Extra Cobalt Blue
- ナノ -

明日を告げる春の木漏れ日

4月1日のトールズ士官学院入学式前の早朝──フランの姿は白いライノの花が咲き乱れるトールズにあった。トランクケースを持ち、久々のこの景色に感慨深くなりすうっと息を吸う。
今の自分があるのは全てここが始まりだった。Z組の仲間達と出会い、そして先輩達に出会い、今日こうしてまた違う立場として戻って来た。

駅を降りて右に視線を移すと、今は使われていないアパートを改築した元第三寮が目に入る。学生生活が懐かしくもあり、一抹の寂しさも覚える。毎日あそこで生活をし、登校していたのだ。
学院までの道のりを歩いていると、トリスタの町の住民や子供達がフランの顔に覚えがあったのかあっと声を上げて、驚きながらも久しぶりと手を振って来る。この町の温かさが堪らなく好きだった。

坂を上り、トールズ士官学院の門を潜る。今日から赴任する自分もそうだが、今日入学式を迎える新入生達にとっても新たな生活の始まりとなる日だ。
懐かしき校舎内に入ったフランは学院長の居る部屋を訪ね扉を数回叩く。そして失礼しますと声をかけて中に入ると、そこにはヴァンダイク学院長とベアトリクス教官の姿があった。


「待っていたよ」
「お久し振りです。ヴァンダイク学院長、ベアトリクス教官」
「ふふ、どうやら一回り大きく成長したようですね」
「まだまだ未熟者ですが……」
「新たな生活を迎えてまた違う視点も得たのではないかな?」
「えぇ……誰かと一緒に生きていくって、色々と価値観も変わってくるものなんですね」
「幸せそうで安心しましたよ、フランさん」


アームブラストという名に変わった元生徒の幸せそうな表情を見て、二人はふと微笑んだ。クロウもまた同じ気持ちで生活をしているのだと思うと安心も出来る。

挨拶を終えたフランはトランクケースを手に、教員室に入るとフランが教官として戻って来ることを聞いて迎える為に待っていた教官達は拍手を送りながらフランの来訪を歓迎した。


「お久しぶりです、皆さん」
「おう、本当に久々だな。……一昨年リィンが卒業したが、Z組のお前が戻ってくるとはなぁ。不思議な気分だな」
「えぇ、なんだかちょっと感慨深いですね。サラ教官にも改めて言いたいくらいです」
「ラングリッジ君、教頭という立場として、同じ教科を担当する者として君を心から歓迎しよう」
「……」
「どうした、ラングリッジ」
「……ふふ、いえ、そう呼ばれるのは久々だと思いまして」


ラングリッジ、その苗字で呼ばれるのはもう一ヵ月以上無かったことだし、今や旧姓だと思うと気恥ずかしくも思う。事情を事前に知っていたのは提出した書類を見たらしいヴァンダイク学院長とベアトリクス教官だけなのだろう。
フランは教官たちに向き直り、そして頭を下げ挨拶をした。


「改めましてーーフラン・E・アームブラストです。若輩者故、ご指導ご鞭撻宜しくお願いします」
「……えっ」
「は、」


フランの自己紹介にマカロフ教官は煙草を落としそうになり、メアリー教官は目を丸くして口元を手で覆い、そしてハインリッヒ教頭は信じられないと瞬いていた。アームブラストーーその名を教官達が知らない訳が無かった。
一昨年の何かと目立つお調子者の単位不足も危ぶまれた卒業生で、二年前の内戦でテロリストのリーダー格でありそして貴族派の"蒼の騎士"として活躍していた生徒だったからだ。教官たちの中でもZ組の面子と同じ位に印象深く記憶に残っている生徒だった。


「ご結婚されたんですか?」
「お察しの通り、クロウ・アームブラストと、先月に」
「そうでしたか……おめでとうございます」
「おいおいまじかよ……ラングリッジのご令嬢がアイツとねぇ」
「……祝福すべきだろうが、むむ、王領地伯家の君が彼と……」


