スチール・ブルー
- ナノ -

5月3日

――海の怖さは知っている。波に乗れる時もあれば、乗りこなせない程の嵐と荒波になる時もある。
モデルでも、トレーナーでも。目的に向かって真っすぐ突き進み続ける気概ではあるけれど、壁にぶつかる度にジムでのトレーニング量を増やしながら考える。

連勝を積み重ねられる時もあれば、二連敗をして痕が無くなる時もある。
ライバルのヤローに負ける時はいつも焦る。タイプという相性はありながらも、先を行かれている感覚になる。
私だけ、成長できずに止まっているのではないか――そんな焦りが絡まってしまう時がある。


「相性の悪い相手にも、勝ちを重ねないといけないのに……」

ジムリーダーの世界もシビアだ。ジムリーダーという称号を持ちながらも、負け続ければ二部リーグや三部リーグに降格する己の実力が左右する勝負の世界。
ベッドに寝転びながらスマホを弄り、はぁ、と溜息を吐いて物思いに更けていた所でふと数日前の出来事を思い出す。
ポケモントレーナーらしいけれど、ガラル地方に帰って来たばかりで私のことを知らなかった、ナンパから助けてくれた同い年位の男性。
端正な顔立ちと気さくな言動が印象的で、それに加えてパチリスという特徴的なポケモンを肩に乗せていたのが記憶に強く残っていた。
確か名前はイチイ、と言っていた。建築デザイナーと言っていたから、もしかして雑誌とかでも取り上げられるような人なのかな。

パチリス、それから彼が口にした可愛い顔をした悪魔というフレーズに何となく聞き覚えがあって、何気なく彼の名前とパチリスを検索してみた。
もう一度会うこともないかもしれないのに、妙に気になってしまったのだ。

「……えっ、うっそ……!」

スマホの画面に並ぶ検索結果に目を瞬かせる。

「イッシュ地方の四天王……!?元、とは書いてあるけど……」

でんきタイプ使いの四天王。

試合中の写真が何枚か検索画像に引っ掛かったけれど、エレキブルやジバコイル、それからまた可愛いタイプのデンリュウやトゲキッスまで連れている。
その中でパチリスに指示を出している写真というのは確かに目立った。目立ったけれど、有名だというのは本当らしい。勝てると油断したトレーナーにとって鬼門とまで書かれている。
建築デザイナーというのは本当のようで、ライモンシティやジョインアベニューの一部の施設の建築デザインを任されたことで話題になったとも書かれている。

「……だから私がジムリーダーって聞いてもあんな反応だったんだ」

ポケモントレーナーとしてチャンピオンを目指す普通の一般人だったら、ジムリーダーの中でも勝利をコンスタントに重ねられている訳ではないとはいえ、リーグカードを求めてきたり、もっと特別な反応をするはずだろうと違和感を覚えた。
下に見たというわけではないだろうけど、別に彼にとって目の前の女性がジムリーダーであってもそうでなくても些細な問題だったのだろうと気付かされた。
このことを誰かに報告したいと思った時に真っ先に浮かぶのは親友のソニアだ。
電話をかけると、何回かのコールの後にソニアが「もしもし〜?」と明るい声で出て答えてくれる。


「一昨日のことなんだけど、ナックルシティで変装バレちゃって、ナンパされかけたことがあってさ」
「えっ、大丈夫だったのルリナ?普通にサイン下さいって言うファンならまだしも、そうじゃなかったってこと?」
「そうそう。でも、助けてくれた人が居てね。全然知らない人なんだけど、その人俺の連れなんだよって本当に言ってる人見るの初めてだったかも」


よくドラマとかでは聞く台詞ではあるけど、現実でそうやって助けられると驚くと同時に、面倒事と関わらないようにスルーしようと思わなかったんだこの人、という感動があった。
安堵以外にも、この人も自分に気付いて声をかけてきたのでは、と一瞬身構えてしまったのは職業柄申し訳なかったけど。

一昨日の出来事を説明している間に、通話越しのソニアの声が「へぇ〜」と楽しそうな色を帯びていくのが分かる。


「なになに、ルリナ〜格好よく助けられて恋に落ちちゃった!?」
「もう、そんなんじゃないから。本題はこっち。その人……一昨日は気付かなかったんだけど、どうもイッシュ地方の四天王だったんだよね」


恋バナかと直ぐに乗って来るソニアに間髪入れずに違うと訂正を入れて、先程知った情報を伝えるとソニアが「やば、そんな偶然あるの?」と反射的に零してくれる。同じ反応で少し嬉しい。
四天王、という制度はガラル地方にはないからどんな立ち位置なのか実感しきれてはいないけど、全ジムリーダーに勝った後に四天王と挑む権利を得られて、彼らに勝ってからチャンピオンに挑める制度というのだから、間違いなく強いトレーナーだ。


「そんな人がガラルに来たの?ジムリーダーに名乗りをあげるつもりなのかな」
「どうなんだろう……出身がアラベスクタウンとは言ってたけど、でんきタイプだからきっとポプラさんの後継者として戻ってきた訳ではなさそうだし」
「四天王に若手建築デザイナーかぁ」
「ジョインアベニューって知ってる?」
「知ってる知ってる!雑誌で読んだし時々別の地方の観光スポットとか特集する番組でやってるじゃん」
「あれの店舗とか一部のデザインも手掛けたらしい人みたいで」


