Masquerade
- ナノ -

染まれない価値

普段、ユリウスの元に舞い込む事件や謎は、多くが警察の手には負えない、目撃情報も乏しい事件ばかりである。
だが、そんな事件の中でも群を抜いて厄介な案件が、四番街の事務所に舞い込んできた。それは連日新聞の一面を騒がせている謎の多い事件だった。
レイには二階で待機をしてもらい、一階の事務所で尋ねて来た警察から事件の詳細を耳にしたのだが、ユリウスも口元に手を当てて考え込むような内容だった。
確かにここ最近、二件ほど新聞で見た内容ではあったが、警察が既に掴んでいる――いや、殆ど掴めていない情報量に、犯人の手ごわさを感じたからだった。

「……えっと、ユリウスさん。今日はどんな依頼があったのか、尋ねても大丈夫ですか?」
「あぁ。連続殺人事件ではないかと噂されてるここ二件の事件が新聞に載っていたことは知っているか?」
「え、えぇ。二件とも霧の深い日に起きた事件ですよね?かなり、酷い状態だったとか……。手口も、時間帯も異なるから同一犯かどうかはまだ不明とのことでしたが……」
「だが、俺もこれは同一犯だと睨んでいる。霧の日に街中で起きて、更に目撃情報も殆どない証拠隠滅方法……あまりに鮮やかだ」
探偵事務所を構え、レイに手伝ってもらっている以上事件に付き合わせることは多いが、正直、あまり血生臭い内容を彼女に伝えなければいけないのはユリウスも気が引けた。
何せ、特に今回の案件はかなりタチが悪い。現場に残された状況から、犯人がシリアルキラーであることは容易に分かる。だが、彼女にそんな血生臭い事件に触れて欲しくは無いと今更ながら躊躇われてしまう。
彼女は現実から目を背けようとしない。けれど、心優しい女性だ。本来ならば、自分にも関わるべきではない程に、普通の女性なのだ。
「……、この件は俺が単独で調べるから、レイは待機していていい。情報屋にも聞いていくつもりだから、暫くは事務所で待機を――」
「……ユリウスさん。あまり力にはなれないかもしれません。それでも、少しでも力にはなりたいんです。聞き込みをしてみるとか、そんな些細なことでもいいから」
「……そうか」
「ご、ごめんなさい。私に出来る範囲なんて本当に少ないし、きっと、ユリウスさんの覚悟と比べたら甘いことなんて分かっているんです」
それでも、何時も一人で抱え込むユリウスの背を見送るばかりで、待つことしか出来なかった自分を変えていきたいと願った。信じて待つことだって、強さだと、以前ルドガーが言ってくれたことがある。
でも、彼を受け止める覚悟はあっても、彼の生きてきた世界を共有することは出来ない。それは自分の意志というよりも、自分"普通"だからこそだ。
自分は逸脱出来ない――けれど、彼を受け止めたいと思える所だけは、特殊なのかもしれない。
それはただ芯が強いという訳ではなく、臆病さでもあり、狡さでもある。
「覚悟をしながらも、自分に出来る範囲も自覚しているからこそ……レイは、俺の、無二の助手なんだろうな」
「……!そ、そんな大したものではないですよ。助手だって名ばかりで」
「……いや。その点に関しては過小評価をする必要はないさ。受け入れることと、染まることは別だ。染まらない、染まれないというのは――特別なことだ」
少なくとも、ユリウスにとっては染まれない人だからこそ、特別だったのだ。

