スチール・ブルー
- ナノ -

5月1日

童話のような森の中。
一度迷ったら、出口が分からなくなりそうな森の先。
ベロバーやポニータが戯れるルミナスメイズの森。

その街は他の街とは異なる家の形をしていた。近代的な造りの家とは違う、街の景観を壊さない建物。街中をライトアップするランタンや光るキノコ。
街の中の劇団のセットも独特で、幼い頃からそれを見て、憧れを抱いていた。

そうやって二つの夢を追いかけて、走って。手に入れて。
俺はすっかり迷路の出口がわからなくなってしまった。



ガラル地方に降り立って、アーマーガアタクシーで故郷、アラベスクタウンへと直行していた。実家に戻るというのが主な目的じゃなかった。
色んなことが重なって、このガラル地方から離れたイッシュ地方に暮らしていたが、今回を機に区切りをつけて戻り、恩師にあたる人に会いに来た訳だ。
俺の肩にはモモンのみを美味しそうに頬張るパチリスが乗っかっている。


「ポプラさん、元気ですか!?」

乱雑にスーツケースを引き摺りながら劇団も兼ねているアラベスクジムを顔パスで通って、数年ぶりにポプラさんの顔を確認して安堵した。
なんだ、もう御歳80歳を超えているけど元気そうだ。ピンク色と紫を基調としたシックなドレスと大きなハット。少し、以前よりも腰が曲がって来てるような気がした。
ほっとした顔を見られたのか、アラベスクジムのジムリーダー、ポプラさんは呆れたように溜息を吐いた。「帰ってくるのが突然すぎる」と言われた。ご尤もだ。


「まったく、第一声がそれとは……お前さんは成長して戻って来ても、あたしの問題は一問も正解しそうにないねぇ」
「いやだって『ガラル地方で長らくジムリーダーを務めるポプラが後継者を探してる』なんてニュース記事見たら色々勘繰るって」
「そういうのは言わぬが花なんだが……、ナチュラルにひねくれた所はあたしのバトルを見させ過ぎたかね。それで飛んで帰って来るのは可愛げもあるんだが、イッシュ地方はどうしたんだい」


ポプラさんの無事を確認しに来たのに、本当に直球に確信に触れてきた。
「あー……建築の仕事もさ、キリが良くなったからやめて戻って来ることにしたんだ」と歯切れ悪く答えると、ポプラさんの目が俺を射抜く。
あぁ、この目はバレてるんだろう。射抜くような水晶のような瞳。
昔からポプラさんは何でも見抜いてくる。ひねくれた所があるのは確かだけど、それでも言わないでいてくれることも多くて、有難かった。


「別に、四天王として負けて剥奪されたわけじゃないんだろう?」
「あ?えぇそりゃ勿論。ただまぁ、その……心機一転で。シキミさんっていう新しい人にもバトンタッチが出来たからあっちも何も心配いらなくなったし」
「……ふぅん。ま、心機一転でフェアリータイプを育て始めてもいいんだけど、アンタはピンクの欠片もないからねぇ」
「ポプラさんを基準にしたら俺にはフェアリータイプは無理だって幼心でも思いますよ……。もうジムリーダーを下りるつもりなら、俺も見に行きますから」
「まぁよしみで特等席を用意してあげるよ」


ポプラさんは最後まで、核心に触れてこなかった。
もう子供って歳でもないのに、迷子みたいだった。四天王として負けて、権利を剥奪されたわけでもない。入れ替え戦で負けた訳でもない。
ただ「そろそろガラル地方に戻ろうと思う」という突然の申し出に対して、ギーマとカトレアも何かを察した様子で一切止めず、偶には連絡を送るようにと言ってきた。
俺が手掛けていたジョインアベニューの仕事にもひと段落がついたから、タイミングとしては丁度良かった。いや、丁度良かったという名の――燃え尽き症候群のようなものだ。