貴族の爵位を持つハインリッヒ教頭としてはクロウの性格を知っている分、二人の幸せを祝いながらも複雑そうに唸った。

ーー貴族生徒と平民生徒、二色の制服が入り混じる入学式で挨拶を終えたフランは教員室に戻って来ていた。何の偶然か、そこはサラが以前座っていた席だったのだ。暫く直接連絡は取っていないが、元気にしているだろうか。話によるとフィーと一緒に行動していた時もあったようだが。
担任を持っていない代わりに、戦術教官を引き受けている自分が彼女の背を見ているというのはもはや自覚していた。私生活はだらしなく見えるけれど、彼女を尊敬していたのだ。

その時、トントンと扉が叩かれた。
その音が耳に届き振り返ると、そこには二年生になったセドリック殿下が居てフランは驚きながらも嬉しそうに顔を綻ばせて頭を下げた。


「殿下、お久し振りです」
「ここは学院で、僕はあくまで生徒ですからそう頭を下げないでください。まさか最後の一年でフランさんとご一緒出来るとは夢にも思っていませんでした」
「私も殿下が在籍中に赴任できるなんて、リィンに羨ましがられますね」


あの一件でトールズに通う期間を一年ずらしたことで、リィンが卒業した次の年にセドリックは入学したのだ。彼もリィンと一緒に学生生活を送ることを楽しみにしていたようだが、まさか自分が彼の在籍中に赴任できるとは思わなかったのだ。


「兄上から話は聞いています。家を出て、結婚されたって」
「えぇ、やっと……私自身が選んだ道を歩き出した、そう思います」
「フランさん……幸せそうで安心しました」


クロウのことを知っているからこそ、セドリックは安堵したように表情を緩めて笑ったが、それは帝国の至宝と呼ばれることも納得できるほどだと改めて思う位に綺麗な笑顔だったが、二年前の幼さも抜けて少し凛々しくなったように感じた。


四月の授業が始まり、フランはハインリッヒ教頭と多忙なナイトハルト少佐が見きれないクラスの政治経済学と軍事学を教えていた。

政治経済学でフラン教官に当たったクラスは運がいいーー生徒達の中では既にそう囁かれていた。歳も近く、というより見た目は二年生の一部よりも年下に見られそうな程に若く話し易いし、真面目ではあるが座学の授業に関してはハインリッヒ教頭と違って厳し過ぎることもなく、説明も分かり易い。(ちなみに黒板の上の方に手が届かないのか真ん中辺りから書き始める)
そしてトールズ士官学院においてちょっとした有名な話になっている幻のZ組の一員だったという噂は瞬く間に広がっていった。

チャイムが鳴り、平民クラスでの政治経済学を終えたフランはチョークと教材を片付けて、それじゃあまた明日の授業でと声をかけて教室を出ようとしたが、その時生徒から声をかけられた。振り返ると、二人の女子生徒がフランに駆け寄ってきた。


「フラン教官!」
「どうしたの?授業の質問?」
「いえ、特に用事という訳ではないんですが……アームブラスト教官って若いですし、話してみたくて」
「ふふ、ありがとう。私今年で二十歳だから、中には一つしか違わない生徒も居るから」
「やっぱり教官若い……そういえばZ組の一員だったんですよね。どんなクラスだったんですか?」
「えぇ、色々あったけど……身分に関係ない人が集まったあのクラスで、私は凄く楽しかったし、あそこでの経験があるからこそ今の私があるから」


フランの言葉に、生徒たちは興味深そうに目を輝かせる。Z組の話はクラスが無くなり、直接先輩後輩関係にない生徒達にも伝わっている。あの内戦においてカレイジャスを指揮し、内戦解決に一役を買ったのも彼らの一つ上の世代と、灰の騎士、そして英雄と呼ばれるリィン達Z組だからだ。
今はそのクラスは無く、平民クラスと貴族クラスも別れている。とはいえZ組が居た世代からの影響か、両者が険悪な雰囲気になったことは記憶になかった程だ。
その一員であったというフランに興味も抱くのも当然だったし、体格や見た目の雰囲気からは想像は付きにくいが彼女がこの学院で戦術教官を担当しているということもまたギャップ故に気になる点だった。

そして次に聞かれた彼女たちの問いに、フランは瞬くことになった。


「一つお尋ねしたいんですけど、フラン教官。彼氏、居るんですか?」
「……え、彼氏?」
「その指輪といい、男子は気になってますよ!」
「あはは……すみません教官。でも貴族生徒の方もそう噂してるから気になってしまって」


