Extra Cobalt Blue
- ナノ -

或る鴉と道化師の境界線


※truthとの連動した話になっています。


クロウは帝都を離れて遊撃士として依頼をこなす為に帝国西部へと来ていた。二週間の滞在となると一人で就寝する時は特に家に残して来ているフランのことがどうにも気になってしまうが、自分も彼女もそれが遊撃士という職業だと心得ている。
手が足りていない遊撃士は一人で多くの依頼を承ることも多く、家を空ける事が数カ月なんてこともあるだろうし、緊急の依頼もある。当然家族で過ごす時間は自然と減る訳だが、その分家に居る時はその時間が愛おしくより一層大切な時間となるし、後悔はしていない。欲を言えば飛行艇に搭載されているような広範囲の通信機で会話をしたいのだが、フランはきっとぴしゃりと仕事の集中を削ぐような通信はよくないと言うだろう。

そして今日、漸く長かったこの拠点での活動も終わり、鉄道が来る時間までクロウは適当に駅前を回っていた。

そんな一人の女性を愛するただの男のような感情を抱く度に勘違いしそうにもなるのだ。

ーー自分が普通に幸せなのではないかと。

だがこの場所に立つまで多くの物を犠牲にしてきた。同じ鉄槌の信念を持った同胞や敵とみなして来た人々の屍の山々。それに関わる全ての人間、学院の仲間達に深く付けた傷。トリスタに来るまでに失った青春という時間。
現在自分が生きているのが罪ではないと彼には言い切れなかった。その生き様はあまりに傲慢だ。償えるものではないし、寧ろ《C》として生きて来た自分が居なければ今日の自分は無いと判っていたから後悔をしているかと糾弾されても、失望させる答えしか出来ないだろう。

だからこそ。クロウは決意していた。それら全てを背負って生きていく事を。それこそが彼なりの矜持であり、途方もない贖罪の道だった。そんな道に光を差し込んでいるのは他でもないトワ達やリィンを始めとするトールズ士官学院で出会った仲間達、そして今も傍で支えてくれているフランだった。

そう考えるとやはりそんなフランに感謝の意も込めて手土産の一つでも持って帰りたいのだが。

「お土産とかいらねぇって言いそうだけどなぁ……」

店先に並ぶ商品を見ながら、次にクロウの頭に浮かんだのはわざわざ気を遣って買って来なくてもいいのに、と困った顔をしながらも嬉しそうに笑うフランの姿だった。元々貴族であるが、フランは謙虚と言うか贅沢を望まない。
彼女が今右耳に付けているピアスは自分があげたもので、別に高価なものでも何でもない。むしろついこの間の12月31日に貰い、今は自分の耳に煌めいている彼女が学生時代から付けている黒曜石のピアスの方が高価なものだ。
装飾品は特別な日に渡した方がいいかもしれないと結論し、視線を装飾品からこの街特産の食料品が並んでいる店へと視線を移す。

「料理に使ってくれって言ったら喜ぶか、アイツ」

鉄道での長時間の移動でも大丈夫そうな名産の赤ワイン、蜂蜜やチーズなどを買ったクロウは店を離れて時計を見るが、何せトリスタのように三十分置きに鉄道が来る訳でもないからまだまだ時間はある。

どうしたものかと思いながら、駅の近くにあるカフェに足を運んで暫く時間を潰すことにした。コーヒーの入った紙カップを片手に、クロウは暇潰し程度に今まで手帳に書き込んだ色んな地での出来事やクロウが個人的に気になった事を読み返していた。
本来字として起こすのは好きではないが、それが遊撃士のやり方なのだから仕方がない。クロウは洞察力に優れていた。それはアンダーグラウンドな場所に居続けて多くを裏社会を知っているのもあるし、犯罪者の真理や先を見据えた策や工作について精通しているのもあった。

コーヒーを一杯飲んでふうっと息を吐き、手帳を閉じてぼんやりと街を眺めていたその時だった。


「こちらの席、空いてますかね?」


明るくもどこか飄々とした声で尋ねて来た男性にクロウは顔を上げ、その顔を確認したと同時に表情は消え失せて敵意のような鋭い眼差しを向ける。
それとは対照的に、声を掛けて来た男は飄々と明るい表情で笑っている。


「……お前は、《かかし男》……」
「おや?私はそんな名前じゃありませんが人違いですか?何処かで私と会ったことがありましたか?」
「さぁな、けど学友がアンタらしき人を見かけたって言ってたのを聞いたことがあったから聞いてみただけだ」


そこに居たのは仕事着ではないらしい赤毛に垂れた翡翠の瞳の自分と近い歳の青年、レクター・アランドールこと鉄血の子供達の懐刀が一人、スケアクロウと呼ばれる非常に頭の切れる優秀な男だった。

にやりと口角を上げて笑い、試すような口調で返したクロウに、レクターは声を上げて笑って「なるほどなるほど」と呟き、向かい側の席に腰かけた。
自分が身分を隠して惚けるように、彼もまたただの学生だったと惚けるのだ。スケアクロウと呼ばれる道化師と、嘯く知恵のある鴉。その生き様は異なるものだった。
両者ともに人当たりのいい飄々とした態度は同じだ。しかしクロウの嘘には意図があるが、レクターの言動には明確な意図はない。寧ろ何が本当かも分からないし、全部本当かもしれない。
レクターという男はクロウからしても本心の読めない男だった。

警戒に値する嫌な人間だが、レクターからはギリアス・オズボーンに対する盲目的な忠誠心は全く感じられない。裏切る可能性を大いに孕みながらも、駒として動く僕。自分がギリアスとのゲームに賭けていたように、レクターもまた様々な思惑の絡む彼との駆け引きを楽しんですらいるのだろうと感じていた。


