スチール・ブルー
- ナノ -

6月15日

こんなにも短期間で恋に落ちるものなんだろうか。
惚れっぽい性格でもなかった筈なのに、と頭を掻く。
何せ、ルリナという女性と出会ったのはたった一カ月前の出来事だ。
別に彼女のモデルという称号に惚れた訳でも無い。ジムリーダーという肩書きに惚れた訳でも無い。
一ヶ月向き合ってきて、努力を惜しまずに行動する所。それから凛とした強さの中に友人達やジムトレーナー達に接する時に見せる優しさ。
そういった彼女の要素を何時しか好きになっていたことを、もうトレーニングに付き合う理由はなくなってしまった時に自覚させられた。


「ただな、パチリス」
「パチ」
「一ヶ月で好きになりましたって告白するのってちょっとミーハー感ないか?」


問いかけた相手であるパチリスは難しい顔をして首を捻る。
ルリナという目立つトップモデル、ガラルのジムリーダーに短い期間で好きになりました、付き合ってくださいなんてモデルという職業なら誰でもよかったのではないかと軽薄な人間だと勘違いされる可能性がある。
言い訳をさせて欲しいが、断じてそういうことでは無い。ルリナがもっと違う職業で大成する為に努力をしていたとしても、彼女の在り方を眩しく思って、惚れていたに違いない。

一人で考えるのもいいが、こういう時は気の合う男同士で話すことで解決することもあるだろう。
早速電話を入れたのは、イッシュ地方の1番の友人だと言える相手だった。
何回かのコールの後に通話がつながり、相変わらずな低い声で「イチイか?」と名前を呼ばれる。


『ガラルに戻って調子はどうだ?』
「あぁ、ぼちぼち勉強し直して気ままに毎日過ごしてるよ。ギーマ、久々の連絡でくだらない話してもいいか?」
『なんだ?』
「……好きな子が出来たんだが、その相談です」
『ほう?イッシュから帰って一カ月で聞く話題と思わなかったな』
「だよなぁ……俺もそれめちゃくちゃ思ったんだよ」


一ヶ月ぶりの連絡がまさか恋バナとは思わないだろう。
自分でもそう思っている位だ。だが、ギーマの口ぶりは呆れていると言うよりも、面白がっている時の声音であることは直ぐにわかった。
何せ、これまで付き合ったことのある人とは相手からのアプローチで、成り行きで付き合ったものの、構わな過ぎだとか連絡不十分で飽きられたり、束縛が嫌でお別れをしたりしていたこともギーマは知っている。
だから、自主的に誰かを好きになった、ということは今まで一度もなかったことを分かっているから、興味深そうに楽しんでるんだろう。


「一ヶ月って、俺でもたった一ヶ月で?って思うのに、その相手がイッシュで例えるとカミツレみたいな子でさ」
『きみ、そんなに惚れっぽかったか?モデルとかに興味があるとは思ってなかったな』
「……やっぱりそう思われるよなぁ。たまたまなんだよ」
『私はいつ告白しても構わないと思うが』


いつ告白しても構わない?
だが、一ヶ月も経ってないし、意識してデートに誘ったことも無い。
成り行きで一緒にカフェで過ごしたり、毎日のようにバトルこそはしていたし、その後に「お腹空いたし飯でもどう?」と気軽に、それこそギーマに声をかける時とさほど変わらないノリで何回か一緒に行きはしたが。
その時の会話をぼんやりと思い返して、意識していなかったから本当だったら取り繕った方が格好吐くんじゃないか、と思う所も飾らないで、素で話していた。


『初めから脈を感じない相手は何ヶ月経っても魅力を全く抱かない者が多いだろう。逆を言えば、好きになりそうだと思う相手には出会って早々に感じているものさ。人はファーストコンタクトで判断しているという理論だが』
「ギーマ……流石というか、今、真理を説かれた気分だよ」
『フッ、数ヶ月かけても変わらないかもしれないなら、今すぐに賭けてみるのもいいだろう?』


聞けば聞くほどその通りなのかもしれないと納得する単純さを馬鹿にされないからギーマとの会話は疲れない。
「サンキューな。次の試合も負けるなよ」と声をかけて通話を切る。
突然こんな相談をしても邪険にされないのもギーマの優しさだろう。

「……俺が好きになったんだから、俺から告白したいよな」

な、と声をかけながらパチリスの頭をわしゃわしゃと頭を撫でると、同意するように頷く。
ルリナが空いてる日を確認するように連絡して、『この間の試合のお祝いも兼ねて食事に行かないか?』とストレートに問いかけてみる。
また今度機会があったら、と濁されたら脈なしかもしれないし、そうであっても時間を少しかけて縁を深めていくつもりだ。

