朝焼けのスピネル
- ナノ -

02

スパイクタウンのジムリーダーを務めていたネズは、長年考え続けていた後継者を現在妹であるマリィに定め、ジムリーダーの座を譲った。
ジムリーダーと言っても、常に一部のリーグに居続けられる訳ではない。連続して何回か負ければ、その成績次第で容易に二部リーグに落ちてしまうのだ。
そんな環境の中でもネズは一部リーグで活躍し、二番目の成績を取っていた。それも、ダイマックスを行わないというスタイルを貫いた上で、だ。

ネズにとって比較的あまりトーナメント戦で当たりたくないと思うのはジムリーダー最強という立場であるナックルシティのジムリーダーだった。
彼がジムリーダーに就任して数年がたった頃。キバナはチャンピオンになれずともジムリーダーとして名乗りを上げて、そして最強という地位に駆け上がった。
それ以来の長い付き合いであることを考えると、キバナとネズという二人の縁はそれなりに長くなる。
ただし、非常に仲がいいかと問われたら、キバナは肯定し、ネズは「そこまでではない」と否定するだろう。


「お前、今何やってるんだ?」
「随分と失礼なこと聞きますね、キバナ」
「いや、妹にジムリーダーの座を譲っただろ?……というかミュージシャンでもあったか」
「まさか忘れられるとは思いませんでしたよ」


酒の席でネズと会話を交えていたのは、新しいジムリーダーの体制になってもなお、最強のジムリーダーであり続けるキバナだった。
丁度ナックルシティに立ち寄っていた時に、「何時でもいいから飲まないか?」と連絡が突然キバナから来たことで、今回の飲み会が急遽開催された。

地元のお洒落な雰囲気と言うよりもローカル感が強いバーとは異なり、ナックルシティの店はガイドに乗っていそうな内装と雰囲気の店が多い。
流行りものに敏感なキバナが店を把握しているのは流石だと、そこはネズも評価していた。

これまではスパイクタウンの矜持を守るためにどれだけスタジアムの場所を移動するように提案をされても頑として首を縦に振らず、寂れていく街を憂いながらもあの場所でのジム戦に拘り、スパイクタウンを盛り立ててきた。
スパイクタウンを離れて、ストリートライブを行うことも出来る状況を今は楽しみつつ、普通のトレーナーとして日々を過ごしている。


「へぇー、悠々自適に過ごしてるって訳か。スパイクタウンも離れて妹離れが出来たってことか」
「マリィが困ってるなら何時でも助けに行くつもりですけど。それにオレよりも出来ますが一度負けたりして調子が狂うと、戻すまで少しまだ時間がかかるみたいですし、最低限のフォローは最初ですから当然しますよ」
「……」


明らかに妹離れが出来ていないらしいマリィ想いの兄の台詞の数々に、キバナは何も言わずにただグラスを傾けてぐびっと喉を鳴らして鼻に抜けるアルコールの香りを味わう。
もう子供じゃないから子ども扱いは止めて欲しいと言いそうなマリィが目に浮かぶようだった。
大切にするが故に過保護になるのは分からなくはないが、もう立派なジムリーダーにもなるのだからと思う所はある。


「トレーナーとして何も変わらないのはオレ様くらいか」


ぽつりと呟かれたキバナの言葉に、ネズは変わらないその表情を読み取ろうとする。
ダンデはチャンピオンからバトルタワーの支配人となり、ネズ自身は妹であるマリィにジムリーダーの権利を譲った。
確かに、彼だけはトレーナーとしては何も変わらず、ナックルシティのジムリーダーであるままだ。
チャンピオンになるというよりも、ダンデに勝つということを目標にしてきたキバナが現状に対してどう思っているかなんて。それはネズには想像出来ないことだった。

ーー渇き。
頂点に立ち続けたダンデが抱いていた物とは別種の渇きが、あるのかもしれない。


「まぁ、私生活はめちゃくちゃ変わったけどな!」
「オレとしては正直、エスカとキバナが一緒になったことが意外ですけどね」
「……え、何でだよ?ジムチャレンジの時からずっと縁があったのは知ってるだろ?」
「だからですよ。荒々しい嵐と涼やかな霰。あまりにも対照的過ぎるというか」


