朝焼けのスピネル
- ナノ -

06

リーグのオープニングセレモニーが行われる前日から、エスカはエンジンシティに向かっていた。
ナックルシティとスパイクタウンにまで挑戦者がたどり着くまでは数か月ある為に、余力があるとして、オープニングセレモニーの運営のサポートだ。
スケジュール等はローズの秘書をしているオリーヴが取り仕切っているようだから、挑戦者をスボミーインに誘導する手筈もつつがない。

「明日は時間帯で区切って、この控え室では……」

会場の最終チェックを行っていたエスカは、挑戦者の控室に足を踏み入れて、立ち止まる。
瞼を閉じれば浮かび上がって来るのは、本当に懐かしい光景だった。
自分もかつては、この場所から始まったのだ。
歓声湧き上がるこのスタジアムに出て、周囲を見渡すと自分達と同じようなトレーナーの経験の浅い、トレーナー達が集まって目を輝かせて、これから始まるジムチャレンジに夢を膨らませていた。
勿論、全員が全員、理想通りの結果を出せる訳でもない。

何せ、このナックルジムが一番目の高い壁なのだ。このジムを突破出来ずに諦めて止めてしまう人は多い。
そして、現在このジムを任せられているのは、苦労人が故に努力家で熱さの体現したほのおポケモンの使い手、カブだ。
控え室から見えるフィールドを眺めていたエスカに「おや?こんな所に居たのか」と声をかけてきたその人だった。


「カブさん、お久しぶりです」
「やあ、エスカ。君がサポートしに来てると他の運営スタッフが言っていたから居るかなと思ってね」
「そうだったんですか。寧ろ、覚えて頂けていて光栄です」


エスカの言葉に、カブは思わず笑った。
運営委員を務める以前に、数年前のジムチャレンジで送り出したトレーナーの一人であり、現在ジムリーダー最強となっているキバナと一進一退の決勝戦を繰り広げた彼女は、本人が自覚していたよりも目立っていた。


「君には僕のほのおタイプをこおりタイプで突破されたからね。衝撃が強過ぎて覚えているよ」
「……カブさんにそう言って頂けると、嬉しいです」


ゴーストも使ってはいたが、カブと戦った際にはこおりタイプしか見せなかったエスカの戦い方は何年経ってもカブにとって忘れられない試合となっていた。
みずタイプでもあるラプラスが居たから、と肩を竦めて否定をするエスカだが、ラプラス以外のポケモンにも敗れたのは事実だ。


「君たちの若い才能には何時も驚かされるよ。君とかキバナくんとかネズくん辺りの代はチャンピオンを筆頭に末恐ろしかったというか」
「恐れ多いです。でも……今年は、あのダンデくんが推薦してきた子達も居ますし、ネズの妹さんも出ますし、きっと大変なことになりますよ」


それは楽しみだとカブは笑ったが、そこに少しの恐れも滲んでいたような気がして、エスカは何も言わずに目を伏せた。
強くなりたいと、負けたくないと思い続けて研鑽を積んでいるのに、飛び越えられてしまったら。
挫折を経験して、立ち上がり続けることに疲れてしまったら。
そんな人なんて沢山いる。
ーーあの戦いが、自分の最高峰だったと思い込んでしまって足を止める人間だって。


「明日からが、楽しみだな」
「……えぇ、本当に」


本当に沢山の推薦状を貰ったトレーナー達が明日、旅立っていく。
ーーここから旅立って、第二のジムでキバナに声をかけられて。眩しいくらいの笑顔で呼び止めてくれる人との思い出が懐かしい。
同じ位の歳なのに背が高い彼を見上げながら、何となく直感したのだ。
この人は、リーグで戦うような気がする、と。
しかし、ライバルと言うよりももっと特別な友人と出会えたのは今思い返しても特別すぎることだった。


スタジアムを出ると日が傾いてきていて、夕暮れの光が眩く反射をして、街を照らす。影が伸びて街灯の灯りが、橙の光に溶け込む時間帯。
スタッフによるスボミーインへの誘導が上手く出来ているかを確認しながら視線を移してホテルの方を眺めていたエスカに明るい快活な声がかけられる。
振り返ると、そこにはブラッシータウンに居るはずの友人の一人であるソニアが居た。


「ソニア?エンジンシティにまで来てどうしたの?」
「やっほーエスカ!先月ぶり!今おばあさまに言われてちょっと伝承を調べる為にフィールドワークっていうやつをしててね」
「そうだったんだ。……ふふ、ソニア、活き活きしてる」
「あはは、助手見習いだったから何やってるんだろって思ったこともあったけど、今すごく楽しいよ」


