朝焼けのスピネル
- ナノ -

07

氷を溶かした日。
それを知っているのは溶かした側ではなく、溶かされた側。
万人に対して気さくな少年は誰かを特別意識して照らしたわけではない。
それでも、少女は感情を知った。

恋を知ったのだ。


――シュートシティのスタジアムとは反対側に位置する、元ローズタワー。今の名前をバトルタワー。
ここには実に多くのトレーナー達が全国各地から集まって来ている。
そのオーナーを務めているのが、ガラルで10年もの長い間、最強のチャンピオンとして名を馳せていたダンデなのだから、注目度が高くなるのも当然というものだろう。

オーナーの部屋を訪ねに来たのは、彼の友人でもあり、今も変わらずライバルという関係である青年だ。
褐色の肌に、優し気な人が良さそうな蒼い目を細めて楽しそうに笑うオレンジ色のバンダナでドレッドヘアを留めた青年だ。

「よう、ダンデ。オーナーとして頑張ってるみたいだな」

ダンデが迎え入れたのはナックルジムのジムリーダーであり、長年ライバル関係にあったキバナ。
チャンピオンでなくなったとしても、その関係が無くなる訳ではない。そんな思い出話に浸ることを普段する訳ではないけれど。
それでも、時々過去を振り返るようになったのは、状況がこうして変わったからこそだろう。


「……キバナ、当時のことを覚えているか?」
「あー覚えてるぜ。ほんっとよく覚えてる。何せオレ様がチャンピオンにまっしぐらだって思ってたのに、それを阻んで来た男が居たんだぜ?」
「俺としてはキバナのようなライバルが出て来てくれたのは嬉しかったけどな」


ダンデの言葉に、キバナは苦笑いをする。
この男のライバルであり続けるというのは、太陽に妬かれて焦がれ続けることを意味する。
倒したいと食い下がり続けて、それでも叶わない夢を諦めないように居るのは、苦痛を伴う時もある。
だが、他の地方に行けばチャンピオンになれるかもしれないと囁かれても、ダンデという最強のチャンピオンを倒すということに情熱を燃やしていたのは事実だ。


「ライバル、か……まぁオレ様は"ライバル"っていうものに恵まれてるんだろうな」
「あぁ、エスカのことか。ソニアも二人のリーグチャレンジのことを詳しくは知らないって言ってたな」
「まぁ、旅の道中でのオレらの会話を聞いてた他の挑戦者もそんな居なかったしな」


キバナが思い出すのは十年ほど前になるジムチャレンジでの日々だった。幼い当時のことを鮮明に記憶しているかと問われれば、朧げになっている記憶も多い。
だが、エスカと初めて顔を合わせた時のことは良く覚えていた。

ジムチャレンジが行われる日。
前日に紅色のレンガ造りの街並みのエンジンシティのスボミーインに泊まり、キバナは相棒のジュラルドンやナックラーと共に、人々が集まるエンジンジムへの足取りも自然と跳ねる。
毎年行われるトレーナーの登竜門でもある注目度の高い、ジムチャレンジ。

自由にユニフォームの番号を選べると受付で聞いたキバナは、真っ先に241を選んだ。強い、と読める番号にしたいという安直な考えではあるが。
開幕セレモニーでは、各ジムリーダーがスタジアムにやって来て、ローズ委員長の開幕宣言と共に、紙吹雪と歓声が沸き上がる。
その雰囲気に、キバナの高揚も最高潮に達する。だが、それは周りの挑戦者たちも同じのようで、きらきらと眩しい笑顔が見える。

(……ん?あの子は?)

キバナの目にふと留まった一人の少女に、モニターや観客席から視線を外してじっと見つめる。
その横顔は綺麗な程につんとしていて、ジムチャレンジが始まるというのに感情の起伏が目立たない子だった。
傍らにはグレイシアを連れていて、吹雪の中に紛れて消えてしまいそうな儚い印象を受けた。

「お前もジムチャレンジの参加者なんだな」

声をかけたその少女は驚いているのか、ぱちぱちと瞬いてる。
それでもあまり表情の変化が分からない子だという印象を受けた。
初対面なのにこんなにも朗らかに声をかけてきたことがエスカにとっては珍しかった。冷たい印象を持たれやすい自分に、無邪気に声をかけてくれるのは新鮮だった。


「オレさまはキバナ。よろしくな」
「……びっくり、した」
「え?」
「……ううん。私は、エスカ」


少女ながら無機質にも聞こえる程に涼やかで玲瓏な声だった。
エスカと言う名前の少女。クールな印象を受ける彼女が同じ年くらいにはなかなか見えなかった。ただ、何となくの勘で、この少女も勝ち上がって行きそうな気がした。


「その着てるパーカーのフードに居るのは、ナックラー?」
「あぁ、オレの相棒だ」
「もしかしてドラゴンつかい?」


キバナがあぁ、と答えると、ナックラーが上機嫌な様子で口をカチカチと鳴らす。
こおりタイプともなると、ドラゴン使いのじぶんにとっては相性だけを考えるのなら強敵になりそうだが、それも含めて楽しそうだと好奇心が勝る。
誘導されてスタジアムを出て行く参加者の波に乗って、歩き出したエスカはキバナを振り返り、手を小さく振る。

「私はもう行っちゃうけど……」

話している間も余り表情が変わらないという印象だった彼女だったが、初めて小さく笑ったような気がして、キバナは目を丸くする。

「キバナくん。また会えたら、たたかって、ね」

前日から、エスカ以外にもキバナは多くの同年代くらいのトレーナー達に声をかけていた。
キバナにとって、エスカは昨日スボミーインで見かけなかった挑戦者の一人であっただけなのだが。

一瞬見せたその解けた表情が、この瞬間、他の挑戦者よりも強く印象に残ったのだ。


「会った時はファイナルトーナメントでも戦うだろうなとは思ったが、そっからここまでの縁になるとはオレ様も思ってなかったけどな」
「そういうこともあるんだな。もっと特別な出会いがあるのかと思ったが」
「結構色んな奴に話しかけたうちの一人って感じではあったが、確かに記憶に強く残ったんだよな。キバナ君って呼ばれてた頃が……懐かしいぜ……」
「話しかけなかったら、こうなってなかったと思うか?」


ダンデの不意の問いかけに、キバナは口元に手を当てて悩み、ローズタワーから見えるシュートジムを眺める。
あの時に声をかけなくても、ジムチャレンジのリーグ決勝戦で戦うことになっていただろう。かなり手強い決勝相手だと思いながら試合を楽しんでいただろうが――そこから縁が生まれていた自信は無い。

「そうだな、あの時に声をかけてて本当によかったって思うぜ」

お互いに肩書きも何も無い、まっさらな状態でかわされた会話。
だからこそ少女の雪がしんしんと積もるような心象風景に、光が差し込む切っ掛けになった。その上で、正面から向かい合ってお互いの熱量をぶつけあった。

キバナという少年に恋をするにはそれだけで、エスカにとって十分だったのだ。