22%の群青
- ナノ -

04

帝都ヘイムダル、ヴェスタ地区の一角のアパルトメント。
若い夫婦が住み始めたのは二か月ほど前から。しかし、ヴェスタ地区に暮らす近所中の人が彼らがここに暮らしているという話題を知っていた。
何せ、この家を勧めたのは他でもない彼らだったからだ。
ラングリッジ家を抜け出して、使用人のチェフと共に幼少期からお忍びのようにやって来ては新しいことを学ぶ度に目を輝かせていた少女が大人になって、『この地区に暮らしたい』と相談してきたことが嬉しかったのだ。
それがフランが大貴族でありながらも、この地区の人々と付き合ってきた証なのだと、日々この地区で暮らすクロウも感じていることだった。
しかし、アパルトメントの部屋には最低限の家具や食器類はあるものの、物は比較的少なかった。
それは二人がこの家を帰る場所という拠点にするものの、暫く留守にするつもりだったからだった。


「そういえば、ここのカフェのポタージュって、何となくフランの作る味に似てるよな」

ヴェスタ地区にあるカフェの店内で、クロウとフランは昼食を取っていた。
テラス席を使うにはまだ少し寒い時期で、時折冷たい風が吹き抜ける。帝都では雪は降らなくなったが、リィンの故郷であるユミルはまだまだ雪が積もっている季節だ。
クロウが注文したのは、じゃがいものポタージュだった。
フランが時々作ってくれる料理だと思いながら注文をしたが、味付けが何となく似ているような気がしたのだ。
その指摘に、クロウの前に座っていたフランはくすくすと笑う。


「味が似てるのは当然ね。だってここのオーナーからレシピをひっそり貰ったんだもの」
「やっぱりか!?なるほどな。通りで馴染みのある味だと思ったぜ。あれか?チェフと一緒にこの地区に遊びに来てた時代に貰ってたのか?」
「そうそう。というより、私が作ってる料理って、私がこの街の人から聞いたりチェフがここの人に聞いたのを自己流に再現してるから、色んなお店と色んな家庭の料理が混じってるって感じなのよ」
「これまでも何回も思って来たが、貴族ってことを考えると普通は料理できるだけで凄いんだけどな。驚いて学生ん時は何回もたかっちまったが」
「私、何回クロウの夜ご飯とか作ったかしら?でも、美味しいって食べてくれるのは嬉しかったのよね」


学生時代によく他の人の分を一緒に作っていたことを思い出す。
途中からはシャロンが来てくれたから彼女の作ったものを頂く機会も増えて、毎日自炊ということは無くなったが。
貴族クラスの生徒達が専属の使用人を連れていたり、外食で済ませている中で、フランはいい機会だと考えて自炊をしていた。当時、マキアスに驚かれたのも懐かしい話だった。


「よく家庭の味とか、実家の味っていう言葉があるじゃない?」
「あぁ、あるよな。同じものでも家で味違うっつーか」
「色んな家庭の味を真似してるから……そう言えるものではないなと思って。実家の味って言えるような味ではないというか」
「……、色んなとこから教えてもらって一つ一つ覚えていったその縁も含めて、フランの味じゃねぇか?」
「あ……」
「つーか、アームブラスト家の味ってとこか?」


悪戯に笑うクロウに、フランは破顔して微笑んだ。
親から教わったものでも無いし、実家のシェフから教わったものでも無い。それでも、アームブラスト家にとっては縁も含めてこれが家庭の味なのだと言えた。
クロウ自身も、両輪が作っていた料理の味はもうあまり覚えていない。祖父と暮らすようになってからは男料理ばかりだった。
それでも、ジュライのソウルフードであるフィッシュバーガーの味付けも、作り方も。忘れることは無かったし、それが実家の味と言えた。
今ではその作り方がフランにも伝わり、同じ味を共有している。そうやって引き継がれて、伝播していくものなのだろう。