――そんなやり取りをしたのが三日前。
ルリナが連絡を貰った時にどんな反応をしていたかなんて露にも知らず、バウタウンから離れたナックルシティにやって来ていた。
ルリナが丁度昨日から仕事の関係でナックルシティに泊まっているという話を聞いて、エンジンシティから移動してこの街を集合場所に選んだのだが、よく考えれば彼女と出会った街でもある。
毎日のトレーニングは無くなった中で、バウタウンに常に滞在することはなくなっていた。

(流石に、稽古をしていたバトルがない状況で何時までもバウスタジアムに行くのは、おかしいだろうしな)

戻って来たのなら改めて家を借りた方がいいとは思っていたのだが、バウタウンには一時的な滞在だったからホテルやポケモンセンターに寝泊まりをさせてもらっていた。
拠点をどの街にしようかと考えて、この一週間はエンジンシティに滞在をしていたのだ。
だから、ルリナに会うのも一週間ぶりとなる。ナックルシティの公園のベンチにかけて待っていると、彼女がやって来た。


「イチイ君!」
「数日ぶりだな。この間の試合祝いも兼ねてと思ってさ」
「ふふ、ありがとう。あの時も言ったけど、おかげさまで成長できて、結果も収められたし」


ルリナはモデルの仕事の翌日ということもあって、ジムリーダー用のユニフォームではなく、私服を身に纏っていた。
髪の毛をまとめ上げて帽子を被り、目立たないようにしている。
足元は最近では見慣れていたスポーツシューズではなく、ハイヒールを履いており、何時もよりも少し目線が高く感じられた。


「全部ルリナ自身の結果だし、俺は微力な手伝い程度だよ。あぁそうだ、食べたい料理とかあったらその店に行くよ。パスタとか肉とか、魚とか。それとも、スイーツとか」
「それじゃあ……あそこのお店とかどう?パスタとかピザが美味しくて。あと、何回か行ってるから目立ちづらい席を用意してくれるだろうし」
「ルリナ的にはそこは大事だよな。有名って言うのも大変だな」
「言う程ではないけどね。イチイ君もイッシュではどうだったの?」
「俺はそんなに気にしてなかったし、どちらかというとパチリスの方がモテてたからな」
「ふふ、男前だものね、パチリス」
「パチっ!」


オススメの店があると言って店に行くのも考えたが、あくまでも彼女に楽しんでもらうのがメインだ。
この機会に彼女の好みも知られるし、一石二鳥だった。
彼女が案内してくれた店はお洒落な内装で、鼻を掠める料理の香りも食欲をそそられる。
料理を注文して、ランチを一緒にして初めて気づいたのが、モデルだから小食なのだろうかというのはただの先入観だったらしいということだった。
美味しそうに好きなものを食べる姿に、可愛いなぁと改めて実感する。

何回か成り行きでお茶をした筈なのに、その時は意識をしていなかった自分を思い出して、ギーマと交わした会話を思い出す。
意識はしてないかったとしても、ファーストコンタクトの印象で決まるというのは本当なのかもしれない。
そうでもなければ、そもそもルリナの『バトルを見て欲しい』という申し出自体ももしかしたら面倒だと断っていたかもしれないのだから。

(割と泳ぐみたいだし、ジムリーダーも体力使うからか?なんて言ったら、ポプラさんの減点を食らいそうってのは流石に分かる。そう思ったけど)

彼女が化粧室へ行っている間に会計はまとめて済ませてしまうのも忘れず。
今のご時世割り勘というものもあるが、そこはポプラさんに昔から教えてもらったレディファーストの意識がある。
「えっ、そんなの悪いから!」と焦って財布を出そうとするルリナに「いいっていいって」と適当に流して、店を出る。
好きな子に告白したいから、という訳ではないが、格好つけたいものだ。

ランチの店を出た後はアパレルブランドの店に立ち寄ってショッピングを楽しむ。
流石は何時も適当に済ませてしまう身としては、この服にはこれを合わせた方がいいだとか、そういうファッションセンスの良さに憧れるものだ。


「うーん、新しい帽子、これもいいかも……」
「へぇ、いいデザインの帽子だな」
「そう思う?」
「あぁ。似合いそうだなって」
「に……、ごほん、ありがとう。イチイ君も帽子をどう?変装とかする時にもいいんじゃない?」
「俺は変装するまでのこともないしなぁ。それ買うならレジに持って行くよ」
「えっ、流石にこれは自分で買うわよ」
「ほら、お・祝・い・記・念」
「う……」


お祝い記念という言葉を並べると、言い返せないらしいルリナに悪戯に笑う。
ルリナが手にしていた帽子を受け取ってレジで会計をしてもらってそのまま彼女にプレゼントをする。
照れ臭そうに、でも嬉しそうに「ありがとう」とお礼を言う彼女に、あぁ、プレゼントしてよかったと実感するのだ。

