22%の群青
- ナノ -

02

――死ぬのが怖い。そんな当たり前の感覚を抱く心の余裕がなくなったのは何時からだろう。

ジュライを十二歳の時に後にして、十五歳の時に帝国解放戦線を立ち上げてから、死を畏れて行動することは無くなった。
自分の命を賭けなければとてもではないが、あの傑物ギリアス・オズボーンの命を狙えないと思っていたからだ。
テロリスト、帝国解放戦線のリーダーを大人にもならない歳の青年が務めるとは、つまりそういう腹の括り方をしなければならないということを当然のように思っていたのだ。
心を氷にする。それとはまた異なる感覚。蒼く揺らめく静かな炎を灯して生きていたのだ。

相克で一時的に生き返ってから――その実、フランを置いて逝く夢は何度か見ている。
心配をかけたくなくて言っていなかったが、相克が終わったと同時に消えかかっていた身体。そして実際に紅魔城でフランを置いて逝ったあの日。
それは俺の記憶にも今も鮮明に残っている。結果論として、色々な奇跡とオルディーネという相棒の存在のお陰でこうして今は普通の生者として生きることが出来ているが。

解っている。
普通は、本来なら、それはあり得るはずではなかった未来なのだと。



「……寝ちまってたか」

久々に夢を見た。
何とも後味の悪い夢だった。時々見るデジャヴのようなフランを置いて逝く夢、ではなくて。
フランを守れなかった夢だ。今度こそは俺を死なせまいと、守ろうとしてしまうフランの姿が焼き付いて離れなくて、じっとりと嫌な汗をかいていることに気付いて、大きく息を吐いた。

あの白銀の盾を構えて、俺を守るために騎神の前に飛び出して、盾を砕かれる――そんな夢。
なんて最悪の夢なのかと吐き捨てたくなると同時に、何故それが浮かぶかといえば、そんな経験を俺が一度しているからだ。
フランの命を奪おうとしていた訳じゃないが、学生時代のトリスタで、《C》としてオルディーネの両刃剣を振るい、フランはその攻撃を傷付きながらも弾いた。

隣を見ると、同じように列車に揺られて俺の方に頭を乗せて転寝をしているフランが居る。


ーーフランが事故や戦いで命を落としたらなんて、考えたくもないことだが。
そうならないように俺は動くんだろう。そういう意味で自分の命を賭ける行動をしたくないという訳ではなかった。

「……誰かとの幸せを知っちまったからか」

相克で命が尽きることさえも受け入れていた俺がこんな風に考える要因があるとしたら。
横で眠っているフランを見ていると、僅かな動きと視線に気がついたのかもぞりとフランの体が動いて瞼を開いた。


「もうすぐ帝都に着くぜ、フラン」
「……ふぁ……寝ちゃっててごめんなさい」


眠たそうな目をこすって、小さく欠伸をするフランを眺めて今目の前にある幸福を実感する。
フランがこうして気を抜いて眠れるようになったことに酷く安心するのは、多分マキアスとエリオットから二年間のフランの様子を聞いていたからだろう。
Z組全員がそれぞれ出来る事を懸命に取り組んで、時間を無駄にしないようにしていたようだが――同じZ組の目から見ても、フランが足を止めようとしない様子だけは少し印象が違ったというのは聞いている。
振り返ってしまいそうになるから――無理やりにでも進み続けていたフラン。
どうしてそうなったなんて、最期の言葉を贈った俺が、一番よく分かっている。

帝都ヘイムダル駅に着いた列車から降りて、駅の中に併設された購買に目を留める。仄かなコーヒーの香りが鼻腔を擽って、まだ残っていた眠気を掠めていく。

「フラン、ちょっとした眠気覚ましにコーヒーとカフェラテでも買っていくか?」

売店を指差すと、横を歩いていたフランは目を丸くして俺を見上げた後に、少し考えて「それだったらヴェスタ地区のカフェでちょっとゆっくりして行かない?」と微笑んだ。
フランとの会話で、夢のような現実へと一歩、一歩戻って行く。
俺を守ろうとしてフランが命を落とすなんて悪夢を、断ち切るように。そんな心配なんて最初からなかったことにするように。
「そうだな、カフェでゆっくりしてから家に戻るか」と笑いながら駅を出た所で、ふとフランが立ち止まったことに気付いて振り返る。

淀みのない真っ直ぐとした視線が、俺の裏側の心まで見透かすように向けられていて、俺もまた足を止める。
学生の時から変わらない、本質を真っ直ぐ見ようとする瞳が、昔から俺にとっては眩しかった。邪道も知っていて、俺と同じ道に進みそうな危うさがあるのに――何時だって、フランは真っ直ぐだった。


