Extra Cobalt Blue
- ナノ -

悪夢から醒める夢を見て

季節は秋ーー学院祭を迎えたトールズ士官学院は多くの生徒や一般客で賑わっていた。学院には様々な装飾が付けられ、トリスタの街も賑わいを見せている。

担任は持っていないが、フランも茶道部の顧問として準備に大忙しだったが、漸く当日を迎えることが出来た。茶器や多くの来場者を見越したお茶菓子の準備に着物の着付け。基本的には生徒に任せているが、勝手が分からない生徒に聞かれる度に説明をして助けていた。
生徒達も準備には大変苦労をしたようだが、当日を迎えられた高揚感に盛り上がりを見せていた。

フランは教官として見回りながら、クラスを覗いて様子を確認していたが「フラン教官!」と声を掛けられる度に足を止めて中へと入って会話をする。楽しそうな一年生を見ていると、フランは懐かしさに顔を綻ばせる。
あの時の自分達も彼らと同じようにたった一度しかない一年生の学院祭を楽しんでいた。クロウも含めるZ組全員で成し遂げた達成感は今でも忘れない。


「教官は在籍していた時、どんな出し物をやったんですか?」
「私達?私のクラスは人数が少なかったから全員でライブをしたのよ」
「ライブって、え、演奏ってことですか?」
「えぇ、ただピアノとかバイオリンだけじゃなくて、メインは寧ろギターとかベース、それにドラムね」
「へぇ!凄く面白そう!」
「そんな出し物があった時もあったんですね。教官はボーカルじゃなかったんですか?」
「まさか。私はバイオリン担当よ。バックコーラスには入ったけど」


そして投票で一位になったことを知ると、話を聞いていた生徒達は目を輝かせる。
今でもクラスごとにやはり対抗意識があるのか優勝するのは目標のようだ。その方が張り合いもあるし、団結力も増すだろう。

「映像は残っていないんですか!?」と嬉々として興味津々な様子で尋ねてくる生徒に、フランは冷や汗を掻きながら、そんなものは残ってないから自分の出し物を頑張って頂戴と声をかけて話を逸らした。自分の学生時代のライブを見られるなんて気恥ずかしいし、知っている生徒に見られたら今は夫であるクロウの姿もあるから何かを察して茶化されるかもしれない。

その教室を出たフランは次に一階に戻って茶道部を除くと、昼に向けた茶会の為の準備に追われていた。


「あ、フラン教官!教わった通りに着物を着つけてみたんですがどうですか?」
「えぇ、いいわね!私達の時は女子しか居なかったから着物も女性物だけだったけど、男性物の着物も綺麗ね」
「ありがとうございます。なんかちょっと着慣れないですけどね」
「男子部員も数人居るし、男子は入りにくいって雰囲気が無いからいいよね〜目標人数いけるかも」


現在の茶道部には女性部員だけでなく、男性部員も女子より若干人数が少ない位で数人所属している。それに伴い、予算の計算が大変そうだったが、男性物の着物も二着購入していたようで、フランも男子が東方の着物を着ているのは初めて見た。
女性物と違って帯は細く、色も鮮やかではないが、寧ろそれが男性の色気と言うものも引き出してくれるのかと納得していた。


「そうだ、フラン教官はお茶を立てないんですか?」
「私は教官っていう立場だから見回りとサポートに回るわ。主役は貴方達でしょ?」
「それは分かってるんですけどねー……」


ねー、と顔を合わせて純粋な期待に満ちた視線を向けられると、断っているのが物凄く悪いことをしているような気分になる。しかしあくまでこの学院祭は自分たちで準備をして自分達で行うものだ。邪魔をしてはいけないとは分かっているのだが、手を取られて再度頼まれると「どこか適当な時間で一回だけなら……」と折れてしまったのだ。


一方、帝都から鉄道でトリスタにやって来たクロウは時計を確認して、フランが言っていた茶道部の時間まで少しありそうだと頷く。

クロウにとっても学院祭ーー特に二年生での学院祭は思い出深かった。
最後の学生としての姿と言っても過言ではないだろう。Z組として共にライブを楽しみ、後夜祭を楽しみ。馬鹿みたいにはしゃいだのはこれが自分の学生としての集大成だと分かっていたからだ。
その数日後には自分の異変に気が付いたフランを無理矢理組み敷いて学生としての自分に決別をしてから、帝都にて《C》として引き金を引いたのだから。