「ありがとう。なんだか少し胸のつかえがとれた気分」
「いいってことよ。お前がそういうことも真面目に悩んじまうっていうのも知ってるし。それに、フランの料理は美味いぜーって自慢までしてきたとこだったしな」
「同窓会で?そんな話までしてたのね。ふふ、楽しめた?」
「あぁ、ジョルジュも含めて皆変わらない様子でな。つーかアイツらまた俺のことからかってきやがって」
「結婚生活はどうかって?」
「『モラトリアムの旅にフラン君を付き合わせるのかい?これはもう何時離婚を切り出されてもおかしくないな。別れたら私の所へ是非』だってよ」
「あ、アンゼリカさん……でも、本当にそうは考えてないんでしょうけど」
「……だな」


名前を言わなくても誰がその言葉を言ったのかすぐに解るようなコメントは実にアンゼリカらしい。
フランにも一度立ち止まって、急ぎ過ぎるがあまりに見落としてきたものや捨ててきてしまったものをゆっくり見詰め直す時間が必要だと、彼女を知る者達は考えていた。
その為の当てのない旅だ。行先はまだ決まっていないけれど、自分を見つめ直して世界を見る為の旅。


「なぁフラン。そろそろ旅に出る前にジュライに行っておきたいんだが、いいか?」
「ジュライに……!」
「あぁ、長旅の前に一度寄っておきたいんだよな」
「そうね、私もクロウのお祖父さんに挨拶していきたいわね」
「そう言ってもらえると嬉しいぜ。」
「鉄道でも行けるし、そっちの方が早いけど。やっぱり?」
「あぁ、数日かかるかもしれねぇけど、バイクで行こうぜ。折角アーサーから貰ったバイク、乗り回さねぇと損だろ」


ジュライは西ゼムリア大陸でも西側に位置する。真上はノーザンブリア。
帝都から向かうと鉄道でも半日かかるような海に面した港町だ。今では帝国の資金が流れたことで帝国の属州扱いとなり、ジュライ特区となった場所。
そこが、クロウ・アームブラストの故郷である。
どれだけ変わろうとも、あの街のソウルフードと潮風の匂いだけは変わらない。


――春らしい陽射しが漸く感じられるようになってきた、三月。
二人はヴェスタ地区の家に暫く留守にする別れを告げて、サイドカーがついたバイクでジュライ特区へと走り出していた。
荷物は最小限にしてサイドカーの後ろに積み、気ままな二人旅だ。

サイドカーには積めないクロウの両刃剣をフランは座席シートの横に立てかけて、風を切る感覚を楽しむ。
これから色んな街や地域へ、こうして旅をしていくことを実感しながら、フランは不安に思う以上に楽しみだと胸を躍らせていた。
まるで、自室の窓際で大人しく本を読み続けていた少女が初めてヴェスタ地区という新しい未知の場所に飛び出した時のような、懐かしくも新鮮な気持ちを思い出すのだ。
途中でラクウェル等の街を経由し、クロウの祖父が眠る墓へと結婚の報告をしに来た時以来に、ジュライへと足を踏み入れる。


「やっぱり、海と空が本当に綺麗ね。オルディスとはまた違った景色で」
「街並み自体は俺が居た頃から変わっちまったが……それでも、故郷だなって思うんだよな」


賑わう港町だけは、クロウの知っている景色と変わらない。海の香りに陽射しが反射して煌めく海に、市場に並ぶ光り輝く海産物と、活気のある商人と買い物に来た通行人。
大通りは新しい建物が建てられてすっかり変わってしまったが、この港町だけは。
しかし、何故だか妙に胸がざわつく感覚を覚える。
長年の嗅覚というものだろうか。"何かが起こりそうな違和感"は何となく肌で感じるようになったのだ。


「……ここは、黄昏の影響とかどうだったのかしら」
「……特に無けりゃいいんだけどな」


昔から変わらない港付近の街区を歩きながら、クロウは思う所があるのか辺りを見渡していぶかしむ。
――何となく、嫌な予感がする、と。


- 4 -
prev | next