スチール・ブルー
- ナノ -

5月20日

目を閉じたら、閃光のような稲妻が瞼の裏に浮かぶ。
水を電気が伝うという表現が正しいのかもしれないけれど、まるで水を切り裂くような雷光。
それだけ、連日のバトルは私にとって衝撃的だった。

「はぁ……今日も負けた」

電気使いのイッシュ元四天王、イチイさん。
相性が悪いからという理由だけでは説明出来ない程の強さが彼にはあった。
穏やかで可愛いポケモンも使っている印象とは違って、攻撃的な怒涛の雷の蓮撃。

勿論、負けることは本当に悔しい。しかし、彼はライバルと言えるような相手ではない。
相性以外にも実力差が明確にあるのは流石に自覚している。
こちらの技も引き出してくれて、工夫した技が当たると彼は純粋に「今のは凄く驚いた!いい攻撃だ!」と悔しがるわけではなく純粋に評価してくれる。

「今日は休み、か……本業もあるだろうし、忙しいよね」

リーグに参加していない彼の本業は今はポケモントレーナーというよりも建築デザイナーに重きを置いているだろう。
稽古をつけてもらっている間、彼はその仕事ができなくなるのに、この二週間は毎日のようにトレーニングに付き合ってもらっていた。
そのことが申し訳ない反面、こうして会わない日がいざ来ると。

「……、わ、私、何考えてるの」

──物足りない、なんて。
会えないのは寂しいと、思っているなんて。
もっとバトルをしたい。そしてイチイさんにも勝ってみたい。
その思いが強いからなんだろうと自己分析しながらドレッサーで自分の顔を確認して、溜息を吐く。

本当にそうなの?思わずそう問いかけてしまいそうになるくらいに、私はつまらなさそうな顔をしていた。


朝のトレーニングを終えて、午後から珍しくフリーになった今日。
ショッピングに行こうか、それとも釣り堀に向かって釣りに行こうか。
ショルダーバッグを手にして、潮風が肌を撫でるバウタウンの町を散策する。
ナックルシティやエンジンシティのように大きな町ではないけれど、昔から馴染んでいる町だからこそ一番心が落ち着く場所だ。

足元に来たパチリスが目に入り、ふと足を止める。
このガラル地方ではあまり見かけないポケモンで、最近では身近になっていた存在。
膝を折って抱き上げようとすると、丁寧に頭を下げて後ろを指さす様子に、その性格的にイチイさんのパチリスなのだとすぐに分かった。
パチリスを肩に乗せて指差した先を見ると、カフェテラスの席に座っている彼を見つけた。

(イチイさん、珍しく眼鏡してる……本を読んでるから?)

作業をしているからか、遠くから見て眼鏡をかけているのが分かった。
雰囲気がいつもと違うから新鮮だった。本当に、よく、似合っている。カフェの中でも一際目をひいていて、目立っていた。
本業の仕事をしている彼の邪魔をするのは気が引けたけれど、パチリスを戻すために近寄ると、彼は顔を上げて気づいてくれた。


「あれ?やあルリナ。悪い、パチリスが迷惑かけたみたいで」
「いいえ、バウタウンに居たんだ。今日はお休みだと思っていたからてっきり他の街に行っていると」
「この町の建物の外観とか、カフェの内装とかを観察しつつ、サーフ風を取り入れた案をいくつか考えてみたくてさ。バウタウンを眺めてたんだ」


彼の手元にはノートパソコン。そして、本屋で買ったのだろうインテリア系の雑誌が2冊ほど。
歳はそう変わらないだろうけれど、イッシュ地方のジョインアベニューを任されたほどだ。
その成果物を直接見たことはないけれど、イッシュ地方に単身留学するくらい勉強熱心な様子は素直に尊敬できた。
だから、彼は二つの夢を叶えることが出来たんだろう。


「サーフ風……言葉の響き的に、港町だから合いそうね」
「そうなんだよ!モダン、ブルックリンスタイル、インダストリアル風……その辺りは一通り勉強して得意なんだけど、ルミナスメイズの森の奥が出身な分、サーフ風ってあんまりイメージの引き出しが無くてさ。あぁ悪い、こんな俺の仕事の話なんて」


