朝焼けのスピネル
- ナノ -

05


日に当たる氷の結晶は、きらきらと角度によって反射を変えて輝く。
輝きと色に気付けるのは其れを見ている人間であって、自分自身ではその色に気付くことは出来ない。
自分はどんな色に見えている?冷たいだけなのでは。触れても、指先を痛めさせるだけなのでは。
そんな勘違いに気付かせてくれるのは、何時だって手を引いてくれる人達なのだ。


今回のジムチャレンジの開会式の準備は着実に進められていく。
エンジンシティが起点となり、委員会に権限を貰っている人達から推薦を貰ってエントリーしたトレーナー達は第一のジム、ターフジムから回る。
エスカの担当するスパイクジムとナックルジムはは一度の動員数は多いけれど、試合の数が最初のジムに比べたら激減している。
去年まではポプラがジムリーダーを務めるアラベスクタウンを担当していたのだが、彼女の後継者問題を解決できずに担当が変わってしまったことだけは悔いている。
知力やポケモン勝負の腕前は申し分ないが、圧倒的にピンクが足りていないと、何故か自分も査定をされたのだが、今年こそ彼女はどのような判断を下すのだろうか。

そして、今回の大会を機に進退を考えていたのはポプラだけではなかった。
そのもう一人の人物――ネズに呼ばれた場所に、エスカは足を運んでいた。スパイクタウンではなく、電車が通っている隣町のナックルシティに指定してくれる気遣いに頭が下がる。
他の街でもよく目立つネズだが、下の階層を眺められる街の一角で話をする二人に、ファンも近づいてこなかった。
見た目だけの雰囲気で言えば、二人が揃うと多少の近寄りがたさを感じるからだろうか。


「ねぇ、ネズ。なんでもエール団を結成したって聞いたんだけど?」
「迷惑をかけない程度にスパイクタウンを盛り上げてくれるならいいんですけどね。あまりに暴走していたら、申し訳ないですけどエスカにお願いしたいと思います」
「……オリーヴさん達にこの件を任せると決勝トーナメント出禁とかもあり得そうだから……任せて。ただ、内緒でね」


マリィを応援するという名の、スパイクタウンを盛り上がげる為に住人達が彼女の親衛隊を務めているのだが。
既に少しマナーが悪いという報告を聞いていたエスカは、便宜を図っていた。エスカのお陰で不問となっていることにネズは感謝していた。
彼女との縁は、キバナに紹介されてからの縁になるが、ネズも親しいと断言出来る相手になっていた。


「今回でマリィちゃんがジムチャレンジに挑戦するってことは、ネズと?」
「えぇ、俺とも戦ってもらうことになりますけど、そこで俺が負ければ。もう、それこそジムリーダーを託せますよ」
「マリィちゃんがジムリーダーになるかもしれない、か。うん、すごく楽しみ。そしたら、ネズならライブツアーできると思う。私は楽しみだな」
「……ありがとうございます。引き続き担当がエスカなら、マリィの初めてのジム戦の運営管理とかも任せることになりますね」
「それは是非とも」


兄妹二人とも担当できるのなら光栄だ。
ダンデ君が推薦しようとしている子達といい、ネズが推薦したマリィといい、若くて優秀なトレーナーがこのガラルには本当に沢山いることに嬉しくなる。


「そういえば、今日は気を遣ってくれてありがとう。でも、前と違ってナックルシティについ先日引っ越して、スパイクタウンにも直ぐ行けるから」
「ナックルシティに引っ越したんですか?」
「うん」
「スパイクタウンとナックルシティの担当を考えたら楽そうですけど……キバナが煩そうですね。あの人とあの人の周りは賑やかですから」
「……というよりもなんというか、凄く、近所というか」
「……」


ネズが嫌そうな顔をしたのを見て、エスカはくすくすと笑った。近所だとより一層声を掛けられる頻度が多くて煩そうだと思ったのだろう。
確かに明るくて華やかで。常にキバナを中心に人の輪が出来ている。
無邪気に笑う顔だとか、拗ねた顔だとか、くるくると表情が変わる賑やかな人ではあるけれど。それが彼の無二の魅力でもあった。