掲載されている経歴はあまりにも輝かしいもので、凄い人だなと思うと同時に、苦悩なんて無いんだろうなと思わずにはいられない。


「チャンピオンじゃないけど全部持ってる人なんだなって」
「ルリナ……」


プロの建築デザイナーとして大きな仕事を任せられて、その仕事でも有名で。このガラル地方は四天王という制度は無く、ジムリーダーでも1部リーグや2部リーグなどの区分けで決められる。
それでも、イッシュ地方の四天王ということはポケモントレーナーとしても成功しているということだ。両立しているその姿が、今の自分には羨ましい。


「その人にさ、指導とかしてもらったら?」
「え?」
「ルリナだってモデルもジムリーダーも両立してる凄いことしてるんだし、刺激になるかもよ?」
「ありがとう。でもさ、連絡先知らないんだよね……」
「えぇ!?それは困ったなぁ〜ちなみに名前ってなんて言うの?」
「イチイさん、だって」
「……?あれ、どこかでそんな名前聞いたことある気がするんだけど……なんだったかな……ちょっと待って」


お祖母様が言ってたかな、とか呟きながらソニアはマグノリア博士に確認しに行く。会話しているらしき声は聞こえてくるけれど、はっきりとした声は聞こえずに待っていると、ソニアが「ルリナ!ルリナ!」と興奮した様子で再び話しかけてきた。


「イチイさんって人、やっぱり何年か前にも帰省したタイミングでお祖母様の研究所に何度か来てたって!明日にダイマックスについて聞きたいって連絡あったらしいよ」
「本当!?明日は撮影がないしその時間に合わせて行くから!」
「オッケ〜お祖母様には一応言っておくね」


ソニアとの電話を切って、積み重なる偶然に拳を固めて喜んだ所で反射的に考える。
連絡先も交換してないのに色んな手を使って会いに行こうとして、しかも練習試合をして欲しいなんて変な人に思われるのではないかと。

でもこんなチャンス、二度とないかもしれないんだから。後悔しないように、動かないと。
モデルも、そしてジムリーダーも極める為にそれを既に叶えた人から吸収できるものは吸収して、自分の糧に変えたい。
それは、チャンピオンであるダンデ君や、ライバルのヤロー君からとはまた違う刺激になるはずだから。

腰掛けていたベッドから起き上がって身支度を軽く済ませる。
もし会えるのだとしたら、重く捉えられない位のこの間のちょっとしたお礼は必要だろう。

シューズボックスに閉まってある靴を選ぶときに一瞬ヒールが目に入ったが、スポーツシューズを選んだのだった。


――話に上がっていたイチイは、この日は紅のレンガや巨大な歯車が特徴的なエンジンシティに足を運んでいた。
その大通りのカフェでノートを開きながらコーヒーを飲み、浅い溜息を吐く彼の姿を見守るのはパチリスだ。テーブルの上に乗って、イチイの手が止まっているのをじっと見守っている。


「聞いてくれよパチリス……全く浮かばないんだ。いい図面もどんな建物にしたいのかも、何も」
「パチ〜」
「もしかしてその程度で心を乱すなって怒られてる?」
「パチパチ!」
「お前、ギーマでさえそこまでは言わなかったのに」


カフェで頭を悩ませるイチイは手厳しい相棒の言葉に肩を竦めて、試験勉強に飽きた少年のようにノートからペンを離す。
何時もなら無限のようにアイデアが沸くのに、ショートを起こしてしまってから、スランプが続いている。
でんき使いの癖してショートを起こした部分を直せないのかという葛藤がありながらも、どうすることも出来ないのだ。

明日、マグノリア博士の居るブラッシータウンに向かってバトルに関する情報を仕入れればまた何かが変わるだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら飲み終わったコーヒーカップを返却棚に返して、街の中をゆっくりとした足取りで歩く。
イッシュ以上に雑踏に紛れられるこの感じは久しぶりだった。角を曲がった時に視界に入り込んだ直射日光を避けるように顔を違う方向に向けた時。
街頭に設置されたモニターに目が入って、イチイは反射的に足を止める。そこに流れていたのはコマーシャルだ。そして、見覚えのある顔が映し出されていて「あっ」という声をあげる。

「あのCM……本当だ、モデルだったのか」

イチイが会ったルリナは髪の毛をまとめて帽子を被っていたが、一人のトップモデルの姿がそこに在った。
ルリナが映っているコマーシャルが街中のモニターに流れているのを眺めて、有名人だというのは本当らしいと実感する。

ふらりと通りの向かいにあった書店に立ち寄り、平積みになっているポケモンジャーナルの雑誌を眺めて、彼女の有名さを知る。
大体の表紙はダンデかキバナ。小さな枠にはルリナ。
そしてその横のコーナーの女性向けファッション誌にはルリナの写真が表紙を飾っている。


「そりゃあ……知らないんだ、って言われるよな。イッシュでカミツレを知らないって言うのも相当モグリだもんな」


――それにしても凄いな、この子は。両立をしてるのか。トップモデルも、ジムリーダーも。
二つのことを両立してトップを目指すのは、並大抵の意識ではない。
いや、俺がこれを言ったら凄く嫌味に聞こえてしまうんだろうけど……本気で、その輝きが今の俺にとっては眩しく感じた。