朝焼けのスピネル
- ナノ -

03

あの人は、昔から。
私を見かけると八重歯を見せてにこやかに笑って駆け寄って来る。ソニアを見つけた時のワンパチみたいに、無邪気な笑顔で。
キバナは人がいいし、本人は至って自然体だけど、面倒見がいい。

ソニアとルリナはそんなことは無いと言ってくれるけれど、人よりも反応が薄く見えるからきっとつまらないだろう自分にも分け隔てなく話をしてくれる。
けど、それだけじゃなかった。そんな風に気に留めて貰えると同時に、彼はあの頃自分をライバルと認めた上で手加減を一切せずに戦ってくれた。
当たり前のことなのかもしれないけれど、ポケモントレーナーとして敬意を払って真剣に向き合ってくれたことが。

本当は、凄く、嬉しかった。


ナックルシティのアパルトメントの一室、ブラインドから差し込む朝日に目を覚まして、欠伸を一つする。

ベッドから起き上がってブラインドの隙間から外を覗くと、とりポケモン達が羽ばたいてナックルシティの朝を告げている。
眠気覚ましに顔を洗い、何時ものバンダナで髪を留めたキバナはキッチンに足を運ぶが、立派な白いカウンターキッチンの割には、汚れもなくあまりにも片付いている。

何せ、栄養を気にしたサラダとかそういう簡単な自炊はするが、基本的には外食がメインだ。
外食が好きというよりも、凝った料理を作れない。
冷蔵庫横に置いているスポンサーから貰っているプロテインを手早く作って飲みながら、ロトムを呼び寄せる。

「写真も増え過ぎたな」

先日撮った写真を整理しながら眺める。
したり顔で笑ってる自分の横で、端末を向けられていることに気付かず少し照れたような表情を見せているエスカに、思わず目尻が下がる。

「もっと意識してくれよなー」

思わず想像してしまう。
オレ様に、もっと、どんな照れた顔を見せて恥じらってくれるんだろうかと。

どんなに女性に黄色い声を浴びたって、注目されたって。
それはナックルジムを背負っているジムリーダーとして嬉しいと感じるだけで、キバナ個人の、男としての高揚感とは別だった。
勿論、ファンサービスを楽しんでいるのは素だし、それが生活の一部となって溶け込んでいるのも事実だ。
今日は確か休みだったはずだと思い、朝から「はよ!この間の写真送り忘れてたから送るぜ。今日は休みか?」と自然な流れを装ってメッセージを送る。

ーーそのメッセージの返信が返ってきたのは、3時間後のことだった。
すぐにメッセージを返してくれとまでは言わないが、待っていた間はロトムがそわそわと宙を舞っていた。
ピロン、と通知音がした瞬間にロトムは画面を付けて、キバナにメッセージを見せる。

『おはよう、キバナ。今日は休みなんだけど、ダンデ君に頼まれてたポケモンを渡しにナックルシティにまで来てたの』

ナックルシティに来てるのは嬉しい話なんだが、内容が内容だ。

「ん?またチャンピオンの所か」

実行委員である以上、チャンピオンとの接点はそれなりにあるし、その立場を除いても元々ダンデと仲がいいのは確かだ。
エスカの喜怒哀楽の感情が何となく感覚で分かるらしく、ダンデと話すと気が楽だとぽろっと零していたらしい。

氷を溶かす炎の熱ってやつか?それがダンデっていうのが面白くない。
何せ、エスカを昔から一番よく知っているのは。

剥き出しかけた牙を隠すように、キバナは端末でメッセージを返す。
『丁度来てるなら昼飯行こうぜ。今度はエスカの好きなランチでな』と手早く打つと、数分以内に『いいの?……クロテッドクリームのついたスコーン……』と返ってくる。そして、間髪入れずに『キバナが物足りなくならないお店にする』と追記してくるから、その気遣いに込み上げてくる感情を抑えるようにぐっと奥歯を噛み締める。
確か、スコーンとかも出してる有名な店があった覚えがある。
心当たりがあるから案内すると言って、待ち合わせに成功したのだ。彼女の休みの先約はあったものの。


集合場所にした街の外れのポケモンセンターに足を運ぶと、グレイシアを抱えているエスカが既に待っていた。
あのグレイシアには相打ちにしたとはいえ2体ほどジムチャレンジの際に追い詰められた記憶が強く残っている。
そして、エスカ自身と言えば、何時もの仕事着じゃなくてもう少しカジュアルな私服だった。確かに、最近では仕事の際に会うことばかりだったから新鮮だ。


「あっ、キバナ。連絡ありがとう」
「こっちこそ呼び出して悪いなーさて、オレ様とっておきの店に案内するぜ」
「何時も連れて行ってもらってごめんなさい。ナックルシティのお店、詳しくなくて。キバナは流石というか」
「こういう情報も拾うようにしててな」