笑顔を見せるソニアの様子に、エスカはほっと胸を撫で下ろす。
彼女がこのままでいいのか、と思い悩んでいたことを知っていたから、余計に。


「伝承調査もやってるけどダンデ君に推薦貰った二人と来たんだけどね、有望だからエスカも注目してあげて」
「ダンデ君に用意して欲しいって言われた子達をあげた二人だよね。その二人の名前は?」
「ホップとユウリ。エスカは今、ナックルシティに居るんだよね。最低でもこのエンジンジムをくぐり抜けないと会えないってことか」


最後の関門であるナックルシティに辿り着けるトレーナーは、これだけの参加者が居てもほんのひと握りなのだ。
エンジンシティからワイルドエリアを抜けて初めて辿り着く街がナックルシティだと言うことを考えると会えなくもないのだが。
ホップにユウリ。2人が最初に貰うポケモンをダンデに渡したこともあって、彼らの活躍が楽しみだった。


「ダンデ君が選んだ子達なら大丈夫だよ。初めてのワイルドエリアに驚いてなかった?」
「感動してたみたい。でも、ワイルドエリアでも二人一緒に楽しそうだったよ。私も懐かしくなっちゃったな。エスカは?エスカは、旅の時に誰かと一緒になったことある?」
「誰かと……」


かつての旅を思い返しても、鉢合わせた以外の道中を共にした人といえば一人以外は出てこなかった。


「キバナとは何回か道中一緒になったかな。何時も、声をかけてくれたんだけど」
「……なるほどね。そういう縁があったから、好きなんだ」
「……、……え」


普段そこまで表情が分かりづらいエスカが、ストレートな問いかけに固まったかと思うと俯いて。
覗き込むと数秒後に白い肌が分かりやすい程に赤く染まっていく。
ルリナが零していた、分かりやすいという反応を目の前で見て、ソニアは微笑ましい気持ちになった。

淡々としていて、知らない人が遠くから見たら無機質に見られがちな彼女だからこそ、心が解けているのが分かる反応のギャップが純粋に可愛いと思えた。
自分がもし想われ人だったら、こんな反応見せられたら堪らないけれど、とソニアはエスカを抱きしめて「そっかそっか〜」と背中をポンポンと撫でる。


「可愛いなぁ。キバナ君っていい人だし、付き合ったら凄く大事にしてくれそうじゃない?」
「……」
「え?そのきょとんとした反応、考えてなかったの?」
「……私と話してくれるだけでも特別なことだと思ってたから、その先は、考えたことなかった……キバナは色んな人に慕われる人だし」


好きだと想うだけで十分で、そこからの進展の可能性は無いだろうと考えていたどころか「自分と親しくしてくれる人自体が特別だ」と思っている自己評価の低さにソニアはわなわなと震える。

確かに、エスカは第一印象だけだと遠巻きに見られる所がある。
華もあって人の注目を集めやすいが、淡々として見える言動のせいか「声をかけなくても遠くから見るだけでいい」というファンが非常に多かった。
話せば、こんなにも情に満ちた人なのに。
それとは対照的に、キバナは非常に気さくで面倒見もよく、感情も表情に出やすい人な上に、ファンサービスも厚いからか多くの人に慕われるジムリーダーだ。


「あぁもうエスカは勿体ない!……でもどうなんだろうね、今ナックルシティの担当なんでしょ?何かキバナ君と進展はないの?」
「進展……?……ないと、思う」
「……そっかぁ」


親友の恋なら応援したいけれど、長い付き合いにもなるのに進展がないとなると。伝えて相手を意識させることで進めるか、このまま淡く思い続けて何時かそれが思い出になるまで待つか。
相手が相手なだけに気軽に想いを伝えてみれば?なんて言えなかった。仕事で接する機会が多いと、関係を下手に崩すのも躊躇われるものだろう。

自分のことのように頭を悩ませて唸るソニアに、やはりこういう所が友人に恵まれているのだと実感してしまう。
進展はないと真面目な顔で答えたエスカだったが、ふと自宅が頭を掠めた。

自宅もなにも、そもそもあの部屋はキバナの借りている部屋だし、お隣さんだ。
時折ベランダで話せるようになったのは進展と呼ぶのだろうか。別に何一つ変わっていない会話をしているのに?