感情表現が実に豊かなキバナと、感情の起伏が目立たないエスカ。
その特徴だけではまるで水と油のように聞こえてしまうが、エスカは誰かに引っ張ってもらうことで自分だけでは経験し得ない感情や視点を補っている所がある。それはネズも理解をしていた。
世間的な印象とは異なり、キバナは実際、派手な生活を行っている訳ではない。
案外真面目で、定めた目標に対して熱心で。ぶれることがあまりないキバナの本質自体は、エスカと通ずる所があるのだろう。
ポケモントレーナーとして研鑽を欠かさないキバナのことを理解した上で、一年もの間、運営側に回ってサポートを行っていた。
エスカほど、キバナのことを理解出来る女性は居ない。それを知ったうえで、ネズは敢えて「意外」だと言ったのだ。


「キバナと付き合っていることを公表するなんてこと、大人しい方のエスカが首を縦に振るとも思いませんでしたし。目立つの嫌いでしょうから」
「それに関しては浮かれてたとかじゃなくて、言っておくのがベストだと思ったんだよな。まぁ、エスカなら一番納得されそうだから大丈夫だろと思った本音はあるけどな」


キバナにファンが多いのは有名な話だ。
気さくでファンサービスも旺盛なキバナのファンが騒ぎ立てる可能性もあった。このまま黙ってひっそりと付き合っていくべきか、それともライバルと名高かったエスカと付き合い始めたと大々的に言うか。
検討した結果、キバナは何の躊躇いもなく、長年の恋が実ったのだと言うことを選んだのだ。
キバナが公表するということはそれだけ自分にも注目がそれなりに集まるようになるということにエスカも戸惑いはしたが、結局一緒になるつもりなら、ということを考慮し、賛成したのだ。

案の定、エスカにもかなりの注目が集まることにはなったが。


「オレ様としては下手に気遣って隠さなくていいのは有難いけどな〜。まぁ、その影響でエスカに変に仕事がいかないようにはしたいけどな」
「インタビューとかイメージの便乗商法の広告とかですね。まぁ、エスカの性格上、そういう目立つことを進んではやりたがらないですし。……だからこそよくまぁキバナと一緒になったなと」


エスカが長年、キバナに片思いをしていたということは置いておいてだ。
だが、彼女にその想いを伝える勇気も無ければ、そもそもキバナの隣に居られることは無いのだろうという自己評価で、最初から実らせることを考えもしなかった淡い粉雪のような感情の蕾。
それを知らなければ、キバナは見落としていただろう。友人、それからライバルとして甚く気に入ってはいたが、希薄に見られがちなエスカが恋をして揺らがない強い愛情を誰かに注ぐ人なのだと知ることがなければ。


「目立つ事はしたがらないけどネズみたいにインタビュー拒否とかは流石にしないけどなー」
「オレは特に好きじゃないだけなんで比べないで下さい。向こうも余計なことしか聞いてきませんし」


丁寧な物腰に見えて内面の尖った荒々しさはジムリーダー随一だったと言える。だが、何処まででも彼は愛情深く、根は面倒みが良い男だ。
だからこそ、エスカと話も合ったのだろう。彼の最後のジムリーダーとしてのジムチャレンジの運営をしたのがエスカになったが、色々問題はあったとはいえ、比較的順調に、本部と揉めることなく終わることが出来たのは相性もあったのだろうとキバナは分析していた。

それと同時に、最後をエスカに運営してもらって良かっただろ、なんて身内が故に言いたくもなるもので。
キバナのストレートな惚気にネズはどうでも良さそうに眉を寄せてグラスを傾ける。


「オレとしてはエスカが幸せそうなことには素直に祝いますが、キバナがどうなろうとどうでもいいんですけどね」
「おま……そんなこと言って呼び出したらこうやって来てくれるくせになぁ」


ネズはその事を特別否定はしなかったが、キバナ用にアルコール度数の少し高めの酒をグラスで頼んだ。
親しい友人だとは言いはしないが、ジムリーダーという地位に立った者同士、やはり特別な関係ではあったのだ。


ーー鉄道が止まるような夜が深くなってきた時間帯。
一時間前程にキバナから「そろそろ店から出て帰り始める」と連絡を貰っていたエスカは、キバナが帰ってくるまで、新しく育てているユキハミをグレイシアと面倒を見ながら部屋で待っていた。
トントンと扉を叩く音とインターホンの音が聞こえて、鍵を持っている筈のキバナがどうして、と疑問に思いながらも確認をしたエスカは目を瞬かせた。

