朝焼けのスピネル
- ナノ -

01

ガラル地方のポケモンリーグは大きな変革を遂げていた。
無敵のガラルチャンピオン・ダンデが王冠を下ろし、若い少女にチャンピオンを任せたことで、十年間の均衡は崩れた。
ダンデが当時チャンピオンになったのも、まさにユウリと変わらない歳の頃だったからこそ、ガラルの民にとっては何処か懐かしくも全く新しい風が吹き込んだ感覚だった。
チャンピオンではなく、ローズタワーをバトルタワーとして生まれ変わらせてオーナーとなった現在でもダンデの人気は衰えない。
多忙な身ながら、時々リーグトーナメントに参加してはユウリと洗練された激しいバトルを繰り広げる様子はファンを昂らせるのだ。

そして、そんな新しいリーグで、リーグ委員の院長だったローズと補佐を務めるオリーヴが居なくなったことで、エスカは多忙を極めていた。
今まで運営の大筋を彼らに任せてしまっていたのは事実だ。
だからこそ、エスカを始めとする一番の動員数になるナックルジムの運営担当者や他の大会で運営指揮を任されたことのある面々がシュートシティに集って運営を始めていたのだ。

キバナが公言したことでエスカと付き合っているという話は全体的に広まり、恋仲になった後に今年も二人のタッグでナックルジムのジムチャレンジが行われるのではないかと期待されたのだが。
ローズ委員長の逮捕とチャンピオンの交代等の事情が重なり、シュートシティの担当に変わったのだ。
「今年もエスカがオレ様のジム担当してくれると思ったのになー」と少々拗ねながらぼやいたキバナに、エスカはあくまでも淡々と「節度は守らないと」と告げたが。

そういうやり取りもまた、二人らしいのだろう。



――これはとあるガラルの住民の記憶だ。
PM 16:00。
ナックルシティに斜陽が差し込み、橙色の街灯が最も同化する時間帯。
偶々休みだったのもあり、カフェでパソコンを開き、偶にはリラックスした時間を過ごそうした所に飛び込んで来た非日常的な光景の話だ。

自分の時間を楽しんでいるのもあり、店内に誰が入ってこようが、隣に誰が座ろうが。意識の外にあり、一瞬目を移したとしても直ぐに興味を無くして自分の作業に没頭してしまう。
しかし、この日ばかりは違った。カランと音を立てて入って来た女性の姿は、遠目から見ても非常に目立った。

「え……」

ナックルジムのジムリーダー、キバナさんとかつてライバルであり、恋仲である何かと有名なエスカさんがカフェに入って来たのだ。
気付いた瞬間、思わず手を止めてその涼やかな横顔を凝視する。自分以外にも彼女がカフェの中に入って来たことに気付いた人はいるだろうかと辺りをきょろきょろと見渡してみると、やはり数人がひそひそと話しながら彼女を見ているようだった。
店員の人もエスカさんに気付いたのか、「あっ」と声を上げた後に「今日は注文何にされますか?」と微笑み、話しかけていた。

「……本当に、目立つな……」

非常に安い言葉だというのは分かっているが、有名人のオーラとはこういうものなのかと実感した。
別に奇抜な格好をしている訳でもないし、有名人特有の大きなサングラスで変装、とかをしている訳でもない。彼女はあくまでも素の状態だった。
どういう性格の人かとは何となく知っていたが、本当に笑うことはあるのだろうかと思ってしまう程の涼やかな表情。淡々としていそうな感情の起伏が目立たない綺麗な顔立ち。
彼女を簡単に説明するのなら、悪い意味ではなく人形のよう。或いはジムリーダー・キバナと正反対、だ。

カップを頼んで、窓際から少し離れたソファ席に彼女は座った。
じろじろ見ていると思われないように視線を逸らしはするが、やはり目線は彼女にむけてしまう。

ジムチャレンジの決勝戦で熱戦を繰り広げた後は暫く表舞台から消えていたのもあり、一般人からしたら大人になって戻って来た彼女が活躍をしているという感覚だ。
以前からも勿論彼女はジムチャレンジの活動に関わっていたが、立て直しを彼女も中心のメンバーに加わって頑張っているということで注目を浴びているのだ。
彼女の手持ちらしいポットデスが出て来て、彼女の持っているカップに興味を示した直後、残念そうにふたが傾いたのを見て思わず笑いそうになった。

(飲んでる物、紅茶じゃなかったんだな)

イメージにぴったり合う、氷霊使いのエスカさん。残念そうにするポットデスを軽く指で撫でてふと綻ぶように小さく笑った彼女は、純粋に綺麗だった。
誰かを待っているのか、スマホロトムの画面を見てからカップを傾けて注文した飲み物を飲み、ぼうっと外を眺めている。