「あっ、ごめんエスカ。そろそろ行かないと二人とすれ違うかも」
「引き止めさせてごめんね」
「ううん、こっちこそ!……何かあったらすぐに連絡頂戴ね?いつでも相談に乗るからね!」


手を振ってスボミーインに向かって駆け出したソニアを見送りながら、思慮を巡らせる。
好意を抱くその感情の先を考えたことなんて無かったけれど、私はキバナとどうありたいのだろうか。
親しい友達のままでもいいのだけど――キバナに大切な人が出来た時に、あの場所を離れるのは少し。寂しい気がした。

殆どのジムチャレンジ挑戦者のエントリーが終わったのは、建物の明かりが零れて街を輝かせる夜だった。
リーグスタジアムの受付で、申し込み状況を確認していたエスカを見付けたガラルトレーナーにとっての憧れの星は、ソニアと同じように顔を綻ばせて手を振ってくる。
ガラルリーグチャンピオン、ダンデの訪問でざわつく周囲をよそにエスカは特段表情を変えることもなく、彼に挨拶をする。


「ダンデ君、話聞いたよ。ホップくんとユウリちゃんが今回のジムチャレンジに出てるんだってね」
「あぁ!二人ともいいトレーナーになるぞ!間違いない。エスカも面倒を見てくれるとありがたいな」
「うん、任せて。もしかしたらダンデ君と戦うことになるかもしれない子達だから」


エスカの言葉に、少し考えてから真面目な顔で彼は「そんなことになるかもしれないな」と同意をする。
弟のホップも、幼馴染であるユウリと一緒に旅立ったおかげで、いい成長を見せていると満足げに笑うダンデの顔は、チャンピオンではなく兄の顔だった。
もしもそんな展開になるのだとしたら、運営委員としても楽しみだった。


「……、エスカもそろそろ復帰を考えたりはしないのか?トレーナーを辞めたりしたわけじゃないだろう?」
「!……何時もそうだけど、ダンデ君は優しいね」


同じこおり使い、ゴースト使いの現ジムリーダーと全力で戦ってもどちらが勝つか分からない実力があることは、彼女の周囲や当時テレビで試合を見ていた人間は知っている。
ただ、ガラル二番目の男に敗れたと言うだけだ。
それでも当時ジムリーダーの引継ぎを考えていたラテラルタウンのジムの申し出も断り、ポケモントレーナーとしての道を断とうとして見えたエスカに声をかけたのがダンデだった。
このままでは勿体ないとつい周囲が思ってしまう人が戻って来るのを待っている人も大勢いるが。
ダンデの気遣いに感謝の念を抱きつつ、エスカは考える。

「……誰かがキバナに勝ったら、考えてみる」

本気でリーグに挑むキバナが、ダンデ以外に負ける時があれば。
直接戦って見た訳ではないが、エスカの鋭い勝負師としての眼差しが一瞬だけ垣間見えたことに、ダンデはこれ以上の答えはないだろうと頷いた。


「でも勿論、沢山の強いトレーナーが台頭していく場所を整えるのも好きなんだよね」
「そう言って貰えると推薦した身としてはありがたいな。ガラルのトレーナーが強くなるのは本当に嬉しい!」
「ダンデ君のそういう所、好きだな。皆が背中を追いたくなるチャンピオンって、こういうことなんだと思う」
「!そうか!はは、ありがとう」


お世辞でも謙遜でもない褒め言葉に、ダンデは照れながらもその厚意を受け取る。
仲睦まじく会話をする二人の様子を、遠巻きに眺めていたスタジアムの一般客の一人が、端末を片手に二人に駆け寄った。


「チャンピオンと、エスカさん……!写真撮っていいですか!」
「あぁ、構わないぞ!撮影もオッケーのチャンピオンタイムだ!」
「?そういうのもチャンピオンタイムなんだ」


ーーそしてパシャリと、シャッターが押される。
その写真が拡散されるまで、それ程時間はかからなかった。


「ん……?」

エンジンシティから離れたナックルシティのアパルトメントの一室で、端末を眺めていた青年はがばっと起き上がる。
チャンピオンとエスカが映っている写真が上げられているのを見て、キバナは眉を潜めた。
ダンデから載せていいと言われたらしいが、「テレビで見てた時と印象が違って、少し笑ってたから珍しい所を見た気がする!」なんて書かれてて、深い溜息を吐く。

その顔は、確かに珍しいんだよ。
親しくしててやっと見せてくれる穏やかで優しい慈愛の滲んだ控えめな笑顔。

なんで、ダンデにもそんな風に。
いや、そもそも実行委員に推薦したのがダンデという時点で親しいなんてことは分かりきっているのに。

「……悔し過ぎるぜ」

埋めても埋めても、外堀は崩れていく。
今のジムチャレンジが行われている時期なら、その運営委員の彼女といる時間が多くても何の違和感もない。

何でも効果的に使っていかないとな、と息を吐いて、ベランダから外を眺める。
先日以上に、綺麗な夜空は無いような気がした。