Extra Cobalt Blue
- ナノ -

青い世界の繋ぎ目

──トールズ士官学院を出て、ジュライ地区に住まうようになった二年後の冬の寒さから少し暖かくなってきた三月。全ての単位を取得したフランは卒業し、また新たな門出を迎えようとしていた。
今日はクロウも仕事は休みをもらっているのか、卒業式を終えて大学の正門から出てきたフランを出迎え、一緒に導力トラムに乗りヴェスタ地区にある家に戻って来た。鍵を開けて家に入ると先に靴を脱いで廊下を歩いていたクロウに「お帰り」と声をかけられたから、フランも表情を緩ませる。

二年間通った学校を卒業するのはやはり物寂しい気もするが、トールズ士官学院を出た時とは違って名残惜しさは無かったのだ。荷物を置いたフランがリビングに向かうと、クロウはソファに座ってフランを手招いていた。その隣に座ると、二年前の三月とは逆にクロウはその言葉をフランに贈った。


「卒業おめでとーさん」
「ありがとう、クロウ。卒業って言っても、……やっぱりトールズを出る時程の感慨はないんだけどね」
「まぁ、あそこと比べるとな。……別れも名残惜しく思う位だしな」
「ふふ、トワ会長達に会いたい?」
「トワはともかく、ゼリカは放浪の旅明けでまたどっか行ったし、ジョルジュは各地回って、アーサーはオルディスだからな。その内会う機会もあるだろ。はは、アイツらとは腐れ縁だしな」


二年間共にしてきた気の合う仲間達に思いを馳せてクロウは目尻を下げて笑った。文句を言いながらもーーやはりクロウにとっては彼らとの思い出は嘘の物ではなく、確かに大切なものだったのだ。それを今ではクロウ本人も認めて受け入れているし、彼が虚勢を意図的に張る必要もなくなったことをフランも嬉しく思っていた。


「しっかし、春からはお前も晴れて教師か」
「ヴァンダイク学院長に連絡入れた時はどうなるかと思ったけど、断られなくて良かったわ」
「年齢はともかく、教官としての知識やら実技能力に関しては申し分ねぇし、あのZ組出身だしな」
「クロウが学生だった時と一つしか歳変わらないもの。……ちゃんと教官に見られるかしら」
「……そりゃ怪しいだろ。小柄だし、下手したら歳下に見られるんじゃねぇの?」
「う……」


半年前程に、教職課程を終えたフランはヴァンダイク学院長に直接連絡を入れていたのだ。断られることも覚悟の上だったがーーサラが居なくなり、ナイトハルト教官も軍部の方で忙しくなった今人手が足りていなかったのもあり、快く承諾してくれたのだ。
専門は政治経済学と軍事学、そして戦術教官も担当することを条件として。ただ、フランの立場は担任ではなくあくまで非常勤講師という扱いで、前者の授業に関してはハインリッヒ教頭達が全てのクラスを見られない穴を埋めるという形だ。


「サラ教官のことを考えると疑問だったが、担任は持つ気はねぇのか?」
「取り敢えずはね。ほら私は一年目だし、サラは"特殊なクラス"っていう条件があった分担任を任せられたって例外だから。……それに、サラみたく担任として本当に近くで導き続けるのもありだと思うけど、生徒それぞれが決める方針を先ずは見詰め私も学んでいこうと思うの」
「正直酒飲みのサラ教官より既に立派な心構えっつーか」
「ふふ、サラも適当そうに見えるけどいい先生だったのよ?……あとは何かまた帝国全土であった時に……外部との連携も取りやすいから」
「成程な。お前の場合は特にある程度自由に動けた方が各方面にとっても影響あるしな。兄貴達といい、俺といい」
「そういうこと。ふふ、でも楽しみね。生徒って言っても歳は近いけど……きっと私にしか出来ない役割ってあると思うの」


様々な経験をして貴族と平民という立場も十分に分かっているからこそ、生徒に教えられることがある筈だとフランも感じていた。「そういえば二年生になるセドリック皇太子も居るのよね」と呟くフランに相槌を打ちながら、クロウは彼女に見られないように浅い息を吐いた。

フランが卒業した時ーー二年前程からずっと言おうと思っていたことがあったのだ。ここ数日その件で時々上の空になることも多かった。

待ち侘びていた筈なのに、拒否されることは無いと分かっている筈なのに、やはり一生に一度のことだと思うと緊張してしまうものなのだ。自分がフランに見合うような立派な人間かと言われると頷くことは出来ない。勿論、それを本人に言えば自分を蔑むような馬鹿なことは言わないでと怒られるに違いないが。
それでもお互い欠陥を補い合い支えることを望んでいるし、この先も隣に居て貰いたいし、隣に居たいと望んでいる。だからこそ、フランに今言わなければいけないことがあるのだ。


