすれば、エンジンシティのジムリーダーか、ダンデ君だろう。
流石の人気だなぁ、なんてぼんやり他人事のように考えていたけれど、今度はルリナの顔色が変わった。


「イチイ君!?」
「……、え!?」


ルリナの想い人の名前が聞こえて一瞬反応が遅れながらも、彼女と同じように身を乗り出してその人だかりを凝視した。
人混みで良く見えないけれど、見覚えのある頭にこれまた見覚えのあるパチリスが乗っかっている。
間違いなく、イチイさんだった。ただ、これまで別の地方の四天王ということもあって、気付いている人も限られていたのかあまり声をかけられている所をあまり見なかった。
けれど、彼の経歴を考えたら"ガラルに帰って来たイッシュの元四天王"として、人が集まって来るのも当然というものだろう。
人だかりを見ながら、動けないでいるルリナに「今行かなくてどうするの」と声をかけて、私はコーヒーを飲み干す。

悩んでいたらしいルリナも、気合を入れるようにコーヒーをぐっと飲んで、席を立ちあがった。
外に出て、人だかりの出来ている方へルリナと駆け寄って、「おーい」と手を振る。ワンパチもイチイさんの方に駆けて行って、人込みの中をすり抜けてイチイさんの足元で元気よく跳ねる。


「ん?ワンパチ!」
「イチイさーん」
「あれ、ソニアと……、あぁ!悪いな、知り合いと待ち合わせをしていたもんでそろそろ失礼するよ」


イチイさんは周囲に居る人達に手を振ると、ワンパチに案内されるようにこちらに向かって駆けてくる。
へらりと笑いながら「助かったー」と呟くイチイさんはルリナに気付いていたようだけど、騒ぎにならないようにルリナの名前を呼ばなかった。
こういう気遣いが自然とできるのは流石だ。膝を折ってワンパチの首元を撫でてくれている姿に、格好いいポケモンも本当は似合うだろうけど、可愛いポケモンの方が何だか似合う訳だと再認識する。


「やー、悪いなルリナにソニア。俺が元四天王だって気付かれたみたいで。というか、二人もエンジンシティに来てたのか!まさか行先同じとは思わなかったな」
「今日はソニアと会う約束をしていて。イチイ君こそどうしたの」
「エンジンシティの建築を見に来た!って言いたいんだが、ポプラさんの試合を見に来たんだ。誘われてね」
「そういえばポプラさんと同郷の知り合いなんだっけ」


「なるべくポプラさんの試合は見ておきたいんだ」と語る彼は続けて「二度と見られなくなる前に目に焼き付けないと後悔するだろうって本人に言ったら女心が解ってないって言われたけどね」と肩を竦める。
確かにアラベスクタウンのポプラさんは高齢だけど、聞きようによっては確かに失礼なような。
冗談を言い合える仲の二人だからこその会話らしい。


「そういえば、モテモテじゃないですかイチイさん〜あんなに囲まれるなんて」
「ソニアにはそう見えるのか?俺なんてどれだけポプラさんに女心が分からないって言われてきたことか……それに、四天王以外では建築の勉強に専念してたから、俺って本当につまらない男だったんだよな」
「い、意外ですね。もっと自由にしてるかと思ったんですが」
「そうか?勉強熱心って言ったら言い方はいいけど、建築の勉強かポケモンバトルに専念してたらギーマによくもう少し遊び心を持った方がいいって言われたよ」
「パチパチッ!」
「こらパチリス、うんうん頷くなよ。遊びの薫陶を受けようとギーマとポーカーしても全然勝てなくて傷ついたんだからな、俺」


誰かと付き合ってもつまらないと言われてきたのか、それともそういう縁自体がそもそも無かったのかは不明だけど、この反応は間違いなく今は付き合っている人は居ないということだ。
目配せをして、ルリナにそのことを伝えようとすると、ルリナは俯いてしまう。
帽子で見えづらいけれど、顔を赤らめているのが分かった。やっぱり、我が親友ながら可愛いなぁって思っていたのだけど。
顔を上げた彼女は、真っ直ぐ凛とした瞳でイチイさんを見詰めて、本音を語る。


「これだけ専門的に色々知ってて、好きなことを極めてるイチイ君ほど面白いと思う人を私は知らないけどな」


水を打つような、ルリナの言葉。
好意を自覚した後の褒め言葉は、好意の言葉そのものだ。
私も驚いたけど、それ以上に驚いているのは褒められたイチイ君本人だった。ぱちぱちと瞬いて、頭を掻いて「あー……」と呟く。
その頬が少し赤らんでいるのを、パチリスは尻尾で頬をぺちぺちと叩きながら指摘しているようだった。


「イチイさん?」
「正面きって褒められると……俺も、照れるさ」
「あらら、この方が意外かも」


――脈が全く無いわけではないんじゃない、ルリナ?
そんな期待を胸に抱いて、足元でそわそわして嬉しそうなワンパチを抱き上げる。
ルリナは案外奥手ではあっても気持ちを伝える時は真っ直ぐだ。
うまくいけばいいのに。親友として、そう願わずにはいられないのだ。