スチール・ブルー
- ナノ -

5月4日

新緑が芽吹き、日差しが照らす中で暖かな風が吹き込むのどかな街並みのブラッシータウン。
ここに降り立ったのは、一人の元四天王の男だ。以前ブラッシータウンの一角にある研究所に訪れた時は紛れもなく四天王の状態だったけれど、今は少しポケモンバトルが得意なただの建築デザイナーだ。

研究所の扉を叩くと、普段は研究所ではなく自宅に居ることが多いマグノリア博士がそこに居た。
彼女はダイマックス研究の一任者であり、ガラル地方ではないイッシュではダイマックスという現象は見られなかったため、イチイもダイマックスについてさほど詳しいとは言えなかった。


「どうも、マグノリア博士。ご無沙汰しています。来させてしまって本当にすみません」
「いいえ。聞きましたよ、ガラルに拠点を戻すんですね。ローズ委員長から連絡は来ましたか?」
「え?あぁ……俺の連絡先は教えてないからまだですけど、もしかしてリーグに出ろとかそんな話ですか?」
「いえ、連絡が来ていないのならいいんです」


マグノリア博士の濁すような言葉に、イチイは首を傾げる。
ローズ委員長といえば、イチイがガラル地方を出る前からマクロコスモスという企業の代表取締役を務めているリーグの委員長だ。ガラル中の人が知っている有名人。
このガラルを出る前はイチイの知名度は無に等しかった。それが数年を経てイッシュの四天王まで駆け上がった訳だが、その間にローズ委員長とはコンタクトを取ったことがないのだ。

二階の本棚を漁っていたソニアは、一階から声が聞こえてきたことに反応して手摺から顔を覗かせてイチイを確認する。
ワンパチが先に階段を駆け下りていくのを追いかけて、ソニアもまたイチイと思わしき来訪者を迎え入れる。


「あれっ……君、ソニアかい?当然だけど大人になったね」
「あーっ、貴方がイチイさん!?」
「えっ、うん。これまで君がいた時に名乗ったこと無かったっけ?」
「時々お祖母様の所に来てる人がいるなぁとは思ってたけど名前知らなかった……そっか、もっと早く気付けばよかった」


ルリナが言っていたイチイと、何年か前が最後だが、何回か研究所を訪れていてソニアも記憶していた青年が一致していたことにこの瞬間気付いて、瞬くばかりだった。
「俺の連れだから」なんてセリフが似合う訳だし、祖母の元に来ていたのがイッシュの四天王というのも納得だ。


「ソニアの今の相棒はワンパチなのか〜いいよなぁ、ワンパチ」
「イヌヌワ!」
「進化した後の姿も格好いいけどワンパチの姿も、愛嬌があって俺好きなんだよ」
「へぇ〜ワンパチみたいな可愛いポケモンも好きなんですね。パチリスもそういう感じですもんね」
「あー、このパチリスは可愛いというか男前だからなぁ……」


イチイの肩に乗っていたパチリスはソニアと視線を合わせると、口角を上げて笑った。
性格こそは勇ましさがあるのかもしれないが、見た目の可愛いポケモンはルリナと反対だとソニアは親友だからこそ思っていた。

昔、何回か会ったことがあると言っても、ソニアはあまりイチイのことを知らなかった。そもそも四天王だったこと自体知らなかったのだから、当然のことかもしれないが。

(ただ、誰か知らなかったらしいのに絡まれてたルリナを助けてくれる位なんだからいい人だよね)

下心を持った上で助けたと分かれば、親友としてはその人に敵意を抱くとまではいかなくとも多少心配はするが、この人は本当に善意で助けたのだと理解するのは容易かった。
ーーイチイの目は本当に澄んでいた。瞳の色だからという訳ではなく、空のような光が反射している。
祖母であるマグノリアと会話していても、笑いながら時々少しだけ伏し目になる所はあるが。

(というかルリナ、まだなの……!?)

イチイが来るらしい時間に合わせてルリナも来るとは言っていたが、多忙な彼女はバウタウンを出てくる時間が予定より遅れたらしい。
ちらりと通知が入っていないか画面を確認したソニアは三分前に『もうすぐ着きそう』という連絡が入っていたことに気づいて、声を上げそうになる。


「それじゃあマグノリア博士、俺はこの辺りで……」
「あー待って待ってイチイさん!あと10分くらい待って!」
「10分くらい?」


引き止めるソニアの声に足を止めて、なんでと言いたげなイチイの表情に、もう言い訳も思いつかなかった。
「実は……」と事情を説明しようとした時、ワンパチが何かに反応して嬉しそうに吠えだし、研究所を出て行ってしまう。