「フラン、俺からも話があるんだよ」
「なに?」


クロウにしては珍しく視線を泳がせて頭を掻き、一つ息を吐く。まるで緊張しているような態度にフランも疑問を覚えて首を傾げる。クロウが真剣な話をしようとしている時の雰囲気だとは分かったが、それにしては今までに経験したことのないようなもののように感じるのだ。
意を決したらしいクロウは真っ直ぐとフランを見詰め、その手を取って気恥ずかしさを誤魔化しながらも言葉を紡ぐ。


「お前に迷惑ばっかかけてきたし、自分が出来た人間だとも思わねぇ」
「ど、どうしたのクロウ……」
「けど、お前を幸せにしてやるっていう自信はある。それが俺にとっての幸せっつーか、これからも一緒に居てもらいたいし、一緒に居てやりたい」
「あ、の……」


想いを伝えようとして回りくどくなったか、とクロウは頭を掻いて、すうっと息を吸って未だ戸惑いを見せるフランに直接的に尋ねた。


「アームブラストの名字、貰ってくれねぇか」
「……」
「俺と、結婚してほしい」


ーー遂に、その言葉を言い切った。

答えを聞くまでのその静寂が非常に長く感じられて、生唾を呑み込んで握っている手にもつい力が入ってしまう。柄にもなく鼓動が耳に響いて煩く情けないと思いながらも、今日ほど愛情を伝える事が難しく感じたことは無かっただろう。その緊張にも勝って愛おしく思うのだ。

しかし、言葉を失って呆然としていたフランは突然丸く開いたその目からぽろぽろと涙を溢したものだから、クロウもまた驚き目を開く。
頬を伝って膝に落ちる涙に、思わず手を伸ばして拭ってやると収まるどころかフランはまた更に涙を流して俯いてしまった。

この姿を見るのは二年ちょっとぶりーーしかし、あの時とは違った。悲しませた上で安堵から泣かせてしまったあの時とは違って、涙を流しながらもフランはこくこくと頷いていて、クロウの手に空いていたもう一つの手をそっと重ね合わせて、幸せそうに笑う。

その姿に、クロウは逸る気持ちを押さえて、フランの口から言われるその言葉を待った。


「私で、良かったら」
「……」
「貴方と……これからも、一緒に居たいから。同じ苗字で、隣に居させてください」
「っ、十分過ぎる返事だっつーの……」


フランの答えを全て聞いたクロウは込みあげて来る感情を誤魔化すように唇を噛みしめ、フランを強く抱き締めた。胸に顔を埋めるフランもまたその背に腕を回して、クロウの存在を確かめるように抱き付いた。未だに、これが現実だとは信じられないほどに幸せだったのだ。

己の生涯を復讐という意地に捧げると決めたあの日から、こんな一般的な幸せが自分にあるとは思っていなかったし、クロウ個人としての友情をも諦めていた彼にとって恋愛はもっと遠くに在る物だったのだ。
しかし、それはフランにとっても同じことだった。家の名に縋り個人としての生き方を重要視してこなかったフランが初めて自らの意志で未来を選んだのだ。クロウ・アームブラストという青年と生きるという道を。
あんなにも自分の名に、家の人間であることを証明することに拘っていた筈なのに、その名を失い、同じ姓になることを喜べる自分が居るのは、間違いなくZ組という場所で過ごし、そして彼と出会って愛を知ったからこそだろう。


「なんか、うそみたい……」
「嘘みたいって何だよ?」
「正直クロウと会う前まで、こんな幸せが自分に来るなんて、思ってもなかったから……」
「……ハハ、そんなん、俺もだって。ったく、柄にもなく緊張したぜ……」
「ありがとう、クロウ。私……本当に、幸せ者ね」
「おいおい、その言葉そっくり返すぜ。それに、まだまだこの先も幸せにするつもりだしな?」


悪戯に笑いながら言われたクロウの指摘にフランは瞬いたが、ふっと笑みを零して首を縦に振った。これからがまた二人にとっては新たな始まりなのだと、お互い解っていた。

新たな春を迎え、トリスタの士官学院に提出された履歴書ーーそこには、アームブラストの名が記載されていた。
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