そもそもイッシュ地方に行った理由はチャンピオンになりたいだとか、ジムリーダーになりたいという目的ではなかった。
ヒウンシティやブラックシティ等の特徴的な街並みが、建築関係の勉強になるということで建築デザイナーを留学したのだ。
なぜぞれだけではなくポケモンバトルも極めることになったかと問われれば、幼少期から世話になっていたポプラさんの存在は間違いなく大きいが、バトルによって見える画にインスピレーションを受けるからだった。
同じようなタイプにシキミさんや、ビオラさんだとか、アーティさんが居るだろう。イッシュ地方は案外そういうジムリーダーだとか四天王は多い方だった。

――ジョインアベニューも任されて、建築デザイナーとしても、四天王まで上り詰めてポケモントレーナーとしても全てを叶えたように見えるのかもしれない。
いや、叶えては、いるんだろうな。
勝手に子どもみたいな意地を張ってるだけだ。だからギーマは特にやれやれと肩を竦めていたんだと分かっていた。


久々にじっくりとこのガラル地方の中でも建築デザインが好きなナックルシティやシュートシティを眺めに行く為に、再びアーマーガアタクシーに乗り込む。
ナックルシティのような街並みは現代で作るような街並みではないけれど、だからこそ俺にとっては好きな街と言えた。勿論、簡単に作れはしないという意味でアラベスクタウンも好きなのだけど。

アーマーガアタクシーのおじさんに運賃を渡して、ナックルシティに降り立った俺の視線はナックルスタジアムの塔だ。
言い作りだと思いながらふらふらとナックルスタジアムに近付いて行って、城の下部に並ぶ近代的な店のバランスに感動しながら眺めている俺は、まるで上京したての観光客のようだった。
でも、勉強をしてから改めて見るとわくわくしてしまうのは仕方がない。


「見ろよパチリス―あの作りいいよなぁ」
「パチ!」
「パチリス?」


肩に乗っていたパチリスが何かに気が付いてひょいと飛び降りると駆け出した。
あまり無駄な好奇心を働かせるタイプではないことを知っているから、パチリスの後を追いかけて、急に反応を示したらしい原因を目撃する。

女性が三人ほどの男に囲まれている。帽子を被っているから顔は良く見えないが、健康的な褐色の肌で女性の中でもすらりと身長が高く、ヒールも履きこなすような体型はまるでモデルのようだった。
まあ確かにナンパもされそうな人だと思いながらも、パチリスが尻尾で足首を叩いて来るのを「分かってるって」と宥めて、彼らの元へと向かう。
帰って来て早々変に絡まれて殴られてジョーイさんのお世話になるような事態は避けたいけど――そうならないよう努めよう。


「こんな所でなんて滅多に会えないし、オフって言うなら俺たちと行きましょうよ」
「だから、そういうのは間に合ってるって――」
「悪いねお兄さん達。その子は俺の連れなんだ」
「え?」


女性の驚いた声に、それもそうだよなと一人で納得する。
だってこの人にとって俺は「誰?」だ。それに、よほどポケモンバトルだとかリーグに興味ないと知りもしないだろう。うん、それは仕方がない。
「待ち合わせ時間に俺が遅れちゃって悪かったよ。はいどいたどいた」と適当にあしらって、名前も分からない彼女の腕を痛くないように掴んで「走るよ」と声をかけて駆け出す。
「おい待てよ!」という声が背中からかけられて、足音が聞こえる。
突然横から現れた男は、パチリスを肩に乗せているひ弱なトレーナーに見えたんだろう。


「ちょっと!」
「悪い、頼むぞパチリス」


俺の相棒にはエレキブルだとか、ジバコイル、ストリンダーだとか。見た目からも圧があるポケモン達が居るけれど。
一番小さくて可愛い見た目をしているが、俺の手持ちの中で一番男前な性格をしているのがパチリスだろう。

頷いたパチリスは俺の肩から飛び降りて、反対方向に駆け出す。そして、男たちに向かってこのゆびとまれを発動させると、追いかけようとして来ていた男たちが急に方向転換をする。
その間にどんどん距離を離して路地裏に入って。もう大丈夫そうだと思った所で、振り返った。
息を荒げている彼女に、男たちから離れる為とはいえ、走り過ぎたかと申し訳なくもなった。というかこれ、もしかして俺の方が強引なナンパをしているように見えるんじゃないだろうか。
ちらりと視線を落として足元を見ると、彼女の足元はヒールだった。