ナックルジムまでに人だかりが出来ていることに気付いたネズが「あぁいう所ですよね」と呟いたからエスカも首を伸ばして下を眺めた。
視線を移すと、その中心にはやはり彼が居るのだ。
丁度ジムトレーナーとの朝の訓練を終えてジムから出て来たらしいキバナを捕まえたのだろう。
気さくにインタビュアーの質問に答えてるようで、その周りには少し距離を置いてファンが彼を囲んでいる。


「キバナさんが負けたくない相手は誰ですか?」
「そりゃ、チャンピオンは当然だが……負けてる状況であげる名前としては信憑性も足りないか」


ダンデのポケモンを一番多く倒した人間でもあるが、結果としては10連敗中だ。
負けた時の悔しさを忘れないように自分の負けた姿も戒めとして自撮りを始めたが、その写真に対して厳しいコメントが付くこともキバナは知っている。
勿論今度は絶対に負けないという気持ちで常に挑んでいるが。
チャンピオンに対してのその闘争心とは別のベクトルで"負けられない"と思っている相手が居ることに気付いたキバナは、その人を思い浮かべて。
本当に優しい顔で、悪戯に笑うのだ。


「けど、別のやつで一人、負けられない奴が居るんだよな」
「え、それはどなたでしょう!?他のジムリーダーの方でしょうか!」
「はは、言っちまったら、面白くなくなっちまうから敢えて言わないでおくぜ」


残念そうにしながらも誰のことを言ってるのか分かる日がそれはそれで楽しみになりそうなネタだと、インタビュアーは目を輝かせる。
ーー絶対に負けられない人。ポケモントレーナーとしての最後の相手が自分になって、そのまま時を止めてる人。
自分が彼女に負けてしまったら、次のさらなる高みを目指して次の目標に目が移るかもしれないだろう?
例えば、チャンピオンだとか。

見られなくなるのは、困るんだよな。


キバナが家に帰ってきたのはもう日も沈んだ時間帯だった。
彼が得意としているのはダブルバトルだが、チャンピオンに勝利する為にはシングルバトルのスタイルも確立して、様々な状況に対応できるようにならなければならない。
三人のジムトレーナーに手伝って貰って模擬バトルを通してシュミレーションを重ねているのだが、ドラゴンタイプが苦手としているポケモン相手とも戦うべく、ワイルドエリアにも足を伸ばした方がいいのだろう。
がらりと扉を開くと、遠くに見えるワイルドエリアの空は晴れ渡っていたようで、煌々と輝く星空がよく見える。


「キバナ?」
「おっ、エスカも同じタイミングでベランダ出てるなんて奇遇だな」


凛と静かな空気を震わせたその声に、キバナは身を乗り出して隣のベランダを覗き込む。
端末で何やら資料を見ながら星空を見上げて、考え込んでいる様子のエスカがそこに居た。部屋着に着替えてリラックスしている様子の彼女に「ベランダに出てきてよかった」とぐっと拳を握る。
だが、新鮮な姿に驚いているのはエスカにとってのキバナも同じだった。


「バンダナ、してないの久々に見た」
「そうか?まぁ外出てる時は殆どしてるからな」


トレードマークのようにもなっているヘアバンドが無いのは珍しい。
ジムチャレンジの頃からヘアバンドを付けていたから印象が強いのだ。そして、ラフな格好になっているキバナを見て、実感する。
普段見られないような姿を見ているというのはつまり、ここは彼のパーソナルスペースなのだ。
こんなにもキバナが近くに居るなんて、あの頃はここまでではなかったし、キバナがジムリーダーに就任してから暫くは適度に連絡を取り合う位だったのに。
ナックルシティの担当になってから急速に変わり始めている状況に、理解が追い付いていない所もあった。


「エスカも仕事、忙しいみたいだな?」
「開会式の手伝いもしてほしいってオリーヴさんから連絡が来てね。開会式はローズさん達が主導でやってるみたいだけど、私も一応ミーティング参加して欲しいって言われてるから行ってみるつもりなんだけど……」
「どうした?」
「……キバナ、参加しない予定なの?」
「んー……最後のジムリーダーが分かっても楽しくないだろ?」