装飾された門を潜り、トールズ士官学院に入ったクロウが真っ先に見付けたのは受付横で生徒と話しているベアトリクス教官だった。彼女もクロウに気が付き、温和な笑みを浮かべて出迎えた。


「ベアトリクス教官、お久し振りッス」
「いらしていたんですね、クロウさん。フラン教官から話は少し聞いておりましたが、お元気そうで何よりです。忙しいようですが、今日は空いていたんですね」
「空いたっつーか、無理矢理空けてきたっつーか……お陰で数日忙しかったんスけど、一度は学院祭にも来ておかないとって思ってましてね」
「ふふ、そうですか。お仕事の方も充実しているようで何よりです」


自分がこの学院に対して何をしたのかここの教官は分かっている筈だ。オルディーネを駆ってトリスタを、トールズ士官学院を占拠した。鉄血宰相を撃ち、各地でテロを起こして貴族連合に付いて内戦を引き起こした。
しかし、それを責めないのだ。そういう点でも、クロウにとってここは母校なのだ。

受付でチケットを数枚もらって、クロウは学生会館の方から外を回る。
学生会館は多くの部室があるのもあって賑わっているようだ。当然今は生徒会のメンバーも違う。しかしふと、トワが会長として懸命に動き、副会長として書類に目を通しつつクロウが来ると涼みに来るなと煩く文句を言って来ながらもコーヒーを用意するアーサー。トワを求めてか偶に遊びに来るアンゼリカ、そしてその隣の技術棟に居たジョルジュを思い出しーー全てが懐かしくなる。

技術棟を過ぎて学院祭初日の夜に試練を課してきた旧校舎を目に留め、クロウは旧校舎にふらりと向かう。
相変わらず人気は無くしんとしているし、Z組が旧校舎を調査して以来生徒は調査をしていないのだろう。しかし視界の端に映った二年生らしい男子生徒が二人でこそこそしているのを見て、クロウはすぐさま察した。
そして気配を消して音もなく背後に近付き、にやりと悪戯に口角を上げる。


「わっ!」
「うわぁ!?えっ、だ、誰ですか!」
「えっと、これは、その……」


大声で脅かすと、慌てたように一人の少年が背中に隠した紙を、クロウは見逃さなかった。やはり自分が居なくなっても、どの年代にも一人や二人はこういう賭け事を企画する人間はいるらしいと分かると少し嬉しかった。


「もしかして、馬術レースの賭けか?」
「なっ、何でそれを……」
「あー俺も昔、主催した側だからな。別に教官に言い付ける訳でもねぇし安心しな」


ぽかんとした顔で瞬く青年に、クロウはポケットに入っていた小銭を取り出して青年のブレザーのポケットに押し込んだ。


「そうだな、俺はフラン教官に50ミラ賭けるぜ」
「え……」
「その代わり、ちゃんと勝ったら配当は寄越せよ?」
「それはいいんですけど、フラン教官に?」


的外れな賭けだろうと言わんばかりの眼差しに、クロウは内心甘い甘いと笑い、彼らに「黙っててやるから精々楽しめよ〜」と声をかけ、手をひらひらと振ってその場を離れた。
あの反応を見る限りではフランに賭けている人なんて殆ど居ないだろう。この学院でのイメージは恐らくフランが鬼教官だというのは除いて、元々有名な貴族で茶道部の顧問をしている程のお嬢様だ。当然、見たら止めたくなるような馬の乗り方を楽しんだり、バイクでの走行を楽しむなんて一面があることは知らない筈だ。
意外だと思われるのは分かるが、そもそも上手いジョッキーというのは姿勢を低く取れて馬に負担の掛けない身体の軽い小柄な人が多いから、確かにフランが馬を乗りこなして速く走るのも納得出来る。

「アイツ、最近乗れてないだろうから全力で楽しむだろうしなぁ〜」

多分、茶道部の昼の部が終わればその後にフランは必ず乗馬レースに参加するに違いない。それを見るのも楽しみだとクロウは中庭から校舎内へと入った。


二階に上がって別の教室を借りて茶道部が実演を行っているという場所へ向かうと、相変わらず多くの人が並んでいた。この帝国では当方の分かは物珍しいのか人気もあるし、畳の大きさの関係で一回に通せる人数に限りがあるのだ。