「ねぇクロウ、……どうしたの?」


あぁほら、お前は俺のことを見過ごさない。
誤魔化そうとして何でもなかったことにしようとして取り繕う俺の言葉に騙されてはくれない。
本当によく見ていてくれていることに、眉尻が下がる。


「……お前には誤魔化せねぇか。一体何時からそんな俺のことお見通しになったかね」
「全部わかるわけじゃないけど、何となく経験的に。……何かあった?」


心配するようなその声に「夢見が悪くてな」と白状して。
ヴァンクール大通りの先、遠くに見えるバルフレイム宮殿をぼんやりと眺めながら、12月31日にあの場所が紅魔城に姿を変えたことを思い出す。


「……突拍子もない話になるんだが、正直、死ぬのが怖いって感覚があの日まで薄かった」


下手したら相打ちになる覚悟もあったし、自分の命を遊戯盤上の駒の一つにして賭けていた。
目的よりも自分の命を大事にしていたのなら、そもそも自分は帝国解放戦線を立ち上げなかっただろう。そして、何より目的の為にトールズ士官学院に潜入することだってなかったのだ。
そんな俺の生き方と覚悟を、フランは知っていただろう。
何せ、俺達は何もかもが正反対だったのに、そこだけは同じだった。同じ道を辿るべきではなかったから、フランの世界を壊したのも俺だ。


「今は……死ぬのが怖いのかもなって、自覚してな」


俺自身の命が無くなることが怖いかと聞かれたら、また少し違う。
これまで自分がどんな境遇であっても涙を流すという手段を知らずに生きて来たフランの泣き顔を知っているからだ。別れた時も、そして再会した時も。目の端から零した雫が目に焼き付いて離れなかった。

オルディーネ達に貰った命――今回は奇跡的にもう一度の命はあったが、もう二度と、また生き返られる命なんてものは無いのだ。
フランと生きて行くと決めた今、別れる時はもっと、もっと先であるようにと願ってしまう。
そんな俺の独り言のような独白に、フランは呆れる訳でもなく。
そっと、その小さな手で俺の手を握って来た。


「クロウが、そう言ってくれてよかった」


その言葉は波紋を生んで、胸にすとんと落ちる。
一度命を失って、沢山の命を奪い、同志の命も散らしてきた俺を、フランは罪は罪だと冷静に判断して上で、とっくに受け入れていた。


「多分だけどね。私も、クロウにザクセン鉄鉱山で現実を突きつけられなかったら……死ぬのが怖い、って思う機会をずっと、失ったんだと思う」
「あ――」
「クロウは、私が突き進んだ先を知っていた。救いも得る物も無い、踏み外した道だって。私はそれを知っていたとしても"何処までも突き進んでしまう人間"だったから……だから止めてくれたんでしょう」
「……そう、だな」
「今の私は色んな意味でクロウがいなければ居なかったし、あの時止めてくれなかったらZ組に最後まで一緒に居られたかも、正直自信がない。それを私がクロウに教えてもらったように……クロウが、未来をもっと生きたいと思ってくれてるなら、こんなに嬉しいことは無いの」


未来を見るが故に少し臆病になってしまったのではないかと思っていた俺の感情を一つ一つ、丁寧に掬っていく。
俺の行動は、フランに現実を突きつける為とはいえ――許されるべき行為ではないことは自覚している。それでも、フランは俺を否定はしなかった。
自分の信念の為ならば突き進んでしまって、自分の命さえも消耗してまでも強欲に願いを叶えようとしてしまう。そんな所が何処か似た者同士だった。
だからなんだろう。俺が死ぬのが怖いという言葉の本質を、理解して、掬い取ってくれたのは。

――フランを俺が引っ張っているように見えて、こうやって俺の背中を支えながら押してくれることに、愛おしさを噛みしめる。


「でも、クロウに何かあったら私は今度は後悔しないように動くと思うけどね」
「フランなら絶対そうするって分かってる分、心配っつーかな……」
「それ言うなら私にとってもそうなんだけど。でも……背中を守り合えば、いいでしょう?」
「……!くく、だな。……そうだな」


学生の時から何時だって正面から向かい合って来た俺たちは、相克という時間を経てお互いの背中を預けるようになって。
一方的ではなく、並んで歩いていくパートナーになったのが、俺とフランの関係だった。

――少し肌寒い風が時折吹く中、トラムに乗らずに、ゆっくりと歩いてヴェスタ地区のカフェへと向かう。
フランの歩調に合わせて歩幅を小さくして。寒そうにするフランの手を握るのだった。


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