朗らかに笑うその裏で、血の滲むような努力を重ねていることは知っている。
チャンピオン、ダンデの防衛戦に10連敗目の敗北を期したことを考えると、他にももう少し理由がありそうだけれど。
それを聞くのはあまりに無粋だ。


「そっか」
「怒らないのか?運営的にも出て欲しいとか」
「私は個人的にいいんじゃない、と思ってるから。理由もなくそういう行事をサボる人じゃないもの」
「……サンキューな」


彼女の、自分に対しての強い信頼が降り積もっていくようだった。淡々として聞こえるかもしれないが、言葉に熱が宿っているように聞こえるのだ。
エスカは「少し待ってて」と声をかけて一度部屋に戻る。

――何だろうな、この心が落ち着く穏やかな時間は。
人と一緒に居て楽しいだとか。人と話すのが楽しいだとか。人に慕われて憧れられるのは嬉しいだとか。
そういう感覚と違う、もっと澄み切ったストレートな感情が浮かんでくるのだ。

ただ、一緒に居たいと。

キバナは居なくなった彼女のベランダを肘をついてぼんやりと眺める。
ジムリーダーに就任した直後は、その使命感とチャンピオンに勝つという目標に突き進んでいたのもあって、正直エスカがこれ程までに気になっていたかというと今の自分を見たら驚くだろうとしか言えない。
決勝戦と戦ったライバルであり、時々旅を共にした友人としての親しみはあったが、エスカが自分のことをそう思ってくれているのか不安に思っていた所が大きい。
何せ、エスカにとっては決勝リーグに進む寸前で、その挑戦権を奪っていった相手だったからだ。
そんな燻ってた感情は、ルリナに投じられた一石によってがらりと、天候の様に変わる。

彼女は手に湯気の立つマグカップを握って戻ってきて、一つをキバナに差し出した。


「温かい飲み物入れてきたからどうぞ。ホットレモンだけどいい?」
「おっ、悪いな、エスカ」


彼女が持って来たのは、今作って来てくれたらしいホットレモンだった。
口に含むと、レモンの爽やかな香りとはちみつの香りがふわりと口内に広がる。優しい、味だった。


「今更だけど部屋ありがとう。リビングとかは私の部屋っぽいのに一部屋だけキバナの家みたいな感じがするから、何だか不思議な気分」
「オレ様と住んでるみたいな感じだよな」
「……」
「え、スルーかよ」
「だってキバナの荷物が置いてある部屋があるとはいえ、壁挟んでるし……」


至極当然の正論を言われて、キバナは肩を竦める。やっぱり動揺してくれないのかと少し悔しくなる。
その度に「ルリナのヤツ、オレ様をからかい過ぎだろ」という気分になって仕方がない。
しかし、声だけは冷静に、感情の波風が立っていないように聞こえるが、辺りが暗くてよかったと安堵してマグカップに残ったホットレモンを飲み干し、口内に甘みを広げて誤魔化すのだ。
どうしてこうも、人の意識を煽るような事を言うのだろうかと思わずにはいられない。

――こんなにも近くに居るのに、遠く感じてしまう人。
せめて、ジムチャレンジの運営を通してサポート出来るだけでも十分だった。


「そろそろ寝るか。冷えても良くないしな」
「……うん。おやすみ、キバナ」
「おう、おやすみ」


「美味かったぜ、ありがとな」と声をかけてマグカップを返したキバナは、一瞬自分の手に目を留めてから、エスカの頭をぐしゃりと撫でる。
あくまでも自然な流れに見えるように。違和感を感じさせないように。
ひらりと手を振って別れ、リビングから部屋に戻って、キバナはぼんやりと自分の手を見詰める。
そして、息を大きく吐いて、ソファに座りこんだ。壁を隔てた先に居る。まさにエスカの言っている通りだ。

――ただ、一緒に居たいだけというのはこんなに難しいのか。