恥ずかしそうに頭をかいて謝るけれど、仕事の話をしている彼はポケモンバトルをしている時のように生き生きとしていた。
どんな世界でも、自分の志す道でトップを目指す人の姿は眩しくて、尊敬できる。
でも、イチイさんはそんなことを感じられなさそうなほどに今自分のしたいことを楽しんでいるように見えた。
四天王の座から降りて追われるものがなくなり、余裕が出来てるから?
──きっと、そうじゃない。理由は分からないが、楽しみたいからやめた訳でもないし、重荷を軽くしたいからやめた訳でもないんだろう。


「よかったら一緒に何か飲んでいくかい?」
「えっ、でも勉強してる所にお邪魔するのは悪いというか」
「構わないさ。好きなものを言ってくれたら買ってくる」
「あ、アイスコーヒーで……」


飲みたいものを確認したイチイさんは、席を立ち上がって、座ってパチリスと共に待っているいるようにと声をかけてくれる。
「自分で買いに行きます」という前に動いている大人な対応に、気恥ずかしさと申し訳なさに頭を押さえる。
立場を感じさせないほどに気遣いが出来る性格と人柄。
彼はプレートにアイスコーヒーと3個のカップケーキを乗せて戻ってきた。


「はい、ついでにケーキもよかったら。ソニアとも時々一緒に食べるって言ってたからさ」
「ありがとう……意外。ケーキとか食べるんだ」
「そうか?頭働かせたい時はコーヒーだけじゃなくてチョコをつまんだりもするよ」


チョコチップがまぶされたケーキとか食べたりするんだ。
スイーツが得意だというのは意外だったけど、共通点が見つかったのは嬉しかった。
だって、思えばイチイさんの細かな趣味だとか好みをあまり知らない。
踏み込まれるのを彼が嫌がっているわけではなくて、単に友人と呼べるか分からない仲であまりずけずけと踏み込んで聞くのは躊躇われたからだった。
でも、そうやって踏み込まずに機会を窺っているのは私らしくもないのかもしれない。

テーブルに並べられたケーキとコーヒーカップを見て、反射的に顔が綻んでいく。


「ありがとう」
「いや、お気にせずどうぞ。パチリス、お前の分もあるからな」
「パチッ!」
「おっと。ルリナが先に好きなケーキを選んでくれだって。まったく、お前は男前だな」
「パチパチ」


味やトッピングが少し異なる3つあるケーキの中から、一番初めに選んでどうぞと言ってくれる彼らのレディーファーストな行動。
一瞬、胸の奥がぎゅっとなる感覚を覚えて、瞬きをする。
これがいい、と指をさしてケーキを選ばせてもらって、胸を感情を流し込むようにコーヒーを喉に通す。
だってこんな、思春期の少女みたいに些細なことで緊張しているなんて、本人になんて言ったらいい?
ファンのような憧れなのか、それとも。


「好きなケーキまで選ばせてもらっちゃって、申し訳ないわ。ありがとう、イチイさん」
「いいや、俺も普段はバトルで楽しませてもらってるし。ちょっとしたお礼さ」
「私がイチイさんに頼み込んだのにね」
「あぁそうだ、言おうと思ってたけどタイミングを失ってたんだ」
「何を?」
「歳もそう変わらないし、堅苦しいのはやめてくれ。イチイでいいから。ソニアにも言おうと思ってたけどタイミングを失い続けてたな」


──ここでもしポプラが話を聞いていたら「折角の状況で他の女の話題を無意識に出すなんて女心が分からない男だね」と言っていたことだろう。
ただ、逆にモデルかつジムリーダーとして脚光を浴びるルリナに対して、色目を使っている訳でもなく、意図して落とそうとしている訳でもないということが彼女の警戒心を無くさせた。


「……イチイ君じゃ、だめかしら」
「勿論だよ。最近じゃそんなふうに呼ばれるのは久々だから新鮮だなあ」


どこかでまだイッシュ地方の元四天王、そういう意識が抜けきれていなかった。上の人を見ている気分だった。
でも、目の前で無邪気に笑う彼は普通に一人の青年だって改めて気付かされて。
会えないのが寂しいと思った理由が、やっとすとんと胸に落ちて、さざ波を立てて揺れる。
アイスコーヒーで流しきれない好きだという感情が口内にチョコレートの香りと共に広がった。