控えめそうな方の子も気まずそうに、けれど気になっていたのか申し訳なさそうに同意する。
年齢的にもフランの左手の薬指に付いている指輪は彼氏がいるという意味では、或いは婚約者が居るという意味ではないかと生徒たちは噂していたのだが、事実はもう少し進んだ関係だった。フランはくすりと笑って指輪に視線を移し、悪戯に答えた。


「ふふ、アームブラストって、旦那さんの苗字よ」
「……、え」


一瞬、彼女たちの時が止まった。
二十歳になると言っていた彼女がまさか既に結婚しているとは当然生徒達も予想だにしていなかったのだ。その時、教室の扉が開いて貴族生徒の男子が二人、フランを探していたのかノートを手に入って来た。


「すみません、ラングリッジ教官」
「もう、私の名前、変わったって何度も言ってるでしょう?」
「あっと……つい。……苗字が変わったなんてにわかに信じられませんね」
「しかも社交の場から居なくなり、兄上達も驚いていますよ、教官」
「それに関してはもうラングリッジの人間じゃないから、としか言えないわね」


貴族生徒達はフランが社交の場に居た時の話を知っていたのか、フランが貴族の家に嫁ぐことなく、違う苗字に変わりここに教官としているのがにわかに信じがたかったのだ。
提出用のノートを受け取り、また明日ねと声をかけた。
その会話を聞いていた二人には気になることがあった。他でもないフランの旧姓だ。


「あの、今の名前は……」
「えぇ、私の旧姓はラングリッジよ」
「あ、あの帝都の名家の……!?じ、じゃあ旦那さんも貴族の?」
「いえ、平民よ?」
「へっ」


ラングリッジといえば帝都では有名な、風変わりな爵位を持つ家だ。しかし伯爵家よりも位は高く、皇族と関係も深くまた宰相との繋がりもある裁判所トップの人間を輩出しているような家出身の貴族の娘が平民の家に嫁ぐことは本来有り得ないと、平民クラスの彼女達も理解していた。
旦那さんはどんな人かと、興味津々に質問をされたが、その話についてはまた今度ねとはぐらかした。


夕方になり、帰宅準備を終えたフランはふらりと学生会館一階に立ち寄った。学生の時は活用させてもらったものだとしみじみ思いながら購買に顔を出すと、あっと声をあげられる。


「フランちゃんは今帰りか?」
「えぇ、家に着く頃には七時位になりそうですけど」
「……まさかあのクロウがフランちゃんと結婚するなんてな。キルシェ辺りでもフレッドがどうしてクロウのヤツが勝ち組なんだってずっとぼやいてるぜ」
「勝ち組って……」
「相変わらず競馬は確認してんのか?」
「ふふ、相変わらず。当たり外れが激しいから賭けこそはしないようにしてますけど」


クロウのギャンブル好きは変わらないが、彼の場合当たる確率もそう高くないし本人も金銭自体は賭けないようにしている。時々懸賞に応募はしているようだが、クロウが考えた組み合わせで当たった試しは今まで一度もない。


「しっかし、ここで仕事してわざわざ家に帰って家事もするんだから偉いよなぁ」
「非常勤なので一応定時に私も帰れますし、家に帰りたくて帰ってるので偉いことでも何でも……」
「仲良さそうで何よりだが、クロウがちゃんと嫁さんフォロー出来てるのか心配だな」
「ふふ、それは勿論。お調子者ですけど、あぁ見えて甲斐性ですし私を気遣ってくれる良い夫ですよ」
「……なんて羨ましいやつだ……というかそれを本人に言ってやったらかなり喜びそうだな」
「……」


学生の時よりも突っ撥ねる感じは自分でも減ったと自覚しているが、気恥ずかしさや元来の性格もあって、それをクロウ本人に面と向かって言うのは少し照れ臭い。


「あいつに暇が出来たら連れて来てくれよ?こっちも抜け駆けされた分、不満をぶつけなきゃいけないしな」
「お伝えしておきます。皆に心配かけた分、ちゃんと近況報告させないと」
「はは、頼むよ。……けど、クロウが幸せそうなら何よりだな」


──こんなにも彼はトリスタの街の人に、そしてあの頃のトールズ士官学院に居た人たちの記憶に深く残り、そして想われていることがどれだけ幸福なことだろうか。
その事実をフランは噛みしめながら、帝都行きの列車に揺られて家路についた。
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