店を後にすると、もうすっかり日も落ちて夕暮れ時になっていた。
以前こうしてナックルシティに来た時は、建築デザインを見たさに観光客のように興奮しながら建物ばかりを見ていた。
だが、今日は建物ではなくて、ルリナの深い海のような蒼い目ばかりを視界に映している気がした。
たった一カ月と少し前だというのに、こんなにも変わることが沢山あるだなんて。
駅に向かって歩いていると、途中で目に入ったナックルスタジアムへの入り口の橋が目に入って足を止める。


「ここは……」
「何だかもう既に懐かしいな。ここでルリナに声をかけてた男を撒いたのが」
「私のことを知らないまま助けてくれたって言うのも凄く驚いたわね」
「良かったよ、あの時動いて。そうじゃなけりゃ、縁も生まれなかっただろうし」


あの時に男に絡まれているルリナに声をかけて。
そして助けようと思わなければ、彼女と知り合うことも無かっただろう。
別に彼女がモデルだったからではない。ジムリーダーだったからではない。困っているようだったから助けた、それだけだったのに。

「……ルリナ」

その肩書もまた、彼女が努力で築き上げてきたルリナという人間を構成する一部なのだろう。
肩書は関係ないとは思っているが、彼女のそういう所も含めて、魅力なのだと改めて実感しする。
静かに名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと振り返る。
その丸い、海のような瞳で自分を見上げて。

夕暮れで彼女から逆光になっているだろう自分の顔はどんな表情になっているんだろうか。
ポケモンバトルでも経験した事の無いような緊張をしていた。
心臓が妙に早く鼓動を打っている音なんて聞こえていませんように。
伝えるべきことはたった一つだ。


「本当に、ルリナの誘いに乗ってトレーニングしてよかったよ。前も言ったけど、どっちの道でもトップを目指すルリナの努力は俺にとっても眩しかったし、見ていてわくわくしたよ」
「ううん。こちらこそ本来したいことがあったはずなのに手を止めて付き合ってくれてありがとう」
「いいや、そのおかげで俺もやっと自覚したし」
「?」
「……たった一カ月だけど。ルリナを見てて、尊敬できるし、好きだって実感したよ」
「――」
「俺と、付き合ってくれませんか」


ルリナからの返事を待っている間は、短い時間な筈なのに非常に長い時間のように感じられた。
人のざわめきさえも遠くに聞こえるような、フィルターがかかったような感覚だ。
「もう少し考えさせて惜しい」と言われても仕方がないと心構えはしている。ギーマにも言っていたが、なにせまだたった一カ月ほどしか経っていないのだから。
ちらりと、彼女の顔に視線を落とすと。橙色の陽射しに照らされたその顔は、赤みを帯びていた。


「……まさか、イチイ君が、私のことを好きだと思わなかったから、驚いて……」
「えっ」
「ううん、こちらこそ宜しくお願いします」
「……いいのか?え、本当に?」
「私だって、好きだったから……」


――ルリナが?俺を?
今度はこちらが驚く番だった。彼女にそう思われているなんて微塵も思っていなかった。
気恥ずかしそうに、本心を告白してくれるルリナのいじらしさに、ふっと微笑む。
堂々と、凛としているように見えて。控えめな所もあるのが彼女らしい。
彼女にとって、自分がどんな風に映って、どう魅力に感じてくれていたかは変わらない。それでも、好意を抱いてくれているという事実は変わらない。

こんなに嬉しいのか。自分から好きになった子に告白して。そして両想いだった時って。
ルリナの手を取り、その細く長い指先にキスを落とす。


「!?」
「これから宜しくって意味を込めて」
「突然本当に心臓に悪いというか……!」
「悪い悪い。今度は人前じゃない所でな」
「……っ、そういう意味じゃなくて」


案外照れ屋な面が強くて、純粋な反応をしてくれるルリナに、再び冷静に"こういう所も好きだな"と実感する。
テレビの向こうのルリナは色んな人にとっての理想の女性なのだろうが。
今目の前に居るルリナの表情を知っている人間は自分だけだ。一人の可愛い女の子で、こうして手を伸ばせばすぐ届くのだ。

空気を読んで離れてくれていたパチリスが戻って来て、ひょいと肩に飛び乗って来る。
「お前が居なかったら、ルリナと初めて会った時にスムーズに助けられなかったしな」と感謝しながら、パチリスの首元を指で撫でる。


「そういえば前ここで言ったこと、撤回するよ。ハイヒールも似合うし、俺はスポーツシューズのルリナもどっちもいいと思うぜ」


どっちの彼女も。
等身大のルリナという女性が、好きなのだから。
その言葉に、ルリナは凪いだ海に夕暮れの光が反射して煌めくように、綺麗に笑ったのだ。