「ヒールだったね、引っ張って走って悪かったよ」

手を離して、彼女の様子を確認しようと覗き込むと、切れ長の瞳と交わる。
蒼い、蒼い。まるで海を溶かしこんだような光と力強さがそこにあった。


「えっと、ありがとう」
「ナックルシティは比較的治安はいいはずなんだけどな。君、目立つっぽいから気を付けなよ」
「……本当に、知らないのね」
「え、なに。……もしかして君、有名人なの?」
「……、えぇ、まぁそうだけど……」


嘘でしょ、と言わんばかりの反応に、綺麗だからモデルだとか女優さんだったのかもしれない。
それに気付いた男たちが彼女に声をかけていたんだろう。帽子を被って髪も帽子の中に入れ込んでいるけれど、スタイルは流石に隠せない。

ガラル地方から離れてもう5年以上は経っているから、彼女のことを知らないのは許されたい所だ。
当時はやっていた楽曲だとかには詳しいが、ドラマとかは見なかったから女優さんも、モデルもいまいち把握していない。
イッシュ地方ではハチクさんやカミツレが居たからジムリーダー兼モデルや俳優をしている人間は流石に知っていたが。
流石に俺もイッシュ地方に旅立つ前から少年と呼べる同い年位のダンデがチャンピオンだったことや、彼のライバルであるキバナ。
こおり使いのメロンさんに、スパイクタウンを盛り上げようとしていたダイマックスを使わないポリシーを持っていたネズ。それから勿論ポプラさん。顔が変わらないメンツは知っているが。


「パチリス、貴方のポケモンなんだ。可愛いポケモンを持ってるのね」
「あぁ、アイツ、顔は可愛いが男前だよ。ダブルバトルでは特にね。可愛い顔をした悪魔とまで呼ばれてた」


その話に、彼女は何か引っかかる所があったのか、考え込んでいた。
基本的にシングルバトルの時は出番が多いとまでは言わないが、かなり長い間、手持ちのポケモンとして活躍している相棒だ。
他にも頼れるパートナーはいるが、厳つい見た目のポケモンの中での可愛いポケモンは特別目立つんだろう。よく特集では話題になっていた記憶がある。
そんな話をしている間に、引き付けてくれていたパチリスが戻って来た。誇らしげな顔をしているから、男たちを上手いこと撒いて、戻って来たのだろう。
よくやったとパチリスの首元を撫でていると、目の前の女性も「ありがとうね」と声をかけて頭を撫でていた。パチリスはオスだからか、俺が撫でるより嬉しそうな顔をしている。


「助けてもらったのに名乗らないのは失礼ね。……私はルリナ。バウタウンのジムリーダーよ」
「!へぇ、バウタウンのジムリーダー、変わったのか!俺がガラルに居た頃と結構変わってるなぁ」
「最近こっちに戻って来たんだ?」
「昨日着の航空便でね。出身がアラベスクタウンだからさ。俺はイチイ。ちょっとした建築デザイナーだ」


俺の言葉に、自分のことを知らなかった理由に気付いたのか、成程と納得していた。
彼女を大通りに戻した所で、それじゃあと手を振る。

連絡先も聞かずに「ヒールも似合ってるけど、今度はシューズの方がいいぜ。パパラッチから逃げなきゃいけないことだってあるだろうし」と声をかけて、ルリナと別れた。
何せ見返りが欲しくてやった訳ではないし、彼女が偶々有名人、或いはジムリーダーだったとしても関係ない。
バウタウンってことは水タイプの使い手なのかな。イッシュ地方だとシズイだったかと考えながら大活躍したパチリスを撫でて「バウタウンの建築ってどんな感じだったかなー」と呟く。
彼女が俺の背中をぼんやりと見ながら「……ヒールじゃなくてシューズ、か」と呟いているのを知らずに。
――それはポプラが度々口にしているイチイが「女心に関わる問題は全問不正解」だと言われる所以だった。お洒落をしたいと思う女心を全く分かっていなかったが、ルリナには腑に落ちたのだった。