朝焼けのスピネル
- ナノ -

03

「えー……オレ、酔い潰れたのか?めっちゃ恥ずかしいな……」
「ネズに運ばれて、冷たくて気持ちいいって抱き枕にされてた」
「悪い悪い。気付いたら抱き締めてるのはよくあることだけどな」
「……ジュラルドンもほどほどにって顔してるよ」
「ははは、悪いな相棒」


キバナは洋服を着替えて気分をリセットする為に、顔を洗ってタオルで乱雑に水をふき取る。
ぐっすり寝たからか、すっかり酔いも醒めて、頭痛にも残っていなかった。
ただ、目を覚ました時にエスカを抱きしめて寝ていたことに気付き、彼女のグレイシアとユキハミが寄り添ってくれていたおかげか、アルコールで火照った身体もひんやりとしていた。

パーカーを羽織り、キッチンに足を踏み入れると、エスカは酒に酔った次の日に食べるには丁度いい食事を彼女のポットデスと共に用意してくれていた。
エスカに甘えてしまっていることに申し訳なく思いつつ、コップに注いだ水を一杯ぐっと飲み干す。
ネズとの会話は断片的に覚えているのだが、帰っている途中の記憶が曖昧になっていた。


「ネズとそんなに話が盛り上がるなんて珍しいね。だって、ネズは長話をあまり好む訳じゃないと思ってたから……」
「確かに、素っ気ない所が多いけど、案外そうでもないぜ?」


メディアに対して素っ気ない所があり、ダンデやキバナの明るさに疲れると溜息を吐くことはあっても、案外話に付き合ってくれる面倒みの良さがある所はマリィの兄たる所以なのだろうか。
ダンデに似て喧しいと言いながらもホップの面倒を見ている所だとか。
あまり楽しい話が出来ない自分と程々に話をしてくれる所を考えると、確かに彼は聞き上手なのかもしれないとエスカは納得した。


「朝から用意させちまって悪いな、エスカ。今日は朝から仕事じゃなかったんだっけか」
「うん、今日はお昼から打ち合わせ。しかも、ナックルシティの担当者の子と」
「成程なぁ。去年まではエスカが担当してたって思うと感慨深いっつーか、もう一年か」
「一年しか担当できなかったけど、正直一番濃い時間だったな」


去年まではナックルシティのリーグ担当者だったが、ローズ委員長が逮捕されてチャンピオンがダンデからユウリへと変わり、怒涛の日々に月日が流れていく速さを感じていた。
気付いたらもうキバナと共にジムの運営を考えていた日々から大分経っているような気がした。
リーグ委員として担当したジムは数か所あるが、二年間担当していたジムだってある。
ナックルシティの前の担当していたジムはポプラが務めていたアラベスクジムで、劇場のようなあの特殊な場所と、彼女の少々癖の強い性格に翻弄されたという意味では大変だったのだが、やはりナックルジムはジムリーダー最強というポジションでもあるからか、集客人数を考えてもそのプレッシャーは随一だったことを思い出す。


「やっぱりキバナのジムは凄く注目を浴びるし、あそこは大きいから。スムーズに運営するって難しかったし、当日トラブルがなくてほっとしたかな」
「エスカでも緊張するんだな。リーグの決勝戦とかでも淡々としてたイメージだったんだから」
「好きな人のサポートをするのは緊張したけど……」
「!?」


さらりとエスカの口から零れた言葉にキバナは目を開き、コップを手から滑り落としそうになった。咄嗟に地面に落とさないように腕を伸ばしてくれてたジュラルドンの反応は流石といった所だろうか。
普段自分の方がスキンシップをしているつもりだが、感情表現が普段乏しく見えるエスカからストレートな愛情の強さに、不意打ちを受けた気分になる。
動揺しているキバナに、自分が恥ずかしいことを言ったことを自覚したエスカは、白い頬を染めていく。
主人の顔が赤いことに気付いたポットデスは上機嫌な様子で宙をくるりと一回転して、感情が解けている主人の表情に喜んでいた。


「あー……オレ、何でもっと早くエスカがそう思ってくれながら一緒に仕事してくれてるって気付かなかったんだろうな。勿体ねぇったらないな」
「……!ジムリーダーの業務に集中してもらいたいからそれは、その……だめ」


ため息を吐いてエスカが片思いをしてくれていることを認識しておきたかったと零すキバナに、エスカは元々語るつもりではなかった恋心のことを思い返しながら、首を横に振る。
元々同じ選手であったエスカの、キバナの立場と普段の言動からあまり人にイメージされづらいストイックさを理解しているからこその気遣いと侵してはいけない領域の認識は、キバナにとって得難い理解者だった。
選手には数多くのファンがついている。だが同時に、己の実力のみの世界であり、孤独な面も強い。
特に、ダンデという倒したい目標がチャンピオンという座から退いた今は余計に。

キバナのジムリーダーの在り方を理解して尊重しているエスカの存在は、今のキバナにとっては特に心強くあった。

カウンターキッチン越しにじっと眺めてにこにこと微笑むキバナに、エスカは恐る恐る問いかけた。


「ど、どうしたの、キバナ」
「いやー、めっちゃ好きだと思ってな」


常々思っているその感情を口に出した途端、カウンターキッチン越しに見えていたエスカの身体が沈んでいって、見えなくなる。
急に沈んで行ったものだから驚いて、咄嗟にカウンターに身を乗り出すように覗き込んでエスカを確認したキバナは、口には出さなかったものの、可愛いという感情を呑み込む。
しゃがんで、恥ずかしそうに顔を手で覆う、控えめでいじらしい婚約者の姿を目に焼き付けながら、ジュラルドンによりかかりながらキバナは天を仰ぐ。

「はー……言いたい惚気がまた増えたぜネズ……」

――胸焼けしそうなのでもういいですと言われそうではあるが。