ひょっこりと顔を覗かせると、フランはお茶菓子の準備を手伝っている。そして二人の男子生徒も当方の着物を着ているのを見て、フランとお揃いになるという意味であれはいいな、と納得する。惚れ直してくれるに違いないと自惚れる。


「クロウ!着いてたなら連絡くれたらよかったのに」
「流石にもう準備してて忙しいと思ってたからな。あ、俺並ぶぜ」
「えぇ、もしかしたら三十分はかかるかもしれないけど……」
「フラン教官……!」
「なに?」
「着替えに行ってください!今日一回やるって言ってましたよね!?」


フランの旦那が来たことに気付いて背中を押す生徒に、フランはあからさまに苦い顔に変わる。フランは頭を押さえてどうしようかと迷っていたらしいが、クロウに問いかける。


「……私の可愛い生徒達の作ったお茶を飲みたいわよね?そうよね?」
「それも惹かれるけど、そんな可愛い生徒が尊敬する先生のお手本のお点前ってやつが見てぇなー」


笑顔でフランの言葉を丸め込んだクロウはフランの後ろに居る生徒にも問いかけて同意を得る。フランは恨めし気にクロウの腕を軽く叩くと、「お茶菓子2個は出してあげないからね」と言いながら、着付けをする為に一階へと降りて行った。

「ぷっ、懐かしいぜ」

部活で余ったお茶菓子を分けに来てくれたフランの前で二つ取ろうとした時、そんな風に怒られたんだっけかと思い返しながらクロウは笑い、フランの久々の着物姿を期待しつつ整理券を受け取って列に並んだ。


暫く待ち、そろそろ自分も次の回に呼ばれるとなった時、生徒達がひそひそと何かを話して廊下の方を見ていることに気が付いてクロウも視線を向けると、髪をまとめ上げて紅い着物を身に纏ったフランが階段を上がって教室に向かって来ていたのだ。
本人は小柄だから似合わないと言っているが、周りに「あれ、俺の嫁なんだぜ」と零して自慢したくなる程に綺麗で、淑やかで何処か色気も感じさせる雰囲気を漂わせている。

目が合ったフランは一瞬恥ずかしそうな顔をしたが、「楽しみにしてて」と口を動かすと教室内へと入って、終わったばかりで人が居なくなった畳へとあがる。
そしてクロウを含める20人余りの来場者を畳の上に招き入れた。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます。この回のみとなりますが、顧問として特別にお持て成しをさせて頂きます」

親指を付けて体の向きを変えて綺麗にお辞儀をして挨拶をすると、フランはお茶を点て始める。

その細かな動作や姿勢の優美さや凛とした姿はやはり帝国貴族と言われると納得のものだった。
来場者も彼女が元ラングリッジ家と知っているからか、まじまじと焼き付けるようにその動作を見詰めていた。
その間にも準備していたらしいお茶菓子と抹茶の入った器が生徒達によって運ばれてくる。

卒業間際に立ててくれたお茶も懐かしいが、今日こうして再び体験出来るのは感慨深くもあった。
フランが茶を点てる担当をしたこの回が終わり、クロウも飲み干した茶碗を前に置いて生徒に預けてお辞儀をし、次の回に交代するために立ち上がる。

終わったばかりのフランは既に数人の生徒に囲まれて、教室内で見ていた彼らの関心を引いていた。今の回に参加出来てラッキーでしたと口々に感想を述べ、感激しているようだった。あまり普段の教官としてのフランを知らないが、多くの生徒に慕われているようでクロウとしても喜ばしかった。


「フラン、何時まで茶道部に居る予定だ?」
「もう終わるころだし、着替えて戻って来たら丁度いい位ね。もう少しだけ待っててくれる?」
「おう、慌てなくてもいいからな〜」


ぱたぱたと小さな歩幅で歩き、階段を降りて行くフランを見送り廊下に出たクロウだったが、二人のやり取りにクロウが噂に聞く"あの凛としたフラン教官がデレる旦那らしい"と気付いたのか、彼らはクロウに声を掛ける。
しかも実技テストで一度戦ったらしい生徒は遊撃士であるクロウの実力を知っているから経緯を抱いていた。


