Masquerade
- ナノ -

白くありたい僕

「兄さん。レイさんは今日は来なかったんだな」
「あぁ、用事があると言っていた。兄弟水入らずで楽しんでほしいと言われた」
「……そっか。気を、遣わせたかな」
「……」

ユリウスの自宅兼事務所に訪れていたルドガーは、彼の好物であるトマトスパゲティを作りながら、この場所には居ないもう一人に思いを馳せていた。

元々、兄が不在の時に自分の面倒を見るついでに家事を手伝ってくれていたお姉さん――それが、ルドガーにとってのレイという存在だ。
案外もう付き合いも長くなるが、レイが未だに何処か遠慮している印象を受けているのはユリウスだけではなく、ルドガーもそうだったのだ。
家族ぐるみの付き合いをしていると思っている。
それでも彼女は自分をこの家族の輪に入れてはいけないと思っている節がある。

「兄さん、今度はレイさんを連れて来てほしいよ。俺も、店で作るんじゃなくてこうして家のキッチンで作ったものを振舞いたいし」
「……そうだな、ルドガーもこう言っているなら、レイも来てくれる筈だ」

ユリウスは淹れてもらった紅茶の入ったティーカップを皿の上に置く。
自分一人の意見としてレイに来て欲しいと押し通すこともせず、「ルドガーも言っているから」という理由を付けてからではないと、強引に誘うこともしない。
身を引いているのはレイだけではなく、自分もそうなのだ。
揺れで紅茶の水面に波紋が広がる様子をぼんやりと眺めては、浅く溜息を吐くのだった。
――彼女のことが気になるようになったのは一体何時からだっただろうか。

この感情にまだ名前は付けていない。

人がいいとされているユリウスは大抵の人間と親し気に会話をすることが出来る。仕事が出来る上に真面目な部分から信頼されるし、女性からはその肩書や容姿から人気がある。
だが、パーソナルエリアに人を入れることは無いと断言していいだろう。
彼は根本的に人を自分の領域に入れることを考えない。

何せ、彼の思考は色々なものをそぎ落とせば全て『ルドガーの為』に帰結するのだから。

彼さえ幸せであればそれでいい――寧ろ、自分のような人間に、赤の他人を巻き込むことは出来ないと考えているからだ。
だからこそ、特に女性なんて作るべきではなかった。君よりも大事な人が居るんだ、なんて残酷な事実を突きつけるのは失礼だ。
嘘を吐いて付き合ったとしても、ユリウスは行動そのものがその事実を表してしまうから。
けれど、レーグの紹介で仕事を頼むようになったレイに出会ってから変わってきた。
歪な在り方に気付きながらも、ルドガーを大切にしているユリウスを、ユリウスらしいと受け止めて、兄弟の幸せそうな姿を愛しんでくれた。
そして彼女もまた、自分とは性格は異なっている筈なのに、かつての自分と同じように、生きていく為に必死に。
何かに駆り立てられるように仕事を請け負い、こなしていた。
不安定で、心配になるような人。
それでも、周囲の人に気遣いながら寄り添おうとする心優しい普通な人。

「普通な人なら、一番俺とは関わってはいけなかったんだがな」

ユリウスはレイが事務所に来る前――髪の毛をセットし、鏡の前に立ち、眼鏡をかけて準備を整える。
別に目が悪いという訳ではないのだ。
それでも、荒んでいた鋭い自分の瞳が、幼いルドガーの瞳に映っていることを考えると恐ろしくなった。

せめてそれを隠すように、眼鏡をかけた。
彼女にも、そんな自分は未だに隠し通しているつもりだ。本当は、薄々気が付いているのかもしれないが。
普通の人なら、こんな自分と関わるべきではない――そう思いながらも、だからこそ彼女と親しくなりたいと思った。友人になりたいと思った。
ルドガーとの家族という枠を壊さない人だと確信した打算的な理由もある。
けれど、そのままでいいのだと言って、隣で笑って居てくれる人は、自分の胸の奥に眠った、ただの蝋燭に火が灯るような感覚を覚えるのだ。

「ユリウスさん、おはようございます」
「あぁ、おはようレイ。少し待ってくれ」

玄関の方から聞こえて来た声に、ユリウスははっと意識を戻して洗面所を出る。
彼女が朝に来ると共に、この事務所の一日も始まる。
彼女は笑顔で「朝ご飯を作りますね」と声をかけてくれる。
あぁ、これこそが今の自分の『当たり前のような日常』なのだ。

「そういえば、ユリウスさん。昨日はどちらに行かれてたんですか?私は警察の方が集めたという情報を聞いてきましたが」
「あぁ、情報屋に行っていたんだ」

朝食を取り終わり、昨日から担当している事件の証言をまとめた手帳を開きながら、ユリウスに問いかけると意外な回答が返ってきたものだから、レイはぱちぱちと瞬いた。
ユリウスはそういった人に頼ることはないと思っていた。
何時も自分で謎を解決してしまうし、専門的な知識も人並み以上だ。
情報屋――と言えば、実に様々な情報こそは独自の情報網で把握しているとはいえ、高い金額を支払うか、こちらもまた重要な情報を渡すという取引を持ち掛けられる筈だ。

「……ユリウスさんもそういう人を頼るんですね?自分で何でも解決してしまう印象があったので、驚きました」
「俺が得意としてるのは現場に残っているものから推測、推理することだからな。流石に目撃情報に関しては、警察も取りこぼしているような情報まで網羅している情報屋に頼ることもあるんだ」
「そうだったんですか」
「確かにかなりの額を要求されることもあるが、リドウよりも酷いのは居ないと思えば大抵の情報屋は可愛いものだ」
「あはは……」

筋金入りの彼の評価に、レイは口を挟まなかった。人がいいとされるユリウスも、リドウに対しては余り取り繕うことなく嫌悪感を見せてしまうことは、レイも聞いていたからだ。
調査の為に外に出る準備をしながら、ユリウスはレイの横顔を見て、ふと思考を巡らせる。そもそも、彼女はどうして自分達の傍に居てくれているのだろうか。
最初こそは確かに仕事の依頼だった。
こちらが依頼主だったのもあって、仕事上の付き合いだからクルスニク家に来てくれていたと言われても納得する。
けれども、ルドガーが居なくなった後の自分の家の世話。
仕事という形で依頼はしたが、助手になって欲しいと頼んだのは彼女を派遣してくれていたレーグを通さない、彼女個人への依頼だ。

彼女に断る権利は勿論、あったのに。

「そうだ、レイ」
「はい?」
「いや……、今日はきっと雨が降る。風邪をひかないよう傘を持って行った方がいいだろう」
「本当ですか?あ……傘を持ってきていなくて」
「予備の俺の傘があるからそれを使うといいさ」
「ありがとうございます、ユリウスさん」

優しい君に、優しいふりをする俺は、やはりせいぜい灰色がいい所なのだろう。

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