「あっ、ワンパチ!」
「待って、俺が追いかけてくるから」


駆け出して出て行ってしまったワンパチを追いかけたイチイの背中をぽかんと見送る。
こんな風に本人にとっては何でもない感じでルリナを助けたんだろうなと納得したソニアの中で、イチイは元四天王という肩書きから感じられる近寄り難さは無かった。

ワンパチが駆け出した先はブラッシータウンの駅前だった。
まるで案内をするかのように時々イチイを振り返るワンパチの様子に気付いた彼は、捕まえるというよりもワンパチの案内する先へと小走りをする。
丁度鉄道が到着して駅を離れるタイミングだったからか、ガタンゴトンとレールが音を鳴らして鉄道が過ぎ去って行く。
小さくなっていく鉄道から視線をワンパチへと戻そうとした時、視界に馴染むターコイズブルーがあった。

以前とは異なるのは、彼女の足元はスポーツシューズだった。


「居た、イチイさん!」
「えっと、……ルリナ?驚いた、どうしてここに」


そこに居たのはイチイにとってはこの間初めて知り合ったガラルのジムリーダーだ。
連絡先は交換しなかったけれど、もう一回会えた偶然もあるのかと駆け寄ってくるルリナを見ながら、違和感に首を傾げる。
居た、と言われたということは自分がこのブラッシータウンに居るという情報を得てバウタウンからやってきたのだろうかと。

(俺、なにか落とし物とかしたかな……?)

理由が思い当たらない。
疑問に思っているイチイに、ルリナは頭を下げた。


「この間はありがとうございました」
「えっ、お礼を言うために?申し訳なさすぎるけど、どういたしまして」
「その。ご相談があって来ました。……無理を承知で頼みたいんですが、私に、稽古をつけてもらえませんか……!」


断られるかもしれない。

「うんいいよ」

ただでさえ四天王だった人なのに。
――え?

心臓の音が聞こえるほどに緊張しながら頭を下げて頼んだルリナは、あまりにもすぐ返ってきた言葉に一瞬聞き間違えただろうかと瞬いた。


「え?」
「勿論。だってルリナは苦手なタイプを使うって知ってて声をかけたんだろう?その向上心を無下にするのは俺の趣味じゃないよ」
「あ、ありがとうございます!」
「あぁ、俺への硬い敬語はいいよ。歳も1、2歳くらいしか変わらないだろうし。それに、俺にとってもいい刺激になるだろうからお願いするよ」
「わ、わかりま……分かった。イチイさん」
「イチイでいいって。ただ一つだけ。全力でやらないと失礼にもなるから、俺は手加減は嫌いだ」
「……!えぇ、同じく。私も手加減されるのもするのも嫌い」
「はは、そうこなくっちゃ」


ルリナの真っ直ぐとした輝き。
それはやはり青年にとっては眩しく映った。高い目標に向かって、自分という糧も活かそうとする彼女の在り方が眩しく──イチイにとっても今はすっかり思い出せなくなっている、貪欲に二つの夢を叶えようとしていたあの頃を。
アルバムの古いページを捲るようにではなく、新しく、より鮮烈に。


「モデルもやっててジムリーダーもやってる水タイプの使い手かぁ」
「な、なに?」
「いや、アシレーヌとか……違うな、ミロカロスみたいだと思ってさ」


──ここにポプラが居たのなら、人を、特に女性をポケモンで例えて褒めるのはナンセンスだ。イチイは女心が相変わらず分かっていないねぇと言っていたことだろう。
何せ主観が入る。そのポケモンへの感じ方が人それぞれだ。

ただ、その言葉は、ソニアに言われた言葉とルリナの脳裏で被る。
嬉しいと思うと同時に、指針や目標が具現化したようだと感じたのだ。

──やっぱり、貴方に指導してもらいたい。そう再度思うには十分だった。


「それじゃあ予定変更だ。暫くバウタウンに居ようか」
「あっ、ありがとうございます」
「ローズ委員長も御用達のレストランとか気になってる所もあったし。釣り堀もあるんだよな、チョンチーとかランターン居ないかなあ」
「チョンチーなら、バウタウンの釣り堀に沢山居るわよ」
「おっ、そりゃいい。楽しみだ」


あくまでもでんきタイプや電気技が使えるポケモンに対してやはり思い入れがあるらしいイチイは、足元に居たワンパチの首をうりうり撫でて抱き抱える。
その背中を追いかけながらルリナは思う。

──まだプライベートな面でしか見ていないイチイは、四天王としての実力を見せた時にどんなポケモンに似たようなイメージなんだろうと。