「ネズ?」

モニターに映っていたのは、頭が痛そうに呻いているらしいキバナと、飽きれながらも申し訳なさそうに「すみません、エスカ」と謝るネズが横にいた。
慌てて玄関まで出て扉を開けると、仄かにアルコールの香りがして、キバナは「あー……エスカ……」と体調が悪そうに呟く。
ネズがわざわざ送ってくれたのだろうと気付いたエスカはキバナの前で手を振りながら調子が悪そうなのを確認する。


「……えっ、酔い潰れたの?珍しい……ごめんなさい、ネズ」
「いいえ、歩行は一応してくれたからいいですけど、一人で帰らせて吐くなんて事態になったらどうかと思いまして」
「飲み過ぎるの珍しい気がするけど……キバナ、大丈夫?ネズもここまで来させてごめんね。よかったら上がって行って」


迷惑をかけてしまったお詫びに時間も時間だし家で寛いでいってほしいと提案したエスカの提案をネズは断った。
二人が暮らしている部屋に上がるのが気まずいとかそういう訳ではなく、悪い意味ではなく単に人の厄介になるのがあまり好きではなかったという理由だった。


「いえ、帰ります。ホテルもありますし」
「本当に……?でもここまで来てもらったのに」
「……エスカは優しいですね」


その印象から冷たく見えると言われがちな彼女だが、エスカという人を知れば知るほど情に厚い人だと実感するのだ。
だからこそ、この情に厚い面倒見のいい気さくな男が惹かれたのだろうとネズは思わずにはいられなかった。何だかんだ、合っているのだ。
異なる形のパズルのピースがかみ合うような関係性。それがこの二人なのだろう、と。

ひらひらと手を振ってアパルトメントを出て行くネズを見送ったエスカは、リビングのソファに座って水を飲みながらぼうっとしているらしいキバナに声をかけた。
かなり調子が悪そうなのか、珍しくグレイシアが率先してキバナの頬に手を伸ばしていた。


「ねぇキバナ、本当に大丈夫?寝れば回復しそう?」
「多分な……いやー……アイツが出すって言うから調子乗って飲み過ぎた……」
「ネズがキバナにそんなこと言うなんて」


水を飲んで気持ち悪さは落ち着いたのか、頭を押さえながらも着ていた服を脱いで部屋着に着替えたキバナは心配そうにしていたエスカの手を引く。
酔いが回って思考が削ぎ落された中での、本能的に欲した行動と表現した方が正しいのだろう。
ぐらぐらと思考が散らばるが、ネズと酒を酌み交わしながら話した内容を思い出しては手を握り返してくるエスカに視線を流してふにゃりと柔らかく笑う。
普段だってファンに対しても、インタビュアーに対しても比較的聞かれたままに答えることが多く、エスカへの好意を隠している訳ではないのだが。
それでも砕けた仲での男同士での会話で惚気るのは、楽しかった。上機嫌になって、アルコールを堪能し過ぎてしまったが。

エスカを抱えたままベッドに寝転がったキバナは、揺蕩う意識の中でも感じられる鼻腔を擽る華やかな香りを堪能しながら大きく息を吸って微睡む。

(本当に……大きい……)

何時も感じていることではあるが、抱き締められると改めて実感する体格の違い。
すっぽりと包まれて身動きが取れないけれど、温かな体温に表情を緩めながらその胸に額を付ける。
主人がベッドに寝始めたことに気付いて寝室に入って来たユキハミを背に乗せたグレイシアは、ひょいと身軽にベッドの上に乗って邪魔にならないように挟まり、眠りについた。


「エスカー……冷たくて気持ちいいな……」
「冷たいのは私じゃなくてくっ付いてくれてるグレイシアとユキハミだけど……」


エスカは甘えるように抱き締めてくるキバナの背中をそっと撫でながら、グレイシアとユキハミに目配せをして、キバナにくっ付いて寝てくれるように頼む。
荒々しい嵐と涼やかな霰は互いの体温で溶けて、混ざって。惜しみない愛情を同じ器に注ぐのだ。