ナックルシティは階層によって少し雰囲気も異なる。階段を上った先の街並みは、一階層の近代的な建物のデザインとは異なり、伝統的な街並みとなっている。そんな区画の中にあるのは男性向けのお洒落なメニューだけではなく、アフタヌーンティーセットも有名らしい店だった。
洒落た看板の扉を潜ると、店内を流れるクラシックが出迎えてくれる。店員は突然のキバナの来店に少し驚きながらも、さり気なく市場の奥の目立ちづらいテーブルに二人を案内した。


「あんなに朝早くからダンデに会ってたのか?」
「弟達にあげたいポケモンが居るって言われて。用意してたんだけど、会えたのが今日の朝しかなくて」
「エスカに随分とまぁ無茶振りを案外してるよな」
「そう?けど私、遅刻しかけて。ダンデ君、場所分からなくて迷子になってたらしいから良くないけど不幸中の幸いだったかも」
「遅刻?エスカが遅刻なんて珍し過ぎる話もあるんだな」
「アーマーガアタクシーが捕まらなくて……」


アーマーガアタクシー?
一瞬ピンとこなかったが、住んでいた場所を思い出して納得した。第三のジム、カブがジムリーダーを務めるエンジンジムスタジアムのある場所だ。
そこから電車に乗って来るのも外回りだから時間が掛かるのだ。
つまり、今担当しているスパイクタウンとこのナックルシティに来るために、彼女は毎日結構な距離を行き来していることになる。


「今住んでるのって、エンジンシティだったっけか?」
「そう。ターフジムを請け負ってた時に移動も楽だったからそこに借りてるんだけど……アラベスクタウンを請け負った去年から考えてたけど、流石に移動距離がちょっと」
「へぇ〜、じゃあナックルシティに住めばいいじゃん」


自然に出たその提案に、キバナの思考はふと冷静になる。
エスカがもしかしたら、このナックルシティに住むようになる?
それなら、めちゃくちゃオレ様にとっても都合のいい提案が一つあるじゃないか、と。

本人も仕事をする上で移動距離は気にしていたようで、キバナの何気ない提案に熟考する。

「オリーヴさんとの打ち合わせとかがあるのもここだから……やっぱり、その方がいいわよね」

今回から暫くはワイルドエリアを挟んで上の地域を担当することになりそうな状況を考えると、住む場所は変えた方がいいのかもしれない。
検討はしていたが、真剣に考え始めた方がいい頃合だろうか。ナックルシティに寄ってからスパイクタウンに行き、自宅にタクシーか駅を利用して帰ったとしても案外自宅に着く時間は夜遅くなる。
今月更新月だから明日もある休みにでもナックルシティの不動産屋を巡ろうかと思い悩む様子のエスカに、キバナは八重歯を見せて笑顔を見せる。


「オレ様、今二つ部屋借りてるから、一つ貸そうか?」
「……、……え?」
「隣の部屋、トロフィーだとか服だとかを仕舞ってる倉庫にしてるんだが、整理すれば一人暮らし位余裕だと思うぞ」
「そもそも二部屋借りてるって時点でかなり驚いてるんだけど……ううん、キバナ、そこはそんなに甘える訳には……」
「いいっていいって!オレ様とエスカの仲だろ?遠慮するなよな〜」


首を横に振ってとんでもない申し出を断ろうとするエスカに、キバナは一歩も引かずに提案し続ける。

――好都合。実に好都合だ。
友人とはいえそこまで人の面倒を見てしまうのは、と言っても、ジムチャレンジの運営でこんなに世話になってるのにか?、と返す。
キバナが自分の為に借りてるのにそんなのは迷惑になる、と言っても、そう思ってるなら最初から提案なんてしてないから安心しろって!と返す。
そんな恩は作れない、と言っても、それなら時々飯を造りに来てくれるのはどうだ?、と返す。
そこそこの値段でいい物件が見つかるかもしれないし…とどんどん歯切れが悪くなってきても、立地もそこそこいいから、ナックルシティから近いワイルドエリアの様子も見えるぞ、と返す。
お、今一瞬「えっ」って顔したな。なんだかんだ言ってもエスカもポケモントレーナーだ。気にならない訳がない。


「……少しだけ、席外すね。すぐ戻るから」
「おう」


こういう話を提案していても、エスカは照れた顔を見せないから、押しが足りないのかと少し悔しがる。

ルリナから聞いたたった一回の言葉は、彼女の勘違いだったと流せばいいだけの話だが、流しきれないまま今日まで過ごしている。
相手からの好意が分からなくたって、溺れさせちまえばいいだけだ。
避けられないようにする匙加減が難しいものだ。


「……キバナ、人が良いにも程がある」

本人の前では淡々と返していたエスカだったが、パウダールームの扉を潜ってパタンと閉じられた直後。その顔はかぁっと赤くなっていく。
表情に出ないだけで、限界まで照れているだろう主人の様子を理解してか、勝手にモンスターボールから出てきたユキメノコがくすくすと笑っていた。
グレイシアが手を伸ばしてひんやりとした体温を伝えてくれるが、それでも誤魔化しきれない位に、頬は熱い。

あぁもう、時々予想を飛び越えてくる距離感が心臓に悪い。
スコーンの味が、分からなくなりそうだ。