――丁度、今日もまた霧の深い日だった。

隣町の現場近くにユリウスとレイは足を運び、目撃情報を尋ねてみたものの、やはり警察が手を焼いているだけあって、有力な情報は掴めていない。
情報屋もどこまで掴めているのかと心配が過ってしまう程だ。これはもう、現場に残された証拠から科学的捜査を行う他ないだろう。そして、犯人のプロファイリングだ。
「昼でも霧が深いと遠く先は見えないのに、これが夜ともなると、目撃情報がないのも仕方がないですよね……」
「だからこそ、霧の日を狙っているんだろう。霧が多い国だが、こうも悪用されるとはな」
「でも、私、霧の日自体は嫌いじゃないんです」
「?珍しいな。正直、湿気や視界の悪さで嫌いな人が多いと思ってたし、レイも例外ではないと思ってたんだが」
彼女が霧の日が好きだというのは、それなりに長い付き合いになるユリウスにとっても初耳のことだった。
彼女は穏やかな風が吹く優しい青空、そして星と月が煌く夜空が似合うというのが、ユリウスの見解だった。そんな彼女に、霧というのは似合わないと思っていたのだが、レイはぼんやりと目の前の街並みを眺める。
霧の中で一層印象的なのが、街を照らすガス灯だ。その周辺は比較的視界が良く、ぼんやりと照らし出されている。
「……霧って、目の前に壁があるような、掴んでしまわないと消えてしまうような印象があるんです。先に何があるのか見通せない。でも、ほんのりと燈る灯りが幻想的で、霧の日は霧の日の温かさがあると思うんです」
「そういう、見方もあるんだな」
「少し、変わってるんですかね」
変わっているだろうかと苦笑いをしつつ、きょとんとしているユリウスを見上げる。
レイのその感性こそが、ユリウスの隣に居続けられる要因であることに、レイ自身も、そして名探偵も気付くことは無く。
ほんのりと街灯が照らす街を歩き、数ブロック先の事件が起きた場所へと向かおうとしていたのだが。

「きゃあああ!」

女の人の悲鳴が、賑やかな昼の空気を引き裂いた。
それから連鎖するような悲鳴に、ユリウスははっとして「レイ!」と彼女に合図を送ると声のする方へと駆け出した。事件が数日前に起きた街で起きた悲鳴――只事ではないことが起きたと察し、レイもまた小走りでユリウスの背を追う。
人混みと、混乱と、霧。現場が見え辛かったけれど、逃げる人の隙間から見えた光景にレイが焦点を合わせようとしたと同時、ユリウスの鋭い声が響いた。
「レイ、見るな!」
「ぁ――」

咄嗟に覆われたその大きな手は、レイの視界を完全に塞ぐ。
しかし、たった一瞬でも見えてしまったのだ。飛び散っているのだろう、血痕を。

全てを見た訳ではなかったけれど、飛び散り方からどんな状況であったのかを連想してしまう。目撃者の悲鳴で集まってきた人たちは、ある人は気持ち悪そうにし、ある人は逃げている状況だ。普通の現場ではないことは明らかだった。
カタカタと震え、ユリウスの腕をぎゅっと握りしめていた。
慣れたとまでは言わないけれど、覚悟はしていたつもりだった。惨憺たる光景も、平和な日常においては身近ではなくとも、確かに世の中にはあるのだと認識していたし、理解していた。
けれど、ユリウスはこういったものに触れる世界に居る。

「……まさか、これまでの傾向を考えると、人通りの多い昼に犯行を行うとは予想外だった。俺の認識も甘かった。……レイ、落ち着くまで、掴まっていい。……そうしてくれ」
「……っ、……ありがとうございます、ユリウス、さん」
目を塞いだまま腕の中に抱き締め、レイが見ないようにその視界を覆うユリウスの気遣いに、レイは震えて冷えていく心が、温まっていく感覚を覚えた。
ユリウスという存在に、安心をして居るのだ。
息を整えてユリウスの服を握りしめるレイの背中に回した腕に力を込めようとしたユリウスだったが、開いた手はぐっと拳を握り締める。

――彼女が居ていい世界ではない。見せる者ではない。
そして、自分もまたこの光景に動じないような男だ。そんな男が、改めて触れていい人なのだろうか?
そんな自問自答を繰り返し、ユリウスは手袋をした拳をゆっくりと開き、彼女の背に添えるのではなく、腕を下すのだった。

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