「まぁまぁそんな警戒しなさんなって。別にわざわざ追ってきた訳じゃねぇしなァ」
「ハッ、そういう諜報活動だろ。俺は大人しくしてるつもりだが?」
「大人しく、ねぇー……遊撃士ってのはオッサンに違う角度から刃を突き立てられる。ま、アンタがその選択を出来たのは運が良かったのもある」
「……」


運が良かった、確かにその通りだ。殺されず、軍に身柄を拘束されることもなく遊撃士として自由に活動できるのは間違いなくフェルナンド伯に保護観察を引き受けてもらったからだろう。


「リィン・シュバルツァーと同じように軍で身柄を"保護"しても良かったんだが、一応学生の身分、それにあの《テスタ=ロッサ》を仕留めてセドリック皇太子を救ったこともあって、扱いが難しくなった所をあの誰の味方にも付かないようなフェルナンド伯が動いた」
「……だが、一貴族なんて軍の半分を掌握してるあの男にも、お前らにも差し障りなんてねぇだろ」
「俺達としてもあの家、そのバックにあるオッサンが持ってるパイプとは別の皇族との繋がりは厄介なんでな。政治的に極力敵には回したくないっつーのはアンタだって知ってるだろ?それに歴代で初めて女子が家から離れた。フラン嬢ーー権力こそはないが内戦の一件で皇女殿下達も含める皇族からの信頼はもしかしたら一番だ」


これまでクロウがレクターとの会話で避けようとしていたフランの話題に、クロウの眼差しは冷え切る。このレクターから自分と結婚した妻の名前が出て穏やかでいろと言う方が無理な話だ。

フェルナンド伯からも言われていたから分かってはいたが、ラングリッジ家の歴史において数少ない長女である彼女が初めて家の外に出て結婚するとはそういうことなのだ。
フランがラングリッジ家において権限があまりない立場であるからこそその点に関しては脅威ではない。しかし彼らの兄は厄介だし強い信頼関係で結ばれている。更には帝都内戦でZ組として皇帝陛下達、セドリック皇太子を救出し、アルフィン皇女と共に行動をしていた。

もし万が一フランを傷付けるようなことをしたら。クロウは反撃の鋭い問いをレクターに投げかけた。


「確かお前、各地で探し物してたんだってな?」
「……へぇ?」
「そいつは以前、あのキリカ・ロウランと同時期にリベールのグランセル支部で受付をやってたらしい人間。結社の連中がクロスベルで用意した碧の大樹の騒動にも一枚噛んでたらしいな?」


クロスベルでの情報も遊撃士協会やミュヒトを通じて聞いたが、別の望みのためにクロスベル方面での結社の活動を手助けしていたアリオス・マクレインの推薦で突然、特務支援課というクロスベルの騒動を解決する場所に所属した変わった経緯の少女。
更に遊撃士協会にもその名前が残っていた。何故ならあのリベールの異変が起きる一年前から若干十五歳にして首都グランセル支部で受付補佐をしていたのだから。
能力の高さ故に採用されたその年齢も異例だが、リベールの異変に合わせるようにやって来て、終わった後に立ち去った彼女には恐らく別の目的があったのた。

「しかもお前は丁度その頃クロスベルに行ってた。つまり、鉄血の落し子はついに見つかったって訳だ」

詳細まで事細かに知っている訳ではないが、その少女の背景にあるのはあの星杯騎士団であり、猟兵や執行者とも渡り合う戦闘力を持つ特殊な人材としてクロスベルの異変に備えて潜入調査をしていたのだろうということだ。
そしてそんな少女をこの男は各地で密かに嗅ぎまわっていた。用意周到な彼らしくない手際の悪さゆえに、そしてその少女を探しているのは彼しか居なかったことを考えると、それは決して情報局という立場で集めている情報なのではなく個人的なものなのだろうと判断出来た。
つまり彼と仲間であり、そうなると鉄血の子供達の一人という可能性が高かった。

レクターはこの日初めて、分かり易い表情を見せた。憂いのような、懐かしむような、それでいて兄のような柔らかな笑顔。

「……二度とあのオッサン……いや、俺の元には帰って来ないけどなァ。その点で言えば、お前の復讐には含まれない存在だろうよ」

レクターの言葉にクロウはぴくりと眉を揺らす。
遊撃士となった彼が現在も別の形で鉄血宰相への復讐を遂げようとしていることを彼は理解していたのだ。クロウにとって鉄血宰相の子飼いである彼らも場合によっては対象となる。

「ま、何だかんだ俺もアンタも人ってことだな」

邪道を進もうとも、誰かに執着する愛情や親愛は残っているということだ。
話したいことはもう無いようで、レクターは「さあて釣りにでも行きますかねー」と呑気に呟くと、席を立ち上がった。

「奥さんには優しくしてやれよ〜」

立ち去る直前に振り返ったレクターに掛けられた思いがけない言葉に、クロウは目を丸くしてやれやれと頭を掻いた。
冗談のようだが、大事な少女を手放し、兄として見守る立場となった。《かかし男》や通りすがりの旅行者という立場ではなく、レクターとしての言葉だったのだろう。


「やっぱり、嫌な"敵"だぜ」


食えない青年を見送り、クロウもまた席を立ち上がって駅へと向かう。

今日は一体どんな夜ご飯を用意してくれているのだろうか。お土産は喜んでもらえるだろうか。そんなことを考えながら彼は帝都までの長い長い車窓の旅を楽しむのだった。
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