「あの、クロウさん。フラン教官って自宅ではどんな感じなんですか?」
「何だ何だ、教官のプライベートが気になる年ごろか?」
「そ、そういう訳じゃないですけど……」
「ギャップがあるからつい知りたくなっちゃうというか」


一人の言葉に他の生徒もうんうんと頷く。フランの性格はよくも悪くも真面目かつあまり素直に甘えたりだとかいったことは出来ない。
常に凛としているイメージがあるからかフランが誰かに素直に甘えている様子は想像できないだろうと、クロウはあんなことやこんなことを思い出しながらくつくつと笑う。


「ま、あの通り素直じゃないからな。俺に対しても基本的には手厳しいぜ?調子に乗らせないように小言言ったり、窘めてきたり」
「それはフラン教官も言ってましたね……」
「クク、その半分は照れ隠しだぜ。俺から見たら甘えたくても甘えるのが下手な奴だな。俺もそれを分かってるからうまーく誘導するんだが」


その誘導に引っ掛かっていそうな姿は想像出来たのか、生徒達は苦笑する。予想以上にこの飄々とした夫の確信犯的な言動に振り回されているのだろう。それに文句を言いながらも満更ではない様子だから幸せそうなのかもしれない。
ーー実際、振り回してばかりいるようで俺もフランにかなりの影響を受けているのだが。

丁度着替えてきたフランが階段を上がってきて「お待たせ!」と声をかけるが、向けられた視線の多くは微笑ましさから来る生暖かさだった。


「フラン教官……」
「な、何この生暖かい目は……?クロウ、何か言ったの?」
「いーや、何も。流石はフラン。着物着ても綺麗なもんで、旦那としても鼻が高いぜ〜」
「まったく……そうやって調子がいいんだから」


また上手く丸め込まれているような気がするとフランは不満そうな顔をする。そして生徒達はあぁ、これが先程言っていたようなやり取りかと納得しているようで、自分達の下らないやり取りを聞かれていたことに気付いたフランは「ごめんなさい」と咳払いをする。

茶道部の昼の公演も終わり、見回りも兼ねてフランはクロウと共に教室を出た。
そして何処に行きたいのか尋ねると、フランが真っ先に口にしたのはやはり乗馬レースだった。想像していた通りだしフランらしいと肩を揺らして笑う。

グラウンドへと向かうと、丁度馬に乗って走っている人が歓声を受けて盛り上がっている様子だった。


「やっぱり近くでレース見てるとうずうずするわね」
「おーい、頼むから怪我する様な無茶はすんなよー」
「大丈夫よ。そんな無茶はしないから。どの子にしようかしら……流石にシェリンに勝る馬は居ないけどよく育てられてるわ。ふふ、さて、行くわよ」
「目がマジだぜフランさん……?」


意気揚々と選んだ馬と共に入って行ったフランを見るためにクロウも移動をする。
案の定軽々と障害物を避けきって好タイムかつ全フラッグを回収して戻ってきたフランは、オッズで一番になっていた生徒のタイムを塗り替えて今日一番の番狂わせをした。

オッズを確認しているらしい先程会った男子生徒が慌てている様子が分かる。
学生時代は賭け事であまり勝った試しがないが、これもフランと居ることで変わってきたことなのかもしれない。
あの50ミラは幾らになって帰ってくるんだろうかと考えながら馬から降りて戻ってきたフランを迎える。


「ははーん、やっぱりな」
「え?」
「いーや、俺の一人勝ちだろと思ってな〜。お疲れさん」


首を傾げているフランにまぁまぁ気にするなと声をかけてグラウンドを離れた二人はゆっくりとした足取りで講堂の方に向かいながら、そういえば、とずっと心に引っかかっていたことをフランは問いかけた。


「後夜祭は、どうする?」
「……、参加して行くぜ。最後まで楽しみたいもんな」
「そっか、あの時とは違う後夜祭……楽しんで帰りましょう?」
「そーだな。……今回は別れのカウントダウンじゃないからな」


あの時のクロウが何処か寂しそうで、心ここに在らずといった様子だったことは分かっていたけれど、それが何故なのかはその時分からなかった。だからこそ今回はそんな寂しさを抱かなくていいように。

繋いだ手をもう離さないようにーーフランはクロウの手をぎゅっと握り、クロウもその手を握り返した。
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