Masquerade
- ナノ -

君の狡さは甘い優しさ

口実を作った上で彼女に提案したルームシェアは、ユリウスにとってあまりに都合が良かった。
彼女をどう思っているかを敢えて結論付けていない状況だというのに、状況は整えていく。あぁ、なんて狡い男なんだろうな。
これではまるで完全犯罪を企む犯人のようだ。どうすれば、彼女との関係の変化を自ら受け入れられるような状況になるか。彼女が自分から離れることもなくなるよう誘導できるか――丁寧に組み立てて行動をしているのだから。
ユリウスはレイの家の前に車を停めて、とりあえずまとめた荷物を運びこむと彼女の家からユリウスの事務所へと移動する。
ユリウスが提供したのは、事務所の上の階にあるユリウスが私室として使っている部屋だった。助手として手伝いに来てくれているレイも、この部屋に足を踏み入れることは少なかった。
大分部屋が荒れてきた時や、布団やカーテンを洗ってもらう時に彼女に任せているので、初めてではないのだが、やはりそれでもユリウスの部屋に足を踏み入れることは緊張するし、今日は特別鼓動も煩く跳ねる。
何せ、彼の生活感がある部屋でこれから生活するともなると、緊張しない訳がない。
「レイ、荷物はここに置いておくから好きにクローゼットや棚も使っていい。大体は下の階に移したが、もしも残っているものがあったら退けてくれていい」
「い、いえ、そんなに気を遣わせてしまって申し訳ないです。私が、この部屋を本当に使ってもいいんですか……?だって、ベッドだってここにあるのに」
「はは、当然だろう。それに、一階のソファはベッドにもなるからな」
「や、やっぱりそれは申し訳ないです!」
この家の主がベッドで眠れず、ソファで寝るなんてことがあってはいけないとレイは顔を真っ青にするが、ユリウス本人はデスクに座った状態のまま眠ることもある男にはソファで十分だと笑う。
その気遣いが嬉しいのは確かだけれど、罪悪感も同時に覚えてしまうのだ。だが、レイが主張してもユリウスがこういう時に引くような人でもないことは分かっていた。
「別に気にしなくていいんだが……レイが気にするというなら、家事を頼みたい。贅沢な注文だろう?」
「分かりまし……、それって私が普段していることとそれ程変わりませんよ!」
それではお礼に当たらないと主張するレイだが、ユリウスは「確かに洗濯や食事は作ってもらっているが、日常生活を送るような細かな家事は仕事の範疇を超えているだろう」とさも当然のよぅに返すのだから、それ以上主張することが出来ずにがっくりと肩を落とす。
本当に何から何まで、お世話になってしまっている。せめて何かお返しが出来るようなことをしたいと思っているのに。
「レイ、本当に気にしなくていい。……何より、俺も十分過ぎるものを貰っている」
「え?」
一体何を彼に与えているのだろうと困惑するレイだが、こればかりは知らなくていいとユリウスは誤魔化すのだ。
真実を明らかにすることを生業としているのに、本当は自覚している真実に布を被せてしまっているなんて、何が探偵だろうか。
彼女が自分から逃げられなくなるような環境に持って行って、優しく絡め取り、網にかかった獲物を何食わない顔で救いあげて、善人ぶろうとしている。
本当は、こんなにも汚い所がある男が近づくべきではないと分かっているのに。
彼女ならば、そんな一面をもしぶつけてしまったとしても、許してくれるだろうと優しさに付け込んでいる所もある。
つまり、こんな状況でさえ自分に良い様に利用しようとしているのだから、彼女が気遣う必要は全くないのだ。
部屋を出たユリウスは、荷物を整えている間に、偶には自分が彼女の為に紅茶を淹れようとキッチンへ向かう。料理音痴と言えども、お湯を沸かすことくらいは出来る。