(親友らしいルリナさんとか……もしかしてキバナさんとか。まぁ職場仲間とか他の友人っていう可能性もあるけど)

彼女の向かいの席に一体誰が座ることになるんだろうと興味を抱きながら、彼女の街人が来るまで自分もこのカフェでまったりと過ごそうと思うのだった。


その時が訪れたのはおよそ30分後のことだった。
非現実的な事というのはどうやら重なるらしい。カランと扉に、エスカさんの視線が持ち上がって、一際反応を見せた瞬間だった。
もしかして彼女が待っていた人が来たのではないかと思って視線を上げて。今日一、自分の目が開かれたような気がした。
そこに居たのは、この街においては特に誰よりも目立ち、そして有名な人物だ。

ナックルジムのジムリーダー、キバナ。ダンデが居た為、ジムリーダーという立場だったが、他の地方に行けば彼はチャンピオンにもなれただろうと囁かれている程の実力者。
陽気でサービス精神旺盛。試合中は荒々しい闘争心を見せるが、基本的に温厚で、今時な感性の青年。
そのパフォーマンスや、ジムリーダーとして強く在り続けようとダンデに挑み続けるその姿勢から、人気が高いジムリーダーだ。

こんなに有名な人に同時に、こんなカフェという場所で会うことなんてあるんだろうかと自分の運の良さに驚きつつ、カップを落としそうになる。

(というか、あれ……なんかキバナさん疲れてないか?)

普通に店を訪れたというより、汗をかいて飛び込むようにやって来たのだ。
そして視線を店内に向けて誰かを探していて、彼女が本当に小さく手を振ったことで気付く。
ジムリーダーのキバナさんだ!というファン心以上に、『キバナさんはエスカさんとの待ち合わせの為に急いで走って来たのか』と思うのだ。

――なんか今、凄く尊いものを見たような気がする。

席を立ちあがったエスカさんに、キバナさんは「待たせて悪ぃ。ちょっと長引いちまって」と謝っているようだったが、エスカさんは本当に柔らかい表情で「ううん、お疲れ様」と首を横に振っていた。
大して気にしていないらしいエスカさんに、キバナさんは申し訳なさそうにしているが、走って来たらしいことは彼女も分かっているようだった。
その様子を見るだけで、派手に見えがちなキバナさんだけどエスカさんのことが好きで、淡々としていて人を好きになることがあるのだろうかと失礼ながらそんな印象を持っていたエスカさんもまたキバナさんのことが好きなのだと実感するのだ。
カフェから出て行ってしまった二人の後姿を横目で呆然と見送りながら、戻ってきた現実的な時間に大きく息を吐く。


「……今度キバナさんの試合、見に行こ」


休日を家で過ごさず、カフェに出て来て良かったと噛みしめながら、すっかり温くなってしまったコーヒーを喉に通すのだった。


一方、カフェを出た後の注目の的だった二人は、偶には外食を楽しもうと目当ての店に向かってゆっくりと歩いていた。
キバナが今日、終わる予定時刻より少し遅くなったのは新しいリーグ委員との打ち合わせが少し長引いてしまったからだった。
一から関係を構築するというのは、昨年の担当がエスカだったということもあって久々のことだったのだ。


「早めに戻って来てくれてたのに悪いな、エスカ。エスカもシュートシティの方とか大変なのに」
「確かに少し大変だけど……でも、これはこれで楽しいよ。それにガラルリーグの再建、ダンデ君に任されたから」
「アイツも制度を整えた後はあっさりとエスカとか、試合自体の盛り上がりは新チャンピオンとオレ様達に任せてバトルタワーの設立に走り回ってたからなー」
「ダンデ君のあの推進力と決断力、尊敬する。確かに、少し寂しいって気持ちもあるけどね」
「まぁな……挑戦者のアイツは、前よりもっと貪欲にポケモンバトルを楽しんでるが」


挑戦者となったことで、チャンピオンの時以上に勝利に貪欲に。そしてポケモンバトルを愛するトレーナーとして一皮むけたような印象を受けるが。
それでも、やはりそんな彼を応援する反面、少しの寂しさは胸の奥で燻る。それは、ダンデにリーグ委員に引っ張ってもらったエスカ以上に、十年もの間挑戦し続けてライバル関係にあったキバナの方がより一層。
だが、変わらないものなんてないのだろう。立場も。関係性も。ずっと同じ訳ではないのだ。
キバナは視線を横で歩くエスカに移して、ふっと綻ぶように笑う。ライバルから盟友に変わり、好きな人に変わり、そして。

エスカの手を取って、大きな手で握ると、彼女はその温かさに目を丸くしてキバナを見上げる。


「キバナ?」
「いいや、変わるのも悪くないなと思ってな」


好きな人から、婚約者へと変わったのだ。