レイはユリウスが服を出して空にしてくれたクローゼットに洋服を詰めながら、ふっと部屋を見渡す。
元々彼の部屋は物がかなり少なくて、シンプルだった。そこに自分の物を並べていくと、彼のパーソナルスペースに自分のものがあるのを許されているような錯覚に陥るのだ。
ううん、そんなことはないって分かっている。だって、彼の愛情も、きっと行き甲斐だって。それはルドガーに依存しているものだ。そんなユリウスが、クルスニク家の温かな日常を見せてもらえるのがレイにとっても幸せだったし、それは今でも変わらない。
「優しさに甘えて、我儘になり過ぎてるんだろうなぁ……」

ユリウスの中に自分は居なくていい。ただ二人の空間に時々共にさせてくれるのならそれでいいのに。
レイは何処かで寂しいと思ってしまっている自分の顔を手で押さえて、暗くなっている表情に渇を入れる。こんな顔をしていたら、また心配させてしまうんだから。
強がりだと分かっていても、せめて彼の前では笑っていたいのだ。

「……うん、大丈夫。何時も通りに」

部屋を出て下の階に降りたレイは、ふと鼻腔を掠める香りに、足は自然とキッチンへ向かう。そこに居たのは、キッチンに居るのがあまりに似合わないユリウスの姿だった。
彼の手元にはティーポットがあり、皿には焼き菓子が並べられている。
「この香りは……紅茶、ですか?」
「紅茶を淹れてみたんだ。俺に茶菓子は作れないから、買ったものだがな。これからも宜しく、という意味も込めて」
「あ……ありがとうございます」
ユリウスの言葉に自然と浮かんだその笑顔は、誤魔化す為の物ではなく、純粋な嬉しさから零れたものだった。

――ユリウスさんは以前「探偵なんてやる人間が優しい訳がないさ」と零したことがある。
犯人を特定して無念を晴らしているというのは人から見れば善意に映る。だが、ユリウスは善意と正義感で探偵業を行っているのではないというのは、レイにも何となく伝わっている。
万人に対して優しい訳ではないかもしれない。それでも、貴方には温かい情があって、打算ではない優しさがあることを、ルドガーも、私も知っている。

テーブルに並べられたお菓子を頬張り、紅茶に口を付ける。
貴方の気遣いで、その優しさで。怯えてしまう私の心が落ち着くのだから。
そして、自分がどこまでも普通の人間であることを自覚しているのに、彼らの傍から離れることも出来ず、受け入れてくれるその優しさに甘えているのだ。
きっとユリウスさん達が思っているよりも、私は優しくないんです。だって、貴方たちが自分は普通だから近寄るなと拒まないことを利用するかのように、傍に居るのだから。
「美味しいです、ユリウスさん。……自分で淹れる時よりも、ずっと」
「それは褒め過ぎだ。あまりいい歳をした大人を煽て過ぎるとよくないぞ。だが、ありがとう、レイ」
「煽ててる訳ではないですから」
「……まったく」
だってそれは本心なんですから。
傍に居る為にほんのちょっと、狡さを見せている私を、貴方は受け入れてくれている。
ユリウスの優しさを理由にして許して欲しいと思ってしまっている私を知ってしまったら、貴方は何と言うんだろうか。
ううん、それを知りたくないのもあって、彼の領域には踏み込んではいけないと自らに制約を付けているのに。
「……君は、俺に理由を作るのが、上手いな」
「理由、ですか?」
「こうしてキッチンに立つのは慣れないながら、お茶位なら振舞いたくもなることとでも思って欲しい」
――君への優しさだって、気遣いだって、真実を曖昧にした男の欲望が根本にある。なんて打算的なんだろうか。
不安に襲われたのなら、自分に縋ってしまえばいい。そんな状況を最大限に利用して、自然と彼女の瞳に真っ先に映る人間を自分にしてしまえれば。
あくまで自然と。嘘を吐いている訳ではないが、本心は全て語らずに、歪な優しさを混ぜながら引き寄せて。

煽ててしまうと相手に隙を、口実を与えることになるのだというユリウスの忠告は、濁され、口を離した紅茶の表面には波紋が広がった。


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